監禁3
町の水面下の動きを探る作業に一段落つき、ワーウルフの二人に引き続きの調査を頼んで、ランゴウは自分の店に戻っている。
狭い店には人気はない。まだここまでは手が回っていないようだとランゴウは安堵する。いや、パインが目をつけているというのは、あのマサヨシというペテン師の言ったことだ。そもそも全てが嘘だということもありうる。
一刻も早く、ことの真偽を確認して、手を打たなければならない。それなのに、どうして一度店に戻ったのか。
ワーウルフのツゾ、奴の動きが気になったからだ。
明らかに動揺して、一人、マサヨシの見張りに戻ると言っていた、あのワーウルフの態度。元々、粗野で単純ではあるが、それを補うように臆病なところがあることをランゴウは知っている。
妙な気を起こすつもりじゃあないだろうな。
そう疑うランゴウは、自らの命綱とも言える金の確認と確保のために店に戻った。
「全く」
表の商売に使っているきれいな金は、大部分は地下の金庫に入っている。錠の三つついたドアを開けて、地下への階段をランゴウは降りて行く。
「裏の金の回収も、検討しなければ。ツゾ達にはさせられん。持ち逃げする。私が直接するしかないか」
呟きながら地下室に下りて、金庫室のドアを開ける。
そこで、ランゴウの動きは止まる。
上の狭い店舗以上に狭い、金庫室。薄暗いその金庫室に、ないはずの粗末な椅子が置いてある。
その椅子に、長身痩躯の老人が座って本を読んでいる。
「来たか」
老人は本から目を上げる。
「パイン、さん」
呻きながらランゴウはよろよろと金庫室に足を踏み入れる。
「時間がない。今日は、孫と買い物に行く約束をしている」
本を閉じて、パインはランゴウに向けて疲れたような息を吐く。
「さっさと、お前の裏の稼業に関わっている連中を全て白状しろ。それで終わりだ」
「何を、仰ってるのか分かりませんね。それより、どうやってこの部屋に?」
「マサヨシが昨夜からいない。あれもお前の差し金か? 殺したのか?」
面倒そうに、パインは手を振ってランゴウの質問を無視する。
「いい加減にしてください」
内心の動揺を覆い隠し、怒りで顔を赤しているかのようなランゴウが言う。
「さっきから意味の分からないことを。どうやってこの部屋に入ったんですか。あなたと言えども、私の店に不法侵入したからには」
なおも続けようとするランゴウの言葉を、パインは手で制する。
「いいか、孫と買い物に行く。時間がないんだ。全く、現れないなら現れないでいいのに、こんな微妙な時間に現れおって」
そうして、パインは足で部屋の隅、暗がりにあるなにかを蹴り出す。
明かりに晒されたそれを見て、喉の奥から悲鳴が漏れるのをランゴウは必死で抑える。
骨がないかのように手足が妙な方向に捻じれているワーウルフ、明らかに死んでいる。
死体が二つ、そこに転がっている。
三人組の強盗、そのうちの二人。ランゴウが調査を命令していた、ツゾ以外の二人だ。その二人が、死体になっている。
「そこの二人が知っている内容は聞いた。尋問をしてな。いや、尋問じゃあないか。まあ、いい。お前の名前も出たし、他の数人の名前も出た。今、部下が確認に行っている。証拠も証言もざくざくと出ている。言い逃れはやめろ、面倒だ」
靴についた血の汚れを、パインは指で拭う。
「いや、これは……」
よろよろと後ずさり、後ろ手でドアを開けたところで、汗にぬれたランゴウの顔に凶暴な笑みが浮かぶ。
「言い逃れは、無理ですなあ。じゃあ、しょうがない」
「開き直ったか?」
「ええ、開き直りましたよ。あんたを殺してこの町を逃げ出すしかなさそうだ」
そして、大声で怒鳴る。
「おい、お前らっ、来い!」
何の手も打たずに自分の店に戻るほど、ランゴウは迂闊ではない。
見張り役として、動かせるだけの暴力要員を連れて、店に入るときに周囲に目立たないように配置しておいた。まさかその前に侵入されていたとは思わなかったが。
「おい、早くしろっ」
外に向けて怒鳴る。
だが、何も起きない。
「うるさいぞ」
不機嫌そうに、パインは片耳を押さえる。
「正直、お前がある程度の暴力を持っていることは予想がついていた。タイミングがよくなければ、私もここまで強引な手段に出ることはなかっただろう」
振り返ってパインを向いたランゴウの顔が、驚愕で固まる。
確かに、パインしかいなかったはずが、その傍に一人の男が立っている。真っ白い毛のワータイガー。
「タイロン」
無意識に、その名前をランゴウは口にしている。
「うむ。伝説の殺し屋。ちょうどこの町に入ってきていた。ちょうどいいと思ってな、彼を使って今回の件を迅速に処理することにした。お前の金と縄張りを奪えるなら、元は取れる」
パインの説明は、ほとんどランゴウの耳には入っていない。
吸いつけられるように、目が勝手にタイロンに向いて離れない。
一瞬たりとも目を離さなかったはずが、いきなりタイロンの姿が消える。
「のお、こいつは殺すのか?」
声が後ろからする。と、同時に白い毛に覆われた手が、ランゴウの両肩に乗せられる。それで、ランゴウの全身から力が失われる。まるで動けない。
「色々と、聞いてからだ。ああ、正直に全て答えるなら、命だけは助けてやろう」
嘘だ。
絶対に嘘だと、ランゴウは分かっている。分かっていながら、最終的にその嘘に縋らなければならないことも分かっている。
正直に話せば、助かるかもと思いながら楽に死ねる。喋らなければ、苦しみぬいて死ぬことになる。
分かっていながら、指一つ動かせない。
「さあ、行くぞ、タイロン。どこか、『尋問』のし易い場所までそいつを連れて行こう」
パインは立ち上がる。
「安心しろ、尋問は部下に任せる。孫との約束があるからな」
そう言って、パインはにっこりと好々爺そのものの笑みを浮かべる。
次にドアが開いたとき、半日は経っているはずだとマサヨシは体内時計で判断している。痛みにも、空腹にも耐えられるが、トイレに行きたくてたまらない。
いいニュースだといいが、と思ってドアを開けて入って来た顔を見て、内心舌打ちをする。
ツゾが、目を見開き、口を開けて荒く息をしたまま部屋に入ってくる。
一目で、明らかに不味い状況だと分かる。
「くそ、くそっ、くそっ」
入ってくるなり、ツゾは呪詛を吐き続ける。
「どうしたんだい? ところで、一時的にでいいからほどいてくれない? もう漏れそうなんだ」
「くそっ、何てこった、何てこった」
マサヨシの言葉が聞こえていないのか、ツゾは部屋の中を歩き回る。
「おい」
「うるさいっ!」
絶叫したツゾは壁に頭を打ちつける。
これは、本当に不味い状況かもしれない。
マサヨシは不安を覚える。
だが、そんなにまずい状況下で、ツゾはどうして自分の元に戻ってきたのか。無意識のうちに自分を頼っているのだとしたら、むしろ僥倖かもしれない。
「落ち着けって。何があったか、教えてくれよ、あと」
もう一度、ゆっくりとマサヨシは言う。
「頼むからほどいて。もう、限界だ。トイレどっち?」
トイレで用を済ませてから、少しだけ落ち着きを取り戻したツゾに話を聞く。
「町がおかしい。騒がしいんだ。死んでる、肉屋や運び屋が」
全く要領を得ない。
「肉屋と運び屋?」
「トリョラで暮らしている連中だ。ああ、会ったことはないが、聞いたことがある。ランゴウの仲間のはずだ」
ようやく、マサヨシにも話が見えてくる。
「つまり、ランゴウの協力者、それも町で普通の人間として暮らしていて裏で手伝っていた連中が、死んでいるってこと? 町で次々と?」
壊れたように、何度もツゾは頷く。
話をつける、じゃあなかったのか。
あまりにも予想外の展開に、マサヨシもツゾと同じように混乱しかける。が、深呼吸をして必死に自分を落ち着ける。深呼吸するたびに、全身が痛む。その痛みがマサヨシを冷静にする。
落ち着け。ここまでずたずたにされても、自分は生きている。打てる手はある。
「まずい、状況だね。誰かから、情報が漏れてる。ランゴウも、駄目かもしれない」
マサヨシは爪をかんで、焦る。いや、焦っている振りをしながら、時折焦っているツゾを盗み見る。
交渉術の基本。相手に共感している振りをする。感情レベルで共感している振りをすれば、向こうもこちらに共感してくれる。仲間だと錯覚してくれる。
「どうする? どうすればいい?」
「ええと、そうだね、まず、ランゴウの店の金を奪うって言うのはもう遅いね。多分、そこにも手が伸びてる。あんたが知ってるアジトも、もう手が伸びてるかな。っていうか、ここもそうじゃない? ここにも、いつ手が伸びるか分からないよ」
「そうだな、ああ、そうだ。逃げないと」
慌てて部屋を出て行こうとするツゾに、
「どこに逃げるか、決めないの?」
「そりゃあ、町の外だ。トリョラにはもう、いれない」
「無一文で? とりあえず、このアジトには金とかって隠されてないの?」
「いや、大したものは……」
「金目のものでもいい。とりあえず、何か持って逃げないと」
マサヨシの言葉で、ツゾは部屋を出て、ばたばたと走り回る。
痛む体を引きずるようにして、マサヨシも部屋を出る。トイレに行く時に大体の構造は覚えていたので、どちらが出口かも見当がついている。
「とりあえず、俺が様子を窺うよ。先に、出る」
走り回って大きな麻袋に何やら詰め込んでいるツゾに声をかけるが、ツゾの反応はない。どうやら、それどころではないようだ。
出口のドアに向かって、マサヨシは右脚を引きずりながら歩いていく。
これから、どうするか。ランゴウから、パインを害する計画をマサヨシから吹き込まれたと言う話は伝わっているだろうか。命を長引かせるためだったと説明して、パインが納得してくれるか。
不安材料だらけだ。
ツゾはどうすればいい。彼がパインに捕まったら、また自分に不利な情報が引き出されるかもしれない。
考えながら、マサヨシはひたすら足を動かす。
ドアを開けて、見えるのはどこまでも広がる、夕暮れの荒野。
その空気が流れ込んできて、外に踏み出す前にマサヨシは思わず胸いっぱいに息を吸い込む。肋骨が痛む。けれど、外の空気を感じる。
ようやく、解放された。その安堵で気が遠くなりかける。
慌てて、頭を振って意識をはっきりとさせ、マサヨシは外へと足を踏み出す。
二、三歩ほど歩いてから、マサヨシは周囲を見回す。特に誰かがいる様子はない。
「おーい、ツゾ、大丈夫そうだよ。これから」
言いかけて、何かが近づいてくるのに気付く。
荒野のはるか向こうから、何かが近づいてくる。
馬車だ。
緊張で固まっていた体が、近づいてきた馬車の御者の顔がはっきりするにつれて力が抜けていく。
「おっ、いたいた」
見覚えのあるダークエルフが、マサヨシを見て嬉しげに顔をほころばせる。
「助けに来たわよ、感動した?」
「かなりね」
そうして、マサヨシは後ろを振り返り、アジトの中に呼びかける。
「ツゾ、俺達はついているみたいだ。何とかなるかもしれない」