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久しぶりの投稿です。すみません。じょじょにペース戻していきます。
三か月が経つ。
大したものではないが、それでも毎日満足に飯が食えることと、ビファーザの言い方をすれば、食料を『戻す』という肉体労働を毎日のように繰り返していることで、パインの細かった体は中から破裂するくらいに筋肉で太くなっている。
小銭が集まるだけで、大した稼ぎにはならない。おまけにそこからシアムが「付き合い」に必要だと言って毎晩のように酒代を取っていく。
結果、パインとビファーザはほとんど金が貯まらない。
別にパインに特に不満はない。
まともに食えて、眠れるだけでありがたい。それさえまともなら、後はどうでもいい。
ビファーザの方も文句を言うことなく、時折二束三文の古本を買ってはその本を擦り切れるまで何度も読むくらいが唯一の娯楽という生活を楽しんでいるように見える。
「ほら、どうしたよ?」
今日も、よくこの食堂のことも、そしてパインのことも知らない新入りが、店でいちゃもんをつけてきたから静かにさせているところだ。
店の真ん中で、パインと客は睨み合っている。
「ふざけんなよてめぇ」
獣人の男はナイフを抜く。
だが周囲の客は男がナイフを抜いてもちらりと見ただけで、またせわしなく食事に戻っていく。
ビファーザも、小銭の勘定に忙しい。
そもそも結果が分かり切っている出し物だ。誰も気にしない。
「殺してやる」
獣人が何か言っているが、気にせずパインは前に出る。というよりも、飛びこむ。
「ーーは?」
ナイフを警戒するだろうと思っていたらしい獣人は、真っ直ぐに飛び込んでくるパインに虚を突かれ、
「うおっ」
あろうことか、パインに刺さりそうだったナイフを引く。
「馬鹿かよ」
呆れ呟いてパインは全力で獣人を殴り飛ばす。
「うぐ、ぅ」
吹き飛び他の客に当たり、その客は迷惑そうに倒れてきたその獣人を押し返す。意識のないらしい獣人はそのまま床に倒れる。後は、誰も何も気にしない。
「ほらほら、どいてくれ」
客をかき分け、倒れた獣人の首根っこを掴むとそのまま引きずって店外へと連れていく。
「おら、もう来るなよ」
外に投げ捨てて戻ろうとしたところで、ふと店の外から視線を感じる。
何だ、とパインは周囲を見回すが、特に何もない。誰かが見ている様子もない。そもそもこの食堂で客がパインに叩きだされるのは日常茶飯事だ。そんなに注意して見るものでもない。
だというのに視線は消えてくれない。誰かが、パインをじっと見ている。観察している。
「誰だよ、目ん玉抉るぞ」
文句を言いながらパインは店内に戻る。
後は、いつも通りの業務をするだけだ。深夜になるまで働き詰めだ。
「ふぃー。今日も、働いたな」
深夜をまわり、酒を求める客も帰ってようやく店を閉められる。
「ビファーザ、仕込みって終わってるんだっけ?」
「ああ。パインは先に寝ておきなよ。俺はまだ経理の仕事が残ってる」
「そうか? じゃあ、悪いけど先に」
「よお、起きてるか?」
大声と共に店のオーナーであるシアムが現れる。着飾った鳥の羽根飾りつきの帽子に柄の入ったシャツ、顔は明らかに酒によって赤らんでいる。ご機嫌だ。
「起きてるよ。つうか、まだ起きてないと仕事まわらないんだよ。こんなガキをこきつかって自分は遊びまわってよお」
パインの文句に、ご機嫌だったシアムは途端に目を吊り上げ、
「何だてめぇ、その言い方は。俺はなあ、付き合いってものを大事にだなあ……」
「まあまあ、いいじゃあないかシアム君」
鷹揚な声がシアムの文句を遮る。
見れば、シアムの後ろから、恰幅のいい中年の男が現れる。禿げた頭、丸い顔に細い目、整えられた口髭。着ている服も目立たないがどことなく品がいい。
「おお、そうだった。おい、ビファーザ、パイン。紹介するぜ。こちら、ヨモウさん。ここいらの店とか家を建てたのは全部この人だぜ。うちの店も建ててもらった」
ようするに土建屋か。パインは自分の店を見回す。適当に廃材を組み合わせたバラックだ。この辺りの他の店も同じ。要するに、タダ同然の廃材を使って無数のバラックを建てて、それで金をむしり取っているのだろう。とはいえ、屋根と壁がなければ何もできない。需要はかなりあるはずだし、見た感じ相当稼いでいるようだ。
「二人の話はシアム君から聞いておるよ。いやあ、いい若者じゃあないか」
頬の肉を震わせてヨモウが笑う。
「よお、ここいらの、トリョラの南にある建物は全部ヨモウさんが建てたんだ。だから、南では顔でな。それでよ、色々とこの町の住民同士助け合おうってことで、ヨモウさんを中心に一家をつくろうって話になったんだ。ヨモウ一家だ。で、俺たちもこのヨモウさんとこに厄介になるって話で決まった」
嬉しくて仕方がなさそうにシアムが言う。
「いやあ、シアム君や君らが入ってくれるなら百人力だよ」
ほっほっほ、と温厚そうに笑うヨモウのことを、パインは既に見ていない。
そのヨモウの斜め後ろ、まるで影のようにぴったりと付き添っている女に目がいっている。
「ん。おお、彼女か。彼女はわしのボディーガードだよ。いやあ、若い女性だが腕利きでね。アルバコーネ地方の元傭兵で――」
パインはその若い女を観察している。
贅肉のまったくない、ほっそりとした体格。長い手足。身体に張り付くような薄い暗色の布を身にまとっている。長く青い髪。その髪の間から見える、まったく表情のないつるりとした顔。ガラス玉のような目。
この目だ。パインは確信する。
あの時、自分を観察していたのは、この女だ。この目だ。