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14/202

監禁1

 水を顔にかけられて、マサヨシは覚醒する。

 空の金属製のバケツが目に入る。あの中身をかけられたのだと、気付いた後で、自分が椅子に縛り付けられていることに気付く。


 狭い部屋だ。薄暗い。レンガ造り。ボロ布が部屋の隅に積み上げられている。高い場所に一つだけあるランプ。


 反射的に周囲を見回したところで、また衝撃。こめかみが痛み、頬が熱を発する。

 殴られたのだ、とマサヨシは思って、ようやく自分の前に立つワーウルフの顔を見る。


「気がついたかよ、ペテン師」


 牙を剥いて、ワーウルフは今度はマサヨシの腹に拳を突き入れる。


「うぐっ」


 吐き気。激痛。それから、続く鈍痛。

 口が勝手に開いて、ぱくぱくと酸素を求める。


「おい、目を覚ましたぞ、こいつ」


 外に向かってワーウルフが怒鳴る。その方向に目立たない木製のドアがあることに今更マサヨシは気付く。


 しばらくして、二人のワーウルフ、そして見覚えのある中年の男が部屋に入ってくる。


「ランゴウ」


 マサヨシが名前を呟くと、ランゴウはふっと笑顔になる。


「やあ、ペテン師。お前、何者だ?」


「記憶がないんだ」


 そう言った途端、新しく入って来た二人のワーウルフのうちの一人が、持っていた棍棒で思い切りマサヨシの右肩を殴る。


「がっ」


 呼吸が、できない。


 無造作に、更にワーウルフは左足と、左のわき腹を殴打する。


 痛みと衝撃でマサヨシは呻く。


「くだらんことを言うな。嘘やくだらない話をすれば、罰を与える」


 ゆっくりと、ランゴウは近づいてきて、マサヨシに額が当たるくらいに顔を近づけてから、


「お前は、何者だ?」


「マサヨシだ。マサヨシ=ハイザキ」


「それで? 名前じゃあない。お前が何者かと聞いているんだ」


 普段の人のいい顔からは想像もつかない、ひんやりとした目でランゴウは真っ直ぐマサヨシの目を見る。


「今は、酒場を経営してる」


「やれ」


 ランゴウがどくと、今度は一人のワーウルフが蹴りを胸の辺りに打ち込む。マサヨシは肋骨の軋む音を聞く。全身が熱い。それとは裏腹に背骨を伝わる悪寒で、勝手に全身が震える。


「待って、待ってくれ。俺は、正直に答えている。何を、答えろっていうんだ」


 ようやく、それだけ言葉を搾り出す。


 交渉術の基本。

 恐怖と混乱でぐちゃぐちゃになった頭の中で、マサヨシは拠り所としてずっと言葉を捜し続ける。

 交渉術の基本だ。明確で圧倒的な有利不利がある状況では、有利な相手の命令を全部聞いてもおかしくない。だが、それでは最悪の結果にしかならない。圧倒的に有利な相手からの命令は逆らえない。けれど、逆らわないことは従うことと同じ意味じゃあない。

 従順に従うように見せながら、交渉をしていくことが必要になる。そうして、突破口を見つけて、有利不利の関係を破壊する。

 見つけられなかったら?

 この場合、死ぬだけだ。


「お前のことなど、グスタフは知らないと言った」


「ああ、だろうね。俺だって知らないし」


 衝撃。

 余りにも強く顔を殴られたから、その衝撃で椅子ごと倒れて、全身を強く打つ。


「うっ」


「起こせ」


 両腕をワーウルフに掴まれ、椅子ごと元に戻される。


「つまり、適当にグスタフの名前を出しただけか?」


「ああ」


 口の中が切れている。

 舌でぬるぬるとした血の味を確かめつつ、マサヨシは答える。


「どうして、グスタフの名前を知っている?」


 知らない。あんたの手下が言っただけだ。

 そう言おうかと一瞬だけマサヨシは迷うが、ここで『楔』を打ち込むべきだと判断する。


「さあ……どこかで、小耳に挟んだのかもしれない」


 棍棒の一撃。


「ふざけるな」


「本当だよ、勘弁してくれ。何かで知っただけだよ。殺されそうだったから、適当に知っている悪党の名前を言っただけだ」


 弱々しくマサヨシが言うと、追撃は来ない。

 これでいい。息をつきながら、マサヨシは安堵する。

 楔は打ち込んだ。グスタフを知っている理由を曖昧にしたことで、奴らは疑念を抱く。本当は、ただの一般人ではなくグスタフのことを知っているような立場の人間なのではないかと。


「城主とは何を話した?」


「本当に、あんたらのことなんて、喋ってない。喋ってないんだ」


 背中から棍棒で殴られる。背骨が軋む。


「何を話した?」


「酒場だ。酒場の、経営。俺、は」


 咳き込む。その拍子に、マサヨシの口から血がこぼれる。


「俺は、何も知らないんだ。本当だよ、助けてくれ」


 哀れっぽくマサヨシが言う。

 言いながら、自分の言葉を信用してくれないように祈る。これを信じられたら、自分を生かしておく意味がなくなる。


「私のことを脅して、無事で済むと思っていたのか?」


 再び、ランゴウが顔を近づけてくる。


「違う、脅すつもりなんてなかったんだ。本当だよ。あんたのところにはハイジに連れていかれたんだ。本当だよ」


 これは真実だ。だが、彼らの目の色からそれを信じていないのをマサヨシは見抜く。

 それでいい。


「いいか」


 ワーウルフの一人が、俺の顔に棍棒を突きつけて怒鳴る。


「正直に全部白状しないと、ここで殺すぞ!」


「分かってる、全部、正直に話している!」


 叫び返しながらも、マサヨシは泣き叫んだりはしない。


 ランゴウの目に疑念が育ちつつあるのを見ながら、マサヨシは内心喝采する。

 いいぞ。この状況で取り乱し、泣き叫ばない自分に、疑問を抱いている。ただの一般人じゃあないんじゃないか。そう思い始めている。


 だが、まだだ。

 マサヨシは今にも話を進めたい自分を必死で抑える。

 一度、自分は彼らを騙した。そうなれば、真実であろうが嘘であろうが、自分の言葉は今度は容易に信じてもらえない。

 もう少し、もう少しだけ。


「何も知らないんだ。本当だよ」


「素直になるようにしてやれ」


 ランゴウの合図で、ワーウルフが三人がかりで殴りつけてくる。顔、腕、腹、背中、足。


 一人が、マサヨシの小指を掴む。


「おい、素直にならないなら、一本ずつ折ってやるぞ」


「そんな、勘弁してくれ、勘弁して、俺は、本当に何も」


 小枝を折るような音と、激痛。

 無意識のうちに、マサヨシは叫んでいる。


 叫んで体を暴れさせるマサヨシを、少しはなれてランゴウはタバコを吸って観察している。


「次は薬指」


 ここだ。

 恐怖と痛みで朦朧とした頭の中で、マサヨシは思う。

 ここで、耐え切れずに言ってしまったことにする。


「分かった、やめてくれ、やめてくれっ!」


 マサヨシの叫びにワーウルフはストップして、ランゴウがタバコを捨てて近づいてくる。


「素直になったか?」


「分かった、分かった。勘弁してくれ」


「何者だ」


「俺は」


 息を吸う。

 ここからが、正念場だ。

 朦朧とする頭を、マサヨシは何とか回転させる。


「パインの部下だ」


 瞬時に、ランゴウの顔が強張る。さっきまで圧倒的な優位にあった強者の仮面が剥がれ落ちる。

 信じたな。

 マサヨシは確信する。


「おい、てめぇ、また嘘を」


「マジかよ」


「ハッタリだ」


 ワーウルフの三人が騒ぐが、


「黙れ」


 すぐに表情を消して落ち着きを取り戻したランゴウが制して、マサヨシの頭を両手で掴み、ゆっくりと顔を近づける。

 その表情は元の尋問者のものに戻っているが、マサヨシはそれが仮面であると分かっている。

 交渉術の基本。

 交渉の場では、誰もが役者になり、仮面を被る。だからこそ、不意の一瞬に見せた表情こそが、その人間の本当の感情を表している。


「パインの部下だと?」


「ああ。俺は、移民だ」


「お前のような髪と瞳の色は見たことがない」


「別の大陸の出だ」


 ここからは、疑われてはならない。スムーズに言葉をつむぐ必要がある。

 喋りながら、マサヨシは頭の中でストーリーを作っていく。


「何? どこの大陸だ」


「フォレス大陸だ」


 何とか搾り出したのは、ミサリナとハイロウに行くまでの道すがらに話してくれた、彼女の一族の故郷の大陸だ。

 エルフが支配する大陸。


「お前、エルフでもダークエルフでもないだろう」


「少数民族だ。日本人と言う」


 嘘に真実を混ぜる。


「ニホンジン?」


「フォレス大陸に住んでるエルフですら知っている奴が少ない民族だ。ああ、ともかく、エルフに迫害されてエリピアまで逃げてきた」


「それで、パインと知り合ったと?」


「ああ、どこに行っても目の色と髪の色で迫害されていた時に、トリョラの話を聞いて、そこに行きたいってことでパインを紹介してもらったんだ。あいつは、移民ビジネスもやっている。ノライのトリョラに入り込みたい移民を、不法にトリョラに運ぶ商売もしてるんだ。秘密裏に」


 丸きり嘘だ。

 だが、ランゴウはこちらの話に引き込まれつつある。

 マサヨシは自分でも不思議なくらいに冷静に観察する。


「それで、トリョラに入れてもらう代わりに、仕事を頼まれたんだ。命がけの仕事だ」


「それは?」


「これだよ」


 マサヨシは、血を吐いてから続ける。


「この状況の原因だ。俺の仕事は、最近トリョラの周囲をうろついている盗賊団、そいつらを特定することだった。黒幕も含めて」


「パインは、知っているのか?」


 今や、ランゴウの無表情は崩れつつある。額に汗が光っている。


「知っているよ。俺が、酒場の経営でパイングッズと付き合いがあるのは知ってるんじゃないのか?」


 ランゴウがワーウルフに目を向けると、一人が頷く。


「そいつの店はあそこと付き合いがある」


「そこで情報を伝えていたんだ。もう、パインはあんたが黒幕だと知ってる。パインは、この町を害するものを許さない。あんたらを潰すつもりだ」


「おのれ」


 激昂したランゴウがワーウルフの腰から短剣を抜く。


「待て、待ってくれ。俺を殺したら、全部おしまいだぞ」


 ランゴウが動きを止める。


「何だと?」


「聞いてくれ。あんたらにとってもいい話がある。俺を生かしてくれれば、パインに潰されるのを回避できるんだ」


 ランゴウとワーウルフ達は顔を見合わせて、それからもう一度マサヨシを向く。

 有利不利が入れ替わりつつあるのを、マサヨシは感じる。


「なあ、頼むよ」


「おい、適当言ってんじゃねえぞ」


 ワーウルフの蹴り。

 肩に当たり、マサヨシは呻く。


「どうするってんだ、ああ?」


「聞いてくれ。俺は、元々、あんたら盗賊団のことを命がけで探れって言われてたんだ。それをしたらトリョラに入れてやるし、家と仕事も用意してやるって。それで、あんたらに近づいた。覚えてるだろ、本当に死ぬところだったんだ。あんたらに殺されるところだった。人の弱みにつけこんで、最低の奴だ」


「無駄な話をするんじゃねえ」


 棍棒。

 胸を打たれて、喋れずにマサヨシは視線を宙に彷徨わせ、口を無意味に開け閉めする。

 大丈夫だ。無駄な話に聞こえるかもしれないが、これは必要なことだ。意味はある。

 マサヨシはそれだけ思う。

 交渉術の基本。人は、物語を信じる。だから、物語を作らなければいけない。物語に必要なのは、起承転結、そして伏線。

 今、伏線を張った。


「ランゴウって男が盗賊団の背後にいるみたいだと、俺はパインに報告した。それで、俺の仕事は終わりのはずだった。けど、それじゃあ終わらなかった。ランゴウが本当にあんた、金貸しのランゴウなのか、ひょっとしたら盗賊団がこっちの企みに気付いて嘘をついているのか、疑えばきりがない。だから、パインの命令で、俺はハイジ、あの城主に近づいて、二人であんたのところに行くことになったんだ。あんたの反応を見るためだ。実際、あんたはありえない額を融資してくれた」


 話がそこまで進んで、ランゴウは呻く。

 自分の軽率な行いを悔やんでいるのか。

 マサヨシにとってはいい兆候だ。自分の話を信じているという証拠だ。


「けど、まだ、疑ってる。二の足を踏んでるんだ、パインは。あんたは、強い。この町で力を持っている。確実な証拠を見つけて、城に知らせて、表と裏から潰すんじゃなきゃ、あんたは手ごわい。だから、証拠を見つけるまで動かないつもりだったんだ、けど」


 そこで、腫れてきた顔を無理矢理動かして、マサヨシは笑顔を作る。


「俺に手を出すなんて、迂闊なマネしたな。多分、一番パインが望んでた動きをあんたらはしてる。もう、俺の捜索願いでも出してるぜ、パインは。俺とハイジは付き合いがある。城も動く。ああ、これで俺の死体が見つかって、少しでもあんたに繋がれば、あんたはおしまいだ」


 自信はないが、マサヨシは断言する。


「けど、チャンスはある。あんたにチャンスはあるんだ」


「だから、それを早く言え!」


 ワーウルフの一人がマサヨシの胸元を掴んで怒鳴る。

 その怒鳴り声が恐怖や緊張の裏返しであることを、マサヨシは冷静に感じ取っている。


「落ち着いてくれ。いいか、落ち着いてくれ。簡単な話だ。まず、ワーウルフのあんた達は逃げればいい。この町から逃げればいいんだ。それで、トリョラの近くで強盗なんてしなきゃ、パインはそれを無理矢理に追ったりはしない。いいか、あんた達は安全なんだ。落ち着いてくれ。冷静に考えてみろ。あんた達の素性やアジトが見つかったわけでもないんだ。何も問題ない」


 胸元を掴んでいたワーウルフの指の力が緩む。


「問題は、あんただ。ランゴウ。この町で商売をしてる。全部を捨てて逃げ出すなんてしたくない。だろう? いいか、俺と口裏を合わせるんだ。俺とあんたで口裏を合わせたら、城の連中は疑いはしない。解放してくれ。俺はあんたのことなんて城の連中に言わないし、あんたも黙ってればいい。いいか、城が動かなきゃ、パインも動かない。あんたは安全だ。しばらくは」


「馬鹿にしているのか? そんなことを信じて、解放する奴がどこにいる。お前が助かりたいから言っているだけだ。お前が、私と口裏を合わせるわけがない。理由がない」


 ランゴウの考えはもっともだ。


「違う、これは俺にも利益のある話だ。いいか、パインは動かない。けど、いつ動くか分からない。あんたは、パインに怯えなきゃいけない。だから、あんたは、先制攻撃をする。パインを殺す。逃げるんじゃあなくて、殺さなきゃいけない。そうだろ?」


「何が、言いたい?」


「今の有様を見てくれ!」


 マサヨシは叫ぶ。


「ぼろぼろだ。こんな風になるのが分かって、いや、こんな風に俺がなればいいと、それで城が動いてあんたを潰せばいいと思って、パインは俺を脅してあんたに近づけた。無茶苦茶だ。この仕事が終わったって、俺はまた無茶な仕事をやらされる。いつか死ぬまでだ。あいつは悪魔だ。俺は、俺は死にたくない」


 睨むようにして、マサヨシの血走った目がランゴウを射抜く。

 これで、さっきの伏線が効果を発する。


「俺はあんたのことを黙る。パインにもうまいことを言う。それで、あんたがあいつを殺す。そうしてくれれば、何も問題ないんだ。あんたの仕事だって手伝わせてくれ。裏の仕事だ。パインの下にいたら、命がいくつあっても足りないんだ。奴隷だ。それなら、あんたと組みたい。分かるか? どうだ、俺の利用価値は。俺はパインの裏の仕事の情報をある程度持っているし、城にだってある程度顔が利く。それから、酒場だって持ってる。あんた達の役に立つだろ。仲間にしてれ。パインを殺すんだ。一緒にこの町を牛耳ろうぜ」


 マサヨシの提案に、男達は顔を見合わせる。

 ここで、引くか。

 タイミングを考えて、ゆっくりとマサヨシは視線を床に向けてから、全身の力を抜いて、目を閉じる。


「あ、おい」


「こいつ、気絶しやがった」


「どうする?」


「このまま死なれても困る。最終的に殺すとしても、だ。手当てが必要だな。ツゾ」


「俺かよ、分かったよ、取ってくる。足りなかったらどうする?」


「買うしかない。金は私が出す。とにかく包帯と薬をありったけ持って来い」


 男達の会話が聞こえる。


 これでいい。

 いずれ、パインがランゴウと話を付けてくれるはずだ。それを待てばいい。つまり、時間を稼ぐことが最優先だ。とりあえず、これである程度の時間は稼げた。

 気絶した振りをしていたマサヨシは、本当に自分の意識が遠くなっていくことに気付く。

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