17
ベッドに倒れこむように飛び込んだパインを、横に立っているビファーザは呆れた目で見下ろす。
「飲みすぎた」
「あの店だろう? 僕なら、あの店の空気すら吸うのは嫌だけどね」
「へっ」
「……まさかやり遂げて、生還するとは思っていなかったよ、パイン」
サイドテーブルに腰かけて、ビファーザが語り掛けてくる。
「俺もだよ。ああ、でも、これでトリョラはヨモウ一家が支配するってことだろ。トリョラも終わりだな」
「同感だけど、正直すぎるね」
ビファーザは苦笑しつつ、
「シアムの兄貴は大幹部が内定らしい」
「こんなしょぼい町のしょぼい組織の大幹部がそんなに嬉しいかね」
「同感だけど、嬉しいんでしょ……パイン」
「あ?」
「さっき、シアムの兄貴と話した。かなり恩着せがましく、僕を幹部にしてやるようにねじ込んだ、とさ」
「……ははっ」
酔って濁った頭でも分かる。シアムらしい言い方だ。
「ねじ込んだも何も、どの道、お前は幹部になるだろ。頭が切れて金稼げる奴を上にしないでどうするんだよ。絶対、元々決まってたことだぜ。それをシアムが恩着せがましく言ってるんだ」
「だろうね。ともかく、これで一家の金庫番になる……どう、パイン、独立する気はない?」
「へっ、まあ、お前が一家抜けるってんなら、別に付き合ってもいいさ。ああ、そうだ」
そこで、泥酔した頭から今まで忘れていたことをひょい、とこぼれ出る。
「これだ。紙……」
「紙?」
「ハンクからもらった。確かめてなかったな、何だろ」
酔いで震える手で何とか四つ折りの紙を取り出す。
「どれどれ……ああ、ダメだ。きつい。こんな小さい字、読めねえよ。気分悪い。ビファーザ、頼む」
やれやれ、とビファーザはその紙を受け取り、
「……これはこれは。かなり、とんでもないプレゼントだね」
「それ、何だよ?」
「交易許可書だ。簡単に言うと、商人になれる許可書だよ」
「商人なんて、金がありゃ誰でもなれるだろ」
「内々にはね。けど、この許可書があれば、正式な商人になれる。関所だって通れるし、他の町から物を仕入れたり、あるいは他の町でこの町のものを売ったりもできる」
「……へえ」
それがどれほどのものなのか、いまいちピンとこない。
「トリョラには足りないものが多すぎる。そして、前に言ったけど、外から金が入る仕組みも必要だ。この許可書があれば、どちらも満たすことができる。ちゃんとした商人は、こんな町に関わるのは嫌がる。危険は大きく稼ぎは少ないからね。だけど、これを使ってお前がそれをすれば、パイン」
珍しく、ビファーザの声が興奮からか熱がこもっている。
「お前が、この町を支配できるかもしれない」
「俺には、難しいことは分からねえよ。お前がうまく使えるなら、ほら、それやるよ」
「……いや」
一瞬考え込んだ後、ビファーザは首を振る。
「これを、組織の人間がやると、色々と不都合がある。犯罪組織の一員だと何かの拍子にバレて、この許可自体取り消されるかもしれない。それに、一員がそのまま商人になれば一家の影響を強く受けすぎる。うちの頭の足りない連中に、これをうまく使えるとは思えない。その場の稼ぎを増やすためにあれこれと命令してくるはずだ」
「ははっ、想像できるな……で、だったらどうすりゃいいんだ。一家じゃあない奴に渡せばいいのか?」
「いいや、パイン」
ぐっとビファーザが顔を近づけてくる。
「もっといい方法がある」
「あん?」
「お前が一家を抜けるんだ」
一家を抜けたい、という話をヨモウとシアムに打ち明けた時、二人の顔に同時に浮かんだのは安堵だった。
ビファーザが言った通りだ。
そして、二人ともにその安堵を一瞬で消して、困惑した表情をつくる。
「どうしてだ、パイン? これからって時なのに」
ヨモウが言うと、
「おお、自分で言うのも何だがよ、俺が幹部になって、これからお前らにもいい目を見せてやろうとしたところだったのにな」
「もう、抗争はないでしょ。俺みたいな、暴力装置がこれ以上一家にいても、ただ飯食らうだけだ。ちょっとしたトラブル解決するくらいなら、俺じゃなくてもいいでしょうしね。俺の役目は済んだってことです」
そう言うと、簡単にヨモウとシアムは黙る。引き留める気がないことがまるわかりだ。もう少し演技をすればいいのに。
「持て余しているはずだよ」
そう言ったのはビファーザだ。
「皆にとって、パインっていうのは爆弾と一緒だ。爆発してめちゃくちゃにする。だから、敵がいるうちは重宝する。でも、敵がいなくなったら?」
「近くにあったら危なっかしくて仕方がないってか?」
「おまけに、名声の方もまずい。幹部でも何でもないのに、今や『狂犬』パインの名前はトリョラでは一番の有名人と言ってもいい。シアムどころかヨモウだって、自分の上を狙ってるんじゃあないかと戦々恐々としているはずだよ」
「だから、一家を抜けるのも簡単だって?」
「ああ。例えば僕が抜けるとしたら、かなり手こずるだろうし、色々な制裁を受ける可能性がある。でも、お前なら、パイン。きっと、簡単に抜けられる」
「お前がそう言うなら仕方がないが……一家を抜けて、何をするつもりだ?」
あっさりとシアムがそう言う。
「ああ、ちょっとしたツテがあって。商人をやろうかと」
正直に言って筋を通したことにしろ。
これもビファーザのアドバイスだ。
「商人? お前が、商人か……」
唖然とした様子のヨモウだが、
「よっしゃ、そういうことなら、どうだ、元手がいるだろう。お前ほどの男だ。いくらか融通してやってもいいが……」
手切れ金みたいなものか。だが、必要ない。後から、その金を理由に恩を着せられても困る。
「いや、大丈夫です。その代わり、お願いが」
「ん?」
「ケツモチですよ。商人するのに、ケツモチを一家にお願いすることになるんですけど……」
「ああ、それはもちろん。よし、俺がやってやるよ」
シアムが身を乗り出すのを、
「いや、兄貴は一家の大幹部になるんでしょ。こんな小さな件に直接関わる必要はありません。ビファーザ……俺の兄弟分に、ケツモチをお願いしようと思ってます」
「ああ、そりゃあいい。兄弟分だし、奴はあの若さで一家の幹部になるほどの男だ。間違いはないだろう」
ヨモウが満面の笑みで頷く。
これで筋は通した。これ以上は必要なし、とパインは立ち上がる。
「時間をとってくれてありがとうございました。今まで、お世話になりました」
頭を下げてから背を向けるパインに、
「ああ、そうだ、パイン」
「はい?」
「商人になるんだろう? 店は持つのか?」
あまり興味はないのだろうが、一応の友好の証として話しかけているのがよく分かる声色で、シアムが言う。
「そのつもりです」
「店名は決めてるのか?」
「まあ、単純ですけど、パイングッズでいくつもりです。それでは」