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エピローグも一緒に投稿してます。
「おおっと」
気の抜けた声をあげるパイン。反射的に身を引いた分、ナイフはわずかに内臓に届いていないようだった。そのナイフを無感動に見下ろした後、視線を上げてビファ―ザと目を合わせ、
「毒でも塗ってるか?」
「毒? ああ、そうか、そういう手も、あったな」
少し目を見開いてそう呟くビファ―ザに嘘を言っている気配はない。無邪気なものだ。
「しかし下手だな」
パインの手は既にナイフを握るビファ―ザの手首を掴んでいる。金属製の器具のように、太い指が締め付けると手首の軋む音が聞こえる。
「いてて」
「お前に比べれば殺しの腕はまだシアムの方がマシなんじゃないか?」
「僕は頭脳派なんだよ……ぐあっ」
いよいよ骨がひしゃげだしたらしく、軋む音が変わり、ビファ―ザの冷静な顔が苦痛に歪む。
「それで、他に用意はしてないのか?」
噛みつくように笑うパインに、
「もちろん、しているさ」
そうビファ―ザが答えるのと同時に、パインの背後から音。何かが外れるような音だ。後ろ。何があったか。木箱。小さめの木箱が置いてあった気がする。何だ? 刹那、パインの思考が交差する。振り向くか? それとも、ビファ―ザはそれを狙っているのか?
「お前がパインかっ!」
叫び。ようやくパインは後ろを向く。
凄まじい速さで飛んでくる剣。いや、剣を持っている奴がいる。小さいから目に入らなかった。ちびすけだ。なるほどこいつなら箱に入っていられる。しかし自分の身長以上の剣を持って飛ぶようにこちらに走っている。大したガキだ。獣人のガキ? ああ、こいつが。
一瞬の間、パインが頭の片隅で考えている間にその剣を持った獣人の少年は距離を詰めている。目はぎらぎらと怒りに燃えている。その目を見て、一瞬奇妙な感慨に襲われる。パインの動きが鈍る。何だ、この感覚は?
ぎりぎりかわせるかと思っていた剣の一撃を、パインは喰らう。強い衝撃。体がふらつく。
かろうじて頭への直撃は避け、肩に一撃を受けた。あんな小さな体のガキのものだとは思えない鋭さ。痛みは快感に近く、パインは笑う。
「お前がシュガ―をばらまいたんだなっ!」
肩に食い込んだ剣に力を込めて、少年が怒鳴る。
鋭い。だが重さが足りない。いくら力を込めたところで。パインは全身に力を入れて硬直させる。それだけで、剣が止まる。
「お前が、ジャックだな。噂は聞いてるぜ」
パインが言うが当然ながら答えはない。
ジャックは歯を食いしばり、更に力をこめる。だが、肩に食い込んだ剣は全く動かない。
「ようやく分かったぜ。懐かしかったのか。お前、ちょっと昔の俺に似てるな」
ただ、ちょっと真っすぐすぎるな。
パインはそのまま体を少しだけずらす。勢いをいなされたジャックの体が泳ぐ。
その泳いだ体にパインは思い切り蹴りを入れる。ジャックの小さな体は吹き飛び、そのまま二階から落ちていく。
「あっ」
思わずパインは身を乗り出して下を見る。
「――死んだか?」
薄闇で見えづらいが、地面に転がったジャックがごろごろと転がったあと、ふらつきながらも立ち上がるのが見える。
なんとなく安堵する。子どもは殺したくない。なんとなく。
「痛てて……しかし、あれが隠し玉かあ? まったく、あんなガキを鉄砲玉にするなんてよ。どうも、シュガ―ばらまいたのが俺だって騙したらしいな。まあ、騙し易そうなガキだな」
ようやく顔をビファ―ザに戻して、そこでさっき力を入れたのと、体を動かしたことでいつの間にかビファ―ザの手首を完全に折っていることに気付く。
激痛に耐えてだろう、ビファ―ザの顔は青白く脂汗に塗れている。
「ああ、悪いな」
「いいさ。そもそも刺したのはこっちなんだ」
それでもビファ―ザの口は減らない。
「で、手品はこれで終わりか?」
「ああ」
言いながら、ビファ―ザの掴まれていない方の腕――左腕が凄まじい速度で動く。それは最初の一撃とも、ジャックの一撃ともまるでレベルの違う速度と鋭さの一撃だ。こちらにもナイフが握られている。真っすぐにパインの首元に向かって。
「――」
えらい。思わず褒めそうになる。最初の一撃、下手だと感じたあの一撃はブラフ。本当は、なるほど、こっちの腕にも自信があったわけか。ジャックもフェイント。こいつが、本命。
敢えて反撃を受けるであろうことを承知の上で、この瞬間、この一撃に賭けた。そんな風に思わなかったが、ビファ―ザはひょっとしたらギャンブラ―なのかもしれない。
かわせない。かわしきれない。そうパインが確信するほどの一撃。さっきの肩のダメ―ジもある。かわすことは不可能だ。
刹那目が合う。得意げな、自慢するガキのような目つきをしているビファ―ザに、似合わないなあと思う。
そして。
「おっ、嘘だろ」
唖然としたビファ―ザの顔。
パインは、かわすのではなく、逆にその一撃に向かっていき、
「――『狂犬』もいいところだ」
呆れたようなビファ―ザの声。
ナイフを、口で噛んで止める。口の端が少しだけ斬れる。
「わるふぃな。行儀のひひタイプひゃあなくて」
パインはナイフの刃を咥えたままて喋り、ビファ―ザの折れた右手に握られていた方のナイフを無造作につかみ取ると、そのまま真っすぐに、何の工夫もなく突き出す。
それはビファ―ザの胸に深々と刺さる。
「……ダメか、くそっ」
舌打ち。それから少しだけ血を吐いて、二歩三歩よろめいてから、ビファ―ザはすとん、とその場に座るようにして崩れる。
「……シアムを半殺しにして、俺を殺そうとしたのか?」
無感動に見下ろし、パインが訊く。
「まさか。兄貴分にはこう言っては悪いが、シアム程度じゃあお前は殺せない。少しでもダメ―ジがあればと思っていただけだ。最終的に、僕が自分でやるつもりだった」
「全てはこの時、この一撃のため、か」
「ここまで狙い通りに動くとは思っていなかったがね」
「その割に、最後の最後でダメだったな」
「ふん」
血を吐き苦笑してビファ―ザは、
「噛みつくとは思っていなかった。さすがは『狂犬』だ」
ごろん、と上半身を倒し仰向けに倒れる。
「……いい月だ」
「うるせえよ」
刺された腹と斬りつけられた肩を気にして痛みに顔をしかめるパインはそれどころではない。
「遺書は、書いてある」
そんなことを唐突に言われて戸惑う。
「あ?」
「遺書だ。パイン、組織はお前が引き継げ。表も裏も、お前がこの町を支配する。それがふさわしい」
「ふざけんな。俺はただのオヤジになるんだよ」
そう反論しながらも、パインは半分諦めている。ビファ―ザがこう言うということは、つまりそうなるだろうということだ。この男が絵をかいたらその通りに踊るしかない。頭では絶対に勝てないのだから。
「なあ、ビファ―ザ、訊いていいか?」
ほとんど紙のように白い顔色になったビファ―ザに問いかける。
意識も薄れているだろうに、
「どうぞ。急げよ。すぐ死ぬぞ」
ビファ―ザはどこまでも冷静だ。
「じゃあ、訊くけど……どうしてだ?」
単純なこの質問に、ビファ―ザは一瞬だけ目を閉じてから、すぐに諦めたように開き、
「俺はお前ほど達観できていない」
「あ?」
「『料理人』の、その他大勢の手駒の一人のままなのが、耐え切れなかった」
血をこぼしながらのその独白にパインは戸惑う。パインにとっては、ビファ―ザもハンクも同じようなものだとしか思えない。それに。
「俺を殺そうとした理由になってねえだろ」
「お前を殺さないと、『料理人』には並べないさ」
「は? 何でだよ?」
「お前には……」
そこで、ビファ―ザは少しだけさみしそうに笑う。
「分からないよ」
「はっ……じゃあな、ビファ―ザ」
地獄でまた会おうぜ、と言おうとしてあまりにも恥ずかしいのでやめて、黙って背を向けて階段へと向かう。とはいえ、腹と肩が痛むのでぎこちなく、ゆっくりとした足取りで何とか、と言ったところだ。さっさと帰って手当をして、朝いちばんで医者に行かなければ。
「なあ」
背中に声をかけられる。かすれた、今にも消えそうな声なのにいやによく聞こえる。
痛みで振り返るのが億劫なので、パインはゆっくりと歩きながら顔もむけずに、
「何だよ」
「俺もシアムの兄貴も……男は皆、お前に憧れてたんだ」
それきり、声は聞こえなくなる。
「何の理由にもなってねえよ」
吐き捨てて、パインは振り返らずに今度こそ立ち去る。