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別作品ですが、「ファンタジーにおける名探偵の必要性」のお題企画、皆さんご協力ありがとうございます。
ただいまプロット構成中です。近々スタートできるかと思いますので、是非読者への挑戦にもご参加いただけましたらと思います。
死ね。死んでしまえ。
そう思っている。今も昔も。誰が、や何が、はない。存在しない。ただ死ねと思う。ただ死んでしまえと思う。怒りや憎しみではない。面倒だ、というのが一番近い感情かもしれない。
生きているのがつらい顔をしている連中。必死で生きている連中。生きることに関連するもろもろ。全て消えてしまえ。
「死ね」
思わず口に出している自分に気付き、少しだけ慌てる。
咳払いして誤魔化しつつ周囲を伺うが、どうやら誰も耳にとめた者はいないようだ。
ほう、と安堵の息を吐いて、ビファーザはまた爪磨きを再開する。
「――残っているのは酒場のミカジメのシノギだけです」
部下の報告が終わる。
引き継ぎについての報告だ。
「ご苦労」
「ビファーザさん、このままじゃあ、俺たち干上がっちまいませんかね?」
心配顔の部下の一人が話しかけてくる。
「ヤオの親分は僕を片腕にした。お前らを食わせるくらいの銭はもらう。余計な心配はいらない……それより、監視はどうなっている?」
「……はい。パイングッズからは不審な動きはないそうです」
多少不服そうな顔をしながらも部下が答える。
「パインは相変わらず?」
「ええ。うちで手配した住居に住んでます。嫁さんも一緒ですよ。息子と一緒に」
宿屋の一室であり、ビファーザの事務所だ。腹心の部下三人とビファーザだけが、そこで会合している。
「……シアムの奴、パイングッズの二階に引きこもりか。やれやれ……さっさと出て行って欲しいが」
「一網打尽、ですか?」
部下が肩をすくめて言う。
「もちろん。くすぶっているシアム派……引退したヨモウの老いぼれも含めて、まとめて消し去りたい。そのために戦争が起こっても構わない。どうせ、大したことにはならない」
「けど、戦争なら、どうせならそいつらとヤオ親分がやって相打ちにでもなってくれりゃあ、ビファーザさんが――」
「滅多なことを言うな」
呆れて、ビファーザは爪を磨く手を止める。
「どこで誰が聞いているか分からない」
「けど、ビファーザさん、実際――」
「僕がトップか。この町の。はっ、くだらない。くだらないよ」
そんなものにどうして皆なりたがるのか、と心の底からビファーザは呟く。
「久しぶりじゃあないか」
ふらりと一人で入ってきた客に、店先でそんな声をかけられてパインは一瞬固まる。誰なのか分からない。自分よりは年上。身に着けているものは地味だが上等。そんな情報を総合して考えているうちに、
「ああ、そうか。髭を伸ばしてなかったな、前会った時は」
そう言うので、頭の中でその客の顔から髭を消し去って、ようやく。
「――ハンク」
それが、『料理人』だと分かる。
「こっちも色々と最近忙しくてな。挨拶くらいはしないとと思ってはいたんだが……結婚したし、子どもも生まれたんだろう? おめでとう」
現在、ハンクが城主よりも数段上の――複数の城主、領主を管理する地域監督官と呼ばれる存在になっていることは知っている。ノライ国王に直接拝見できる立場。そんな人間が、こんな店にふらりと一人で訪ねてきたことが信じられない。だが。
「――老けたな」
それよりも何よりも、その一言が出てくる。かつては青年だったはずのハンクは、どっしりとした貫禄を身に着けている。髭を伸ばしているから余計に、かもしれない。威厳がある。かつては余裕や能力は感じさせても、威厳や貫禄とは無縁だった。
「互いにな」
そう返されて、まあそれはそうかとすとんとパインは納得する。狂犬じみたガキだった自分が普通のオヤジになって、当時青年だったハンクがこうもなる、か。
「結婚祝いも出産祝いも渡せていない。多少、心苦しくてな」
「いいよ別に。気にするな……何か買っていくか?」
「そうだな。この店で一番高いのは?」
「そりゃあ、ベコチだ。知ってるだろ、宝石と同じ値段のする、アインラードのベコチ村産の酒」
言いながら、パインは店の奥で厳重に保管している装飾のされた瓶を取り出す。琥珀色の液体の入ったその瓶をハンクに渡す。
「こいつは驚いた。アインラードの大貴族でも持っていれば自慢できるレベルの酒じゃあないか。よくこんなものを手に入れたものだ」
瓶を撫でつつ、ハンクは目を丸くして、
「しかもこいつは、大当たりだった年のものじゃあないか」
「商売始める時に、無理して買ったんだよ。そいつを商品としてさりげなく置いといたら、他の商人も貴族の客も俺に一目置いてくれた。初期投資だ」
「色々と考えるものだな」
「元はどうしようもないチンピラだからな。そりゃ、普通に堅気になって真っ当な商売しますって言ったところで中々信用してもらえねえよ」
「じゃあ、これを売ってくれ」
「監督官様はこれを気軽に買えるくらい金があるのか。うらやましいな」
「言ったろう、結婚と出産祝い代わりだ。言い値で買ってやろう。ところで――」
す、とハンクは目を細めると皺が刻まれつつあるその顔を上に向ける。天井に向けられた視線は鋭くはないが、冷たい。
「大きなネズミを天井裏に飼っているようだ。店の評判が落ちるぞ」
「……天井裏じゃあない。二階だ。どちらにしろ、もうすぐネズミは駆除される。そういう予定なんだ」
「それは、安心した。いいか、パイン」
金貨を一枚ずつ、パインのポケットに入れながらハンクは囁いてくる。
「トリョラは難民移民を受け入れて急激に発展した。私の狙い通りにな。そして、その功績から地域監督官にまでなった。だから、トリョラにはこれからも大人しくしておいてもらわなければ困る。いいか、更に急激に発展することは求めない。現状維持をしてくれればいい」
「トラブルは無用だと?」
パインのポケットはずっしりと重くなっていく。
「ヨモウの老人からヤオに引き継ぎがされ、可もなく不可もなく組織は運営されていく。それでいい。『狂犬』も牙を抜かれて、トリョラはこの先静かになる。それでいいんだ。分かるか?」
水が染み込んでくるように、ハンクの言葉はパインの頭に直接入り込んでくる。
「穏便に、静かに終わらせろ。今更抗争など冗談じゃあない。ここだけの話、もうじきシュネブへ移ることになっている」
「王都に?」
「そういうことだ。私は私に相応しい場所に行く……言いたいことは、それだけだ」
言うだけ言って、ハンクは離れる。
パインのポケットははちきれんばかりに膨らんでいる。
「この酒は買わせてもらった。もしも、料金が足りなかったら後で連絡しろ」
明らかに本来の値段の数倍の金貨をポケットにねじ込んだハンクは、そう言って店から去っていく。
パインはポケットに手を突っ込むと、金貨をじゃらじゃらと鳴らしながら去っていく背中を眺め、目をつむる。二階のシアムのことを考えそうになって、舌打ちして自宅にいる嫁と息子のことを考える。さっさと帰って息子と遊びたい。大金が手に入った。しばらく、仕事を休んでやろうか。そんな考えに陥りそうになり慌てて打ち消す。まったく、さっさとシアムの引き取り先が見つかって欲しい。いっそのこと、今から上に行ってひと思いに刺し殺してやろうか。本気でそう考えるが、慌てて打ち消す。そんなことをすれば計画が潰されたことになって、ビファーザもいい気分はしないだろう。パインにもさっきくぎを刺されたばかりだ。あの二人を敵に回したら今後、生きにくくなる。
そこまで考えて自嘲の笑みを浮かべる。昔の自分なら、そんなことを考えず、ただ自分の感情のままに振舞っていいただろうに。『狂犬』だったなら、今頃シアムは死体になって店の前に転がっている。