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33

 火酒による消毒。後は、適当な軟膏。包帯を巻いて、とりあえず手当は終わる。


「いよっと……痛てて」


 声を上げながら、パインは立ち上がる。昔は、こんな痛みなんて気にならないものだったが、歳をとった。


 ひょこひょこと足取りも重く、自宅を出る。さて、ビファーザのところへと乗り込まなければいけないか。面倒だな。肩をぐるぐると回す。また、ヤオとビファーザのところで奴らの部下相手に大立ち回りするほどの元気は残っていない。


 夕暮れ。目に沁みる。


 ため息が止まらない。いい歳をして、こんなぼろぼろの恰好をして、足を引きずりながら歩き、喧嘩をしに行く。バカバカしい。みっともないことこの上ない。自覚はある。


 それでも足は止まらない。とぼとぼと歩き続ける。足は重い。それをひたすら引きずる。動かしていく。


「……ああ?」


 ふと気付く。人がいない。そこまで人の多い通りは避けているとはいえ、人通りがゼロになるような通りでも、時間帯でもない。知り合いに見つかったらどう言い訳するかと考えていたくらいだ。


 何だろうか、嫌な感じだ。

 嫌な予感はよく当たるものだ。


「交通規制で、自然とこの場所から通行人を無くす。ビファーザやらヤオやらにできる芸当じゃあ、ないな」


 公の権力がなければこれはできない。


「――はっ」


 見れば、並ぶ店もほとんど閉まっている。不自然にも。だがその中で一軒だけ、酒場が開いている。


 あからさまだ。


「くそ、順序が逆じゃあねえか。黒幕は最後に会うつもりだったのによ」


 ぶつくさと文句を言いながら、その酒場に向かう。


 トリョラの店は大体分かっている。この店は確か、小金を貯めた夫婦がトリョラにやってきて中間層向けに開店した、めずらしく怪しいところから金を引っ張らずに開いた店だ。


「確か、首都――シュネブからきた夫婦だったか」


 呟く。品のいい、トリョラでは少し珍しい夫婦だった気がする。何度か会って、商工会の会長としてアドバイスをした記憶もある。


「やれやれ」


 両開きの木の扉を開けて中に入ると、店の主人も店員すらいない。ただ、客が一人だけ。


「やあ」


 手を挙げてくる予想通りの顔にうんざりしつつ、パインはその客の向かいに腰を下ろす。


「痛て」


 座ったり立ったりするとやはりまだ体が痛む。


「飲むか?」


 テーブルの上には酒。どうやら一人で飲んでいたらしい。パインの前にグラスを置き、ボトルを手にそう訊かれる。


「いや、いい。酒飲むと、出血がひどくなることが多いんだ、経験上な」


「そうか」


 ボトルを取り下げ、髭を撫でる男の顔を真正面から見つめる。


「それで、何の用だ、ハンク」


「用? ここで飲んでいたら、お前の方がやって来ただけだろう?」


「お互い歳をとって、いい親父になってはきてるがよ……俺は腹の探り合いを喜んでするほど大人じゃないんだ。下らない話はよせよ、『料理人』」


「人を殺しそうな目をしおって……まったく、趣も何もないな。まあよかろう。ただ、ここで飲んでいただけなのは本当だ。お前が道の違和感にも、一軒だけ開いているこの店にも気付かずに通り過ぎるようなら、それならそれでよいと思っていたからな」


「そこまで頭に血が昇ってたら、話し合いにならずにお前の頭をボトルでぶん殴るかもしれねえもんな」


「そういうことだ」


 口髭を濡らさないように器用にグラスを傾け、しばらく酒の味を堪能している様子のハンク。しばし、奇妙な沈黙の時間が流れる。パインの方から何か言うことはない。ただ、痛みを感じながら座っているだけだ。


「……どこまで把握している?」


 ようやくハンクの口から出てきたのは、そんな問いかけだ。


「そりゃ、こっちの話だよ、『料理人』。どこまで分かってんだ? わざわざ俺の行く道の人払いをして、店も貸し切ってってことは――」


「とりあえず、お前の兄貴分や元親分共の死体は、こっちで部下に処理させた」


「はっ、そいつはご親切にどうも。じゃあ、俺がこれからどこに行くかも、どういうつもりなのかも分かってたわけだ」


「まあ、のお」


 ハンクは、実年齢以上に老成した眼光でパインを射抜く。並の人間ならたじろぐそれを、パインはうっとうし気に手を振って、


「さっさと話を進めようぜ……俺は別に大した目的があるわけじゃあない。あんたらと違って広い視野だって持ってない。結局のところ、嫁さんが殺されて息子が狙われてるみたいだから、そのけじめをつけようと思ってるだけだ」


「けじめ――復讐ではなくて?」


「んー」


 がしがしと頭をかいて、


「やっぱり、けじめだな。復讐っていうとちょっと違う。うちの嫁さんも、俺も、別に何回ぶっ殺されても文句を言える筋合いじゃあないからなあ。あくまでもけじめだよ。このまま元の表の世界に戻って金を稼ぐってのは、すっきりしない。きっちりけじめつけといてから、なんだよな」


 言いながら、自分で納得していく。こうして口に出すまで、いまいち自分が何のために命を懸けて喧嘩をしようとしているのかはっきりと分かっていなかったのだ。


「なるほど……そして、そのけじめのためにヤオとビファーザに会いに行く、と? 奴らがお前の妻を殺し、息子を狙ったのか? シアムとヨモウの仕業じゃあないのか? だから殺したんだろう? 殺すときに、ビファーザに指示されたとでも言ったか?」


「いいや、全く」


 そう、シアムは全て、自分の意思で行ったのだと言った。死の直前に言ったその言葉に、おそらく嘘はないだろう。だが。


「だからこそ、だ。ビファーザの奴は、本人に全く気付かせないで誘導したんだろ」


「どうしてそう思う?」


「どうして? 最初から疑ってたぜ。ビファーザのことはよく知ってる。あいつが、シアムを殺し損ねるものかよ。慎重すぎるほど慎重な男なんだ、あいつは。心臓抉るなり、首を切り離すなりしそうなもんだ」


 敢えて生かした。そうとしか思えなかった。


「何のためにそうしたのか、俺にはいまいち分からなかった。別にそういうのを察するのが得意なタイプでもねえからなあ。けどよ、シアムが転がり込んできて、話をしているうちに何となくだが分かったんだ。これがそうだってな」


「これ?」


「自分を死んだことにしてシアムが勝手に動き回る。ビファーザを殺すために。それが目的だったんだろうってな。シアムとビファーザは冷戦状態で硬直してた。あれを、状況を、動かしたかったんだろうってなあ」


「その過程で、お前の妻が死んだ。それもビファーザの策のうちか?」


「どうだろうな?」


 その部分は、パインにも未だによく分からない。だからこそ、ハンクに確かめたのだ。


「直接的に誘導はしていないらしいから、そうなっても構わない、くらいに思っていたのか、それともそうなるだろうと思っていたのか――」


「そうなるとは思っていなかった、とは思わんのか?」


「そこまであの兄弟分を過小評価はしねえよ――で、俺としてはそのあたりを確かめて、けじめをつけてから」


 ぬるり、と予備動作なく、ハンクの虚をつくような無造作な、しかし隙の無い動作で酒瓶を掴み取る。

 パインはそれをゆっくりと振り上げ、


「お前のとこにも行くつもりだったんだよ、『料理人』」


 振り下ろされるその一撃を、ハンクはただ見上げる。

 ボトルは、ハンクの鼻先でストップする。


「――単純明快に聞かせてくれるか? お前の仕業か?」


「単純明快に答えよう。違う」


「……ま、だろうなあ」


 あっさりと、パインは酒瓶をテーブルに戻す。


「お前が何故、この『料理人』が関係していると踏んだのか、それを教えてもらっていいか?」


 平然と顔色一つ変えず、ハンクは訊く。


「ん? ああ……最初っからだ」


「何?」


「最初から妙だと思っていたんだよ。そりゃ、そうだろ。自分で言うのも恥ずかしいけどよ、『狂犬』なんて呼ばれていた小僧に目を付けて、コネつくっとくなんて、そりゃあ、してもいいだろうけどよ、絶対最優先じゃねえだろ。お前だって言ってたじゃあねえか。俺は、さっさと死ぬか出世するかの二択だって。そんな不安定な奴に全額投資するのか?」


「なるほど。しかし投資なんて言葉がお前から出てくるとは、商人の真似事もバカにならないな。人を賢くする」


 満足げにハンクは笑う。


「うるせえよ。で、だから俺以外にも、お前が目を付けて、コネつくっといた投資対象が他に何人もいるんだろうとは思ってたんだ。これからのトリョラで要になりそうな奴をな。俺と同じように、他人には絶対に自分の繋がりをばらさないようにって言い含めてな」


「正解だ。それで?」


「それで? あとは、話は簡単だ。要するにハンク、お前は俺だけじゃあない。シアムとも、ビファーザとも繋がっていた。多分、ヤオとも。ああ、そうそう。一時期組織の奴らが薬を流していた時があったが、あれはお前が手配してやったんじゃないか?」


「……ほう?」


 初めて、ハンクの目が鋭いものに変わる。


「あれはかなりの金になる。トリョラがダメになる代わりにな。ヤオやらシアムやらがその甘い汁を吸っていたらしいが、その甘い汁を一番上で吸い上げていたのが、あんたなんじゃないのか?」


 その質問に答えず、続きを促すようにハンクはじっと見てくる。


「噂は聞いてるぜ。このトリョラに移民を受け入れることを提案し、そして大成功させて発展させたあんたが、中枢の要職につくってな。国王からの覚えもめでたいらしいじゃねえか。この国を動かす立場になるかもしれない。そう聞いた。けど、普通はいくら実績や能力があっても難しいよな、そこまで行くのは。家柄か、もしくは広い人脈とその人脈に流すことのできる大量の金でもなけりゃあ、な」


「――パイン。本当に、お前は分からん男だ。頭も切れる。度胸もある。広い視野も持てる。だというのに――頭を使おうとしない。度胸ではなく狂気に身を任せる。視野をあえて狭くする。一体、何故だ?」


「知らねえよ、性分なんだろ……で、どうなんだよ?」


「認める。シアムともビファーザとも連絡を取っているさ。『料理人』だからな。材料を組み合わせて、調理しなければ」


「材料が一つだけだったら、それは料理じゃねえか……はん」


「言っておくが、別に私欲のために出世がしたいわけではない。やるべきことをするためだ」


「それ、何だよ?」


 ふと、純粋に興味がわく。確かにこの男、ハンクが私欲のために動いているとは思いにくい。だが、だとすればこの男の行動原理は何なのか?


「自分にしかできないことがある」


「あん?」


「幸運にも、能力があり、不幸にも、トリョラという弱国に生を受けた。だからこそ、この立場だからこそできることがある。自分にしかできないことがある。だから、それをするだけだ。私が、このトリョラを生き延びさせる。目的とは、それだ」


「愛国心、か?」


 それはパインにはまるで縁のないものだ。


「――そうだ、と言えれば恰好いいだろうが、違う。言ったろう、それが自分にしかできないことだから、するだけだ。勝手な使命感とでも言えばいいか」


「……俺には、よく分からねえな」


 パインは正直に言う。


「分かってもらおうとも思わん。それで、パイン、お前はさっきの私の言葉を、信じるのか? シアムとも、ビファーザとも関係のあった私が、お前の妻が殺され子が狙われていることに、関係がないと」


「ああ」


「何故だ?」


「何故って、そりゃあ」


 少し考えてから、


「お前が俺に嘘をつくわけないからだ。お前は、俺のことを知ってるだろ? 関係あるなら、正直に言って俺にこの場でぶん殴られた方がよほどましだ。嘘をついたら――」


 にい、とパインは狂犬そのものの笑みを浮かべ、


「俺は死ぬまでお前を追い続ける。だろ?」


「――道具として扱いやすかったのはシアムだ。ビファーザは優秀だが優秀すぎてこちらで色々と考えておかないとうまく使うことができなかった。だが、パイン、お前は――どうしていいか分からなかった」


「は? 嘘つけ、いいように使っていたくせに」


「使えなかったさ、お前はまさに『狂犬』だった。他人を利用することに長けて、それしかしてこなかった私が――」


 そこで、ハンクは忌々しいものを見る目つきをしながら、唇だけを歪ませて笑み、


「だから、私に友人はいないが――一番それに近いものがいるとしたら、お前なんじゃなあいかと、そんなことすら最近は思うんだよ」


「ぞっとしねえな」


 言いながら、パインはテーブルに置いた酒瓶を再び掴み上げると、自分の目の前のグラスに注ぐ。


「おい、飲まないんじゃないのか?」


「やめた。よく考えたら、これから命を捨てに行くようなもんなのに、そんなことを考えても仕方ねえや。それに、こういう時じゃないとこんな上等な酒は飲めねえ」


「ああ、飲んでみて分かったが、それは高級酒の瓶に二束三文の密造酒を入れてあるだけだ。この店、そうやって儲けておるようだな。嘆かわしい」


「ああ?」


 パインとハンクは見つめ合い、黙る。そうして、しばらくの沈黙ののち、二人同時に噴き出し笑い出す。

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