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「ヤオさん。それじゃあ、これはもらいますよ。それじゃあ、お先に」


 テーブルに置かれた鞄を受け取ると、ビファーザは立ち上がる。


「まだ一杯しか飲んでないじゃねえか」


「元々、そんなものです。色々と忙しいですし、これをずっと持っているわけにもいかないでしょう。失礼します……ヤオさん」


 そのまま出ていこうとして、ビファーザは思い直したように振り返り名を呼ぶ。


「あん?」


「一つ、聞きたかったんです。シンプルな問いです」


 ビファーザは冷たい目で酒に酔ったヤオを見下ろし、


「跡目、継ぎたいんですか、そもそも?」


「ああ……そりゃあ、そうだろ。親分やシアムの馬鹿に命令されるのなんてまっぴらだ。あんな頭の足りない小物によ。お前だってそうじゃねえのか?」


「もちろん。だから、ヤオさんに跡目になってもらいたいと思ってますよ」


 それじゃあ、とビファーザはそのまま去っていく。


 後に残されたヤオは首を傾げてから、また酒を飲み料理を口に放り込む。





 ヤオの事務所を出てすぐのところに、見慣れた男の姿を見つけてビファーザは肩をすくめる。壁にもたれて、事務所からビファーザが出てくるのを外でずっと待っていたらしい。


「兄貴」


 シアムは、不機嫌であることを隠さず顔に出して、つかつかと歩み寄って来る。


「ビファーザ。ヤオの事務所に何の用だったんだ? その鞄は何だ? ああ?」


「兄貴こそ何の用です、こんなところまで」


「……すぐそこに馬車を待たせてる。乗れ」


「僕にも用があるんですが」


「兄貴分の言うことに逆らうってのか?」


 絡んでくるシアムに、ビファーザは一瞬だけ迷うが、


「……分かりました。行きましょう」


 馬車の中では互いに無言だった。沈黙の中、馬車はしばらく走り続け、町を離れ、森の中のほとんど獣道のような道を走る。


「降りろ」


 やがて馬車が止まり、二人で降りたのは河原だ。もう日は沈んでいる。夜の河原。せせらぎの音だけ。明かりはない。


「しばらく歩くぞ」


 シアムが用意していたランプを持って前を歩く。馬車をそこで待たせたまま、そこから更に川の傍を数分、下る。


「……ここらでいいか」


 そうして、ようやくシアムは足を止める。


「こんなところまで来て……僕を殺して埋めるんですか?」


「まあ、座れよ。そこらに椅子になる岩があるだろ」


 否定しないシアムに苦笑しつつ、ビファーザは言われた通りに岩に腰かける。


「それで? ヤオの奴と一体、何を話していた?」


「仕事の話ですよ、兄貴」


「その鞄は?」


「……兄貴、兄弟なんだ。まだるっこしいのは無しにしましょうよ。何が言いたいんです?」


「確かに、俺らしくねえな」


 シアムはランプを足元に置くと、懐から何か光るものを取り出す。ナイフだ。


「ビファーザ。俺につけ。断れば殺す」


「……それが言いたいだけなら、馬車の中でやってくださいよ。時間の無駄だ」


 呆れるビファーザの喉元に、ナイフが突き出される。刃先が喉に触れる。


「俺を、舐めるなよ、ビファーザ。やれないと思ってるのか?」


「やると思っていますよ。ただ、どうしてわざわざここまで運んだのか疑問なだけです」


 どこまでも冷静なビファーザに、シアムは苛立ったのか舌打ちをする。


「この辺りはな、俺が所有している土地なんだよ」


「へえ」


 それは知らなかったので、ビファーザは感心する。


「この一角が、ですか」


「そうだ。川沿い、何もない辺鄙な土地、この一角くらいなら俺にも買えた。それで、買ってどうしたと思う? ここはな、俺のよく使っている埋葬地だ。この河原の下には、何人も埋まってる」


「人里離れていて、おまけに兄貴の土地なら見つかる心配はない。川沿いだから、血なんかも流し易い。きちんと理由があるものですね。感心しましたよ……兄貴、じゃあ、兄貴につくかどうか答える前に、一つだけ聞かせてもらっていいですか?」


「何だよ?」


「兄貴は、跡目になりたいんですか?」


 一瞬、あっけにとられたシアムは、


「てめえ、当然だろうが。俺が跡目になるべきなんだ。どれだけ俺が親分に――」


 シアムが喋っている最中に、ビファーザは突きつけられていたナイフの刃を握る。


「なっ、あ、てめぇ、離せ」


 だが、握られたナイフは動かず、刃がビファーザの指を斬りおとすこともない。


「トリョラの王。貧民たちの王に、そこまでなりたいものか。僕には分からない」


 無感情に呟くと、そのままビファーザはシアムのみぞおちに拳を突き入れる。声すら出せず、シアムはその場にうずくまる。


「よくそんなに熱くなれるものだ。ヤオもあんたも」


 うずくまったシアムの頭を、ビファーザは思い切り蹴り上げる。


「一対一で勝てると思ってたのか? いつまで、自分の方が体が大きくて無条件に兄貴面できた時のことを引きずっているんだ、まったく。最近、鍛えてないだろう。そこらの若い男の方が、今のあんたより強い」


 言いながらまた蹴りつけ、シアムを川の中へと蹴り込む。


「歳をとったものだね、お互いに」


 ビファーザはシアムの頭を踏みつけ、川の中に沈める。


 息ができずもがくシアムだが、その力は弱い。足をはねのけることができない。


 もがいているシアムの動きが止まるまで、じっと見下ろし、踏んでいる足に体重をかけ続けるビファーザ。動きが弱弱しくなり、止めるとようやく足を退ける。止まったシアムの体を何度か足で蹴り、反応がないのを確かめて、ようやく離れる。


 置いておいた鞄、ヤオから受け取った鞄を担ぐと、それを開け、中から数個の袋を取り出す。


「予定とは違ったが、これでもいいか」


 呟き、その袋のうち一個を除いた全てをシアムの周囲に投げ落とす。そうして、最後の一個は袋を破る。中からこぼれ出てくる真っ白い粉を、シアムに振りかけてから、空になった袋を投げ捨てる。そして、歩き出す。


 片手にランプ、肩に空になった鞄を担ぎ、足元を濡らして一人で戻ってきたビファーザを見て、待っていた馬車の御者は明らかにぎょっとする。

 だがそれを意に介さず、ビファーザはさっさと馬車に乗り込むと座る。


「帰る。とりあえず、トリョラの中心部まで頼む」


 戸惑い、何もない闇の彼方を何度も振り返る御者に、


「シアムは帰ってこない。いいから、馬車を出してくれ……ああ、それから、目的地に着くまでに殺されるか僕につくか決めておくんだ」





 葬式には、誰も出席しなかった。というより、出席できなかったといった方が正しい。建前上は、組織ではシュガーはご法度だ。それを破って挙句にトラブルに巻き込まれて死んだ男の葬式に出るなど、親分であるヨモウが許さない。


 失踪から数日、腐乱死体となって見つかったシアムの周辺にはシュガーが散らばっており、取引相手に殺されたであろうことはすぐに予想された。組織の誰もが、シアムがシュガーの取引に手を出していたことは知っていたし、少し調べればその土地にいくつも死体が埋まっていた。シュガーの取引でトラブルが起きたら、殺して埋めていた。そして今回は返り討ちにあった。ただそれだけなのだと調査をした組織の人間はすぐに結論を出した。


 何よりも積極的だったのはヨモウだ。自分と一緒にシュガーに手を出していたシアムが死に、その罪が明らかになっていく中で、自分のシュガー取引まで明らかになることを恐れたヨモウは全てをシアムに押し付けた。


 内縁の妻が取り仕切る葬式には、そういうわけで組織の人間は誰も出席せず、せいぜいが彼の近所に住んでいた顔見知りや、組織の外にいた友人が数名という、非常にさみしいものだった。


「よお」


 そんな中でも葬式に出席した組織の人間が一人いる。その姿を見つけたパインは、片手を挙げる。


 真っ黒い服装をしたビファーザは、紙で包んだ金貨を所定の場所に置いて、今にも帰ろうとするところだ。


「パイン、お前も来たのか」


「葬式なんて初めてだからよ、とりあえず持ってる服の中でも一番黒っぽいのを持ってきたんだけど、合ってるか?」


「それでいいと思う。どうせ、シアム自身、葬式のしきたりなんて知らなかっただろう」


「ちょっと待て。俺も金だけ置いてくる。久しぶりなんだ。一緒に飯でも食おう」


「僕が言えた立場じゃあないが、もっとゆっくり故人を偲んだらどうだ?」


「一応、兄弟分ってことで顔を出しただけだ。そんなつもりない。全然悲しくないし」


 小走りでパインも紙に包んだ金貨をおいて、すぐに戻るとビファーザと連れ立って式場を出る。


「しかし、いいのかよ? シュガーの取引に関わってたってことで、破門だろ、シアム。お前が葬式に出ると問題はないのか?」


「組織の人間としてではなく、弟が兄の葬式に出ただけだ。そう言って押し通した」


「そういうところ、熱いんだな。そんなもの気にしないタイプだと思ってたぜ」


 喋りながら、目についたバラックに看板を打ち付けただけの定食屋に入り、ほとんど木材そのままのようなテーブルに着くと、パインとビファーザは定食を注文する。メニューなどない。定食しかないらしい。


「懐かしいな、こういう店。まだあるんだな。おい、思い出さないか、ビファーザ。俺たちでやってたあの店をよ」


「確かに、懐かしいな」


 テーブルに、粥と適当な野菜と肉を炒めたものが運ばれてくる。


「……しかし、こうもあっさり死ぬとは思わなかったぜ。カタギになった俺にも嫌がらせしてきて、最終的にキレた俺が殺すことになるんじゃないかと思ってた」


「調子に乗りすぎたんだ、シアムは。シュガーとはな。厄介な兄と縁が切れてなによりだ」


「あんまり興味はないんだけどよ、ヨモウの親分はどうなの?」


「シアムの死と同時にめっきり老け込んだ。それはそうだろうな。一緒にシュガーで稼いでいた腹心がそのシュガーの取引で下手を打って死んだんだ。今回のことで跡目はヤオさんで決まりになり、一気に発言力もなくなってきている。後は、いつ引退するかだ」


「そんな状態か……お気の毒にな」


「本当に気の毒だと思っているのか?」


「全然」


 そこで、二人は同時に粥をすする。


「……で、ヤオさんが跡目になってヤオ一家になったら、お前はどうなるんだ、ビファーザ?」


「幹部の一人になるんじゃあないかな。あまり興味はない……パイン」


「あ?」


「子どもが生まれるんだと聞いた」


「おお、もうすぐだ。知ってるか、商工会の会長にも推薦されちまってよ」


「トリョラの名士だな、うらやましい」


「ふざけろよ、ビファーザ」


 炒めものを一気に片付けると、パインは水で流し込む。


「金は有り余ってるんだろ、お前。そっちの方がうらやましい」


「パイン、僕は思うんだ」


 食べる手を止め、不意にビファーザは静かな声を出す。


「いくら金を持っていたところで、僕たちはトリョラから出ることができない。この掃きだめのような場所から。ヤオたちはその掃きだめの王になろうとしていた。理解できない。この場所にそんな価値があるとは思えない」


「言いたいことはよく分かるぜ。本当だ。だけど、だいぶんマシにはなってきただろ」


「確かに。パイン、お前はこの掃きだめを改善してきた。どうせ出られないなら、その掃きだめをマシな場所にしようとな。それにここで妻も子も手に入れた。お前にとっては悪い場所ではないんだろう」


「お前にとっては最悪の場所か?」


「僕にとっては――」


 何故かビファーザは言いよどむと、


「――分からない。ともかく、俺はこの場所の王になることには興味はない。それは確かだ」


「そっか。まあ、あれだ。久しぶりにあえてうれしかったぜ、ビファーザ。そろそろ店を開けなきゃならない。行くとするよ。じゃあな」


「待て。兄弟分として、祝い金を出させてくれ。父親になるんだ」


「いいよ。それに俺はもうカタギだ。お前からの金を受け取ると後が怖い」


 ははは、と笑い飛ばしてパインは食堂を出る。愉快な気分だった。久しぶりにビファーザに会えたからか、シアムが死んだからなのか。両方かもしれない。

復活しました。

ちょっと企画(という名の協力要請)を予定しております。

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