メイカブ
竜の口が、ぱくりと開く。
ブレスを吐くのだと瞬時に判断したメイカブは身を屈める。
ハローのご加護を。
そう心の中で祈るメイカブの髪の毛数本が、竜の灼熱の息で焼き焦げる。
「しばらく床屋に行かずに済むな」
呟いてメイカブは滑り込むようにして体を更に沈めながら竜にもう一歩接近する。至近距離だ。
巨大な竜は満身創痍だ。
全身に矢が刺さり、裂傷が数箇所、ところどころ鱗が剥がれ落ちたり砕かれたりしている。
それでもなお、至近距離まで近づけば人は誰もが立ち尽くしてしまうだろう。圧倒的な巨大さ。殺気を物質化したような眼。巌のような存在感。
だがメイカブは笑って、竜の頭の下まで踏み込むと、長剣を喉の下にある裂傷に深く突き刺す。全身全霊の力を込めて、思い切り突き刺す。
「せいやっ」
気合と共に、長剣は柄の部分まで深く打ち込まれる。
山が揺れて崩れ落ちるような叫びを竜が上げるのと同時に、メイカブは竜の下から転がりだす。次の瞬間、竜の四肢は力を失い、地面へと轟音を立てて沈む。
「危ない危ない」
「よお、やったなあ。すげえすげえ」
近くの木に登って戦いを眺めていた『見張り屋』フライが近寄ってくる。
近いとは言っても、竜の攻撃に巻き込まれない程度には離れていた。そこから一瞬の間に気付かれないまま近づいてきた彼に、メイカブは驚く。
相変わらず素早い男だ。
「俺の頭、焦げてないかい?」
「二、三本焦げてる気はするけど、別にいいだろお」
「まあな。で、これで俺を推薦してくれるのかい?」
「一人で竜を退治したんだあ。文句ないよ。もうすぐ戦争だあ。一人でも優秀な戦士はうちとしても欲しいさあ」
「一騎当千とはいかないけど、少しは足しになるつもりだ。仕事があるならどこでもいくよ」
弓、斧、長剣に短剣といった各種の武器を全身に身につけたメイカブは日に焼けた精悍な顔をほころばせる。
「そりゃあ、いい。うちの大将の私兵ってことになるけど、それでいいかあ?」
「『無能王子』の私兵か。それもいい。楽しそうだ。本当に、戦争は近いのかい?」
「お抱えの占星術師によればなあ。近く、南東の方角に凶兆。それが、大きな戦乱へと近づくってさあ」
ロンボウがエルフのお抱え占星術師を持っており、その助言によって国を運営しているというのは公然の秘密というやつだ。
「南東って、ノライかい?」
「多分なあ」
「ってことは、『料理人』か『赤目』だ」
「そうだなあ。『料理人』は特に、最近うちとの付き合いが多いから、そっちかもなあ」
「あるいは、新しい何か、あるのかもしれない。まだ俺達の知らない何かが」
赤茶けた髪をかきあげて、自らも星を読むかのようにメイカブは空を見上げる。
「どちらにしろ、何かが大きく起こるんだ。稼ぎ時だな」
「ああ、金なら稼げるさあ」
「ところで、フライ、あんたの大将は知っているのかい?」
メイカブは顔を空からフライに向ける。
「俺が、『青白い者達』を二人、斬り倒しているってことは」
「もちろん。だからうちの大将はあんたに興味を持ったんだよお」
「俺を囲うってことは、『青白い者達』を敵に回すってことだ」
「元々、『青白い者達』は世界の敵だろお」
「確かに」
メイカブは笑い、竜の死体へと近づく。幸い、竜の重量で長剣が潰れてしまっているということはないようだ。
深く刺さっている長剣を引き抜くと、竜の血を拭う。
「ノライか。一体、あの小国で何が起ころうとしているんだろうな、楽しみだ」
後に、この日が『勇者』メイカブが歴史に初めて登場した日として知られる。