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「ここで、退くと? 受けないおつもりですか?」


 丁寧かつ温和な表情と声色だが、それでもルオは明らかな侮蔑を匂わせる。


「ああ」


「そんな、臆病な方だとは思っていませんでしたよ」


「臆病だとか勇気があるだとかという問題じゃあない。これで俺が全て奪って勝てばお前は六千枚の損失だ。皇帝紙幣六千枚。ガリイ家が傾く。俺には、ルオ・ガリイというのはそんな勝負を勝てる確証なしにする男だとは思えない。この三セット目を確実に勝つ、そんな方法を準備しているはずだ」


 それは、リゼも同感だ。

 こんな提案をしてくる以上、ルオには勝算が、いや勝算を越える勝利の確信がなければできないはずだ。


 だというのに、ルオは笑いながら首を振る。


「私が何と呼ばれているか知っているでしょう。『勝負師』です。欲しいものを勝ち取るのに、一か八かの勝負は厭いませんよ」


「何が欲しい?」


「今、欲しいものは、もちろん」


 笑顔のまま、細められているルオの目がぬらりと光を帯びる。


「あなたですよ、ヒーチ殿。この勝負を通じて、どんどんとあなたが欲しくなってきました」


「それは光栄だ」


 椅子から立ち上がり、ヒーチはリゼに体を向ける。


「俺たちもちょっと散歩といこう。この勝負を受けるかどうかは、なかなか重大な選択だ。少しくらい、待ってもらってもいいだろう?」


「ええ」


「ヒーチさん、けど」


 思わず止めようとするリゼにヒーチは笑いかける。


「いいさ、俺たちがいないからといって、その隙にイカサマを仕込んでおくような、そんなせこい真似はしない。そうだろ?」


 ちらりとヒーチがルオに目を向けると、


「もちろんです。ああ、あなたが屋敷を荒らすとは思いませんから、お目付け役はなしでいいですよ」


 微笑むルオに微笑み返し、ヒーチはリゼの肩をぽん、と叩くとそのままバルコニーから屋内に入っていく。

 リゼは背中にルオとボディーガードの視線を感じながら、早足でヒーチの背中を追う。


「ど、どうするんですか、ヒーチさん」


 傍らに寄り、小声でリゼが問うと、


「さあて、どうかな。受けるべきか避けるべきか」


 本気で悩んでいるようなそぶりを見せながら、ヒーチはどんどんと進んでいく。階段まで降りていこうとしているので、そのまま出ていくのではないかとリゼは心配になる。


 だが、ヒーチは入り口の真正面、階段の少し横にある調度品の一つである壺に目をやる。結構目立つ壺だ。入ってきた時には緊張のあまりに気付かなかったが、ヒーチはどうやらその壺を見に一階まで降りたようだ。

 

 薄板の上に置かれ、居間に飾られているそれはちょうどリゼの上半身くらいのサイズがあり、表面は白く光沢がありながらところどころにざらついた褐色の縞が入っている。


「見ろ、これ、結構な品なんじゃあないか? リゼなら、分かるだろ」


 他の調度品、絵や鎧、剣には目もくれず、その壺だけをじっくりと上から下から眺めてヒーチが問う。


「え、ええ。これは多分、精霊暦三百年代に造られたトライ地方のクルミ壺ですね」


 貴族の令嬢としての教養からリゼは答える。


「有名なのか?」


「ええ、愛好家も多い作品ですけど……あれ、これって」


 そこで、その特徴的な縞のパターンに、リゼは驚愕する。


「……こ、これ、サイネスのクルミ壺です」


「サイネス?」


「ええー……すごい。僕も昔、パーティーで王族の屋敷に招待された時に一度か二度見たくらいですけど、間違いないです。贋作でもない。大名人、サイネスの作った壺です。造られた当時ですら、それ一つで城が建つと言われて、奪い合いの末にほとんどが破損して今では現存しているのはわずかに十数個くらいと言われています。おまけにこのサイズとなると……」


「高いか?」


「もちろん。これで、皇帝紙幣で言うと五千枚は下りませんよ。大貴族でも家宝にするレベルです」


「はあん、やっぱり。じゃあ、これでいいか」


 ポケットからハンカチを取り出すと、ぽかんとしているリゼを尻目に、ヒーチはそのハンカチ越しに左手でその壺を掴み上げる。


「え、え、え。ちょっと、ちょっと」


 何をするつもりですか、と言いたいがあまりのことにうまく口が動かない。


「戻るぞ」


 とんとんと軽快な足取りでそのまま壺を片手に二階に上がると、そのままバルコニーまで戻っていく。

 リゼには小走りで後を追うしかできない。


 バルコニーで待っていたルオ、そしてボディーガードたちは大きな壺を片手に戻ってきたヒーチを口を開けて迎える。テーブルの上、ヒーチが座る側には既に新しい借用書とペンが準備されている。


「……どういうつもりですか?」


 壺を持ったままでヒーチが席に座ったところで、ようやくルオは声を出す。


「この壺か?」


 ゆっくりと慎重にその壺をヒーチは自分のすぐ横に置く。


「金額的にちょうどいいと思ってな」


「は?」


「三セット目は皇帝紙幣六千枚だ。多少、屋敷が血で汚れたって、俺たち三人を殺して有耶無耶にしたくなる額だろう」


「そんなことはしないと……」


「分かってる、分かってるよ」


 両手を前に出して言い募るルオを止めて、ヒーチは首を鳴らす。


「信用していないということじゃあない。ただ、額が額だ。俺が、疑心暗鬼になってしまうのも分かってくれ」


「それと、その壺が何の関係が?」


「簡単な話だ。もし、三セット目のゲーム中や終了してからこの場を去るまでの間に不穏な流れになったら」


 ハンカチで左手を覆ったままで、その右手の指で壺をとん、と軽く叩きヒーチは壺の硬質な音を響かせる。


「俺は暴れる。横のリゼも暴れる。今この場にいないが、戻ってきたらツゾも暴れる。そうなれば、ここに置いてある壺に少なくとも傷の一つはつくってことだ。分かるか?」


 ヒーチは笑いかける。ルオのような微笑みではない。久しぶりに見た気がする、獣のような、彼本来の笑み。


「悪くすれば壊れる。それじゃあ、割に合わないだろう? おおっと」


 ルオの背後のボディーガードの一人が前に一歩出たのを見て、ヒーチは声を大きくする。


「今、この場で俺からこの壺を取り上げようとしても暴れるぞ、俺は。余計なことはやめておけ」


「ヒーチ殿。しかし、それでは」


 ルオの微笑みは消えている。


「あなたが一方的に有利だ。その状態ならば、あなたが負けた時でもその壺を人質、いや物質にして支払いをゴネれる」


「確かにな。ただ、そっちだってツゾを人質にしているだろう?」


 平然とそう言うヒーチに、リゼは息をのむ。

 何を言っている?

 そう思うが、確かによく考えれば、さっき、ヒーチと一緒に屋敷の屋内を動いていた時に、いるはずのツゾとボディーガードの姿も気配もなかった。よく考えれば不自然だ。


「……邪推ですよ」


「そうか? じゃあ、ちょっとゲームを中断してツゾが戻ってくるまで待ってみるか? で、戻ってきたツゾが何か脅されたり監禁されかけられたりしていなかったか訊いてみよう。もしも、それでツゾがイエスと言った瞬間に俺はこの壺を破壊する。それでよければ」


 その言葉にルオは黙る。


「俺はな、ルオ、そのことを大目に見るつもりだ。実際の力は別として、城主という役職付きで元々は宰相みたいなこともしていた俺とお前では立場としては俺の方が上だ。その俺が一生を棒に振るような借金をする羽目になったら、なりふり構わず地位やコネや暴力、持てる限りの力を駆使してこの勝負自体をご破算にしかねない。保険を打つのは当然だ」


 冷静なヒーチの発言に、リゼはどうしようもなく疑念がよぎる。

 ひょっとして、そうやってツゾが人質になることを見越して、というより人質にするように誘導するため、ツゾを一人で見回りに行かせたのではないだろうか?


「だから、俺は許そう。その代わりに、俺もこの壺を保険にさせてもらう。どうだ、フェアな話だろう? そういう手を先に使ってきたのは、そっちなんだ。文句を言う筋合いじゃあない、だろう?」


「……あの薄汚い狼とその壺では、価値が全然違う。あなたは奴を見捨てて好き勝手にすることができるかもしれませんが、私はその壺を失えば財産の大部分を失うのと同義です」


「あの間抜け毛むくじゃら狼饅頭ボールに大した価値がないのは完全に同意だが、俺が奴を見捨てることはない。俺が一応ではあるが味方だった人間を見捨てるという話が出回ると困るんだ」


「大のために小を見捨てる。上に立つ者としては当然の話です。賞賛こそされ、悪い評価にはつながらないでしょう」


「いやあ、そういう話が出回ると単にな――」


 右手でさらさらと借用書に署名をすると、ペンをぽんとルオに放る。


「――息子の教育に悪い。さあ、じゃあやろう。バンクは五千枚。スタートは五百枚だな。書いたぞ、残りの二千五百を貸してくれ」


「本気でやるつもりですか?」


「もちろん。ああ、イカサマを発見したら、その時も壺を破壊する。そのつもりで。真剣勝負といこう」


 カードに仕込みをしている分際で、そんなことを平然と吐くヒーチに、リゼは空恐ろしさを感じる。


「……分かりました」


 大きく深呼吸をして、ルオは背筋を伸ばす。姿勢を正したルオからは、もう微笑みは一切消えている。


「おい」


 ボディーガードに合図をして、ルオはリゼからすれば目眩のするような札束を運ばせる。その一部がヒーチに渡され、残りがそのままルオのバンクとなる。


「枚数を確認するのに時間がかかりそうですが」


「いいさ。時間がないんだろう? ここで枚数を誤魔化すようなマネはしないと信用する。もし違ったら壺が破壊されるという状況下では、特にな」


「では、カードを選ばせてもらいます」


「ああ、ちょっと」


 いくつかの箱からこれまで通りにカードを選ぼうとするルオを、ヒーチは止める。


 怪訝な顔をするルオに、


「どのカードを使うか、俺に決めさせてくれないか?」


「何?」


「その代わり、シャッフルとカット、両方ともお前がやっていい。どうだ?」


「……それに、何の意味が?」


「イカサマはない。ないとは思うし信用しているが、さっきも言ったが疑心暗鬼なのは許してくれ。さっき俺たちが壺を取りに行っていた間に、何かイカサマをしているんじゃあないかと疑ってしまうんだよ、どうしてもな。だから、これまでとパターンを変えたい。お前が予想外なパターンにな」


 目を閉じて一瞬だけ思案した後、ルオは目を開きひげを撫でる。


「いいでしょう」


 確かに、ルオからすれば特に不利になる条件でも有利になる条件でもない。渋る話でもない。リゼは納得する。

 そして、ヒーチにとってもそれは同じなはずだ。全てのカードに仕込みをしている以上、この変更でヒーチは得も損もしない。だからこそ。

 これはおそらくは目くらまし。最後の最後、これまでもこのセットでもやはり、カードに仕込みはしてないと相手に印象付けるための。


「じゃあ、これで」


 右手で、カードの入った箱を掴みあげると、それをルオに渡す。


 ルオは箱を開封すると、中に入ったカードを念入りにシャッフルしていく。


 熟練の手つきでシャッフルするルオを見ながら、リゼはだんだんと不安になってくる。

 何重にも手を打った。これからルオがイカサマを仕掛けてくる可能性は少ないだろう。だが、もしも、それが既に済んでいたら?

 ヒーチが言ったように、彼とリゼが壺を見に行っていた時に例えば全てのカードの箱をすり替えてしまうとか。いや、それはないか。そんな時間はなかったし、そもそも頭を冷やすという名目で屋敷をうろついていたヒーチがいつバルコニーに戻ってくるか予想はつかない。そこで大掛かりなイカサマの仕込みは。いや、しかし。

 思考は何度もループする。


 シャッフルが終わり、ルオは慎重な手つきでカットをする。


「ルオ」


 テーブル中央にデッキが置かれるのを待ってから、ヒーチは声をかける。


「はい?」


「お前は強い。認めるよ。傑物だ。ただ、愚かだ」


「愚かですか、私が」


「ああ、俺に勝負を挑むからな。教えてやる、ルオ。俺は、大昔に勝ち続けると決めた。それ以来、勝負に負けたことがない」


「奇遇ですね、私もです」


 ヒーチはコインを取り出して天高く弾く。


「どっちだ?」


「私は表で」


「裏だ」


 コインは、表。


「では、先攻で」


 ゲームが始まる。最低金額の札束を場に出して、ルオはデッキの一番上のカードを取り上げる。

 この期に及んで、カードの数字を見たルオの表情にはやはり何の動きもない。怪物だ。リゼは息を吞む。


「あなたの番です」


 ルオの言葉。だが、ヒーチは動かない。ハンカチで覆われている左手をそのまま口元に持ってきて、ハンカチで口を覆うようにして考えている。


「……五千枚、オールインだ」


 やがて出た言葉は、リゼですら耳を疑うそれだ。うぐ、とうめき声が出てしまう。


 カードを引き抜いたヒーチは、そのカードをテーブルに伏せると左手はハンカチと一緒に口元に当てたままで、右手でバンクにある札束を全て場に移動させる。やはり、ヒーチの表情にも変化はない。


 胃がきゅうと縮まって、リゼは思わずその場に蹲りたくなってくる。一体、何がどうなって、この二人は何を考えているんだ!?

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