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 しばらくの沈黙の後、ヒーチはほう、と息を吐いて、


「あれで降りるなんて妙な話だ。ただの丸損じゃあないか。まさか、カードが何か分かるんじゃないだろうな?」


「まさか。あなたがあまりにも予想外の手を打ってくるので、慎重に慎重を期しただけですよ」


 ルオは動揺を見せない。


「そういうことにしておくか」


 そう言って、ヒーチは自分の持っていたカードを裏のままで墓場に捨てる。


「そっちが親だ」


「ええ」


 そして、残る二百五十枚の紙幣からルオは一部を掴み上げる。


「五十枚です」


「最低掛け金か。渋い男だ」


「何とでも」


 薄く笑いルオはカードを引く。カードを確認したルオの表情には、全く動きはない。


 リゼから見れば、ルオとヒーチは、表情を隠す技術においてはまるで互角だ。


「俺は攻めさせてもらう。レイズだ。百枚」


 ルオがテーブル中央に置いた紙幣の横に、その二倍の量の紙幣をヒーチはゆっくりと置く。そして、カードを引く。ルオと同じく、全く表情に変化はない。


「なるほど」


 一瞬だけ考えた後、ルオは不意に視線をリゼに向ける。

 リゼの心臓が縮みあがる。


「お嬢さん」


「うっ、えっ、な、なんですか、一体? 僕が何か?」


「ヒーチ殿という男は、どういう男か教えてもらってもいいかな? こういう時に、平然とブラフをしてくる男かな?」


「なっ、ななな……」


「おい、第三者を揺さぶるんじゃあない」


 ヒーチが口を挟むが、それほど本気の口調とは思えない。


「これは失礼。しかし、あなたが読めないもので……。ついつい乱暴な手を使ってしまいましたよ」


「乱暴と言えばルオ。シャッフルの手つきも乱暴だな」


 ぴん、とヒーチは指でテーブルに伏せてあるカードを弾いてみせる。


「細かい傷がいくつかついている」


「……これは失礼。しかし、使い捨てなのですから構わないでしょう?」


 薄く笑いルオはひげを撫でる。


「物を大事にしない奴からは金も物も逃げていくぞ」


「覚えておきましょう。レイズです」


 喋りながら、ルオはバンクの残りを全てテーブル中央に置く。


「オールイン、か。最初に最低金額からスタートした男にしちゃ、思い切ったものだ。何か、心境の変化でもあったか?」


「読み切っただけですよ」


 ルオとヒーチの視線が絡む。


「俺を読み切った? 本気か?」


「そのつもりです」


「それなら……受けるとするか。コールだ」


 紙幣を置くと、ヒーチは伏せてあるカードの端に指をかける。


「見せろよ、お前のカードを」


「ええ」


 ルオは自らのカードを返す。その数字は十四。悪くはない数字だ。リゼは思わず唾を飲み込む。


「悪いな」


 ヒーチもカードを返す。その数字は、十七。


 ほう、と息が漏れる。それが、張り詰めていたものが切れたリゼの口からのものか、それとも横のツゾのものなのか、リゼにも分からない。


「このセットは、俺の勝ちだ」


 得意げな様子は微塵もなく、淡々と事実を報告するかのように言うヒーチに、


「やれやれ。まさか、二ゲームでこちらのバンクが空になるとは」


 まだまだ余裕のある口調でルオは応じる。


「百戦百勝の『勝負師』とも思えないな」


「買いかぶりですよ。それに、ヒーチ殿が言ったように『バンク』は運の比重が高い。二ゲームを負けるか勝つかなど、ほとんどただのコイントスと同じようなものです」


「それは否定しないが……おい、どうした?」


 そこで、ヒーチは顔をしかめる。舌打ち寸前の顔だ。


「あ、ああ」


「様子がおかしいぞ。お前がそんな態度だと、イカサマを疑われる」


 ヒーチが顔を向けているのはツゾだ。


 丸っこいツゾは、見ればきょどきょどと落ち着きなく周囲を見回したり、体をゆすったりしている。確かにおかしい。


「い、いや、緊張でよお」


「そんなタマだったか、お前? 毛玉男、正直に言え」


「じ、実はその」


 毛皮があっても分かるくらいに顔色を悪くしながら、ツゾは決まり悪そうに周囲を見回し、


「と、トイレに行かせてくれねえか」


 しばしの沈黙と共に、場に弛緩した空気が流れる。


「……ああ、もちろん。おい、案内してやれ」


「はい」


 ルオの合図でボディーガードの一人が


「こちらです」


 とツゾに声をかけ、二人は連れだってバルコニーを出ていく。


 見れば、珍しくげんなりとした顔をしたヒーチが片手で頭を抱えている。


「悪いな、緊張感を割いて」


「いえいえ」


「恥ずかしい。初対面の時はもうちょっとしゅっとしていて、ハングリーな感じもあった狼だったんだが、今や毛はふかふかで体も丸っこい、限りなく球に近い愛玩動物になりつつある」


 どうやら本当にヒーチは恥ずかしがっているようだ。


「さあて、気を取り直して、使ったカードはどうする?」


「そうですね、混じってもまずいですし、こちらで処分しましょう。おい」


 ルオはゲームで使ったカードを手早くまとめると、ボディーガードの一人に預ける。


「次のゲームですが、そうですね……」


 ルオは注意深く無数のカードの箱を返す返す調べていくが、やがてその動きを止める。


「とはいえ、全て新品ならどれを選んでも同じか」


 苦笑して、ルオは無造作に一つの箱を取り上げる。


「これでやりましょう」


「いいとも」


 ツゾ、そしてボディーガード一人が欠けたままで、二セット目が始まる。


 さっきと同じくカードをシャッフルしていくルオと、それを黙ってみているヒーチ。


 場の緊張感自体は一セット目と大して違わないように思うが、リゼは明らかに楽になっている。一セット目は、はっきりいってどうなっているのか、どちらが有利なのか一切が分からなかった。だが、今は違う。明らかにヒーチが有利。ヒーチの仕込みカードは明らかに有効に働いている。さっきのあり得ないルオのフォールドは、ヒーチを警戒してのものだろうが、それでも仕込みカードには気が付いていないのだ。

 その理由は、ヒーチがそう誘導しているためだ。ただ新品に見えるカードを用意しているだけではなく、それを無数に持ってきて、その場でルオに選ばせる。更に会話の中でも、無意識のうちにルオがカードに仕込みがある可能性を除去してしまうように誘導している。

 勝てる。

 リゼは確信する。


「カットを」


「ああ」


 ヒーチはカードをカットする。二セット目が始まる。


「今度はそっちから親だ」


「ええ」


 言うが早いか、ルオはバンクに置いてある五百枚の紙幣全てをテーブルの上に置く。


「オールイン、です」


 リゼは頭が真っ白になる。そして、それはリゼだけではない。相手側のボディーガード達ですら、驚愕して全身を硬直させている。


 そして、ふとヒーチに目をやれば、ヒーチは、明らかに苦悶している。

 顔を歪め、頭をかきむしりたくなるのを必死で抑えているかのように、右手の指がびくりびくりと痙攣するように時折動いている。


 リゼは、直感的に確信する。

 これは、演技ではない。ずっと、ヒーチといたから分かる。彼は、本当に今、苦しんでいる。





 どこまでいける?

 ヒーチの頭の中を支配しているのはそれだけだ。いくつかの予想外の出来事はあった。それはもちろんだ。予想外が起こるのは予想内だ。その予想外に臨機応変に対応することこそが肝要だ。

 だが、これは、どこまでいける?

 見極めが難しい。目の前のルオを見る。全額を賭けたにも関わらず涼しい顔をしているルオを。

 この男が、読み切れない。いや、人間を読み切ることなどできない。結局、息子のことすら分かっていない。だからこそ、分かり合いたいと思う。

 ルオを読むことはやめて、誘導するつもりだった。実際に、そのために行動してきた。それはある程度うまく行っているとは思うが。

 問題は、どこまでいけるかだ。

 やりすぎれば、ルオが自らが誘導されていることに気付いてしまう可能性がある。いや、既に気付いているのか。それでも特に問題はない。問題は。

 さて、どこまでいける? ここからは、胆力の問題だ。自分の判断に全てを賭けながらも、開き直るのではなく悩み続ける。アクセルを踏みつけながら、冷静に注意深く周囲を観察して自分が間違えている前提で思考を続ける。それしかない。

 久しぶりだ。苦悩と共にどうしようもない歓びが溢れてくるのをヒーチは止められない。これだ。これが勝負だ。こんな勝負に勝ち、勝って勝って勝ち続けてきた。負けてもいいからさっさと終わらせたいと思いたくなるように苦しみ抜いた勝負の末の勝利の味。それを知ってしまってから、ヒーチはそれを味わうことに生涯を費やしてきたと言っていい。ただの中毒だ。誇れるものでもなんでもない。

 正義。いい父親じゃあなくてすまないな。悪いとはずっと思っていたんだ。だがそれでも、やめられない。勝ち続けることは。

 苦しみながらも、ヒーチの口が吊り上がり、目は爛々と輝きを増す。

 勝負に勝つ。それだけだ。あの瓦礫の町、父親から生き延びた時から、全てはそのためにある。

 勝ってやる。





 脂汗、そして睨み殺すかのような眼光。獣のような笑み。

 演技ではない苦悩と、それに比例して大きくなっていく闘争心。

 目の前のヒーチを見るルオは、自分の中に迷いが生じるのを感じる。

 ここまでのほとんどは想定内で、全てはルオの掌にある。いくつか、相手の予想外の行動もあったが、そのどれも計画の支障となるものではない。それどころか、ルオの計画の補強にすらなってくれた。

 だというのに、一抹の不安がある。目の前のこの男は、並ではない。『バンク』という遊戯の上ではあるが、幾多の修羅場をくぐってきたルオには分かる。

 だからこそ、欲しい。この男に多額の借金を背負わせ、手元に置きたい。より上に行くために。

 どこまでいけるか?

 そんな風にヒーチが悩んで苦悩しているのだとしたら、それはまさしくルオの計画通りだ。それでいい。そのことで悩んでいるのであれば、ヒーチはルオの敷いたレールを進んでいるのだ。

 そして、その苦悩に答えを出してやるのだとすれば、こうだ。どこまででも、いける。どこまででも付き合ってやる。どこで疑い出すか、どこで逃げに出るかを読もうと必死になるのも当然だ。そうでなくてはいけない。だが、ヒーチがどんな答えを出そうとも、ルオの行動は決まっている。どこまでも付き合う。それで、いいのだ。

 だから、ヒーチ。ルオは心の中で呼びかける。いくらでも悩め。悩んだ末に答えを出せ。どんな答えを出そうとも、お前の都合のいいようにゲームは進む。自分がそう進ませてやる。

 その果てに、ヒーチ。

 目の前のヒーチと同じような獣じみた笑みが浮かびそうになるのを、ルオは鉄の自制心で抑え込む。

 その果てに、ヒーチ、お前を食ってやる。

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