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夜になって、騒ぐツゾの口に猿轡を咬ませ、手荷物のように片手に抱えてから、ヒーチは城を抜け出す。
夜の闇に乗じて、巨大な手荷物を持ちながらも、誰の目にもつかずにいつものアジトへと滑り込む。
「あ、ヒーチさん」
先に着いていたリゼが、ヒーチが抱えている荷物を見て目を丸くする。
「持って来たんですか、それ」
「城に置いておくわけにもいかないだろう」
「いや、というより、てっきりヒーチさんのことだから始末つけてるかと」
物騒な言いぐさに、縛られ口も封じられているツゾが唸りながらかぶりをふる。
「俺を何だと思ってるんだよ」
ヒーチはツゾをごろん、と床に転がす。
「ほら、とりあえず叫ぶなよ。大声を出さないなら、猿轡外してやる。大声を出したらまたすぐに喋れなくするからな」
宣言しておいて、ヒーチはツゾの猿轡を取ってやる。
さすがに逆らえばどうなるか分かっているらしく、反抗的な目でヒーチとリゼを睨みながらもツゾは黙っている。
「そうそう、昼間の間に、暇な時間を使って飯と引き換えに色々こいつから聞き出したんだ」
「へえ」
リゼは大きく丸い目でちらりとツゾを見る。
「で、誰なんですか?」
「名前はツゾ。トリョラから逃げ出した獣人で、ただの小悪党みたいだな。このアジトに来たのも、何か知っていたわけじゃあなく、単に空き家っぽかったから、雨風をしのげるかと思って自分のねぐらにしようとして忍び込もうとしたらしい」
「そうしたら、先客のぼくたちがいたから強盗に早変わりした、と。なるほど」
リゼの一人称はぼく、だ。身の上を隠すために男装して以来そうなのか、それとも元々なのかは知らない。
「お前ら」
一応、大声を出すなと言われたのを気にしているのか、ツゾは小さく低い声で言う。
「お前ら、何者だ」
そう言われて、思わずヒーチとリゼは顔を見合わせる。
「説明しづらいな」
「です、ねえ。ヒーチさんは城主だとして、ぼくは特に何者でもないです、今のところは」
「今後に期待だな」
「本当にそうですよ」
うんうん、と頷くリゼに、
「小僧、馬鹿にしてるのか?」
ヒーチには強く出れない分そうしているのか、リゼに向かって噛みつくように言う。
その瞬間、リゼの背負っていた棒はいつの間にか彼女の手に収まり、そして稲妻のような速度でツゾのこめかみがその棒で叩かれる。
「いっ、てえ」
ぐらりと頭を揺らすツゾ。
「レディーに向かって小僧とは失礼な」
本気で憤慨しているリゼに向かって、
「それだけ偽装がうまくいってるってことだろ。喜べよ」
「だけど男扱いされると嫌なんですよ。分からないかなー、この乙女心が」
「お前、乙女なのか?」
言ったとたん、目にもとまらぬ速さで棒が今度はヒーチのこめかみに叩きつけられようとする。
「乙女はすぐに棒を振り回さないんだよ」
鉄のように鍛えこんである二の腕でその棒の一撃を受け止めて、ヒーチは言う。
「うちの家系は、幼い時から男女問わず武術を嗜むのが習わしです。自分の身を守れてこそ、紳士淑女ですから」
「ああ、いてえ。何だ、こいつ、女なのか。くそ、思い切り頭ぶっ叩きやがって。大体、ガキなんだから女だろうと男だろうとどうでもいいじゃねえか」
頭を振りながら言うツゾの文句に、またリゼの目が三角になっていく。
「なんですってえ……」
「おい、やめろよ、リゼ。大体、縛られている奴に向かって棒を叩き込むのが紳士淑女か?」
「う、た、確かに。レディーにあるまじき行動でした」
言いながらナイフを取り出すと、リゼはぽかんとしているツゾを縛ってあるロープを手際よく切断していく。
「お、おい」
いきなり勝手にツゾを自由に動けるようにしているリゼに、さすがにヒーチも驚く。
まさか、逃がすつもりか?
「これでもう大丈夫ですねぅおらあ!」
すべてのロープを切断した瞬間、リゼは言いながらナイフを投げ捨てると同時にツゾの額に棒を叩き下ろす。
「いてえ!」
リゼが背負っている棒は、彼女が棒術の訓練の際にかつて使っていたものだそうで、かなり軽いので全力で殴ったとしても相手に与える衝撃はそれほどでもない。とはいえ、リゼの棒術の腕がそれなり以上だということもあって痛いのは痛いし、軽いからか、当たると凄い音がする。
その小気味いい音が、部屋の中に響く。
「誰がガキですか誰が! こんなレディーをつかまえて!」
「ちなみにツゾは、一時期あの『ペテン師』に飼われていたそうだ」
「え、『ペテン師』ってあの、トリョラのマサヨシですか?」
「ああ」
さすがにリゼもその名前を知っている。
もちろん、ヒーチがそのマサヨシと特別な関係であることまでは知らない。明かしていないからだ。
「うるせえ、あいつの名前は言うな」
ゆっくりと立ち上がり、額を押さえながらツゾが言う。
「あいつのせいで、俺の人生は……」
「まるで『ペテン師』と関わる前はまともに生きていたような口ぶりだな」
そうヒーチが言うと、舌打ちをしてツゾは押し黙る。
「で、どうするんです、この人。ぼくたちのことを知っちゃったし、もう自由に動けるし」
「自由に動けるようにしたのはお前だろう。なあ、ツゾ、今度は俺たちに飼われてみる気はないか?」
「あ?」
ようやく額から手を放したツゾが、怪訝な顔をする。
「何だと?」
「『ペテン師』のところでやっていたようなことを、俺たちとする気はないかってことだよ」
「ヒーチさん、本気ですか?」
「ああ、俺たちには小回りの利く協力者が必要だ。俺は城主って立場上、なかなか動けないし、リゼ、お前だと交渉の場でどうしても舐められる。幼いからな」
「むう、そ、それは確かに」
「おい、俺を放って話を進めるなよ」
苛立たしげにツゾが割って入る。
「どうせ、金を稼ぐあてもないんだろう? 俺たちと組めば、とりあえず寝床と飯は用意してやれる。うまくいけば分け前も手に入る。どうだ?」
「どうだ、じゃねえ。そもそも、何に協力しろってんだ。お前ら、一体何者で、何をするつもりなんだ?」
当然と言えば当然のツゾの疑問に、一瞬だけヒーチは考える。
自分は何者なのか。最近見る、夢の内容を思い出す。一体、ヒーチとはどういう存在なのか。何が目的なのか。
そんなところまで、目の前の獣人に話す必要はないか。とりあえず、こいつが納得できる答えをくれてやればいい。
「アインラードの、反戦派の生き残りだよ、俺たちは?」
「……あ?」
「で、目的は当然、アインラードとロンボウとの戦争を止めることだ」
蝋燭の灯の下、一つのテーブルにヒーチ、リゼ、そしてツゾは集まる。簡単な食事を前に、会話が続いている。
もっとも、ツゾはもっぱら食べることに集中していて、ヒーチが話している間もずっと食事を貪っている。
「リゼの家には俺も世話になった。いわゆる名家だ。アインラードの古くからの大貴族で、反戦派の筆頭だった。例の騒動で殺されて、リゼだけが逃げ延びた。で、こんな格好をしている」
「お前は、どうなんだ? どうして、城主なんてしている。反戦派だったなら、そんな地位に就けるわけがない」
貪り食いながらも、頭は働いているらしい。
ツゾの疑問はもっともだ。
「俺は、ちょっと特殊なんだ。もともと、アインラードというより、シャロンとは対立していたんだが、ある目的のために手を組んだ。シャロンは俺を通じて達成したい目的があったし、俺もシャロンを利用するつもりだった。そうしたらそのシャロンの目的が、何というか消失してな。それで姫さんは今、ちょっと無気力になっているんだが、俺の扱いが宙ぶらりんになったんだ。で、シャロンの片腕をしている男が目ざわりだからと俺をここ、ベルンにとばしたっていうわけだ」
「じゃあ、反戦派ってことじゃあないのか?」
「反戦派は反戦派だが、そもそも俺はアインラード民じゃあないからな。外様の参謀役として潜り込んでいたんだ。だから、アインラードの貴族と違って、俺を殺す必要はない。ただ国外追放にすりゃあいいんだが。それをできる立場のシャロンが今、使い物にならないから、こういう妙な立場になった」
実際には、そういう狭間の立場となるように、裏から表からヒーチ自ら誘導したのだが。
「よく分からねえな。それで、どうするってんだよ。まあ、要するにお前ら二人が反戦派の生き残りだってのは何となく分かったけどよ。で、どうしてその反戦派の生き残りがここでこそこそ会ってるんだ?」
「さっきも言ったじゃあないですか」
やれやれ、とリゼは肩をすくめる。
「戦争を止めるための密談ですよ」
しばらく、呆然とヒーチとリゼの顔を見比べていたツゾは、やがておそるおそるといった様子で、
「頭、おかしいわけじゃあねえよな?」
「失敬な。僕たちは完全にまともです」
ふん、と胸を張るリゼを完全に無視して、ツゾはヒーチに詰め寄る。
「俺にだって、流れってのは分かってるぜ。もう、ロンボウとアインラードが戦争に突入するのは止めようがない流れだ。それを、金も力もないあんたらが、たった二人の反戦派の生き残りが止めようってのか?」
「ああ」
「どうしてだよ?」
「戦争になれば民が苦しみます。民のために力を注ぐのは、貴族の当然の責務です」
リゼが答えるが、またツゾはそれを無視してヒーチを睨んでいる。
「どうして、か。色々とあってな、戦争を止めるために俺は動き出した」
ヒーチの頭にあるのは、死にかけのような顔をした息子の顔だ。
「一度動き出したら、俺は動きを止めない。諦めることもない。それは、負けってことだからだ。俺はな、ツゾ」
特に力も入れず、ただ平静な眼でツゾを見返し、
「勝ちたいんだよ。勝ち続けたいんだ」
そうヒーチが言うと、何故かツゾは顔をひきつらせながら一歩後ろに下がる。
「さあ、どうだ、協力する気はないか?」
「きょ、協力って、無理だ。そんな、自殺行為に付き合うなんて」
勢いを無くして怯えたように口ごもるツゾに、
「そう捨てたものでもない。人脈、ネットワークについてはどうもリゼの家のものが復旧できそうなんだ。あとは金があれば人と情報はある程度流れるようになる」
「ああ、そうそう」
無視された怨みなのか、小柄な体をぶつけるようにしてツゾを押しのけたリゼがヒーチに体を寄せてくる。
ツゾは、まだ少し呆然としていて、そのままよろけて無言で離れていく。
「資金の話ですけど、実はちょっと心当たりがありまして」
「ほう。それは、話が早いな」
「いやあ、どうでしょう」
リゼはううん、と唸り首を捻る。
「どうした?」
「いやあ、その、心当たりというか、雲をつかむような話ではあるんですけど」
「ああ」
この少女がこんなに話を切り出すのを躊躇うのは出会ってから初めてだ。
ヒーチは不思議に思う。
「ヒーチさんって、ギャンブル、お得意ですか?」