足音
9月の終わり。
風が涼しさを増した頃に、それは起きる。
「ふぃー」
剣を携えた二人組は、風を楽しみながら道をふらふらと歩いている。
義勇軍による国境付近の警備。持ち回りで日に三度、必ずすることになっている。所属人数が三百名を超えた今、大した負担ではない。
「噂、聞いたか?」
何もない、山の麓を歩くのは暇だ。自然、どうでもいい話をしながら歩いていくことになる。
「何?」
「パインいるだろ」
「ああ、うちの代表とずぶずぶの顔役ね」
義勇軍の中でも、代表であるマサヨシ=ハイザキがただの酒場のオーナーではなくどこか後ろ暗いところのある男で、トリョラの裏社会と付き合いがあるというのは最早周知の事実となっている。
「あいつが、ガダラ商会と近づいてるって噂」
「嘘。ガダラ商会って、サニーフランが本拠地だろ? どうして、あんなとこに」
サニーフランはノライと南で接している国、キシリアの更に南端の港町だ。トリョラとはかなり離れている。
「ガダラ商会が暗黒大陸の密輸で肥えてるのは知ってるだろ。きっと、新しい商品にでも手を出すんじゃないか? パイングッズは輸入品を扱ってるんだからよ」
「もしくは、毒とか?」
暗黒大陸には多種多様な毒がある。エリピア大陸にはない強力な毒や、死んでも決して毒によるものだと見破れないような毒があるという噂は誰もが聞いたことがある。
「誰か毒殺するのか?」
「かもしれない」
「恐ろしいねえ」
半笑いで喋っていた男が、急に足を止める。
「どうした?」
もう一人の男も立ち止まり、振り返る。
「あれ、何だ?」
指を刺した方向には、草木に埋もれて、泥まみれの袋が落ちている。
この周辺は、国境近くということもあって人が立ち入ることはない。そのため、警備中に見つけたものはどんなものであろうと報告の対象となっている。
「何の報告もなかったんだから、前回の警備の時には落ちてなかったわけだよな、あれ」
「だな。トリョラから、アインラードに抜ける奴がいると思うか?」
「いるわけねえだろ」
「じゃあ、逆は?」
そこで、男二人は顔を見合わせる。
ゆっくりとその袋に近づき、中を改める。
入っていたのは、剣や食料、薬類。そして。
「おい、これは」
男達の顔が強張る。
一束の紙幣が、入っている。ノライでは、紙幣は使われていない。全て金貨と銀貨だ。
その紙幣の内容を見て、男の一人はため息をつく。
「とんでもないことになったな。アインラードの紙幣じゃねえか」
ハイジに報告をして、義勇軍内で情報共有をして、それらが落ち着いてとりあえず家に帰れる、となったのは日が沈んでからのことだ。
夜道を歩きながら、ようやく何も食べていないことに気付いたマサヨシは、こっそりと白銀で食事を済ませようと決めて店にもぐりこむためにフードを被る。
自分だとばれると、どうやら店内の客や従業員を緊張させてしまうらしい。そう気付いたのは結構最近になってからだ。
薄暗い中、遠くからでも分かる白銀一号店には煌々と明かりがついている。大騒ぎだ。おそらく、例の件について、酔客が大声でアインラードへの警戒と徹底抗戦を主張し合っているのだろう。近づくに連れて酔客達の声は大きくなっていく。
騒ぎに紛れて店の隅にこっそりと入ろう、と店の外から様子を窺っていると、
「不審人物ね、完全に」
後ろから声をかけられ、飛び上がる。
「びっくりした」
振り返れば、にやにやと笑っている浅黒い肌をした扇情的な服装の少女。ミサリナだ。
「お互い、忙しかったから、久しぶりじゃない」
「あー、そうだね、確かに。情報交換がてら、食事と行くかい?」
「へっへっへ、こっちも色々訊きたいし話したいわけよ」
話はすぐにまとまり、店内に入ると隅の席に着く。
ミサリナは店で一番高い酒を、マサヨシは熱いミルクをオーダーする。
「アインラードの紙幣が見つかったんだって?」
店内に響く、白っちょろいアインラードの連中をぶっ飛ばせ、の大合唱をBGMにミサリナが単刀直入に訊いてくる。
「そうそう。見つかったよ」
二人の視線が絡む。
すぐに酒とミルクがやってくるので、とりあえず乾杯する。ミルクは陶器のカップに入っているので、何となく乾杯が似合わないような気がするが、マサヨシは気にしないことにする。
「あちこちで噂になってるわけよ。とうとう戦争が始まるんじゃないかってさ。それで、と、ん? 飲まないの?」
喉に酒を流し込んだミサリナがミルクに手をつけないマサヨシを見て、目を丸くする。
「ん、ああ、。大丈夫だとは思うけど、心配でね」
「ああ」
ミサリナは声を潜めて、
「毒?」
「そう。パインがまた俺を心配させるような動きをするからさ」
「大変ねえ。そっちを気にしながら、アインラードの話もなんて」
「城の連中も、本気になって義勇軍との協力体制を協議してるってさ、ハイジいわく。今の人員じゃあ、城の正式な兵士だけでトリョラの警備と監視は不可能らしい」
奮闘しているハイジをどこか冷ややかに見ていた城の人間も、アインラードの脅威が現実のものとして感じられたからか、初めてハイジを中心にまとまりだしているようだった。
「そりゃそうでしょ。この町は半分以上が無法地帯で、しかも細長い路地がくもの巣みたいに張ってるわけよ」
「ハイジだけじゃなく、トリョラ全体に対して義勇軍の存在感が高まっている。この一件でね。それは、うまく利用すれば俺の命を長引かせてくれるかもしれない」
ちろちろと、ミルクを舐めてから、ようやくマサヨシはそれをぐっと飲みだす。
「はあ。それはそうとして、全く夜道や口に入れるものにいちいち警戒しないといけないとは。また寿命が縮む」
「大変なわけよ。ま、こっちも他人事じゃないっていうか、あたしが毒殺されてもおかしくないわけだけど」
「その割には、無警戒に酒飲むじゃん」
「あたしやマサヨシを殺すのって、毒で殺したとは気付かれないようにしたからって、やっぱり賭けなわけよ、パインにとっても。あいつ、ギャンブル好きじゃなさそうでしょ」
「確かに。持たざるものじゃないからねえ」
「え?」
「何も持っていない人間はギャンブルでの一発逆転を好むだろうけど、あいつは既に色々なものを持ってる、でしょ?」
「確かに。まあ、そんなわけで、まだ、踏ん切りはつかないだろうと思うわけよ」
「にしたって、肝が太い」
「マサヨシが臆病なだけなわけ」
その言葉にマサヨシは苦笑しながら、
「臆病者の方が長生きできるんじゃないの?」
自分に言い聞かせるように、そう呟く。
「助けてっ、誰か」
女の悲鳴。子どもの泣き声。
夜のトリョラ。中心部で人通りは多いが、一つ路地を奥に入れば人の目は届かない。その奥からの悲鳴。
パトロール中の義勇軍、そして住民がその悲鳴の方向へと走っていく。
「こっちだ」
ちょうどパトロールをしていたジャックが、先陣を切って走り出す。毛を夜風になびかせ、疾走する。
「うっ、誰かっ」
若い女が丸まっている。その丸まった女の上に馬乗りになって、棍棒を叩きつけている男。何度も、何度も叩きつけている。既に女は血塗れで、悲鳴に力がなくなっていく。
「誰か」
かすれた声。
女が丸まっているのは、子どもを庇っているからだ。男の暴力から、子どもを抱いて庇っている。子どもは、泣き続けている。
「おいっ」
「何してるんだ、てめぇ!」
「やめろっ」
義勇軍が駆けつけるが男は全く見向きもせず、暴力を止めない。
「貴様っ」
剣を抜いて男に斬りかかろうとしたところで、ジャックは、はっと動きを止めて狐の顔を歪める。
「斬るなっ、取り押さえろ、『青白い者達』だっ」
男は、血の気のうせた、死人のような青白く乾燥した肌をしている。目にも生気がないが、白目の部分が真っ赤に血走っている。
ジャックは剣ではなく、足で男を蹴りつける。
渾身の一撃を受けた男は女の上から吹き飛ぶ。
無言で地面を転がった男は、すぐに立ち上がって棍棒を振りかざしてジャック達に襲い掛かってくる。
「取り押さえろっ、いいか、斬るなっ。血を浴びるなよ」
ジャックの叫びで、義勇軍のメンバーの一人が素手で男に向けてタックルする。組み付いたメンバーに青白い男は棍棒を振り下ろそうとするが、それをジャックが剣で、斬るのではなく側面で殴りつけるようにして腕の骨を砕く。
青白い男はそのまま地面に倒される。そこに、他のメンバーや住民が群がって、男の両手両足を押さえる。
「この野郎っ」
「おい、そこの倒れてる奴は無事なのか」
「くそっ、暴れんな」
「駄目だ、もう。子どもの方は無事だけど……」
「舌噛みやがった、くそっ」
「おい、一滴でも血を浴びるなよっ」
やがて、男は自ら舌を噛み切り、口から薄い緑の血を吐いて死んでいく。
「もう、取り押さえるのはいい」
剣を収めながら、ジャックが疲れた声で指示を出す。
「報告だ。城と、マサヨシさんに。それから、そこの母親の身元確認。子どもは医者に連れて行ってやれ」
「ああ」
沈んだ声で、ジャックの仲間が泣き叫んでいる子どもを抱き起こし、表通りの方へと駆けていく。
「くそっ」
天を仰いだジャックは夜空に向かって悪態をついて、視線を地面で死んでいる青白い男に向ける。
「アインラードの紙幣に、『青白い者達』か。偶然か、これは?」
トリョラは一種の混乱状態に陥った。
元々のアインラードとの緊張状態、義勇軍による警備が行われている厳戒態勢。その上で、最悪の反体制勢力である『青白い者達』が現れた。
住民は恐怖し、自衛のために武器を握る。
「確認できただけで、義勇軍への参加人数は今朝の時点で千は越えています。それに、表の商売でそれなりに成功している連中が、次々と義勇軍に寄付を」
なおも報告しようとする部下を、痩せた手を挙げてパインは止める。
「もう、いい」
窓の外、行きかう人々の緊張した面持ちを眺めながら、ため息のような声を出す。
「はっ」
「毒は、手に入ったんだったな」
「はい」
「だが、時、既に遅しだ。今、奴が死ねば、暴動すら起きかねない」
こんなことなら、さっさと殺しておくべきだったか。
悔やみつつも、パインは同時に仕方なかったのだ、と自分を納得させる。
殺すタイミングを、奴が巧みに防いできた。そうして、この状況になった。奴の、マサヨシの、執念と運が引き寄せた結果だ。
「しかし、『青白い者達』にアインラードか。この町を支配していると慢心していたら、外部よりこんなものが入ってくるとはな」
「正体不明。目的不明。ただ、時折現れては無差別に人々を殺していく者達。唯一の共通点は青白い肌と、その下を流れる薄緑の毒の血、ですか。この町に来たのは、おそらく、偶然だとは思いますが」
部下が呟いているところに、突如として慌しい足音が響く。どたどたという思い足音だけで、パインは誰が近づいてきているか分かる。
しかし、何だ?
パインは眉をひそめる。
足音からして、かなり慌てている。いや、慌てているというより、我を忘れてしまっているかのような足音だ。
ドアを開け放ち、太った男が荒い息で、転がるようにして部屋に入り込んでくる。
「どうした?」
入って来た太った中年の男、表の商売を任せている息子に向かって、パインは声をかける。
「た、大変だ」
ぜえぜえと苦しげな呼吸音を間に挟みながら、真っ赤な顔をしたパインの息子は呻く。
「助けてくれ、父さん」
嫌な予感に、パインの目が細くなっていく。