5
一週間が経った。
驚くほど何もない、平和な日々だ。
「ああ、城主様、見回りですか?」
小規模な市場の一角で、少ししなびた野菜を売っている老婆が声をかけてくる。
「ああ、そうですよ。やることがないものでね」
にんじんによく似た野菜を手に取り、眺めながらヒーチは答える。
当初は黒い髪に黒い目の男に警戒心と恐怖を抱いていた素朴なベルンの住民も、ヒーチが積極的に暇な時間に住民とふれあいを持っているうちに、慣れ親しんできている。
「何か、面白い話はないものですか、おばあさん」
「そうさねえ。ああ、そういや、よその者を最近見かけたよ。まあ、最近はこの辺でもよそ者を見るのは珍しくないけどねえ」
「へえ、どんな?」
金を支払い、ヒーチはその野菜をその場で齧る。
「獣人らしいよ」
「ああ」
ヒーチは納得する。
「狼の奴?」
「そうそう。なんじゃ、知っておるのかい、城主様」
「城主だからな」
理由にもならない理由で答えて、
「それ、いつのこと?」
「つい、昨夜のことですなあ」
「昨夜……」
野菜を齧るのをやめて、一瞬ヒーチは思案する。
「なるほど、昨夜か」
「どうかしましたかな?」
「なあに」
怪訝な顔をする老婆に、ヒーチは大きく伸びをしながら、
「今夜、ちょっと忙しくなりそうだな、と思っただけですよ」
果たして、その日の夜。
城を抜け出してアジトへと向かったヒーチが見たものは、棒を臨戦態勢で既に構えているリゼと、不貞腐れた顔をして縛られているツゾの姿だった。
「ツゾ、お前、しばらく見ないうちに……」
その姿を眺めて、ヒーチは少しだけ言葉を探し、
「膨らんだ、か?」
どう見ても、ツゾは膨らんだように見える。太ったのではなく、文字通り膨らんでいる。
もはや毛玉に近い。
「ああ、大金もらったから、博打の前に泊まったことないような豪勢な宿に泊まろうと思ってよ、『アレマス・ソチェア』だ」
その宿の名はヒーチも聞き覚えがある。
ルオによって急激に発展していったアレマス。ルオはそのアレマスを貿易の拠点としてだけではなく、リゾートとしても開発するつもりらしかった。そこで多額の資金を投入して、高級ホテルやカジノを建設し、今のところそれは徐々に功を奏し、中流以上の貴族連中が遊びに行く候補地のひとつにアレマスはなりつつあるらしい。
その中でも『アレマス・ソチェア』は最高級のホテルだ。
「じゃあ、俺が渡した金のうち、一割以上が宿代で吹っ飛んだだろ」
「へへ、アホみたいに広い部屋だったぜ。フロントの連中は、俺みたいなのが泊まるのをあからさまに怪しんでたけどなあ。部屋についてた酒は飲み放題だぜ、信じられん。飲んだこともないような、味がよくてきつい酒ばっかりだった。酒に慣れてる俺でも一発でくらくらきたぜ」
不貞腐れていたような表情から一転、ツゾはにやつきだす。
「で、どうして膨らんでるんだ?」
「風呂に、見たこともない石鹸があったんだよ。見るからに高級そうなやつがな。で、どうせだからと俺はそれを使ってやったわけだ。全身の毛を洗ったから、一度で全部使い切ったけどな。で、これだ」
縛られたままでツゾは肩をすくめる。
「酒もあってぐっすり寝ててな、朝起きたらこうなってたんだ。全身の毛がふかふかになっててよ」
「あのですね、ぼくたちはお前に全身ふっかふかになってもらうために金を渡したわけじゃあないんですよ」
こめかみをぴくぴくと震わせながらリゼが棒を握りしめる。
「やっぱりヒーチさん、こいつを信用するのは間違っていたんですよ」
ヒーチが金を渡してツゾが去ってからずっと、リゼはツゾが逃げ出すのではないかと心配して、尾行すると言ってきかなかった。
結局、ヒーチが止めたので尾行はよしたらしいが、その後もツゾが立ち寄りそうな安酒場などを中心にツゾについて情報収集を続けていたらしい。
そんな状況で、ツゾがのこのことベルンに戻ってきたなら、すぐにリゼに捕まるのは自明の理だ。
「まあ、いいじゃあないか。それで毛玉獣人」
縛られているツゾに視線を合わせるように、ヒーチはしゃがむ。
「どうだった? というより、どうして一週間もかかった?」
そう問うと、途端にツゾは目を逸らす。
「こいつ、やっぱり使い込んだんですよ、全額」
そう言ってリゼは棒をツゾの向ける。
「使い込みなんてしてねえよ!」
「一割以上使って全身ふかふかになっている時点で使い込みです!」
ツゾの反論にリゼはいきりたつ。
二人の怒鳴り合いで古い部屋がびりびりと震える。
「よせよせ、外にばれる」
呆れて、ヒーチは諫めつつ椅子に座る。
「大体分かるよ、負けたんだろ? それも、ボロボロに」
その言葉に、ツゾはがっくりと肩を落とす。
「……つ、ツいてなかったんだ」
「それで帰るに帰れないが、かといって行くあてもないからこの辺りを彷徨っていた、そういうことだろう?」
「ああ……」
「やっぱり、こいつに勝ってもらうなんて、見通しが甘すぎたんですよ、ヒーチさん!」
「勝つわけないだろ、こいつが」
あっさりと返すヒーチに、リゼもツゾもぽかんとなる。
「な、なに……?」
「なんだ、狼まんじゅう、ひょっとして本気で勝てると思ってたのか?」
逆に、そのことにヒーチは驚く。
「どういう意味だよ!」
「どういうことです?」
リゼとツゾの言葉が重なる。
「そのままの意味だ。腕自慢の貴族に全戦全勝してる奴相手に勝負してチンピラが勝てるわけがない。俺が知りたいのは、負け方だよ。情報収集したかっただけだ」
「情報収集って、ヒーチさん、でも、お金は全部渡したんですよ? 今更、情報を手に入れても……」
「できる。俺はベルンの城主だからな。言っていただろ、ルオは地位や権力といった力を持っている相手か、財を持っている相手とゲームをする。金がなくとも、俺との勝負は受けるさ。自分の支配する地域の城主を借金漬けにできれば、奴にとって便利この上ないはずだ」
まだ呆然としているツゾにヒーチは向き直る。
「それじゃあ、ハムスターもどき、どんな風に負けたか、教えてくれ」
「俺はとりあえず、やばい仕事で大金を手に入れたってふりをして、勝負を挑んだんだ」
ぽつりぽつりとツゾは話し始める。ちなみに縛られたままだ。
「ルオは、いきなり屋敷に訪れた俺にも簡単に会ってくれたし、金を持っていることが分かったらそのまま勝負を受けてくれた。それで、バンクが始まったんだが」
「ちょっと待て」
ヒーチはさっそくそこで話を止める。
「まず、どこで勝負をした?」
「あ、ああ。ルオの屋敷のテラスだ。そこに、テーブルがあった。でも、場に何か仕掛けがある感じじゃあなかったぜ」
「どうですかね、こいつの目は節穴でしょうから、怪しいものです」
「ああ? なんだクソガキ」
また、言い合いの末、リゼの棒がツゾの額に命中する。小気味のいい音がする。
「いってえ!」
「それで?」
いちいち言うのも面倒なので、ヒーチはただ続きを促す。
「あ、ああ。それでルオと勝負になった。酒を勧められたけど、俺は断ってやったぜ」
自慢げにツゾが言う。
「そりゃそうだろ。で?」
「なんだよ、冷てえな……。で、バンクが始まって」
「ちょっといいか」
「何だよ、さっきから」
「カードはどうした?」
「ああ」
そこで、にやりとツゾは笑う。
「俺が相手が用意したカードを使うような間抜けに見えるか?」
「見える」
リゼが言うがツゾは無視して、
「当然、俺が用意したカードを使うのがゲームの条件だ」
「その場合、向こうが警戒しないのか? お前が持ってきたカードにイカサマの仕掛けがないとも限らないわけだからな」
「実際、それをやろうと思ったぜ。微妙にカードに傷をつけておこうとかな。古典的なテクニックだけどよ。けど、相手はバンクのベテランだ。多分、そういうカードじゃあ勝負を受けてもらえねえと思ってな、封を切ってない、道中で買ったままのカードを出して、相手にも仕掛けがないことを確認してもらったんだ。それなら、向こうが文句言う筋合いはないだろ?」
「いいぞ、なかなか考えているじゃあないか。道中で買ったというが、具体的にどこで買ったんだ?」
言いながら、ヒーチは内心、傷をつけたカードを覚えておく記憶力がツゾにあるらしいことに驚く。
「ベルンの雑貨屋だよ。買ったのは、これだ」
もぞもぞとツゾが動こうとしたので、仕方なくといった様子でリゼはロープをほどいてやる。
自由になったツゾは小さな箱を取り出す。
「これか」
ヒーチが箱を開けると、中からは裏がチェック柄のカードが出てくる。
「一番ポピュラーなやつだと思うぜ、それ」
「確かに、よく見るカードだ」
返す返すカードをチェックしていたヒーチは、やがて目を細める。
「どのカードも結構痛んでいるな。新品だったんだろう?」
「あ、ああ。ぶっ続けで、半日は勝負したからな」
一瞬ツゾの返事が遅れたことから、ヒーチはその理由に気付く。
「ああ、そうか。負けが続いて、手に力が入ってこの有様か」
「えぇ……? 格好悪い」
リゼが呟く。
「い、言っとくけどなあ、俺は一方的に負けたわけじゃあねえぞ!」
立ち上がってツゾは反論する。
「何度かはでかい勝負を俺が取って、向こうが苛ついたりってこともあったんだ」
「そりゃあそうだろう。このゲームは、どっちかが一方的に勝ち続けるようなルールになっていない」
ヒーチに冷静に返され、ツゾは口ごもって座る。
「おい、ミスター小物、それはいいとして、結局のところどうなった?」
いちいち話が止まることに疲れて、ヒーチは椅子で姿勢を崩す。
「だから、負けたんだよ」
「どんな風に?」
「勝ったり負けたりを繰り返してたんだが、だんだんと俺の金がなくなっていったんだ」
「それだけ、ですか?」
唖然として、リゼが目を見開く。信じられないものを見た表情だ。
「他に、何があるんだよ。ルールは普通だったぜ?」
「負けている時に、どうしようかと相手を観察したりとか、色々考えたり調べたりしなかったんですか?」
「仕方ねえだろ、博打になったら俺、かっかしちまうんだよ」
「えぇ……」
呆然として、頭を抱えてリゼがかぶりを振る。
「ヒーチさん、やっぱりヒーチさんの作戦、失敗ですよ。情報なんてないじゃないですか。まあ、ヒーチさんのミスじゃあありませんけど。まさかここまで阿呆とは……」
「誰が阿呆だ、誰が。くそ、どいつもこいつも馬鹿にしやがって。あのルオって奴もそうだ、金を全部奪ってゲームが終わった後で、『帰り給え、汚らしい狼君。君にはゲームの才能がないよ』だとよ。くそっ、思い出しても腹が立つ!」
「どうしてその場で襲いかからなかったの?」
「仕方ねえだろ、腕の立ちそうなボディーガードが四人見張ってたんだからよ」
「……雑魚」
「ああ!?」
「待て待て」
今にもまた喧嘩が始まりそうな二人を止めつつ、とんとんとこめかみを人差し指で叩きヒーチは思案を巡らす。
「そう、捨てたものじゃあない」
さっきからずっと触っていたカードをぽん、とテーブルに放り、
「大体、掴んだ」
「え、何をです?」
「ルオに勝つためのルートの感覚を、大体掴んだ。とはいえ、確実じゃあない。相手がどの方向から仕掛けてきているのか、確証が掴めない。いや、多分、相手は組み合わせていたり、状況に応じて変えてきているのだろうが、さて」
これ以上は、ここで話し合っていてもラチがあかない。
ヒーチはそう判断する。
「小旅行の許可を貰わないとな。リゼ、一緒にアレマスまで行こう。ツゾ、お前にも来てもらうぞ。顔を知っているんだから、ルオに俺を紹介してくれ」
「あん?」
「ヒーチさん、まさか……」
「勝ち筋の欠けている部分は、現場で埋めていくしかない。ま、物事、大抵はそうだ。どんな計画も、最終的にその場で完成する」
立ち上がり、ヒーチは何でもないことのように言う。
「さて、ルオに勝ちに行くか」
実際、ヒーチにとっては何でもない。そうと決めて以来、全ての勝負に勝ち続けてきたヒーチにとっては、勝負に挑むことは何でもないのだ。
いつものように、ただ勝つだけ。
何のためにそんなに勝ち続けるわけ?
ふと、息子の声が聞こえてきたような気がして、ヒーチは静かに笑って心の中で答えを返す。
それが、俺のサガだ。ただ、それだけのこと。