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明日、9/21に「ペテン師は静かに眠りたい2」発売です。
よろしくお願いいたします。
食事よりも音楽の方がお気に召したらしいフロインはグラスを片手にステージの近くで目を閉じている。
パインは皿を四つくらい使って、それぞれに料理を大盛りに盛り、片端から平らげていく。周囲の客が奇異の視線を送ってくるが当然気にすることはない。
肉を噛み千切り、パスタを口に詰め込んでワインで飲み下す。パンを片手に、生野菜を齧りスープを飲み干す。
マナーもへったくれもなく、そんな風にして食事を楽しんでいると、ぽん、と肩を叩かれる。
振り向けば、ハンクがほほ笑んでいる。
「……よお」
それから、周囲を見回す。
「いいのか、こんな衆人環視の中で、俺に声なんてかけてよ」
「今のお前は裏社会の人間じゃあない。トリョラの発展に寄与している交易店の店主だ。声をかけて何が悪い?」
横に並んだハンクは、薄く切った肉をつまみにワインを飲み始める。
「……このパーティーに参加してたのかよ」
「今、来たんだ。なかなか忙しくてな。だが、レンド家はこれから先、重要な貴族だ。関係を築いておいて悪いことはない」
「中級貴族なんだろ?」
「だからだ。主人とは挨拶したろう? 野心があって、平民移民だろうと力があるなら近づいて利用してやろうと思っている。レンド家は大きくなるよ。俺はそう思う」
「『料理人』にとっては、いい食材ってことか?」
「否定はしない」
ハンクはワインの香りを楽しんでから、
「お前もよくやってくれている。感謝しているんだ。トリョラは軌道に乗った。これからでかくなる。お前が歯車、ヨモウ一家は潤滑油だ。うまく動いていく」
「そうかよ」
「だから」
すっと、パインの頬を撫でる。
「うお、なんだよ、気持ちわりぃな」
「自愛しろ、パイン」
「あ?」
「これまでとは違う。今のお前は、死なれたら少々困る、ということだ。トリョラにとってな」
そう言うと、ハンクは薄く笑い去っていく。
パインは『料理人』の後ろ姿を眺めながら、口にパスタを放り込む。
今のは、どういう意味だ?
パスタを頬張ったまま、パインは思考にふける。
単なる激励か? まさか。奴はそんな柄じゃあないだろう。警告? まあ、確かに危ない橋を渡っている自覚はある。だが、それこそ今さらだ。今まで、どれほど自分の命を危険にさらしてきたのか。素直に受け取れば、もうこれからは死なれたら困るから危険な真似をするな、という話で済むが。
「……おい」
目を閉じて音楽に没頭しているフロインの肩を叩く。
「何?」
珍しく、あからさまに不機嫌な表情を見せる。どうやら、かなり音楽を気に入っていたらしい。
「嫌な感じだ。もう、出るぞ」
そう言うと、瞬時にフロインの顔が引き締まる。
「根拠は?」
「警告らしきものを受けた。この場ってことは考えにくいけどよ、夜も更けてからの帰り道はちょっと危ないかもな」
喋りながら二人でパーティー会場を足早に抜けていく。
「誰だと思う?」
「さあな。ただ、ヨモウの腹が立ったって線はあるかもな」
「ありうるわね」
ともかく、奴が会場で不審な動きをしていてそれをハンクが見かけた、もしくは何らかの情報をキャッチしたとしたら、警告する意味も分かる。眼前に迫っている危機、ということだ。
それならもっと直接的に助言してくれてもいいだろうにとも思うが、そこまでする義理はないということだろう。ひょっとしたら、試しているのかもしれない。
面倒なので周囲の客の目に留まらないよう、目立たないようにしながら屋敷を出て、さっさと馬車にでも飛び乗ろう。
そう考えて屋敷を出て、近くの馬車乗り場まで互いに無言でパインとフロインは歩く。
「――くそ」
だが、屋敷が見えなくなるくらいに離れたところで、フロインが突如として毒づく。
「どうした?」
「確かに森の中だけど、屋敷も近い。それなのに、ここでやる気か」
「え」
「走って馬車まで行くか、ここで迎え撃つか、どうする?」
舌打ちしてパインは一瞬だけ考え、
「何人いそうだ?」
「数人」
「やれるか?」
「お前を守りながらだと、難しいかもしれない」
「じゃあ、いいや。やろうぜ。お前に守ってもらおうなんて思ってねえよ」
話は決まった。
フロインが足を止める。パインは、そのフロインの背後を守る。これで互いに背後からの攻撃を防ぎ合うことになる。
風切り音。
それと同時に、フロインがドレスの中に仕込んでいた短刀を抜き打ちにする。
ぱさり、と矢が地面に落ちる。矢を斬りおとしたのだ、と気づいてパインはフロインの技量に感嘆する。
次の瞬間、周囲から男たちが躍り出てくる。布を巻いて顔を隠した男たち。二人を取り囲むようにして人数は五人。そのうち、手練れは二人だけだ、と一瞬でパインは判断する。
だがまずは狙うのはそいつらじゃあない。そいつらは獲物を持ってはいるが、弓を持っていない。
既に目星を付けたらしく、フロインが茂みに向かって無言で走り出す。疾風ように。
「う」
慌てて弓を持った男が茂みから立ち上がるが、そいつが弓を構えるよりも逃げるよりも早く、フロインの短刀が投擲され、男の眉間に突き刺さる。
他の男たちがそれに気を取られている隙に、パインは手練れと見極めた男のうちの一人、その懐に一気に飛び込む。
「てめっ」
いきなり、なんの躊躇いもなく飛び込んできたパインに面食らったらしい男の反応が一瞬遅れる。
その一瞬の隙に、パインは男の顔を殴りつけながら、同時に顔に巻いている布を掴み、ずらす。
「――!?」
衝撃と同時に視界が塞がれた男が棒立ちになる。その男の襟首をつかみ、地面に向かって投げ落とす。
むろん、頭から。
奇妙な音と共に男の首がひしゃげて、動かなくなる。
これで一人。
背中に、別の男の絶叫を聞く。フロインがもう一人斬ったらしい。さすが、素早い。
そう思って振り向いたパインの目に飛び込んだのは、もう一人の手練れだと思っていた男。その男がこちらに手を向けている。
意味がない。そう思う。
長槍でも届きそうにない位置にいる男がこちらに手を向けようと、何だというのか。
だが、何か違和感が。
目立たない服装をして、布で顔を隠した男。その男が、目だけでこちらをにやりと笑う。
瞬間、パインは思い出す。
「お前は――」
手足が短い。小太り。笑っている目は緩んでいる。
「久しぶりだなあ、クソガキ」
その声と共に閃光で目が焼かれ、全身を鋭い衝撃が貫く。
「――ぁ」
歯を食いしばってよろめきながらも堪えて、パインは男を睨みつける。勝手に震えだす手足を必死に止める。
エグゼ。あの道化師みたいな魔術師。服装が全く違うから、気が付かなかった。
一度食らったことがある。なら、耐えられる。
そう確信して歯をなおも食いしばる、が。
全身が痺れているパインの側頭部に、横から男の一人がこん棒を叩きこむ。
視界が砕け、全身の痺れと共に物も言えずにパインは倒れていく。
死ぬのか。くそ、こんな。まあ、別にいいか。クソみたいな人生だった。そうでもないか?
スローモーションになっていく思考。一秒が何時間にも感じられる。ゆっくりと、倒れていく。
無茶苦茶な視界の隅、男を短刀で事も無げに斬り倒しているフロインが見える。
彼女はゆっくりとこちらを振り返っている。もちろん、現実世界ではすさまじい速度でこちらを向いているのだろう。
目が合う。フロインの目が見開かれる。
そんな顔をするなよ。事故みたいなもんだ。悪かったよ。
そう思うパインの目に、エグゼが今度はフロインに手を向ける。
まずい。今、この瞬間、フロインは無防備だ。一瞬、この一瞬の間に魔術を放たれたら、彼女は魔術を食らってしまう。
つまり、どうなる?
死ぬ。彼女も、自分も。
そう考えた瞬間、パインは思ってもみなかった感情に襲われる。恐怖だ。口の中がからからになる。脳の中心が痺れる。
懐かしい感覚だ。恐怖。これは恐怖だ。恐ろしい。嫌だ。嫌だ。
殺してやる。
ただ、そう思った。
「――お」
顔色を変えて、エグゼがちらりとだけ、倒れつつあるパインを見る。
修羅場をそれなりにくぐってきたエグゼだからこそ、反応した。してくれた。おそらくは、殺気とでも表現するべきものに。
もちろん、それは一瞬のこと。何もできず倒れていくパインを確認して、すぐにエグゼは視線を戻す。その刹那の時間。
その時間があれば十分だった。
恐るべき速度でエグゼに迫ったフロインは、既にエグゼの喉を短刀で斬りつけている。それをしながら、体をひねりエグゼの手から放たれた雷撃をよけている。芸術的だ。
それを見て安堵し、ようやくパインは意識を手放す。