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舌打ちして、肩を回す。
鈍器で殴りつけられておかしくなっていた肩は、激痛と共にではあるが何とか動く。
握っていた手を開く。斬りつけられた薬指の傷は思ったより深く、骨が見えている。
血の混じった唾を吐き、パインはようやく体から力を抜く。その途端、足はふらつき、壁に寄りかかる。
「はあ」
疲れた。息を吐く。そうして見下ろす。
床に転がっているのは、ずたずたにされた男たちの死体。顔がほとんどなくなるほどに殴られているものもあれば、喉をナイフで切り裂かれたものもある。パインがやった。
ヨモウの死体もある。枯れ木のような手足は全てが不自然な方向に曲がっている。
痛み。脇腹に手をやるとぐっしょりと濡れる。どうやら、ここにも一撃もらっているようだ。若い頃のようにはいかない。
「……息、切れてるじゃねえか」
つぶれたカエルのような声がする。シアムだ。片手片足を折られ床に倒れ、肋骨を思い切り殴りつけられて血反吐を吐いてのたうち回っていたが、ようやく落ち着いたようだ。もしくは、のたうち回る力すらないか。
体は、奇妙に捻じれたままだ。
「致命傷じゃあない。今の俺で、これだけできれば上等だ」
「上等、か」
シアムは笑おうとしたらしいが、笑い声の代わりに血を吐く。
「そこそこイキのいい連中と俺、まあ、戦力にはならねえけどヨモウの親分……そいつら相手に、一人で圧勝しといて上等、か。つくづく、だな。ただのオヤジにはなれないらしい」
折れた肋骨が肺に突き刺さっているのだろうか、シアムの声は濁っている。
「今更ただの中年、ただの夫、ただの父親になろうってのは、虫のいい話だってことくらい分かってたよ。フロインも」
「へへっ、はあ……くそ、薄暗い地下のこんな部屋で、男どもの死体に囲まれて死ぬのか……ちくしょう、あのまま鉱山にいても大して変わらなかったんじゃあ、ねえか?」
「いい思いもしただろ、兄貴は」
「ああ、まあ、そうだ、そうだな……くそっ、ああ、なあ、頼む」
「ん?」
「タバコ、俺の胸ポケットにある……吸わせてくれねえか? 腕が、動かない。最後の、一本……」
「俺だって動かない。限界だ。しばらく休まないと」
パインはわき腹を押さえていた手のひらを見て、それが予想通りに血に塗れているのを見て顔をしかめる。最悪だ。
「てめえ、兄貴が頼んでいるのに、そんな言い方……」
怒って何か怒鳴ろうとしたシアムはそれを言い切る前に咳き込み血を吐いて、そして結局苦笑に変わる。
「お前も、ビファーザの奴も結局最後までそうだったな……兄弟分のはずが、俺をちっとも慕ってねえ。馬鹿にしてやがる」
「尊敬されるような振る舞いしないからだよ」
血の匂いのせいか、ダメージのためか、それとも久しぶりの急激な運動のためなのか、気分が悪くなってきた。パインは頭を振る。
「手厳しいな……ええ、おい? けどよ、俺は……最初は、やろうと思ったんだぜ。頼れる兄貴分を。けど、お前もビファーザも、俺の先を行ってた。最初から、最後まで」
また血を吐いて、
「だから、ああいう役をするしかない。どうだ、名優だったろ」
「嘘つけ。あれが兄貴の素だろ……よくしゃべるな、最後だからか?」
「それもあるけどな、へへ、びびったけど、お前がここに入り込んだ時にな、お前の顔や暴れぶりを見て、懐かしくもあった。あの頃のような気分なんだ」
「ん?」
「どうしようもねえ、鉱山で使い潰されそうになって……兄弟ってことで三人で組んでよ、あの頃を思い出したよ」
「ガキだったからな、あの頃は……まあ、今もガキだけどよ。こんな、大して変わらないままオヤジになるとは思ってなかった」
「ああ、かもなあ……おい、頼む、タバコ」
弱弱しく咳き込むシアムによろよろと歩み寄り、屈む。一度屈むと二度と立ち上がれないような気がする。疲れた。胸ポケットを探る。少し血に濡れたタバコとマッチがあったのでそれを取り出し、タバコを差し出す。
震えながら、シアムは口を開き、それを咥える。
パインはマッチで火をつけてやる。
「……なあ、どうして俺がやったって分かった?」
器用なことに、タバコを咥えたままでシアムは喋る。
「フロインのこと? 兄貴以外に、そんなことする奴いるわけねえだろ」
「あいつら、お前のガキさらうよう頼んだ連中からは、ビファーザの名前が出たはずだ。ちっとも、疑わなかったのかよ、あいつを。差別だな、兄貴分はこんな目に遭わせるくせに同じ兄弟分のビファーザは信用して……」
どんどんとシアムの声は小さくなっていく。力がなくなっているのが、目に見えて分かる。
「逆だよ。俺は全くあいつのことは信用してない。いや、別の意味で信用してるか」
気合を入れてから、何とか立ち上がる。
「ビファーザがあの状態で何か企むんだったら、絶対に自分の手は汚さない。そんなことをせずとも、多少誘導すれば兄貴やらヤオやらがすぐに動くだろ。だったら、そうする。そっちのスマートな方法を使うよ。そういう奴だろ?」
「なるほど」
青白い顔で、それでもシアムは笑う。
「確かに、そういう奴だな」
「だから、あいつが後ろにいようといまいと、俺のガキに手を出そうとしているのはあんたかヤオかだ。両方、確かめるつもりだった」
「殴りこんで、か? ……『狂犬』だな、本当に」
力なく吹き出し笑い続けるシアムがその状態で未だにタバコを咥え続けていられるのは不思議だ。
「うん。で、まずは兄貴のところに来たら、過剰に反応するんでな、すぐ分かったよ」
「くそっ、最後までとぼけとけばよかったか」
舌打ちをして、血と煙を吐いたシアムは、
「で、訊かないのか?」
「訊くよ。兄貴は、ビファーザに何か誘導された?」
「残念ながら、な。俺はあいつに殺されかけてからずっと、あいつとは接触してない。誘導のされようがない」
「だろうね」
予想は、していた。
「……ビファーザに勝ちたかったんだよ、結局のところ……お前に勝つのは諦めたけどな。あいつには、勝ちたかった。俺がトップになれば、名目では勝てる」
「俺に勝つのは諦めたって、何だよ?」
「あのな、男は皆、俺もビファーザも、『狂犬』にびびって、それから憧れてたんだぜ」
そんなことを聞かされても、パインには肩をすくめるしかできない。
「ああ、だから、お前とビファーザが仲がいいのは厄介だったよ……くそっ、へへ、違うな、嫉妬、してたのか」
もう、声は囁き声のようになってきている。
「パイン」
「ん?」
「嫁さんのことは……悪かったな」
「誰が許すか。地獄に落ちろ」
その答えを聞いて、最後にまた笑おうとしたのか表情を緩ませたところで、とうとうシアムの目から光が消える。口からタバコがこぼれ落ちる。
「……さあて、と」
パインは億劫げに、床に落ちたタバコを踏みにじってから、
「憂鬱だよ、兄貴……この後、もっとしんどいのが待っててよお」
死体に向かって語り掛ける。
「ビファーザとヤオ……それから、『料理人』に会わなくちゃいけない。何もかも捨てて逃げ出せばいいんだろうけど、この町以外では普通のオヤジになるのも難しいだろ? 一応、会長だしよ、俺」
ゆっくりとした足取りで出口に向かう。
「かといって何も気付かない振りをして、そのまま暮らせるほど肝も太くなくてな……ガキのままだな、俺も。『狂犬』か。はっ」
自嘲の笑いを漏らしながら、死体に溢れた部屋に背を向け、ドアに手をかける。
「それじゃあ、また。すぐに向こうで会うことになるかもしれねえけどな、兄貴」
言い捨てて、パインは重い足取りで部屋を出る。
死体がそれを見送る。
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