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湿っていた火薬に、ついに火がついたようなものだ。
火薬なんてものは話に聞いたことしかなかったが、パインはそんな感想を抱く。
火がつけば一瞬だ。というよりも、自分が火をつけたのだが。
作業場のいたるところで、暴動が起きている。
数は、圧倒的に人夫の方が多い。薄暗い坑道の中、見張り役が取り囲まれ、つるはしで解体されていく、あるいは素手で引き千切られていく。それを横目に、ぶらぶらと棒を片手にパインは歩く。
作業場で起きていることの陰惨さとは裏腹に明るい青空の下に出ると、所長室や食堂が入っている巨大な建物、人夫たちが『大箱』と呼んでいる場所に、パインは進む。
そのパインを追い抜いて、武器を持った人夫たちが『大箱』へと走っていく。所長室にでも押し入って金品を強奪するつもりなのだろう。
血を滴らせた得物を持って『大箱』の正面入り口に殺到する人夫たちの集団と、警備の連中とが一つの塊になって殺し合うのをどこか冷めた目でパインは見る。
そうして、その塊を横目に『大箱』の裏口へと向かう。
応援に向かおうと走り回っている警備役が数人、パインとすれ違うが、目を合わせるとすぐに逸らしてその殺し合っている塊の方向へと向かう。パインを無視して。
変だな。
パインは思う。あそこで殺し合いに参加するよりも、一人でぶらぶらと歩いているガキをぶちのめす方が楽だというのに、誰も彼もパインを止めない。すれ違っていく。
もちろん、ガキ一人よりもあっちの殺し合いの方が大事だろうから、そっちを優先したのかもしれないが、それにしても、こんなに素通りでいいのか?
また一人、パインの横をすれ違う。
警備役の男と目が合う。殺されてもいい。歩くのが面倒になってきた。にこり、とパインが笑うとすぐに怯えたように警備役の男は目を逸らし、そして言い訳でもするように、叫びながら正面入り口へと駆けていく。
くそ、結局歩き続けなければいけないのか。
舌打ちしながらだらだらと歩き続けるパインは、正面の喧騒とは裏腹に見張りのいない裏口に辿り着く。
ドアを開けて数歩踏み込めば、切れ味の悪そうな剣を構えている警備役の男数人がそこにいる。
さすがにその男たちはパインを見逃すはずもなく、
「おい、止まれっ、何だお前っ」
一人が叫ぶ。
どう答えていいか分からず、パインは血塗れの口元を歪ませ、へらへらと笑う。
「このっ」
別の一人が仕掛けてくる。
いいぞ、殺してみろ。殺してやる。
「こいよ」
かわすことを考えずに、相打ちすればいいと思いパインはその男の頭に目がけて全力で手にしていた棒を振り下ろす。
相手の剣がパインの胴を斬り潰し、その代りにパインの棒の一撃が相手の頭蓋を砕く。そうなるはずだ。
だが、そうはならない。
「うっ」
男が一歩引いて、剣を防御のために使う。
全体重、全力を込めたパインの一撃は、鈍い音と共にその男を剣ごと弾き飛ばす。
「ぐ、あっ」
地面に倒れた男は、立ち上がらずに強張った顔でパインを見上げている。
他の男たちもそうだ。剣を構えたまま、怯えた目をしてひたすらに固まっている。
何をしてるんだ、圧倒的に有利なのに。
不思議に思いながら、パインは攻撃の反動でふらついていた体勢を直す。
背後から、気配。
敵か、と思って振り向いたところで、剣を持って武装して入ってくるシアムとビファーザと目が合う。
「早いじゃねえか、パイ、ン……」
シアムの言葉が、振り返ったパインの顔を見た途端に弱くなっていく。
横のビファーザも目を丸くする。
「何てツラしてるんだ、パイン」
どう答えていいのか分からず、パインは肩をすくめる。
そうしてまた男たちの方に向けば、すぐに男たちの姿はない。
「逃げて行ったよ。こっちはガキが三人、向こうの方が圧倒的に優位なのにな」
後ろで、ビファーザが呆れた声で呟く。
喧噪が少しずつ近づいてきている。
どうやら正面入り口は突破されたようだ。
「さっさといこうぜ」
シアムが苛立つ。
そのシアムを先頭に三人で副所長室に向かう。
「先を越されたら最悪だ」
呟くシアムが副所長室に飛び込むと、そこはもぬけの殻ではあるが、まだ荒らされてはいない。
「副所長は逃げたかな」
ビファーザの言葉に、
「そんな急いで逃げたなら、金や物を全部持って逃げたってことはないはずだ。探すぞ」
シアムの号令で三人はその部屋を調べまわる。とは言っても、元々物の多い部屋ではない。
ビファーザがベッドの下からあっさりと金庫らしきものを発見する。
「くそ、開けられるか?」
「無理だね」
「パイン、お前は?」
「できない。シアムさん、もう、その剣で無理やりにこじ開けた方が早いんじゃない?」
「そうするか。おい、ビファーザ、パイン、押さえとけ」
「はいよ」
「くそっ、重いな、これ」
「剣の方が折れないか心配だね」
「おい、ちょっとパイン、そこ、剣先がひっかかってないみたいだ。頼む」
「これかな……ん?」
三人でごちゃごちゃと言って金庫に熱中しているうちに、不意に隙だらけの自分の背中に殺気を感じて、パインは振り返る。
開いたままの副所長室の扉、その扉に背中から寄りかかって、一人の男が立っている。
小太りで手足は短い。顔も太く、まるで首がなく胴体からそのまま頭が生えているかのようだ。目も鼻も口もふにゃふにゃと緩んでいて、締まらない薄ら笑いが染み付いている。布の余っているひらひらとした派手な恰好に、男なのに結っている青い髪。
話に聞いたことがある、道化師というものの恰好みたいだな、とパインは頭の片隅で思う。
「ガキが三人かあ」
道化師が言う。
それで、シアムとビファーザも慌てて立ち上がる。
「どうするかなあ。こりゃあ、もう誰も助からないだろうなあ」
身構えたシアムを見ても、道化師はにやにやと笑うのをやめない。
「何だてめぇっ」
シアムが斬りかかろうとした瞬間、閃光がパインの目を眩ます。
何だ?
回復した視界で、びくびくと震えながらシアムが剣を取り落とし、蹲るのが見える。道化師は何もしていない。いや、シアムの方に向かって手を突き出しているが、それだけだ。
「まずい、魔術師だ」
ビファーザが言う。
「お、多少頭が切れるのがいるなあ」
道化師が言って今度はビファーザに手を向ける。が。
「んん?」
パインの方に向き直る。
どうして?
理由は簡単だ。パインが道化師に向かって飛びかかっているからだ。
本気かよ、魔術師相手に。御伽噺でしか聞いたことがないぞ、魔術師なんて。まあ、別にいいか。死んでもよ。
パインは自分の勝手に動いている体に驚きながらも、一瞬のうちにそんな風に色々な考えを巡らしている。
「死に急ぐねえ」
道化師が手をパインに向けるその前に、パインは持っていた棒を投げつけている。あと、三歩。道化師がその棒をかわしている間に、掴みかかってやる。
だが棒は道化師にぶつかる寸前で、ぱしんと音を立ててまるで見えない壁にでも当たったようにして急停止して、地面に落ちる。
すげえな、さすがは魔術師だ。
パインは止まらない。
「ははは」
笑う道化師の掌がパインを、向く。
閃光。
分かったのはそれだけで、次に衝撃と共に全身が勝手に痙攣しだす。奥歯がかたかたと音を立てる。視界が真っ白に点滅する。
脳髄が直接衝撃を受けている。平衡感覚がなくなる。目玉が飛び出しそうだ。
何かを流し込まれている。
「あああああああ」
勝手に、パインの喉から声が出る。よだれもだらだらと流れ落ちる。
体は動かない。勝手に縮こまっていく。
すごい、これが魔術か。薄れる意識の中で思う。
いいぞ、これで殺されるのも、いい。だが。
ぎょろりと、パインの眼がパインの意思とは別の力で動く。道化師のにやけ面。
あいつのにやけ面に拳をぶちこんでからじゃあないと、死んでも死にきれない。それと引き換えになら、死んでもいい。
「ああああああああ」
がくがくと震える、パインの脚が一歩前に踏み出す。
「ほ?」
道化師の目が少しだけ大きく開く。
「ああああああああ」
もう一歩。
痙攣がひどくなる。呼吸さえ難しい。
だがあと一歩だ。
「これはこれは、狂犬みたいなガキだ」
道化師の笑みが消える。
更に一歩。
震える拳を、突き出す。
力ないそれは、道化師の柔らかく湿った顔に命中する。
そこで一際大きくぱちん、という音が自分の頭の中で響く。パインの意識は白く濁る。視界も真っ白だ。けれど、ひどく愉快だ。