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お父さん主人公の番外編です。
描写で分かるかもしれませんが、時期的には最終話とエピローグの間と思っていてください。
「元々は中枢にいたやり手らしいぜ」
「暗黒大陸、じゃねえや、サネスド大陸か、あそこの出だって話を聞いたぞ」
「馬鹿いえ、あの人は例の内戦の孤児だって話だ」
「よせよ、あの若さだぞ。どう見たって内戦の後の生まれだろ」
「で、中枢の大物がどうしてこんな辺境にいるんだよ」
「そりゃあ、何かやってとばされたんだろ」
「何かって、何だよ」
「あれだろ、時期的に。ほら、ちょっと前によ、王都で反戦派が軒並み殺されたって話が」
「ああ、あれか」
のどかな山々を背景にそびえたつ小さな城。その城門の前で、三人の衛兵たちは噂話に勤しんでいる。
だから、影のように現れ、足音を立てないその人物の接近にも気づかない。
特に忍んでいるわけではない。ただただ、普通に歩いているだけだ。少なくとも外から見る限りは。
だというのにその人物には足音がなく、気配もない。
「う」
最初に、視界にあるその人物に気づいて衛兵の一人の顔が固まる。連鎖的に他の衛兵も視線をそちらに向けて、硬直していく。
男にしては長めの黒い髪。凶暴さを隠そうともしない、吊り上がった目の中に光る黒い瞳。細身だが骨太なのが上下黒づくめの服装の上からでも分かる体格。そして、顔をはしる無数の傷。
「のんびりしたもんだなあ。城の前で揃って噂話とは」
「あ、いや」
ついさっきまで噂をしていたその本人、城主の登場に衛兵たちは凍り付く。
「勘違いしないでくれよ。別に責めてるんじゃあない。それだけこの辺は平和ってことだ。いや、結構。おかげで俺の仕事もほとんどないが、それもまた結構」
地図のように縫い傷の入った顔を歪めて笑い、城主、ヒーチは続ける。
「仕事がないから、こうやってこっそりと城を抜け出せる。面倒だから戻る時はこうやって城門を通るがな。さて、退屈な午後の仕事をするとしよう。門を開けてくれ」
ベルン。
アインラードの辺境の町。ほとんどが山々で占められており、林業とわずかな田畑を使った農業が産業のほとんどというその町に、ヒーチは左遷された。
「コロコの奴が悪いんだよ。あいつ、本当に臆病者だからな」
文句を言いつつ、トマトジュースをヒーチは飲み干す。
寂れた街並みのベルンには、小さな酒場が三軒ほどあるだけで、夜になればそこに暇を持て余した連中が集まるようになっている。
元々は四軒あったのだが、一つは客が少ない上に、店主が病に倒れたことで少し前から店は閉められている。
その、閉められた店こそが、今のヒーチのねぐらだ。
もちろん、本来は城主なのだから城内の寝室で眠らなければならない。だが、ヒーチは基本的に時間があれば城を抜け出している。
それも、敢えてあからさまに。
国の中枢から左遷されて辺境の地にとばされて腐っている、やる気のまるでない城主。周囲の人間はそう思っているし、そういう風にヒーチは振る舞っている。
「はいはい」
少年が涼やかな声で相槌を打ちつつ、蝋燭の光の下で簡単な食事を作っている。
閉め切った酒場。窓も扉も閉じられ、光が漏れることのないように厚手のカーテンで覆われている。元々この酒場がベルンの中でも外れに位置することもあって、この環境では蝋燭を灯そうとも炊事をしようとも中に誰かがいると外から気づかれることはない。
少年は淡く青いシャツに白のショートパンツといった活発な少年そのものといった格好をしているが、中性的で整っている顔にどこか気品があることと、背中に身長よりも長い木の棒を背負っているところが普通の少年と違う。
「せっかく、マサヨシの話に協力してやったんだ。シャロンの奴もやる気を出して、俺を再び参謀役につけようとした。これからだろう?」
「でも、そのマサヨシさんって人は死んじゃったんでしょう?」
「らしいな。だから、いいんだよ」
ヒーチは両手を高く挙げる。笑って見せるが、真っ黒い瞳からは感情を読み取れない。
「これで、シャロンの戦争をやる気が一気に削がれた。おまけに、フリンジワークってアホも死んだ。後はやる気を失って生きた屍みたいになったシャロンをコントロールして、戦争を回避しつつ俺がアインラードを握る。そのはずだったんだ」
「もう、その文句何度も聞きましたよ」
ため息と共に、少年は粥をヒーチの前に置きぶんぶんと頭を振る。栗色のショートカットの髪が揺れる。
「愚痴くらい何度も言わせろ。まったく、俺と一緒に牛耳ろうと誘ってやったのに、コロコめ。船乗りとも思えん。日和りやがってよ」
こきこきと首を鳴らして、ヒーチは粥の入った椀を掴む。
「で、そっちはどうだ。人脈はどの程度復活した?」
そして、粥をすすりながら目を細めて、少年を観察する。
ヒーチは粥をすするために椀を傾けながら、その椀に目を隠すようにしながらずっと目の前の少年を観察している。
少年というのは正確ではない。彼女が女性であることは、ヒーチもとっくの昔に知っている。
リゼという名の少女であることも、身の上を偽るために男装していることも、家族を失った貴族の令嬢であることも。
だがヒーチは同情はしない。同情というのは、相手を侮るということだとヒーチは思っている。
油断はしない。絶対に。
自分に言い聞かせている。どんな相手だろうと、油断はしない。ただ、勝ち続けるために。
町の人々や城の連中に自分のことを侮らせているのと同じように、リゼにも自分のことを侮らせている。
ヒーチにとって、いずれ勝負において勝ちを得るために一時的に侮られるのは苦痛でも何でもない。
何度も何度も、コロコに裏切られたと愚痴を言う。本当は、ヒーチがそう誘導したのだ。そして、コロコもそれを察しながら自らがシャロンの片腕の座を独占するためにそれに乗った。
マサヨシが死んだらしいという非公式の知らせを受けて、半分抜け殻のようになっているとはいえ、シャロンは侮るべきではない。彼女の傍で画策していれば、露見する可能性がある。だから、ヒーチは自ら左遷された。
勝手に内紛、革命を繰り返しては不死鳥のように再生するサネスド帝国から抜け、アインラードの中枢から抜け、この辺境の地で侮られる立場になることで、ヒーチは自由に動ける。
そして、目の前の少女は、自分の目的のための重要な要素のひとつだ。
油断しない。心など、許さない。
「ええと、ネットワーク自体は、ほとんど。やっぱり、お父様のお力は素晴らしいです。もっとも、そもそもの人数自体が極端に少ないですけど」
「そりゃあ、そうだろうな。マンパワーが不足してるか」
「ええ、それと」
「それと?」
「やはり、その、先立つものが」
「ああ」
くしゃりとヒーチは髪をかき上げる。
「そりゃ、そうだな」
そこまで話が進んだところで、
「ところで、誰かいるぞ」
ヒーチは顔を閉じられているドアに向ける。
気配を、さっきから感じている。隠すつもりもない、筒抜けの気配を。
「え?」
はっとリゼが周囲を見回すと同時に、鍵をかけておいたドアが大きな音を立てて無理やり開け放たれる。
「おい、金を出せ、食料も」
飛び込んできた獣人が大声で言い終わるよりも早く、瞬時に移動したヒーチの手刀がその獣人の喉にめり込んでいる。更に、一瞬遅れて、リゼの背負っていた棒が彼女によって獣人のこめかみに叩きつけられる。
ぐるん、と白目を剥いてその狼の獣人は倒れる。
「おい、俺ので終わってたのに、やりすぎだろ」
「えっ、ほぼ同時だったでしょ、ヒーチさんのと」
「いや、俺ので気絶してからお前が棒で叩いてる。やりすぎだ」
「いや、同時ですって」
口を尖らせるリゼと言い合いながら、倒れた獣人を見下ろす。
「で、こいつなんだ?」
服はぼろぼろで薄汚れている。
「食いつめ者の強盗じゃないですか?」
「だろうけど、この辺じゃあ獣人は珍しいよな?」
トリョラじゃあるまいし、と思ったところでヒーチはふっとリゼと顔を見合わす。
「おい、ひょっとして」
「ええ、可能性はありますね。トリョラから逃げてきたんじゃないですか? ちょっと前、あそこ酷かったらしいですから」
「密入国者か。ふうん」
「どうします?」
黙って、ヒーチはリゼと顔を見合わせる。
それから、二人して同時にまた倒れている獣人を見下ろす。
「とりあえず」
「はい」
「縛ろう」
特に異論は出ず、その獣人は縛り上げられる。
ヒーチという男について、ヒーチ自身もよく分かっていないところがある。
一体、ヒーチという男は何者なのか。どうやってできあがっていったのか。
最初、名前はなかった。お前、とか、おい、と父親である殺し屋に呼ばれていた。
毎日のように父から稽古と称する暴力を受けるし、そうでなくても内戦の真っ最中で死と暴力は身近にあふれていた。
死なないように必死だった。父の稽古に耐え、内戦の戦闘に巻き込まれないように目を大きく開き、周囲を観察していた。
観察しているうちに、父に殺されないためにはどう動けばいいか分かった。どう鍛えればいいか分かった。今自分がどんな状況で、場を支配するためにはどうすればいいのかの道筋も見えてきた。
その時に、おそらく初めて気づいた。
この地獄のような場所でも確実に生き延びることができる、勝つことができる。そんな道筋があるのに、誰もその道を歩いていないことに。その道筋に気づいていないか、気づいてもあまりにも困難な道だと諦めてしまっているのだ。
だから、自分はほかの誰よりも優れているのだと気づいた。
自分はその筋道が分かる。どんな険しい道だろうと、歩く意志と自信がある。その道をひたすらに歩き続ければ、自分は勝ち続ける。
それに気づいてから、ひたすらにその道を歩き続けて、そうして。
「う」
小奇麗な天井。
懐かしい、夢を見ていた。
マサヨシが死んだという知らせを受けてから、妙にあの頃のことを思い出すようになった。
無機質な天井を見ているうちに、昨日の夜、忍び込んで城内の寝室に戻ったんだと思い出す。
そうだ。その時、何か土産を持って帰ったような。
むくりとベッドの上に起き上がり、部屋の隅に目をやる。
不満げな表情で、全身を縄で縛り上げられている獣顔の男と目が合う。
「やあ」
挨拶してみるが、獣人は言葉でなく凶暴な唸りをあげる。
強盗風情が、偉そうに。食いつめ者なら、エサで釣れるか?
「腹減ってるのか? 飯なら、くれてやってもいいぞ。これでも城主だ。それなりのものを用意できる」
試しにそう提案すると、どうやら空腹らしく、獣人の唸りが少し小さくなる。
「とりあえず、身の上を教えてくれよ。名前とかな」
ヒーチの言葉に、獣人は凄まじい目で睨みつけて答える。
ヒーチはただただそれを見返す。平然として。
恐ろしいとは思わない。いくら凶暴だろうと、何だろうと、今のこいつは手足をもがれた野生動物同然だ。
好きに、殺せる。
別に殺気を出したわけではないが、そうヒーチが考えた瞬間に何かを感じたのか、急に獣人は目を見開き瞳を逸らす。
それから、しばらくしてからきまり悪げに獣人は口を開く。
隠そうとはしているが、隠しきれずに怯えで震えている声で、
「ツゾだ」