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暗黒大陸でしか採れないという粉のように細かい白い砂。それを固めて焼くことでできる真っ白いレンガはエリピア大陸では高級品だ。そのレンガだけで作られた小道、花壇、そして噴水。
「絶景だな」
その真っ白いレンガと無数の花で構成された広い庭は、確かに大金を払っても散歩するだけの価値はあるように思える。豪華で美しいものが大好きな貴族連中ならばなおさらだろう。
高級ホテルである『アレマス・ソチェア』の庭を、ヒーチはリゼと並んで散策する。
「日の光を浴びている庭もいいが、あちらこちらに照明がある。夜の庭も趣があっていいんだろうな」
「いや、そんなことはいいですけど、ヒーチさん」
周囲には他の宿泊客である、着飾った貴族が無数にいる。
彼らに聞こえないように、リゼは小声で訴えてくる。
いつもの恰好とは違い、この宿でも浮かないようにリゼは一張羅である金の刺繍入りの白いドレスを身にまとっている。普段ならば絶対に身に着けないカチューシャまでつけている。
「どうするんですか、もう三日目ですよ」
そうリゼが不安になるのも当然と言えば当然だ。
ヒーチがアレマスに来てまずしたことは、『アレマス・ソチェア』への宿泊。それも、ヒーチ、リゼ、としてツゾの三人それぞれ一室ずつだ。宿泊期間は、とりあえず一週間、と伝えていた。
城主というヒーチの立場から信用され、特に疑われることもなく今のところ宿泊できているが、実際にはヒーチは三人が一週間どころか一人一泊する金すら持ち合わせていない。それなのに、城主ということから料金が後払いでもいいとなったのをいいことに、毎晩宿のレストランで豪勢な食事をして、酒を飲み、そして眠り散歩をする。それの繰り返しだ。
「とりあえず一週間以内に、ルオと話をつけろって言ってるんだ。それを待つだけだよ」
「いやいやいや」
リゼは大きくかぶりを振る。
「あいつ、今朝も明らかに二日酔いでしたよ。夜も遊び歩いているだけだし。この生活を引き延ばすために、ぎりぎりまでルオとコンタクトを取るつもり、明らかにないでしょ」
「はっはっは、毛がふかふかになっているのと、酒で体がむくんでいるのと、豪勢な食事をたらふく食い続けているので、あいつもう球になっていたな、球」
笑いながら庭を散歩するヒーチに、不安の影はない。
「心配するな、仕込みは済んでるんだ、だろう?」
その言葉にリゼは、ベルンを出発する直前、大量のカードを買ってそれに傷をつけていたことを思い出す。
もちろん、ほんのかすかなものだ。光の角度によって、うっすらと浮かび上がるか上がらないか程度の傷。それを蒸気を利用して慎重に封を剥がして箱から出したカードにつけて、また元のように戻す。同じように蒸気を利用し封を貼りなおす。この一連の作業を何度も繰り返して、どう見ても封を切っていない新品だが、実際には目印のついているカードのセットがいくつもできあがった。
「確かに、あのカードはよくできていると思いますけど」
リゼが驚いたのは、その傷、自然に見せるため、そしてかすかなものにするために薄く小さいその傷がどのカードに対応しているのかという、そのパターンをヒーチが一晩の間に完璧に覚えてしまっていることだ。驚異的な記憶力と言う他ない。
「でも、どうしてあんなに大量のカードが必要なんですか?」
「見てのお楽しみだ、リゼ。とにかく今はこの宿を楽しんで……」
ヒーチの言葉が止まる。
昼間から飲んでいるのか、ふらつきながら、ヒーチの言葉通り『球』に近づきつつあるツゾが庭を歩いている。その横に、どう見てもツゾよりも上等の服装をしている宿の従業員が付き添っている。
「うあ、あいつ、粗相でもしたんですかね」
リゼは顔をしかめるが、
「いや、多分、時が来ただけだな」
薄い笑みと共にヒーチはそう答えると、その二人に向かって足を進める。
「おおい、ほら、ちゃんと話を通してやったぞ」
ろれつのまわっていない口調で、ツゾが胸を張る。
「どういう意味ですか?」
リゼが訝し気に訊くと、それに答えるのはツゾではなく横の従業員だ。
「ヒーチ様ですね。当宿のオーナーが、是非お目にかかりたいと申しております。お手間ですが、よろしければ支配人の屋敷までご足労願えないでしょうか?」
恭しく頭を下げる従業員に、ヒーチは笑みを消して首を傾げる。
「ルオ・ガリイが、ね。今すぐか?」
「オーナーは、一刻も早くあなた様にお会いしたいと申しております」
「分かった。部屋に戻って準備をしたら、すぐに行くよ」
「馬車を準備しておきます。よろしくお願いいたします」
一礼して去っていく従業員をしばらく三人は眺めていたが、やがてその背中が米粒くらいに小さくなったところで、
「ほらよ、仕事するだろ、俺も」
酒臭い息を吐きながらツゾが自慢してくる。
「まあ、確かに。ツゾのことだから一週間ギリギリまで粘るかと思っていました」
「てめえ、ふざけたことをぬかすなよお」
正直なリゼの感想にツゾがいきり立つが、
「そのつもりだったんだろう。こっちから話を持ちかけたんじゃあなくて、向こうからお前に接触してきた。だろう?」
「う」
見透かしたようなヒーチの言葉に、ツゾは詰まる。
「なんだ、そうなんですか?」
「妙な三人組の宿泊客のことは噂になる。それが伝わって、そのうち一人がぼろ負けした狼球だと分かって話を持ちかけてきただけだろう。向こうも、俺が最終的に勝負するつもりだとは分かっているだろうよ」
「なるほど」
納得してから、リゼは白けた目をツゾにおくる。
「ふん、とにかく、俺は役割を果たしたぞ」
「そのことについては異論はない。よくこの流れで偉そうにできると尊敬の念すら抱くがな。さあ、準備をしよう。楽しいバカンスも一時中断だ」
いつもと同じ口調、表情であるのに、今まで見たことのないヒーチを見ているような気がしてリゼは混乱する。
勝負を前にしたヒーチ。思えば、本気の勝負をするヒーチを見るのは、これが初めてかもしれない。
あの『アレマス・ソチェア』の豪華さに比べれば、そのオーナーであるはずのルオの屋敷は貴族の屋敷としては中の上程度といったところだ。そのことに、リゼは違和感を覚える。あの宿の趣味から、てっきり華美なものが趣味だとばかり思っていた。この屋敷を何倍も豪華なものにすることなど、今のルオの財ならば簡単なことのはずだ。だというのに、こんなものなのか。
執事の案内でヒーチを先頭にリゼ、ツゾは階段を上がっている。
「こちらです」
やがて辿り着いたのはバルコニー。広大な庭を見下ろせるそのバルコニーに、テーブルと椅子が備え付けられている。
バルコニーに足を踏み入れたヒーチたちに最初に気が付いたのは、揃って地味な黒い服をまとった、四人の屈強な男。無感情な八つの目がヒーチたちに向けられる。
こいつらは護衛か。リゼはそう判断して、この護衛たちの雇い主であろう男に目を向ける。
その男は、ヒーチたちが着いたことに気が付いていないようだ。椅子に座り、こちらに背を向けて庭を見下ろしつつ、カップを傾けている。
護衛の一人が耳打ちすると、ようやくその男は椅子に座り体は庭に向けたままで、振り返ってこちらを見る。
その顔は、リゼが評判や『勝負師』といった異名から想像していたものとは違っていた。
亜麻色の髪はオールバックに美しく整えられており、同じ色の口ひげもつけひげか何かのようにきれいだ。
鳶色の瞳を持つ目は優しく温和そうで、言い方は悪いがある種の愚鈍さすら感じさせる。
苦労を知らない、人のいい、中年の貴族。そうとしか見えない。
「ああ、これはこれは」
カップを置いて、ルオ・ガリイは立ちがる。
「ようこそ、私の屋敷に。ガリイ家当主、ルオ・ガリイです」
力や財としてはルオの方が上でも、城主という立場を鑑みてか、ルオはヒーチに対して敬意を示している。
「ベルン城主、ヒーチだ。よろしく」
「どうぞ座ってください。ええと、そちらの二人は?」
ルオの目がツゾとリゼを往復する。
「従者みたいなものだ。ああ、そこのツゾとは一度やったんだろ?」
「ええ。ツゾ殿、済まなかったね、ゲーム中や直後は、どうも気が昂ってしまって口が悪くなるんだ。君に失礼なことを言ったと君が帰ってから後悔したよ」
「あ、ああ。別にいいぜ」
戸惑ったようにツゾが答えている間に、ヒーチはルオの向かいに腰を下ろしている。
「さて、それで」
ルオがヒーチに向けて言おうとするのを、ヒーチは右の掌を突き出して遮る。
「社交辞令も腹の探り合いもよそう。互いに、何をしたいのかは分かってる、そうだろ?」
「そうですね」
ふっと、優しさをたたえていたルオの目が細まる。
「ご所望は『バンク』ですか?」
「そうなんだが、実は俺は持ち合わせがないんだ」
ヒーチは肩をすくめて、
「ゲームのための金を用立ててくれるとも聞いたんだが?」
「ええ、もちろん。信用がある方でしたら。おい」
護衛の一人が合図と共に、契約書と羽ペンを持ってくる。
「いくらお貸ししましょうか?」
「そうだな……」
金を借りる立場とは思えないほど尊大なヒーチはゆっくりと足を組み、頬杖をつく。
「俺の全て」
「はい?」
「あんたの思う、俺の能力、地位、その他全ての評価から、貸せる限界まで貸してくれ」
一瞬の沈黙。バルコニーの空気が凍ったようになってから、
「……分かりました。これでは?」
さらさらとルオが金額の部分を羽ペンで書きこんでからその羽ペンと契約書を渡してくる。
ヒーチの後ろから、渡された契約書の金額を覗いていたリゼ、そして隣のツゾは息をのむ。
皇帝紙幣、千五百枚。あり得ない金額だ。
「ははん」
その契約書に署名をしながら、ヒーチは口を歪める。
「俺も安く見られたものだな、ルオ」
「そうですかね? では、それをこれから、証明してもらいましょうか、ヒーチ殿」
護衛が無造作にテーブルに紙幣の束を置く。
「では、確かにお貸ししました。それで、ゲームの細かい部分について詰めておきたいのですが」
「ああ、そうだな。じゃあ、まず基本の額を……」
「その前に、いつまでゲームを続けるかを先に決めさせていただけませんか?」
「せっかく千五百枚貸してもらえるんだ。どちらかが千五百奪われたら、じゃあ、いけないのか?」
「もちろん、それで結構です。それでは、一ゲームあたりの、スタートの最低額とバンクはいくらにいたしましょう?」
「そうだな」
ちらり、とリゼに目をやってからヒーチは答える。
「俺が思うに、このゲームは一回二回は時の運だ。なるべくあんたとの駆け引きを長く楽しみたい。そうなると、そうだな。バンクは百枚。それで十枚スタートでどうだ?」
これは、事前にリゼと話していた通りだ。イカサマのカードを使ったからといって、そうそう勝ち続けると疑われてしまう。ツゾがルオにやられたように、ゆっくりと、勝ったり負けたりを繰り返しながら徐々に搾り取っていく必要がある。手に入った額によって決めるが、最低でも大体二十ゲーム程度はできるくらいにバンクを設定しよう。それが計画だった。
「ふうむ、いえ、申し訳ないのですが」
だが、予想外のことに、それに対してルオが難色を示す。
リゼは自分の顔が強張るのが分かる。
「実は、今夜は予定がありましてね。いえ、時間がないというわけではないのですが、あまりにも長丁場になるのは避けたいのです」
「そんなことを言われてもな」
何か反論しようとするヒーチだが、
「でしたら、今日のところはやめておきますか? とはいうものの、これでも忙しい身でして、次にヒーチ殿とゲームできるのは申し訳ございませんが数か月先になってしまいますが」
その、したてに出ながらも内容的には高圧的なルオのセリフに、止まる。
そう、そうなのだ。こちらからルオにゲームで挑む立場である以上、金や力以上の上下関係ができあがっている。
ルオが受けなければ勝負が成立しない、その圧倒的な立場の差。ルオに勝負を受けてもらうために、ある程度のことは譲歩せざるをえない。
「……一体、バンクとスタートをいくらにするなら受けるつもりだ?」
しばらくの沈黙の後の、ヒーチの質問に、
「バンクが五百枚。スタートが五十枚ではいかがでしょうか?」
馬鹿な。それでは、運悪く一方的にむしられたら、三セットで終わってしまうじゃあないか。
そうリゼは反論したい気持ちを抑える。
「それは……」
「これ以上ならば問題ありませんが、これよりも額を下げるというのは、お断りさせていただきます」
何か言おうとするヒーチに、ルオがかぶせる。
一瞬で張り詰める空気。
「まあ、いいか」
ぐるりと、首を回してからヒーチは受け入れる。
「分かった。それでいこう」
「分かっていただけてありがとうございます、ヒーチ殿」
「いいさ、けどこれは」
ヒーチは鋭くルオを睨みつける。
「貸しだぜ、ルオ」
「……お忘れなきよう。あなたは、そもそも私に金を借りている立場だということを」
睨み合う二人。ヒーチはあからさまに闘争心を剥きだしにして、ルオは余裕ある態度を崩さず。
その二人からの圧力に押されるようにして、リゼは思わず一歩後ろに下がる。
分からない。今、どちらが優位に立っているのか。どこまでがヒーチの想定内なのか。不安に駆られてふと横を見れば、ツゾも同じく不安そうな顔をしていてますます不安になる。