8
「で、これかよ」
夜明け前。
最も暗い時間に、こそこそと岩陰に身を隠しながら移動してようやくトリョラの隣町に位置するハイロウが近くなる。
おもわず文句を言うパインに、
「こういう商売なんだ、仕方がない」
パインと背中合わせに周囲を警戒しているビファーザが返す。
「泥棒が商売か?」
「違う。飯屋だよ。シアム兄弟の持っているのは食堂だ。食い物が全然足りないトリョラでは重宝される」
「食材の出所が泥棒だろうがよ」
「正確には泥棒じゃあない。あそこの食材は元々はトリョラで配給されるものなんだ。その大部分が、中継地点で横流しされている。僕たちはその横流しされている食料の一部を、本来の流れに『戻して』やっているだけだ」
「『戻す』だけなら、金を取るなよ」
「冗談じゃあない。盗賊に怯えながらハイロウまで来て、警備の兵士に捕まる危険を冒しながら食料を手に入れているんだ。その対価を要求するのは当然だろう?」
「口がうまいな、ビファーザ。まったく」
「それが取り柄なんだ……来たぞ」
車輪の軋む音。揺れる松明の灯りが闇の中を近づいてきている。
「馬車ごと奪うわけじゃねえよな?」
「当たり前だ。それをしたら、僕たちが泥棒にされる。馬車の中から、かすめ取るんだ。それなら、向こうも問題にしない。横流ししていた食料を盗まれたと訴え出るわけもないからね」
がやがやとした粗野な男たちの話し声と、重いものが馬車から降ろされているのであろう、鈍い音が続く。
「さあ、やるか」
「どうすりゃいいんだよ?」
「言っただろう、とにかく忍び寄って、かすめとるんだ。これだけ暗かったら難しくない。松明の火に近づかないように気を付ければそんなに難しくないさ。向こうも後ろ暗いことをやっているから、暗闇の中で作業してる。こっちも同じだ。パイン、お前は慣れていないから木箱の重さや感触で中身は分からないだろうから、とにかく運べるものを一箱、担ぎあげて静かに、かつ急いで逃げ出す」
「お前は?」
「僕は慣れているから、吟味したいところだね。肉が足りないんだよ、肉が。塩漬け肉の箱を運ぶのが一番いいんだけど」
やれやれ、とパインは舌打ちしたい衝動に駆られる。
真っ暗闇を歩き続け、命懸けで食料を盗む。トリョラに来る前と、一体何が違う?
馬鹿みたいに大きくて重い木箱を闇に紛れて盗み、苦悶の息を噛み殺して移動する。それを小一時間続けて、ようやく目的地に辿り着く。
もう使われていない納屋だ。ここに馬を繋いでいる。馬自体、シアムがどこからか借りてきたものだという話だが。
「はあ」
人心地ついて、木箱を納屋の隅に寄せ、パインは荒く呼吸する。しばらくは何をする気にもならない。
「……すごいな」
数分遅れて、ビファーザが到着する。彼の全身も汗にまみれ、息も絶え絶えだ。
「何が?」
革袋に入ったぬるい水をごくごくと飲み干してパインは聞き返す。
「よく、病み上がりでそんな動けるものだ。体力も筋力も、尋常じゃあない」
言ってから、ビファーザも水を飲む。
「なあ、おい」
木箱を背もたれにして座りこみ、
「俺の持ってきた木箱、何だ?」
「中身? ええと、ああ、小麦だね」
「小麦か……お前のは?」
「言っただろう、吟味する、と。ちゃんと塩漬け肉を持ってきた」
それから、ふっと目を三日月型にする。
「パイン、腹はどうだ?」
「減ったよ、もちろん」
「食うかい?」
と質問しながら、既にビファーザは自らが持ってきた木箱の蓋をこじ開けている。
「おいおい、いいのかよ?」
「いいさ。僕も腹が減った。とはいえ、あんまりは食えないがね。塩を取りすぎて気分が悪くなる」
ナイフで切り出した一切れの塩漬け肉を、ビファーザはパインに放ってから、自らの分も切り出す。
互いに、納屋の床に座って、ぬるい水を飲みながら塩漬け肉をちびちびと齧る。
「大体、なんで俺たちみたいなガキにこの仕事やらせんだよ。逆だろ。シアムがこっちで、俺たちが店番じゃねえのか? ガタイが違うんだからよ」
パインの文句に、ビファーザは肩をすくめる。
「シアム兄弟の看板がシアムなんだよ。あの服を見たろ。シアムは、店に立って住民と付き合って、シアム兄弟は大したものだってアピールする役目なんだ。長兄だからね」
肉をひと齧りしてから、
「とはいえ、最初の一歩はシアムの看板からじゃあないけどね」
「あ?」
「この馬を借りられたのも」
ビファーザは老いぼれた馬を横目で見る。
「食堂を建てるのをツケでできたのも、全部お前の看板だ」
「何だよそれ」
一気に残りの肉を口に入れ、そのあまりの塩辛さに気分が悪くなったパインは慌てて水を含む。
「『狂犬』の看板だよ。あの大暴れしてた『狂犬』の兄弟分ならってことで、一目置かれたんだ。あの鉱山がなくなって、一気に人があぶれて、仕事がなくてひいひいしている中で、シアムはひとかどの人物になろうとしてる。それだけの話だよ」
「はっ、ひとかどの人物ねえ」
「お前は違うのか?」
「どうかな。俺は」
ごくり、と肉を飲み下す。
「暴れたいだけかもな。今までずっと押さえつけられてきたからよ」
「抑えるべき時には抑えないと、上には立てないよ」
「だから、それくらいなら上に立ちたくないんだよ」
「ふふん」
ビファーザも肉を食べ終わる。
「早死にしそうだね」
「城主代理にもそう言われた」
「……ハンク・ハイゼンベルグか」
不意にビファーザは表情を真剣なものにする。
「パイン」
「あん?」
「あの男には気をつけろよ」
「忠告どうも。ただ、勘だけどよ」
よっこらしょ、とパインは立ち上がる。まだ、これからもう一仕事残っている。馬に木箱を載せ、トリョラへと帰らなければならない。
「気を付けたって駄目だぜ、ありゃあ。あの男は多分、モノが違う」