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背骨が折れるかと思うくらいに蹴り飛ばされる。
「さぼってんじゃあねえぞ」
泥に頭から突っ込んだま、背中でそんなののしり声を聞く。
パインはのろのろと起き上がる。
あれから十日は過ぎたか。未だに、暴動は起こらない。
見張り役に尻を蹴られながら、つるはしを握り直す。既に握力はほとんど残っておらず、いくら握ろうとしてもつるはしの握りは不安定なままだ。
「何やってやがる、さっさとしろ」
肩を殴られる。
息を荒くしている見張り役の顔。顎を二重にした中年の男のその顔は、確かに輝いている。喜悦に輝いている。
決して反抗しない、愚鈍な奴隷を叩くことの喜びだ。
暴動が起きないのも当然だ。仕事が終わり、僅かばかりの食事をとれば、怒りや憎しみも湧いてくる。暴動だって計画するだろう。
だが、いざ、この苦行のような労働が始まれば?
全てが使い果たされる。怒りも憎しみも、意思も知恵も体力も生気も全て。ただ全てに耐え、命令に従い、他には何もできない愚鈍な奴隷となるのだ。
くだらん。
見張り役は他の人夫を蹴りに行った。蹴られた人夫は限界だったらしく、そのひと蹴りで動かなくなった。それでも、見張り役は動揺しない。鼻で笑うだけだ。
周囲の人夫も、特に感情を出すこともなく、死んだ目でちらりとその死体を見てから、またつるはしを振り続ける。
パインはもう一度つるはしを握ろうと力を込めて、ふと思う。
どうして、つるはしを握らなくてはならない。
そうしないと、殴られ蹴られるからだ。だが、いいじゃあないか、そうなっても。どうせ、仕事を続けていてもいつの日か死ぬだけだ。
死んでもいいじゃあないか、どうして生きようとひたすらこんなものを振っている。
「くく」
笑ってしまう。
パインは思わず笑い声を漏らしながら、そのつるはしを地面に落とす。
ひどく爽快な気分だ。まさか、死んでもいいと思うだけで、こんなにも楽になるとは。
つるはしを捨てているパインを見つけた見張り役が、目を吊り上げて金切声をあげながら詰め寄ってくる。
蘇ってくる。憎しみや怒り、そして殺意が。
家畜でも叩くように、見張り役が大股で寄ってきて、腰の棒を振り上げる。
かわされることなんて考えもしないような、大振りの一撃。
いいぞ、殺してみろ。それでいい。どうせ、こんな人生だ。死んでいい。死んだ方がいい。
けど、その代わり、お前も殺してやる。
憎悪で視界が真っ赤に染まる。
パインは一撃をかわして、見張り役の胸元にかじりつくように飛び込む。
「うおっ」
まさかそうされるとは思ってもみなかったのだろう。
痩せっぽちの子どもに掴みかかられただけだというのに、油断していた見張り役は体勢を崩す。
汗の匂いと共に、無防備な首がパインの鼻先に来る。
殺してやる。
その喉に、思いきり噛みつく。
いつも食べている黒パンよりも硬く弾力のあるそれを、噛みしめる。
「ぐうぅ」
見張り役は声というよりも音を漏らす。
全ての力を顎に集中させ、ひたすらに噛む。
顎の骨が砕けてもいい。パインは、無意識のうちに犬や狼のように唸り声さえあげている自分に気付く。
鉄の味。皮膚を噛み破り血が口に入ってきているのだ。
笑う。だが笑い声も唸り声にしかならない。
そうして、忘我のうちに、パインは喉を噛み千切る。
血塗れの視界で、地面に倒れてのたうち回る見張り役に馬乗りになり、殴りつける。殴りつける。
憎悪が、底なしの力を与えてくれているようだ。
いくらでも殴れる。
殴れる、殴れる。笑い声しか聞こえない。
何だ?
ふっと、手を止める。
こちらの拳がぼろぼろになるまで殴っていた見張り役の顔は、既に原型をとどめていない。喉の傷もあって、もう絶命しているようだ。
笑っていた。
パインは自分の顔を撫でて笑顔になっていることに気付く。
気付かなかった。いつの間にか笑っていた。笑い声は自分のものだった。
耳張りと共に、不意に周囲の音が入ってくる。喧騒、怒号、悲鳴、柔らかく湿ったものを殴打する音。
自分の笑い声だけでは聞こえなかったありとあらゆる音。
両手と顎も今更ながらに痛みだす。
周囲を見回せば、他の見張り役を人夫たちがつるはしで殴り殺し、あるいは転ばせて数人で踏み殺しているところだった。
なるほど。
そりゃあそうか。他の見張り役に止められて殺されるはずだったのに、制止されないのは妙だとは頭の片隅で思っていた。
暴動だ。暴動が起きている。
予定よりは遅れているし、そもそも自分がきっかけとなったようだが。
ゆっくりと見張り役の死体から起き上がり、パインは首を回す。まだ顎が痛む。
死体から棒をむしりとると、それを片手に作業場を出ていく。
暴動の熱気にあてられて見張り役殺しに夢中でいる人夫たちは、それでも棒を片手に持ち顔を血で染めたパインが近づくと慌てて道をあける。