19
体格のいい、若い連中に囲まれて顔を引きつらせている血塗れの男。その男を横目に、ビファーザは爪をやすりで磨く。
「それで?」
ふっ、と息を吹きかけて仕上げをすると、ビファーザはようやく自分の指から顔を上げる。
「一応うちがケツモチではあるが、襲われたのはトリョラ外だろう? そちらは僕にはどうしようもない」
「そいつのツラ見てみろよ、どう見たってノライ人じゃねえ。難民か移民だろ。どうせ、寝床はトリョラにある」
「なるほど?」
「ビファーザ、結構俺の店はこの町に貢献してると思うんだけどな」
パインのそのセリフに、
「もちろん。感謝しているよ。パイン、僕が金貸しで稼げているのもお前のおかげだ。金を借りてく連中がいなければ金貸しなんて成り立たないからね」
町の発展とともに金を借りたい者たちは増える。その中でビファーザはうまく一家の金を運用して大金を稼ぎ出し、いまや一家の中でシアム、ヤオに続くナンバースリーの幹部と評されている。
今、パインが訪ねているビファーザのアジトを見ただけでもそれが分かる。トリョラに存在する宿屋の中でも最も高級なものの一室がアジトとなっており、調度品もすべて品がよく高級感のあるものばかり。常に若い衆が部屋に待機している。
「だったら、ちょっとは俺にひいきしてくれてもいいんじゃないか?」
「しているよ。お前のところから金をもっと吸い上げろって親分からの要求を僕が食い止めているんだ。感謝してほしいね」
「はん。じゃあ、更にひいきしてくれよ」
「分からないな。一体、どうしてほしい?」
そこで、パインは身を乗り出す。
ビファーザの周りの若い衆に緊張が走る。
「そこの男、うちの馬車を襲いやがった馬鹿の身元を割り出してほしいんだよ。寝床、それから家族、もしいるなら仲間の連中。全部だ」
「それで、僕らに落とし前をつけろ、と?」
「まさか」
パインは肩をすくめる。
「探ってくれりゃあいい。落とし前は、自分でつける。知ってるだろ、得意分野なんだ、それ」
呻いていた血塗れの男が恐怖のためか痙攣する。
「ふむ」
首を傾げていたビファーザは、やすりを傍の若い衆に渡すと、今度はテーブルの上に置いてあった陶器製の大きな灰皿を持ってつかつかとパインまで近づいてくる。
「パイン」
「あん?」
そうして、その灰皿を突如として振り上げると、パインの側頭部に振り下ろす。
「――う」
平衡感覚を失い、その場に崩れそうになるのをパインは何とか堪える。ぬるりとした温かいものが頭を流れる。出血したらしい。
そこに、今度は横殴りに灰皿が振るわれる。今度こそ、パインは吹き飛ぶ。
「お前はもうカタギなんだ。分かっているのか?」
倒れたパインの腹が思い切り蹴りつけられる。衝撃で丸まるパインに、ビファーザは馬乗りになると、
「ただの交易店の店主。それが、僕らにどういう口の利き方をしている?」
ごつり、ごつりと細かく灰皿でパインの顔を殴ってくる。
「いい加減、『狂犬』と呼ばれて粋がっていた頃のことは忘れろ。調子に乗るな」
鈍い衝撃の連続に気が遠くなっていくのを、ひたすらに耐える。パインは呻く。口の中に血の味。
「おい」
殴る手を止めずに、ビファーザは喋る。
「ここはもういい。全員、使えるだけ人手を使ってそこの男のことを探れ。西の拷問部屋を使っていい。調べ上げろ。僕がケツモチをしている店の馬車を襲ったんだ」
「いや、しかし」
若い衆の一人の戸惑った声と、男の恐怖のうめき声が混じる。
「いいから。一刻も早く、調べ上げて、見せつけるんだ。この商売は舐められたら終わりだ。いいな?」
「は、はいっ」
慌てて若い衆たちが全員、まだ呻き暴れている男を引きずって部屋を出ていく。
やがて男の呻き声が遠くなっていくと、ビファーザはようやく殴ってた手を止めて、立ち上がる。
「……悪いな、付き合ってもらって」
「いいさ」
体を起こして口中にたまっていた血を吐き出して、パインは頭を振る。まだ、ちょっとふらつく。
「立派に一家の親分してるじゃねえか」
「金稼ぎしかできないと軽く見られているんだよ。うちの若い衆には、未だに伝説の『狂犬』に憧れている奴も多い」
「はっ、そりゃあ光栄だな」
灰皿を机に戻して、ビファーザは椅子に座って改めて向き直る。
「にしても、パイン、ああいうのはやめて欲しいな。うちがケツモチしている店に、盗賊に自分の手でやり返すから情報だけ寄越せと言われたら、一家の立場がない」
「ああ、そういう意味もあったのか、お前が殴ってきたの。悪いな、そりゃあ。どうも、そういうのに鈍くてよ」
近くにあったタオルで顔の血を拭くと、パインも椅子に座る。
「でだ、ビファーザ、ってことは、この件については俺の手出し無用ってことだな? お前がやってくれる、と」
「部下の手前、『狂犬』がしつこいからぼこぼこにしておいて、メンツのために僕が動く、という形をとった。そのまま僕が動いていたら、ひいきしすぎだと睨まれるかもしれないからね。ただでさえ、さっき言った金の件でお前に肩入れしすぎだと文句を言われている」
「この件については、ケツモチの一家が動いたって別に文句は出ねえだろ。むしろ当然なんじゃねえか?」
「僕も出世した、ということだよ。わざわざ大幹部である僕が指揮を執ってこんなしょうもない一件に首を突っ込むと、それだけでお前と結託していると文句が出る」
「面倒くさいもんだな、おい」
「お前が僕の立場なら、何も気にしないだろうな」
ふ、とビファーザが静かな目をする。
「その辺、羨ましくはあるよ」
「ま、俺は仕事がうまくいくようになればそれで問題はない。今のまんまだと、フロインをずっと馬車にはりつけとかないといけなくなる。それじゃあ、口説く暇もない」
「お前」
ビファーザが目を丸くする。
「ひょっとして、そのために動いているのか?」
「当たり前だろ、俺は愛に生きる男なんだよ」
「くく」
珍しく、ビファーザは噴き出して笑うと、立ち上がって近くの棚から一枚の紙を取り出す。
「ぼこぼこにしてしまった詫びだ。これを」
「ん?」
渡されたものをパインはまじまじと見る。それは、パーティーの招待状だ。
「今度、レンド家とかいう大したことない中級貴族がパーティーをするらしい。一応、屋敷がトリョラの近くなんでな。トリョラの有力者にも招待状が届いている」
「で?」
「一応、金貸しとして僕のとこにも来たが、行くつもりはない。トリョラの発展に貢献している交易店の店主が行ってもおかしくはないだろう。フロインを誘って、行ってみたらどうだ? どうせ、さっきの件が片付くのに一週間くらいは時間がかかる」
「はっ、パーティーに参加するような服、持ってねえよ」
「貸してやるさ。フロイン用に、ドレスもな」
全く行く気はなかったが、その言葉にパインの心が揺れる。
ドレス姿のフロインは見てみたい。
体格のいい男数人がかりで地面に押さえつけられた獣人の男は叫ぶ。
「おい、なんだよ、やめろよ、俺は関係ねえって」
ゆっくり、一歩一歩、ビファーザはその男に近づいていく。
夜。月を見上げて、そういえば今日は例のパーティーで、今頃パインとフロインは参加しているのかな、と思う。
「……何度か一緒に強盗稼業をしたことがあるんだろう? 商人を殺したことも一度や二度じゃあない。あいつがそう言っていたよ」
欠伸を噛み殺しながらビファーザはそう言って、更に一歩近づく。すでに、獣人の顔の前にビファーザの足が来ている。
「だっ、だけど、あのパインの店襲ったのは関係してねえ!」
「かもな。けど、それはもう関係ないんだよ。うちの一家は、トリョラでそういうことをする連中を許すわけにはいかないんだ。特に、今回の件では、パインが生け捕りにしてくれたからな。徹底的にする、いいきっかけになった」
足を延ばし、ビファーザの踵が獣人の左小指の上に載る。そのまま、ビファーザは体重をかけつつにじっていく。
「が、や、やめろっ」
「今更、何か言えば助かると思わない方がいい。あいつが全身の皮を剥がれて死ぬまでの間に聞き出した情報、そこから総ざらいしていった。家族はトリョラから追放、盗賊なんてしたこともない仲間の小悪党も手か足の骨を折ってから追放だ。だとすれば、強盗やっていたような連中がどうなるかなんて分かってるだろ?」
器用にも、ビファーザは今度は足先で獣人の小指を本来とは逆の方向へと折り曲げていく。
「徹底的にやって、トリョラ中の全員が、いや、ノライ中の人間がヨモウ一家を、僕を恐れてもらわないといけない。だからさ、分かるだろ? これは、要するに、見せしめなんだよ」
湿った木が折れるような音と共に、獣人の小指が逆の方向に曲がる。同時に絶叫。
「黙らせろ」
押さえつけていた男の一人が、ビファーザの命令を聞いて獣人の喉を殴りつける。
「……最近、一家の中でもやっかみ半分で僕のことをただの金貸しだとかのたまっている連中がいる。いい機会だ。ここで、教えてやらないといけない」
ビファーザの足が薬指に伸びる。
「ヨモウ一家のビファーザは、筋金入りだってことをな」