不吉な予感
精霊歴851年。6月20日。
暦を眺めがら、パインはゆっくりと煙を吹かす。あれから二か月ほど経ったのか、とパインは時間の流れに新鮮な驚きを覚える。
パインが座っている椅子も、壁に張られている暦も、パインのものではない。ここは、トリョラの外れにある古物商の店舗だ。古物商、と言えば聞こえはいいが、その実は盗品の売り買いをするので有名な店だ。
「終わったぞ」
真っ白い毛のワータイガーが、ドアを開けて戻ってくる。
「どうだった?」
「やはり、チンピラを数人配置しておったのお。まあ、いてもいなくても同じような雑魚じゃ。ああ、一人生かしたが、構わんの?」
「お前の悪癖だな」
「営業活動と言って欲しいのお」
苦笑して、パインは煙を吸ってから、
「それで、頭は潰したか?」
煙と共に問いを吐き出す。
「やったやった。これで、最後じゃのお?」
「ああ、ランゴウの派閥の連中は全員潰した。二か月か。まあ、早く済んだ方だ。お前がいてくれてよかった」
「わしは殺し屋でも結構値が張るほうじゃ。このわしを二か月間まるまる雇ったのは、あんたが初めてじゃよ」
「かなりの出費ではあるが、損はしていない。連中から根こそぎ奪った分でほとんど払えているし、残りの部分もランゴウ一派の縄張りを全て手に入れたことを考えれば、得をしたくらいだ」
「で、これで契約完了かの?」
ごきり、とタイロンは首を鳴らす。
「まだだ。もう少し、付き合ってもらう」
「はあ? ランゴウの派閥は全員殺したじゃろ。未だに姿を見せん奴もおるが、そいつらはとっくの昔にこの町から逃げ出したに決まっとる。追うつもりか?」
「まさか」
そんな無駄なことをするつもりは、パインにはない。
パインにとって、自分の支配するトリョラにいない人間は存在していないも同然なのだ。自分の町を発展させ、守り、支配する。それ以外に興味はない。
「ただ、予感がする」
「予感?」
「肌で感じる。年の功という奴だ。部下の中で、私に反感を持っている連中がいる。それはいい。反感を持たれるのは上に立つ者として当然だ。問題は、実際に反旗を翻しそうな人間が出ようとしている。その者達は、反感を持つ連中を巻き込み、勢力を拡大しようとしている」
くるりくるりと、パインはたばこを指で転がす。
「そいつらを殺せばいいのか?」
「駄目だ。今は、そいつらに落ち度はない。落ち度がないものを一方的に殺せば、反感が強まる。瓦解の原因となる。けれど感じる。いつか、奴らは牙をむく」
「何故じゃ?」
不思議そうに、タイロンは喉元を爪でかく。
「何がそいつらをそうさせる? 欲か?」
「恐怖だ。いずれ、私が用済みとなった自分達を殺すと信じている」
「んじゃあ、それを取り除いてやるわけにはいかんのか?」
「無理だ。今更私が何をしようと奴らの疑心暗鬼は消えない。それに」
木彫りの面のように無表情となったパインは続ける。
「奴らの心配は、あながち杞憂でもない」
「はっ、そりゃ、どうしようもないわ。どうするんじゃ?」
「敢えて隙を作って、奴らが牙をむき易くしてやる。その上で、牙をむいた途端に、先手を打って潰す。お前に殺してもらおう」
「えげつないのお。殺し屋よりよっぽど汚いわい」
呆れたタイロンは天を仰ぐ。
「そこまでせにゃならんほど、相手は手ごわいんか?」
「相手がチンピラなら気は楽だが、何せ相手はペテン師と商人だ。一筋縄ではいかない」
そうして、はっと体を固くすると、慌ててパインは立ち上がる。
「いかん、ゆっくりしすぎた。孫と食事の約束があった」
「おうおう、家族サービスも大変じゃのお」
にやつくタイロンを無視して、パインは急いでその店を出る。
もう、パインの頭の中から、マサヨシとミサリナのことはすっかり消えてしまっている。
食料、として運んできた小麦の入った木箱から、一番底に沈めてある皮袋を取り出す。
「ほら、これ」
ミサリナからそれを手渡された猫の顔をした女は、無言でそれを受け取り中身を確認すると、民家の奥から大量の瓶を運んでくる。瓶はどれも大きさも形もばらばらで、かすかに濁った液体が入っている。密造酒だ。
それをミサリナが表に止めてある馬車に詰め込んでいる間に、人猫族の女は小麦の入った木箱も含めて、いくつかの木箱を家の奥に運ぶ。小麦以外には、さとうきびの搾りかすなど、密造酒の原材料となるものが木箱には入っている。
荷の積み下ろしが終わると、ミサリナは無言でその家を後にする。小さな家だった。家と家の間に、また木造の粗末な家が作られ、その家と別の家の間にも家が作られる。カビが繁殖するようにして無数にあるトリョラでも最底辺の家々のうちの、一つだ。
馬車に乗り込み、リストを確認してから、ミサリナは大きく息を吐く。
ようやく終わった。後は、詰め替えるだけだ。
馬車をいつもの倉庫に向かって出発させる。
ミサリナ商会の名義で正式に借りているそのトリョラの外れにある倉庫には、既に先客が待っている。
「やあ」
ようやく包帯の大部分が取れたマサヨシが、軽く手を挙げる。さすがに指はまだ折れたままだ。
「さ、始めましょ」
もう、慣れた作業だ。
馬車を止めたミサリナはそう言って、マサヨシと一緒に荷物を降ろしては倉庫の中に運んでいく。
「どんどん量が増えてるわね」
ようやく半分を詰め替えたミサリナは一時休憩ということで、空いた木箱に腰を下ろす。
「パインの要求がどんどん厳しくなってるからね。冗談抜きで、トリョラで作っている密造酒を全部俺達に処理させるつもりなんじゃない?」
マサヨシも作業の手を止めて、ミサリナの向かいに腰を下ろす。
「四号店の出店計画もスタートしてるんだっけ?」
「酷い話だよ。二号店と三号店がようやくまともに動き出したと思ったら、すぐそれだ。二号店と三号店にしても、こんな短期間で営業開始するなんて、城の協力とパインの手回しがあったとしてもかなり無茶があった。馬車馬のように働かされたよ」
乾いた笑いと共に、マサヨシは空になった瓶を蹴飛ばす。
「このままじゃ過労死するし、そうじゃなくてもさすがに密造酒の販売が売り上げの半分以上を占めているこの状況はまずい。ハイジに気づかれる」
「気づかれたらどうなると思う?」
「そりゃあ、全部の責任押し付けられて俺とミサリナの首が斬られるんじゃないの? 大体、密造酒の販売だって、ハイジが城主じゃなくなったらまた今まで通りにもぐりの酒場で売ればいいわけだしさ」
これまで口に出して話し合ったことはないが、マサヨシとミサリナの中では、安定した状況で生きていけるのはハイジが城主である間だけだ、ということで認識は一致している。
「そうね。今の所、あんたのトリョラ浄化作戦の行く末が気になっているからハイジも家からの帰還命令に抵抗しているけど、いずれハイジが城主じゃなくなったらあたしたちはおしまいってわけね」
「多分な」
憂鬱な話題を打ち切るように、
「そう言えば、ツゾはどうしてる?」
「一日中、狭い部屋に閉じ込められて、退屈してるわけ。緊張感もなくなりつつあるし、そろそろ限界かも」
暗に、そろそろ片を付けなければ、と目でミサリナが示すと、
「今度、俺が話しに行っていい?」
気づかない振りをしているのか、明るい調子でマサヨシが言う。
「もちろん。それにしても、マサヨシ」
「ん?」
「どんどん要求が厳しくなっているけど、パイン、どういうつもりだと思う? あたしたちが潰れたって、別に得はないでしょ、彼に」
「そうだねえ」
頬杖をついて、マサヨシはしばらく考えた後、
「俺達を潰して、白銀を乗っ取りたいのかな?」
「どうして? 大した稼ぎにはならないでしょ」
「稼ぎはね。けど、売り上げ自体は中々のもんだよ。だから、例えば裏の仕事で得た金を、そこに紛れ込ませることができる」
「ああ、違法な金を白銀の利益だってことにするわけ?」
「そうそう。ええと、資金洗浄ってやつだ。そんな言葉ある? 記憶ないから分からないけど」
「ないけど、言いたいことは分かるわ。なるほどねえ」
「その場合、潰したいのは俺だけだろうけどね。心配しないでも、ミサリナは助かると思うよ」
「安心したわ」
「そうだ、違法な金と言えば、まだ埋めて隠したままなの? あのランゴウのアジトから奪った財産って」
「仕方ないわよね。使いようがないもの。城にはばれないと思うけど、パインにばれるわけ。絶対、あたしたちのお金の動きチェックしてるでしょ」
「だろうね。あれ、結局いくら分あったんだっけ?」
「大体、三等分して一人頭2万ゴールドくらい」
それを聞いて思わずマサヨシは口笛を吹く。
「真面目に働くのが馬鹿らしくなるね。いや、真面目には働いてないけど」
「でも、実際表にできない違法なお金は結構たまってるんじゃないの、マサヨシも」
「まあなあ。それはお前もそうだろ?」
「それなりに甘い汁を吸って、今や馬車を二台持っているわけよ」
休憩は終わり、と自分で決めて、ミサリナは腰を上げる。
それを見て顔をしかめながら、マサヨシも立ち上がる。
「さあ、残りを終わらせましょう」
「やれやれだ」