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「名探偵」の方が読者への挑戦に行きましたので、ペテン師の方を再開いたします。
待たれていた方がいらっしゃいましたら申し訳ありませんでした。
爪を磨いていたビファーザはちらりと目を上げる。
「それで?」
「それで、じゃねえよ。こっちは死にかけたんだぞ」
「今更、死ぬのが怖いのか?」
「そういう問題じゃねえだろ」
ビファーザの事務所、人払いをしており誰もいない。がらんとした室内で、包帯が少し痛々しいパインがビファーザと向かい合っている。
「ヨモウに、くだらないことをするなって伝えてくれよ」
喋るたびに全身のどこかが痛み、パインは顔をしかめつつ言う。
「別にヨモウの親分の仕業だという証拠があるわけでもないだろう。まあ、パインが襲われたという報告はしておく。あの人は小心者だからな。これだけ言えば縮こまるんじゃあないか?」
「……俺も、もう終わりかねえ」
しみじみとしたパインの言葉に、ビファーザはようやく目だけでなく顔を上げて、
「ん?」
「いや、目の前で、フロインが死にかけてな。その時、怖くなったんだ」
そう語るパインを見るビファーザの目が、見開かれる。完全な驚愕の表情。普段の冷静沈着な彼を知っている者には、それがどれほど珍しい表情か分かるだろう。
「驚いたな。怖くなっただと? お前が?」
「ああ、ダメだな、もう。ビビらないから俺は恐れられた。俺は飯が食えてた。だろ? 『狂犬』だったんだ。それがよ」
「好きな女と一緒になったら、普通の人、か」
揶揄するようなビファーザの言葉にも、パインはただ肩をすくめるだけだ。
「そこまで純真だったとは、意外だ」
「……お互いにな」
「何?」
「うぬぼれじゃなけりゃあ、俺が死にかけた時、フロインも怯えていたよ。お互いに、弱くなった。いや、まともになったんだな。今回のことで、そう思ったよ」
「――そう、か」
磨き上げた爪を眺めて、ビファーザは嘆息する。感慨深げに、あるいは何かに落胆したように。
「確かに……まともになったら、もう終わりだな。『狂犬』でも何でもない。まあ、ちょうどいいじゃあないか。パイングッズ、それなりに流行っている。これから先、トリョラで外と中の取次役はどんどん必要になっていく。食えなくなることはないさ。普通の、店のオヤジになればいい」
「なれるもんか、俺が?」
パインは純粋に質問する。ビファーザなら、ちゃんと答えてくれるだろうと期待して。彼は、パインの知らないことを訊けば何でも教えてくれるのだから。
「想像もつかない。だが、フロインと身を固めて、子どもでもできたら違うんじゃあないか?」
「……俺が、父親?」
自分の父親の顔すら知らねえのに、と吐き捨てて笑うと、パインは席を立つ。
「さて、邪魔した。じゃあな、ビファーザ」
「パイン、もういいのか?」
「ああ。お前から、ヨモウに伝えてくれ。パインは完全に裏とは手を切るから、もう関わるなってな」
「――パイン」
ビファーザの静かな声。
「あ?」
「僕たちとの兄弟の縁も切るか?」
その問いかけにパインは一瞬だけ考えた後、
「とりあえず、シアムの兄貴とだけは切りたいな。今となっては、あそことの縁は厄介なだけだ」
そう言って爆笑する。ビファーザも苦笑する。
部屋を出て、数歩歩いたところで意外な人物の姿を見つけ、パインは何と声をかけようか迷う。
結局、迷っているうちに向こうから声がかかる。
「終わったの?」
「ああ、まあ。フロイン、付けてきたのか?」
「まあね」
二人並んで、帰りの道を歩く。
「……そんな身体で出歩くんだから、不審に思われても仕方ない。違う?」
「心配になって見守ってくれたわけだ」
「そういうわけじゃあ……」
反論しようとしかけて、フロインは黙る。
しばらく、無言のまま二人は歩く。
昼間なのに人通りは少ない。こういう部分を見ると、トリョラがどんどんと発展しているとはあまり思えない。まあ、これがいわゆる小綺麗な道だからだ、ということも分かっている。今はまだ、トリョラで熱気があるのは小さく狭い路地裏で、こんな普通の人間が歩くべき道を歩く人間はそこまで多くない。それだけのことだ。
「一応、くぎを刺しとこうと思ってよ」
「もう、襲われないように」
「まあな。兄弟分のビファーザに頼んだよ」
「うまくいきそう?」
「さあなあ。どうなんだろうな。他にも、色々と話をして――」
そこで、ふっとパインは足を止める。
すぐにフロインもそれに気付いて立ち止まり、怪訝な顔をして振り返る。
「どうしたの?」
「なあ、フロイン」
「何?」
「――結婚してくれ」
誰もいなくなった事務所で、ビファーザは再び爪を磨いている。
机においた金時計をちらちらと気にしながら、ただひたすらに爪を磨いては時折お茶を飲んでいる。
「失礼します」
ノックの音と共に、若い男が入って来る。
一時間ほど席を外せ、と命令しておいたビファーザが最近気に入っている若い衆だ。
ボディーガード兼雑用係として、基本的に張り付かせている。
「ああ、戻ってすぐに何だが、ちょっと人を呼んでくれるか?」
「はい、誰を?」
「ああ、名前は忘れたな。ほら、前に話で出ていただろう。獣人のエリアで、暴れまわってるガキがいると。獣人の愚連隊だ」
「ヤオさんが困っていた件ですか。俺も、名前は忘れましたが」
獣人のエリアは、自身が獣人ということもあってヤオが取り仕切っている。喧嘩沙汰はいつものことだが、最近はそこで大暴れしている少年のグループがあると話に出たのだ。
「そうそう。愚連隊のリーダー、不良少年がいるんだろ。そいつを呼んでほしい」
「ここに、ですか?」
「ここには来ないだろう。さすがにそこまで無警戒じゃあないさ。近くの適当な店でいい」
「たらしこむのは難しいです。ヤオさんが構成員にしようとして失敗したんです。俺たちを目の敵にしている」
「どうしてだ? そんなにひどく揉めたのか?」
「ええ、まあ。詳しい話は聞いていませんが、もともとヤオさんの部下で調子に乗っているチンピラが原因のトラブルらしいです」
「どうせ無銭飲食か何かして、咎められて暴力を振るったとかだろう」
ようやく爪を磨くのをやめて、ビファーザはひんやりとした、とよく部下に形容される目を宙に彷徨わせる。
「ヤオさんも大変だな。暴力専門のきつい汚れ仕事ばかりをさせられるから、部下もそんな奴らしか集まらなくなる。そいつらを粛正していくわけにもいかないだろうし、悩みどころだな」
「……ビファーザさんなら、どうしますか?」
「部下を? 殺すに決まっているよ。それも、どれほど苦しめて残虐に殺したのかを町の連中に分かるようにね」
「つまり、向こうとしては無法者を皆のために叩きのめした、ということか。それで、僕たちもその無法者のグループだと」
「ええ。かなり筋の通ったガキ共らしいです。曲がったことが嫌い、というか」
「こっちが建前で任侠気取っているのに対して、そいつらは筋金入りの任侠だと。なるほど、若さもあるだろうが――悪くない。とにかく、呼んでくれ。僕が会いたがっているとな」
「どうされるおつもりです?」
ビファーザは、目を細める。
「……新しい『狂犬』が必要なんだ」
あとペテン師買ってください(ダイマ)