エピローグ
涎を拭う。
夢を見ていた。古い古い夢。
「ああ……まるで別人だな」
呟く。
夢の中の若い己が、今の自分とあまりにもかけ離れていたせいでそんな独り言がこぼれ出てしまう。
埃っぽいソファに座ったまま寝てしまった。ゆっくりと立ち上がって服の皺を伸ばす。最近、ついついまどろんでしまうことが増えた。
パインは自分の両手を見る。細く、皺だらけになっている老人そのものの手。
「『狂犬』か」
見る影もないだろうビファ―ザ、と内心で自嘲する。
狭い店に駆け込んでくる騒がしい男。部下の一人のちんぴらあがりだ。
「どうした?」
「うちのとジャックが揉めました」
「ああ、『狐面任侠』か……あのガキもでかくなったな」
最後の方はただの独り言になっている。パインは首を振って、
「ほっとけ。どうせうちのが下らんことをしたんだろう。ジャックは町の連中の人気も高い。介入せん方がいい……と、珍しい客だ」
部下の後ろで、目をギラギラさせて乗り込んでくるダ―クエルフを見つけて手招きする。
パインの部下を押しのけるようにして、ミサリナ――知り合いの行商人が店に乗り込んでくる。
目がぎらぎらと輝いている。野心に燃えている。まぶしいものでも見たかのように、パインは目を細める。
「どうした、何か買って欲しいものでもあるのか、ミサリナ」
「パインさん」
ちらり、と部下の方を気にするので、手を振って部下を下がらせる。
店にはパインとミサリナだけになる。ソファ―に座り、ミサリナにも座るよう進める。
「パインさん、お願いします。絶対に、倍にして返しますから」
だが座らずに掴みかかるようにミサリナは近寄って来る。
「またその話か……」
意欲はある。野心といっていい。鉱山の頃の自分はこんなだったろうか。
「悪いが、出さんぞ。酒場ででも乗る奴を探せ」
端的に断る。
「どうしてですか? 絶対に、絶対に成功させます。今なら――」
「ミサリナ……わしは『料理人』にはならない」
「え?」
「頭を動かす人間ではない、ということだ。そういうのは兄弟の担当でな……」
意味が分からずぽかんとした顔のミサリナに苦笑して、パインは手を振る。
しばらく唖然としていたミサリナだが、やがて一礼をすると店を出ていく。
見送りながら、パインは空笑いしかできない。
ガキの頃なら、ああいうのと一緒に大暴れてしてもよかった。だがもうだめだ。老いた。肉体もそうだが、何よりも心が老いてしまった。
「……もう、『狂犬』なんぞと呼ばれた頃に戻ることはないじゃろうなあ、一生……このまま死ぬだけか。ただの老人として。それもいいだろう、なあ、兄貴、ビファーザ、フロイン」
呼びかけるが死者は応えない。
目を閉じる。またさっきのような夢を見て、『狂犬』だった頃を思い出せるかと。
もちろんパインはそれから数日で、ペテン師のために狂犬として目覚めることなど知る由もない。
アマゾンのプライムビデオで「仁義なき戦い」を観たから、という超短絡的理由で始まった番外編もこれにて終わりです。ありがとうございました。