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 アランという男がいる。かつて、『狂犬』と恐れられていた男だ。敵と見なしたものには、勝ち負けの関係なく噛みつく。





 土と大小の石くらいしかない荒野。四方の果てには山稜が見えるため、だだっ広い割には解放感はなく、というより圧迫感すらある。


 リゼは額の汗をぬぐう。


 季節は秋。日差しはそう強くはなく、気温も大したことはないものの、ここまで来るのに相当歩かされた。しかも、途中にちょっと休憩するような店はおろか、木陰の類すらほとんどないのだ。汗もでる。


 本当に場所があっているのか、と不安になりながらも足を進めてきたが、これまではただひたすらに土と石しか見えなかった。

 だが、ようやくリゼの目にそれ以外のものが映る。


 遥か彼方にある、あの岩にしては背の高い影が、そうだろう。


 近づくにつれて、確信に変わる。

 影は、質素な、だがしっかりとしたつくりの小屋だった。


 木製。ほとんどただの直方体の置物のようだが、窓とドアがついている。


 そのドアを、リゼはノックする。乾いた音が荒野に響く。


「開いているよ」


 想像していたよりも若い声。


 リゼはドアを開くと、ひんやりとしたその小屋に足を踏み入れる。


 小屋の中には、無駄な物が一切なかった。いや、必要な物すら足りないだろう。棚。テーブル。椅子。小さな炊事場。それで終わり。どこでどう寝ているのかすら、リゼは想像できない。


 その椅子に男が座っている。飾り気がなく丈夫な綿のシャツとチノパン。がっしりとした体形。赤く焼け、ひび割れている肌。ぼうぼうに伸びた髪の毛と髭は、半分が赤茶、もう半分は白が入り混じっている。

 声からの想像通り、実際の年齢よりも若々しい。あるいは、隠居しているという情報から、リゼが勝手に老人のイメージを予想していたのかもしれない。


「入るといい。何もないが。ああ、水くらいならある。冷えてないがね」


「お構いなく」


 本当は飲みたくて仕方がないが、礼儀として一度断ると、


「ああ、そうか」


 とあっさりと男は手にしていた水差しをテーブルに戻す。


「それで、あんた、殺し屋か? それにしちゃ、無防備だが」


 あっけらかんと言う男に、


「違いますよ」


 慌ててリゼは手と首を振る。


「ぼく、いや、あたしは記者です。アインラードのライン新聞社の記者です」


「知らんな。戦争回避されてから、ぼこぼこと新聞社やら出版社ができあがったという話は聞いたことがあるが」


「そうそう。そのできあがった新聞社の一つですよ」


「ふうん。だが、殺し屋っぽくもないが記者っぽくもないぞ。ああ、恰好は確かに活動的だが、どっちかというと」


 男は顎をさすり上から下までリゼを見て、


「育ちはよさそうに見えるな。深窓の令嬢って雰囲気があるが?」


「そうですか? まあ、気品があるとはよく言われますね、ふふん」


 男の観察眼の鋭さに舌を巻きつつ、リゼは誤魔化す。


「で、記者が俺のところに何の用だ?」


「もちろん」


 一歩前に出て、リゼは懐からメモとペンを取り出す。


「取材です」


「取材、取材ね。なるほど。俺に、一体何の?」


 男はぐるりと周囲を見回すしぐさをする。


「この辺境の地でどうやって生きていくのか、とか?」


「いえ、過去の話です」


「過去?」


「十年以上前の話です」


 おどけた雰囲気のあった男の動きが止まる。

 視線、表情、身振り手振り、その全てがぴたりと止まっている。


「あなたが、まだトリョラにいた頃の」


「……あの町の、何が知りたい?」


「あたしは、歴史の真実を暴く、というような特集を担当してるんです」


「それで?」


「今、追ってるのは、トリョラって町の小悪党にすぎない男のことです。どうも、実はその男が歴史的な事件の色々なものに関わっていたんじゃあないかと」


「『ペテン師』か?」


 小屋の中の空気が凍る。


「……はい、そうです」


「どうして、俺に?」


「あなただけではないです。色々な関係者から話を聞いて、『ペテン師』に色々な方向から光を当てるというのがこの特集の趣旨です。特にあなたから見た『ペテン師』像は興味深い。あなたは、元々は『ペテン師』の敵、そして協力者になった立場ですよね、アランさん」


 名前を呼ばれて、男は黙って瞬きをする。


「一体、何があって敵から協力者になったのか。いえ、失礼を承知で言えば、協力者というより……」


「手下、だな。そう、俺は手下になった」


 頷くアランに表情はない。


「その経緯が非常に興味があります。教えてくれませんか?」


「俺のところに来たということは、知っているんだろう。あの当時、『ペテン師』の組織は密造酒だけじゃあない。女も、それから『シュガー』も押さえていた。トリョラの裏のほとんどを、だ。勝てるはずがない」


 投げやりに言うアランに、


「普通なら、そうです。けれど、それならそもそもあなたは『ペテン師』の敵にならなかったはずです。あなたは元々はパインの組織の幹部の中でも、一番の恐れ知らずとして一目置かれていた。パインですら持て余していた。だから、パインが去り、『ペテン師』が支配しつつあるトリョラで、『ペテン師』をよしとしない連中をまとめて、組織を作り上げた。『ペテン師』の組織とも、向こう見ずな喧嘩を繰り返していた。そうでしょう?」


 アランは黙って、自分の喉仏を触る。


「かつて『狂犬』と呼ばれていたあなたは、相手の組織が大きくなっていたからという理由で退いたりなんてしなかったはずです。ましてや、手下になって、しかもその『ペテン師』が消えてからは逃げ出すように辺境に隠居するなんて。一体、何があったんです?」


「……怯えたんだよ」


 不意に、アランは顔自体を曲げるようにして歪んだ笑みを浮かべる。


「牙を抜かれた狂犬は、もう狂犬じゃあない。だから手下にもなったし、やばいと思えばなりふり構わず逃げ出した。俺は『ペテン師』に怯えたんだ」


「何があったんです?」


 もう一度、リゼは訊く。


「『ペテン師』がクーンの利権を奪い尽くした頃の話だ。俺の組織と『ペテン師』の組織は、抗争をしながらも均衡を保っていた。というより、向こうがトリョラが荒れるのを嫌っていたんだなあ。向こうから下手に出て、大体一週間に一回くらいは合同の会合を開くようになっていた。互いの組織の幹部だけが出席してな。その会合では揉め事はご法度でな。立会人はミサリナ……知っているか? あのミサリナ商会のミサリナだ。奴はその頃向こうの組織ともこっちの組織とも付き合いがあったからな。立会人にちょうどよかった。とにかく、面倒だが、そういう会合があるのが当然になって、慣れてきて、形だけになりつつあった、その頃の話だ」


 アランの目が遠くを見る。


「その会合で、殺人事件があったんだ」


 話が始まる。

3/17書籍化されますのでよろしくお願いいたしますということで、それに合わせてなるべくならこの番外編は毎日更新を目指します。

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