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「じゃあ、そこで眠らせて何をするか。さっきも言ったように、仕込みカードを使うのが基本だ。わざわざ名高いルオ・ガリイに勝負を挑みに来るような連中だ。当然、カードは自前で準備している。だったら、眠りこけたそいつらの部屋に忍び込んで、というより普通に入ればいい。部屋の合鍵なんて簡単に手に入るわけだからな。そこで、カードに細工する。俺がやったのと同じようなもんだ。かすかな、光の加減で薄らと浮かび上がるくらいのレベルの傷をつけて、それを目印にする。それで、あとは勝負の場に敵がわざわざ仕込みカードを運んできてくれて、このカードを使ってくれと頼みこむという寸法だ」
「あのー」
おずおずとリゼは手を挙げる。どうも、納得がいかない。
「僕、よく分からないことがあるんですけど」
「ん、何だ?」
「まず、それって確実じゃあないですよね? だって、その時点でカードを持っていない、直前でカードを用意するつもりの人だっているでしょうし……」
「もちろん。だから、このイカサマはあくまでルオが使うイカサマの選択肢の一つに過ぎない。もしこれがダメでも、他にいくつでも方法はある。最初に言った通りだ」
「だとしても、ですよ。そのお……」
言いにくいので、ちらちらとルオの方を気にしてリゼは口ごもる。
「ああ、言いたいことは分かる。つまり、こういうことだな。俺たちがやったように、そもそも相手が仕込みカードを準備していた場合はどうなるのか、ということだろう?」
何の躊躇もなくそうヒーチは言って、それを聞いたルオはくすりと笑う。
「元々目印のあるカードにさらに目印をつければ、向こう側が新しい目印が加わっていることに気づく可能性も高い。だろ?」
「え、ええ」
「ルオが百戦錬磨だということを抜いて考えたらいけないな。いいか、ルオはバンクというゲーム、そしてそれに関するあらゆるイカサマに精通していると考えていい。新品に偽造されたカード、その中身にかすかであろうと傷がついていたらそれに気づくさ。そして気づいたら、その目印を覚える。それも、短期間で。慣れているだろうから、一瞬かな?」
「職人技ですよ」
ルオは肩をすくめて見せる。
「その場合、新たに目印をつける必要はない。既についている目印を覚えていれば、不利はない。互いにカードが読めるわけだから対等、いや、ルオの側が『二人ともカードが読める』という情報を持っているだけ、有利かな。ただ、その情報とゲームの腕があっても、確実に勝てるとは言い難い。そうだろう? ああっと、そうすると、どうするか。俺がルオならどうするか、考えてみた」
「ええ、聞きましょう」
面白そうにルオは目を輝かせる。
「すぐに思いつくのはカードの偽造だ。つまり、別のカードを紛れ込ませておく。相手がこの目印ならこのカードだ、と思っていたら違っていて大失敗、というやつだな。ただ、これは一度か二度しか使えない。目印と違うカードが出てくることがあれば、相手は怪しむ。どんな方法かは分からないが自分の仕込みカードに更に細工されている、とな」
話を聞いているうちに、リゼの脳裏にもはっきりとこの話の行く先が見えてくる。説明されれば、そうとしか考えられない。
「となると、使えるカード、仕込めるカードの枚数と種類は限られてくる。リゼ、どのカードだと思う?」
問いかけてくるヒーチに、喉を一度鳴らしてからリゼはおずおずと自分の意見を言おうと口を開く。
「僕だったら、『1』です。『1』のカードを偽造します。目印からすると『20』、つまり最強のカードなのに、実際に裏を返すと『1』。これは、相手が引くにしてもこちらが引くにしても効果は絶大です。相手がそのカードを引くことになるなら、そのカードを『20』だと思い込んで大量に賭けてきたところを、その勝負を受けて打ち負かせばいい。もしこちらが引くことになるなら、オールインして相手に『20』だと思わせておいてフォールドさせる。そうすれば」
「ああ、『ダウト』だ。バンクをそっくりそのまま入れ替えることができる」
一瞬だけバルコニーがしん、とする。
だが、すぐに口を開くのはツゾだ。
「あの、まだよくわからないんだけどよ」
「お前がよくわかることなんてないだろ。まあいい。何だ?」
「それをやったとしても、一度きりだ。それ、絶対に勝つって話になるのかあ?」
「何度も言うように、このイカサマ一点だけで勝つわけじゃあない。ルオが連戦連勝したのには、三つの要素がある。一つは、無数のイカサマに精通していること。二つは、さっきも言ったがいまやルオが勝負を『受けてやる側』にいることだ。ルオからの条件は、ある程度ならば挑戦者が呑んでくれる。もちろん、あからさまにルオ有利な条件を呑むはずはない。だが、ルオが仕掛けるイカサマに絶好の環境をそれと知られずに整えることは可能だ。そして三つ目が卓越したゲーム自体の腕。これは『バンク』の腕、というのとは違う。『バンク』はそもそも運の要素が強いゲームだからな。まったく別種のゲームだ。どれだけ心理的に優位に立ち、イカサマをして、一方こちらは平常心のままでいられるか。相手を観察し、イカサマのカードを使った『ダウト』で相手がショックを受けて混乱しているところで別の種類のイカサマを仕掛ける。あるいは、更に相手を追い込む条件を提案する。そういう腕前の話だ。この三つがあって、初めてルオは連戦連勝していたわけだな。三つ目の腕には、相手を観察して戦法を使い分ける力も含まれる。簡単に言うと、ツゾ、お前は結構舐められてたんだ」
「ああん?」
ぎろり、とツゾがルオを睨む。
ルオはくすくすと笑ってひげを撫でる。
「まあ、正直なところ振る舞い等から見ても大した相手だとは考えていませんでした。ですからあらゆるイカサマを思う存分試したのですが」
「挑発もそうだが、そのイカサマをやったのもまずかったな、ルオ。いや、イカサマ自体じゃあなく、その後処理の話だ。ツゾの話だと、ゲーム中に負けて感情的になってカードを『ぐしゃぐしゃ』に握りつぶしたって? そんなことをせずともツゾが勝手にカードを傷だらけにしていたのにな、証拠隠滅がわざとらしすぎる。カードに仕込みがあったと気付いた理由の一つには、それがあるぞ」
「どうも、証拠をそのまま残しておくのが嫌いな性質でして」
「おまけに俺の前でもそれをやっただろう」
「ええ、くぎを刺されてぎくりとしましたよ」
その会話を聞いて、リゼははっと息を呑む。
今更、ゲーム中にヒーチとルオがしていた会話の意味が分かったのだ。
カードの扱い方が雑だとヒーチが指摘していたあの何気ない一コマ。だが、あれは。
「ちょ、ちょっと待ってください。ヒーチさん、確か、カードに傷をつけるな、みたいなことをゲーム中に言ってましたよね?」
「ああ、だから今、その話をしてるだろう?」
「そういうことじゃあなくて、じゃあ、あの時にそのことを注意したのって、俺は全部分かってるぞ、ってことをほのめかしたんですか?」
ぽかん、と一瞬だけ唖然とした後、苦笑してヒーチは手を振る。
「違う違う。あれは、傷をつけられたら困るんだよ。だって、元々の傷、つまり目印がぐちゃぐちゃになってしまうから……って、『振り』をしていたわけだな」
「え、振り?」
「そう、振り」
「つまり、全て読み切られていたわけですか」
混乱しているリゼをよそに、全てを理解したかのようなルオが諦観を顔に出して首をぐるりと回す。
「まさか。人間を読み切ることなんぞできない。俺はな、誘導したんだよ、ルオ。お前を、そう動いてくれるように導いたんだ。そしてお前も」
すっとヒーチはルオを指さして笑う。
「俺を誘導しようとしていた。そうだろ?」
「もちろんです」
「俺に似ているよお前は、ルオ。正直なところ、結構、興味がある。お前にはな」
「ちょっと待ってくださいよ」
話が全く別の方向へ行こうとしているのでリゼは慌てる。
当事者は納得しているのかもしれないが、こちらからするとまだ二人の勝負の半分もわかっていない。
一体、何があったのか。
「誘導って、一体、ヒーチさんは何をしたんですか?」
「何って、その第一歩はお前も知っているだろうに」
「え」
「これだ」
テーブルの端の、まだ中が入ったままのカードの箱を指し示す。
「まず、俺がやったのは無数のカードのセットを用意することだよ。これで、ルオはイカサマをし易くなった」
だろ? と笑いかけるヒーチに、ルオはまた肩をすくめる。
「安易にすぎましたね、我ながら。今から考えれば、無数に用意されたカードは、明らかにこのイカサマをするのに都合がよすぎました。無数のカード、それもどれもにわずかに傷がつけられている。それをどういう風に使うかは想像がつきました。だから、そのカードのうち数セットだけ、『1』と『20』のカードを入れ替えてしまえばいい。ゲームの流れにもよりますが、そうすれば相手がカードの入れ替えに気付くタイミングを遅らせることができる。素直に、私はそう思ってしまいましたよ」
「実際の話、こいつらのうち何割だ?」
とんとん、とヒーチはカードの入った箱を指で叩く。
「入れ替えているのですか? あなた方が準備したカードのうち、おおよそ半分のカードを入れ替えました」
「なるほど、半分ね。まあ、勝負の流れがどうなるか分からないわけだから、そのあたりが妥当か」
自分で言って自分で納得するヒーチを、リゼはぼんやりと眺めている。
「そしてゲームの流れも私に都合がよく動きました。しかし、あなたとの一応の交渉の末だから、都合よすぎるとは思えませんでした。迂闊でしたね」
はあ、とため息をつくルオ。
一方のリゼはようやく、あのゲームの前の交渉の、裏に隠れた意味が分かる。
どのカードのセットでゲームするのかを選ぶ権利、それをルオにやると、わざわざヒーチから提案していた。短期決戦のルオからの提案を、あっさりとヒーチは受け入れていた。
あれは、事前に入れ替えて置いたカードを使ったイカサマをしろと、ずっとヒーチはルオに叫び続けていたのと同義だ。それと同時にボディーガードの動きを封じる等で、ほかのイカサマをしにくくする。
なるほど、確かに誘導している。
「あれは? あれも、誘導ですか? ヒーチ殿」
「あれ?」
「挑発ですよ。双方の同意があればゲームのルール変更は可能かどうか聞いておいて、絶対に自分が勝つからルール変更をしたくなる、とか挑発してきたでしょう?」
「ああ、あれか、あれもそうだな。どうせ、そっちから提案するつもりだっただろ、途中のルール変更は。それをし易くしてやっただけだ」
「やれやれ」
「……どういう意味です?」
リゼは我慢できずに問いかける。
「ん? ああ。ホテルでカードを入れ替えた時点で、ルオの頭の中にあった大体のグランドデザインは多分こんな感じだ。カードを入れ替えていないセットを選んで、一回、もしくは二回ゲームをする。当然、カードを入れ替えていることに気付かないヒーチという馬鹿は、調子に乗っていく。で、そこでルオは追い詰められた振りをして、これまでの負けを取り戻すために掛け金を限界まで上げることを提案する。調子に乗ってるヒーチはそれを受けるわけだ。『馬鹿め、カードに印をつけていることに気付いてないな』なんて思ってな。俺は、そのデザインをなぞってやっただけだ。できる限り自然にな」
ひげを撫でる手を止めずにルオは嘆息する。
「うまく計画通りに動いている、そう思っていた自分が腹立たしいですよ。あなたがオールイン戦法を使ってきた時には驚きましたが、あれは私にイカサマのカードだと疑われないうちにバンクをできる限り奪うという意味では理に適っている。ですが、あれも……」
「偽装だ。イカサマカードの力を信じ切ってる男が、必死に頭を絞って疑われずに短期間で大勝ちしようとしている……みたいに見えただろ?」
ウインクするヒーチ。
「ただ、なかなかこっちも心臓が痛かったよ。そもそも俺は、お前が俺のイカサマに気付いていない、と思い込んでプレイしているように見えなきゃいけない。くく、分かりにくいがな。とにかく、イカサマがうまくいってご満悦な男を演じなきゃいけないわけだ。だがルオ、お前は馬鹿じゃあない。それどころか飛び切り有能だ」
「お褒めの言葉、ありがとうございます」
「本心だ。ともかく、俺が自分のイカサマを信じ切っていたら、それに疑念を抱く可能性もあった。百戦錬磨の敵を相手にカードに印なんてイカサマに絶対の自信を持っているなんて、妙じゃあないか、とな。本気で苦悩したよ。お前に疑われずに『どこまでいけるのか』見極める。俺はずっとそのことに全精力を注いでいたと言ってもいい。途中で駆け引きの真似事みたいなことをしてわざとらしさを消そうとしたが、どうだった? 実際の話、お前はどこまで疑っていたんだ?」
苦笑してルオはテーブルの上のカードを拾い上げる。
「確かに、少し疑ってはいました。あなたに勝たせ、最後の三ゲーム目の掛け金を高額にする。あなたからイカサマを信じ切ったままそう提案してくるようにこちらも誘導しました。ですが、あまりにも素直すぎるかとはほんの少し思っていました。三セット目が始まる直前まではね。ですがそこで、あなたはその私の疑いを潰すために……」
「ああ、そう。そういうことだよ。気づいたか?」
「今、あなたの説明を聞いていてようやく思い当たりました」
「なあ、何の話を……」
「ううっ」
困惑したツゾが何か言いかけたところで、リゼは無意識に唸っている。
二人が何の話をしているのか分かったからだ。
「どうした、リゼ? 腹でも痛いのか?」
「ち、違いますよ。レディになんてことを。そうじゃなくて、ヒーチさん、そうだ、じゃあ、三ゲーム目でヒーチさんがどのカードを使うか選択したのは……」
「ああ、あまりにもルオの計画通りに進みすぎてもまずい。カットとシャッフルの権利を譲る代わりに、カードをこちらで選ばせろと言ったのはそのためだ。ルオの計画からするとあり得ないくらいにまずい提案だな。だが、それくらいまずい提案をしなければ、あまりにも計画通りに進む不自然さに気付く。二ゲームまでプレイして、俺はそう見極めた。ルオは、そうしなければ疑って計画を変更すると」
「ちょっと待ってくださいよ。だとしたら、ええと、ルオ、さん?」
おそるおそるリゼはルオに顔を向ける。
「なんでしょう?」
微笑してルオは見返す。
「だとしたら、どうしてその条件を受け入れたんですか? だって、それでヒーチさんが入れ替えていないカードを選んでしまったら……」
「その時はその時ですよ。ヒーチ殿が何度も言っているように、他に使えるイカサマも用意していました。入れ替えたカードを使うよりも、露見する危険性は高いでしょうがね。それに、言ったでしょう、大体半分が入れ替えたカードです。分の悪い賭けではない。もし入れ替えたものではないカードをヒーチ殿が選んだとして、『やっぱり信用できない』とごねてから、『じゃあ、間をとってあなたが選んだカード、その横のカードを使いましょう』というように持っていくことも不可能ではない。そう考えると、そこまで難しい問題でもないんですよ」
簡単に言うルオに、もはやリゼは返す言葉がない。
「ただ、結局ヒーチ殿は入れ替えたカードを選びましたが。あれは、故意にですか?」
「いや、入れ替えたカードの入っている箱とそうじゃない箱、どうやって見分けるのか未だに分かっていない。どうやって見分けるんだ?」
「この箱の縁、これが少しめくれているものとめくれていないものですね」
「え、どれ?」
「これですこれ」
「ああー、これかあ。言われないと分からないなこれは」
「でしょう? 工夫しているんですよ」
ヒーチとルオは顔を寄せ合いカードの箱を指さしてきゃっきゃと騒いでいる。
「では、偶然ですか?」
「そう、偶然だ。ただ、どちらにしろ最終的に入れ替えたカードを使うようになると、そう誘導すると思っていた。そういう風に信用していたんだ、お前をな、ルオ」
「光栄ですね」
不思議と仲良くなっている二人を、リゼとツゾは呆然と傍観するしかない。