膨れる虚像
白銀の二号店は、トリョラの中でも貧民層が集まる地域にある。
安い酒と料理が楽しめ、更に正式な酒場で城の目を一切気にせずに騒げる。居心地もいい。一号店以上に、二号店は繁盛している。
「にくじゃが、お替り」
「こっちもにくじゃがね」
芋と肉をどろどろになるまで煮込んだ、にくじゃがという変わった味付けの料理が名物で、これは店のオーナーの郷土料理だという話は今や客のほとんどが知っていた。
さして広くもない店内には客がすし詰め状態で飲み食いしており、その間をすり抜けるようにして五、六人の店員が走り回っている。
「ったくよお、クソがあ」
怒鳴っているのは、浅黒い肌を持つ赤毛の男だ。
普段、決して上品と言えない客ばかりではあるが、白銀で暴れる客はそうそういない。城に睨まれるかもしれないし、それ以上に店のオーナーが恐ろしいからだ。
ペテン師。そう裏で呼ばれる男は、全く何も持たない状態でトリョラにやって来て、三か月もしないうちに、顔役であるパインと組み、口八丁だけでランゴウという悪党を一派ごと潰し、酒場を三軒持つに至った。パインすら、奴のことを警戒している。
そんな噂が、裏ではまことしやかに囁かれている。
ただ、その日、その男は虫の居所が悪かった。加えて、安酒をさっきからたてつづけに十杯以上飲み干していた。
そのせいだろう、周囲がなだめるのも聞かずに、男は大声でわめく。
「どうして、俺がこんな場所で、しかもびくびくしながら酒を飲まなきゃいけねえんだ。やってやるぞ、いつだってよお。アインラードども」
その大声に、騒然としている店内のあちらこちらから、賛同の叫びが上がる。店内の大半は難民であるし、そうでなくともトリョラに住んでいる以上、誰もがアインラードへ怯え、そして敵意を持っている。
男は十年以上前にアインラードに滅ぼされた小国、ヤマの難民だ。実際にはもう国がないので無国籍者、とでも表現するべきだが、トリョラでは一括りで難民とされている。アインラードに占領された場所にとどまるのを良しとせず、トリョラへと逃げ落ちてきた。
周囲を見れば、同じような連中でトリョラは溢れている。トリョラの住人の半数以上が実際にアインラードへと怨みを持っているし、そうでなくとも親から、先祖からアインラードへと憎しみを刷りこまれている。
いつ、ノライとアインラードが戦争となり、トリョラに攻め込まれるか分からない。この恐怖と敵意、憎しみが入り混じっているのは、何もその男に限ったことではない。店内のほとんど、いや、トリョラの住民のほとんどが共通している。
だから、いつもは騒然とした場に飲みこまれてしまうはずの酔客の大声が、大勢の賛同を受けて、店内のボルテージが上がっていく。
「そうだ、もし戦争になったら、やってやるぞ」
「エールしか飲まない白っちょろい連中が、何だって言うんだ」
酒の力を借りて、いつしか店の全員が叫びだす。女ですら叫んではテーブルにジョッキを叩き付けている。
店員も止めるに止められず困惑し、あまりの騒ぎに厨房の奥からコックまで何事かと顔を出す。
店内の騒ぎはどんどんと大きくなり、誰もが追加の注文で酒を頼んではそれを流し込み、それを燃料にして更に騒ぐ。
どこまでも際限なく続くようなその騒ぎは、しかし、唐突に消えていく。
入口の方から、騒いでいる客が一気に静まっていく。騒ぎが収まっていくことに気付いたヤマの難民、騒ぎのきっかけになった男は、訝しげに入口の方に目を向ける。店の奥に座っていた男には、他の客が邪魔になって何があったのか見ることができない。
やがて、入口から広がっていった静寂は店内を満たし、その時には男の目にもその静寂の原因が、入口からゆっくりと店の中央まで歩いてきた男の姿が目に映る。
黒い髪、黒い瞳。
顔色は悪く、数か所に包帯を巻いている。きちんと洗われているから清潔なのだろうが、アイロン等はかけられていない様子の、皺くちゃの白いシャツに黒のスラックス。
ひょこひょこと、片足を庇うようにして、男は入口から進んできている。
「ペテン師」
「マサヨシだ。マサヨシ=ハイザキ」
大声ではなく、ひそひそとした囁きが店内を広がる。
貴族でないのに姓を名乗る洒落者。ランゴウを騙して破滅させた男。白銀のオーナー。その男に間違いない。
牙を隠している間、まだパインにも取り入らず、城と協力して再開発地区に一軒目の酒場を持ったばかりの間には、オーナーであるマサヨシ自らが店主として、料理人、ウエイターの役割もこなしていたとは聞いている。
だが、その本性を現した後、パインと繋がりを持ち、ランゴウを潰した後、マサヨシはほとんど店には顔を出さなくなったと誰もが知っていた。大勢の人間を雇い、彼らに店を任せ、本人は裏の仕事をしているのだと。
その仕事がどんなものなのかは知らないが、常に包帯を巻き、体のどこかを庇っている姿から、口だけでなく暴力を使って仕事をしているのだろう、と誰もが噂していた。
ランゴウ一派の半分は、ペテン師であるマサヨシの口と暴力によって潰されたのだという噂さえ流れている。
「いやあ、賑やかだね。俺のせいで静まり返っちゃったけど」
にやりと笑って、疲れ切った様子のマサヨシは片手に持っていた袋を店員に向かって上げて見せる。
「これ、差し入れだよ。悪いね、最近、裏方の仕事が多くて、店に顔が出せなくてさ」
「いえいえ、ああ、ありがとうございます」
少し震えながら、ウエイトレスをしていた娘がその袋を受け取る。
「にしても、皆さん元気ですねえ」
まだ薄く笑いながら、マサヨシが店内を見渡す。
全員が、凍りつくように体を固くする。
「けど、あんまりそんなトリョラを物々しくするような発言を大声でしてると、城やパインさんに目を付けられますよ」
ははは、と笑ってマサヨシは厨房の奥へと進む。料理人達にも挨拶をしようと言うのだろう。
だが、それを押しとどめたのはヤマの難民である、騒ぎのきっかけとなった男だった。男は普段なら絶対にそんなことはしなかっただろうが、あまりにも泥酔していた。立ち上がった男は、マサヨシに指を突きつける。
「何が、トリョラを物々しくするだ、馬鹿野郎! どんどんノライとアインラードの間がまずくなってるってのによお。いいかあ、あのな」
周囲が慌てて止めようとするが、体をぐらんぐらんと揺らしながら男は止まらない。
「トリョラはもっと物々しくて当たり前なんだよ。いや、てめえやパインみたいな、金持ちが余裕持ってるだけだ。そりゃそうだよな、お前らは戦争になったって王都にでもどこにでも逃げればいいんだからよ。城の連中だって、本当はそう思ってる。死んでもここを守ろうなんて思ってねえんだ。けどな、俺達はここしかないんだよ。ここしかないんだ。分かるかあ?」
男の言葉にマサヨシは足を止め、笑みを消す。
周囲は必死に謝りながら男を座らせようとするが、男は尚も喚く。
「あんたらは戦争になったら逃げちまえ。でもな、俺達は戦うぞ。木の槍だけ持ってでもな、戦ってやる。あんたらみたいな、腰抜けは逃げ、て……」
マサヨシは、口元に手を当てて、目を見開いて黒い瞳で真っ直ぐに男を見つめている。
その恐ろしさに男の酔いは一気に醒め、真っ青な顔になった男はがたがたと震えだす。
しん、と静まった店内の視線は、全てが大きく目を見開いたマサヨシに集中している。
恐ろしいことが起こる。
誰もがそう思う。
「なるほど、なるほど。この町を守るために、命を賭けるか、いいねえ」
マサヨシは目をすっと細めると、笑顔になる。
「けど、この町のことをどうでもいいと思ってるとは、心外だな。この町のために、戦う気概くらい俺もあるよ」
ゆっくりと、店内全ての客と店員の視線を引き付けるように両手を広げて、
「それを、証明するのも悪くない」
マサヨシは内心、興奮していた。
働きづめ、特に密造酒の手配や帳簿の改ざんといったどうしようもない仕事で日々のほとんどの時間を働いていて、店は全て雇った店員に任せている。おまけにパインからの圧力で四号店、五号店の出店計画を立てなければならなくなって、店に顔を出すのはおろか店員をねぎらう時間すら最近はなかった。
馬鹿みたいに安い賃金で働かせてしまっているにも関わらず、だ。
それで、少し時間が取れたので差し入れを持って店に顔を出すと、盛り上がっていたのに何故か自分が入った途端に静まり返るのでマサヨシは不思議だった。
和ませるために笑って冗談を言ったが、それで余計に店の空気が冷えるのが分かった。
どうしたことだろうと首を捻りながら厨房へ向かおうとした時に、一人の客から投げかけられた言葉。
その言葉を聞いた途端、マサヨシの頭の中で何かが繋がって、からからと音を立て始めた。まさか、ひょっとして。どういう風に転がるかは分からないが、使えるのではないか?
そんなことを、考える。興奮している。
交渉術とは違うが、会社で顧客の一人に学んだことがある。
今にも潰れそうな会社の社長であるまだ若いその男は、マサヨシに詐欺の片棒を担がせようとしてきた。
「それは無理ですよ」
そう断り、
「そんなことはするべきではないです」
そう言ったマサヨシに、男は血走った目で答える。
「いいか、何もしなけりゃどんどんひどい状況になるんだ。だったら、失敗したら余計酷くなるとしても何かするしかねえだろ」
だがマサヨシの会社に断られ、男の会社は何もできずに潰れていった。
その後、たちの悪いところに莫大な借金をしていた男は、その存在ごと消されたと風の噂で知った。
そこからマサヨシが学んだこと。
何もしなかったら悪化するだけなら、危険な賭けだろうと何だろうと、とにかくするしかない。
それをしよう。




