9
食堂とはいうもの、そこには椅子もテーブルもなく、看板もドアすらもない。
廃材を組み合わせてできた大きめのバラックの内部が、これまた廃材から作られたカウンターで仕切られているだけだ。
「ほら、金よこせ、金」
昼飯時、その食堂では人がすし詰め状態だ。大勢の、薄汚れた身なりをした老若男女がカウンターに詰めかけている。
カウンター越しにシアムが突き出すのは、汁の入った椀だ。
店の外で、くず野菜と塩漬け肉、それから小麦から作った団子を適当に煮た、腹にたまればいいというだけの団子汁。
それを、客は銅貨と引き換えに受け取り、その場で貪るように飲み干していく。
客は途切れることがない。
銅貨を入れるずだ袋がいっぱいになる頃には、カウンターの内側に置いてある、汁の入った寸胴が空になり、シアムは舌打ちする。
「おい、次のできたか?」
シアムが振り返り店の裏口に向かって怒鳴る。別に激怒しているわけではなく、店内の騒乱のために怒鳴り声でないと通じないのだ。
その声に応じて、裏口の向こう、店の裏で汗だくになりながら別の寸胴を煮込んでいたパインとビファーザは顔を見合わせる。
「おい、もういいと思うか、これ? 野菜はさっき入れたばっかりだぜ」
「構うことはない。どうせ味なんてどうでもいいんだ。いこう」
二人で寸胴を店内に運び込む。
新しい寸胴を受け取ったシアムはまたそこから汁をよそい、客に渡していく。
空になった寸胴はまたパインとビファーザが裏に持って行き、水と食材を入れて煮込む。
怒鳴り声、ざわめき、熱気、臭気。それらが途切れることはない。
昼飯時、『シアム兄弟の食堂』とそのままの名で呼ばれるその食堂は、戦場になる。
客の入りにようやく一区切りついたところで、パインは店の片隅で自分の作った汁をすする。ビファーザは売り上げの銅貨を数えている。シアムは、店を二人に任せて会合だと言って出て行った。
「なあ、おい」
「うん?」
パインの呼びかけに、凄まじい速度で山のような量の銅貨を数えているビファーザは振り向かず声を返す。
「シアムはどこ行ったんだよ」
「会合だよ。言っていただろ」
「だから、その会合って何だよ」
「町の有力者と酒でも飲むんだろうさ。まあ、シアムは食堂の店主で終わるつもりはないってことだ」
「まだガキの弟分二人をこき使っていい気なもんだぜ。なあ、その金持って逃げちまうってのはどうだ、二人でよ?」
半分本気でパインが提案すると、ようやくビファーザは振り向く。
「これは全部銅貨だ。量は多いが、価値はどうということもない。逃亡者生活を続けていたら、この量でも一か月ももたないよ」
「はっ、夢がねえな」
「大体、トリョラの住民相手の商売をしたって儲かるはずがないんだ。そのあたり、シアムはいまいち分かっていないようだけど。というよりも、この町で商売している誰もそこを真剣に考えているとは思えない。当然と言えば当然だけどね。目先の金を稼いで生きぬくことが肝心だからね」
興味なさげに語るビファーザの話に、パインは妙にそそられる。
あのハンクの語りに通じるところがあったからかもしれない。
「どういうことだよ?」
「ん? ……簡単な話だよ。トリョラは痩せた土地だ。作物も大してとれない。だから、食料は国から配給で入ってくる分と、後は他の町から買った分だ。一方、あの暴動があって鉱山が閉鎖されたトリョラから他の町に売るようなものはない。そしてこんな町を観光する奇特な人間もいない。となると、どうなる?」
「……トリョラから、金が出ていく一方だな」
「そういうこと。つまり、どんどんこの町自体が貧乏になっていく。その町の中で、住民相手に商売して金を集めようとしたら、こんなことになる」
と、ビファーザは銅貨の山を軽く指でつつく。
「はあん」
パインは感嘆する。ビファーザの説明は簡潔だ。言われてみれば当然のことだ。だがそれを言われるまでパインはそんなこと思いもつかなかったし、周りの連中もそこに目を向けているとは思えない。ずっと思っていたが、この男は頭一つ抜けている気がする。
「ハンクみたいだ」
「あいつ? 一緒にしないでよ。あいつはもっと先を見ている。きっとね。現状がこうだと言うだけの僕と違って、トリョラという町自体をどんどん変えていくアイデアがあるはずだ」
ビファーザは髪をかきあげ、
「ともかく結局のところ、貧乏人しかいないこの町で金をかき集めようとしても大したことにはならないんだよ。シアムが今、やっているのがまさにそれだ。ただ、それをせざるを得ない状況だから仕方ないんだけどね。できるできないを別にすれば、僕たちがもっとマシに金を稼ごうと思ったら、外の連中相手に商売をするか、トリョラ自体を発展させていかないとね」
「すげえな。ビファーザ、お前、城主の補佐官とかになったら?」
本心からパインが言うと、
「お断りだよ。堅苦しいのは嫌いだ。それにさ、今の立場も案外捨てたものじゃあない」
「あん?」
「シアムはそれなりに能力があるし、時流に今乗っている感がある。パインの『狂犬』の看板もまだまだ力がある。で、そこに僕が知恵を出していくんだ。そうすれば、もっと昇れるはずだ。そう信じている。パイン、僕もシアムと同じだ。食堂の従業員で終わる気はない」
にっ、と彼にしては珍しい太い笑みをビファーザは浮かべる。
パインは汁を飲み干すと、同じように笑ってビファーザの肩を叩く。