エピローグもしくはプロローグ
精霊暦859年。
エリピア大陸は混迷の只中にある。
フリンジワーク王の謎の死はロンボウ国内だけでなく周辺国全てに衝撃を与えた。特に関係が急激に悪化しつつあったアインラードはその死で混乱したロンボウに対して激しく圧力をかけた。
一方、ロンボウ国内でもフリンジワーク王の死はアインラードの手による暗殺だとする好戦派がアインラードとの戦争を主張した。
王妃であるハイジの舵取りの元、ロンボウは国内の好戦派とアインラードを相手に、何とか戦争を回避しようと必死で動き続けることになった。
一説によれば、超のつく好戦派である『勝ち戦の姫』シャロンを中心にまとまっているアインラードが未だ戦争を仕掛けていないのは、アインラード国内にある反戦組織による活動の結果だという。そして、その組織の長は『瓦礫の王』だという説もあるが、もちろんこれを真面目に信じている者はほとんどいない。
フリンジワークの死については、事情を知っているはずのフリンジワークに近しい人間が皆、口を噤んでいるために謎が謎を呼び、巷にはいくつもの説が入り乱れている。
その中でも、一番有力なのがノライ派による暗殺というものだ。
現に、フリンジワークの死の後、混乱するロンボウの隙を縫うようにして、旧ノライ領を中心にいくつものノライ独立回復を主張する組織が動き出した。それは小規模な抵抗活動や組織同士の小競り合いを繰り返し、元々あった犯罪組織との結びつきや組織同士の吸収を経て、859年には『ノライ独立戦線』という一つの組織にまとまっている。
国内の好戦派と等しく、『ノライ独立戦線』という犯罪行為を繰り返す組織にもロンボウ政府は対処していかなければならなくなってしまった。
当然、エリピア大陸の二つの大国が乱れている中、他の国が指をくわえてみているはずがない。エリピア大陸中がキナ臭くなっている。否、エリピア大陸の外でもそうだ。
かつて暗黒大陸と呼ばれていた場所を支配するサネスド帝国が虎視眈々とエリピア大陸を狙っているというのは、もう世界の常識になりつつある。
サネスド帝国は思い出したように反乱騒ぎを起こしながらも、それでも帝国としての体裁を保ったまま、凶暴で貪欲な超大国として不気味な存在感を発し続けている。
ロンボウとアインラードの二つの大国同士の戦争が始まった時、その時があらゆる国々が戦争に突入するタイミングだろうと誰もが言っている。
今にも全世界が戦火の渦に巻き込まれるその中で、危ういバランスをとり続けている。
白銀の鎧。黄金を融かしたような髪。エメラルドの瞳。
王妃となり、夫を亡くし、そして自らが国を統べる立場になっても、『姫騎士』ハイジのあり方は変わらない。
見る者は全て彼女の美しさに見惚れ、凛々しさに心奪われ、尊さに涙する。
ハイジがロンボウの舵取りをしなければ、とっくの昔に史上最大の世界戦争が始まっていただろうとは識者が口を揃えて言っている。
そのハイジが、完全武装の姿で、剣を携え、城の前に立ち、感慨深げにそれを見上げている。
トリョラ城。かつて、彼女が城主であった城だ。
「何度でも言います。ハイジ様、おやめください」
ついてくるな、というのに城の前までしがみつくようにしてついてきたハイジの側近が拝むようにして言う。
「相手は、結局のところ犯罪者です。そんな連中の下にお一人で行くなどと」
白髪頭の側近は声を震わせる。
「分かってください」
凛とした声でハイジは言う。
「今、彼らの協力が必要なのです。ここで我々が争っていては、アインラードの付け入る隙になります。そしてそれは、世界を終わらせることに繋がる」
「しかしっ、せめて、護衛を」
「相手方の条件は一人で来ること。通してください。大丈夫、私は、やり通します」
その言葉と強い視線にそれ以上言う言葉を持たず、側近は呻きながら横にどく。
「ありがとう、それから、すいません」
側近に対して美しく一礼してから、ハイジは城門へと進み、そこの門番にまっすぐ目を見て言う。
「通してください。約束どおり、来ました」
粗野な兵士そのものといった風体の二人の門番は、先程からハイジと側近のやり取りを目を見開いて眺めていた。
まさか本当にあのハイジがこの城に来るとは思っていなかったに違いない。
そして、ハイジに気圧されたように門番達は頷くと、無言で少し震えながら門を開ける。
その門を、ハイジは足音高く突き進んでいく。
トリョラ城がついに『ノライ独立戦線』の手に落ちたのが分かったのは数日前の話だ。これが外に漏れれば、今こそ好機とアインラードが攻め込んでくる可能性もある。
だから、早急な解決が必要だった。
もちろん、一国の長たるハイジが、一人だけでこの城に乗り込むなど、通常はありえない。ありえないことを相手方は要求し、ハイジはそのありえないことを承諾している。
厳重な警備の中、兵士、といっても『ノライ独立戦線』の兵士だが、その兵士の案内のもと、城の奥深くまで進む。
兵士の背中から、落ち着いているように見えるこの兵士も、ハイジの案内という役に緊張していることが見てとれる。
ゆえに、会話は一切ない。無言のまま、案内役とハイジは進んでいく。
やがて、謁見の間の扉の前に着く。
この部屋に、訪ねる側になるとは、皮肉なものだ。
そんなことを思いながら、ゆっくりと扉を開き、ハイジは謁見の間に入る。
部屋の中には意外にも人は少ない。城主が座るべき椅子に座っている者が一人。その周辺に彼の部下が四、五人。
そしてそこから少し離れたところに一人、立って腕を組んでいる女がいる。その横にも、もう一人女。
「ご苦労。戻れ」
椅子に座っている男の言葉に、案内役の兵士は頭を下げて謁見の間を出て行く。解放された、とでも言うように足取りは軽い。
ハイジの背後で扉が閉められる。
数秒間、男とハイジは、黙って見つめ合う。
そして、
「久しぶりですな」
その男、『ノライ独立戦線』の長であるジャックは笑顔を見せる。
狐の獣人は、毛の上からでも分かる戦いの傷跡を全身に刻み、かつて見た時よりも一回り大きくなったようにも見える。
左腕が失われていることから、この『ノライ独立戦線』のリーダーが『片腕の狐』の異名を持つことはハイジも知っている。
「その後、どうですか、そちらは?」
「はっ、寝たきりになったドラッヘじいさんの世話ばっかりしてる毎日ですよ。まあ、引き換えにもらったものが大きいから、文句は言えませんがな」
ジャックはトリョラの混乱の中で毒を喰らい倒れたドラッヘの弟子となり、戦術、戦略の全てを受け継いだと言われている。
ハイジは、それは嘘ではないと考えている。
そうでなければ、アルベルトという長が死んだ後の犯罪組織を乗っ取り、そこからこの巨大な反政府組織の長として活躍するまでになるはずがない。
「ああ、俺達だけだと信用できないと思いましてな、立会人を一人、おいてます。ここで暴力沙汰が起きないことは彼女が証明するし、ここで交わした約束事は彼女が担保する」
そう言ってジャックが顎をしゃくるのは、離れた場所で立って様子を窺っている女だ。
右耳を失ったダークエルフ。ハイジとは顔見知りでもある。
今やエリピア大陸を牛耳る巨大な商会、ミサリナ商会の『死神』ミサリナだ。
「よく知ってるでしょうが、こいつは中立です。儲かる方にいくだけですからね」
「知っています。あなたも久しぶりですね、ミサリナ」
「本当に来た。正直、さっきまでジャックと賭けをしていて、あたしは来ない方に賭けてたわけよ。損しちゃった」
呆れ顔で肩をすくめるミサリナは、エリピア大陸で起こる揉め事の全てに首を突っ込み、そこで金を吸い上げていることで有名だ。人の死を金にしているから、通称は死神。『ノライ独立戦線』にも、資金援助をしているという噂がある。
「しかし、確かにミサリナは中立かもしれませんが、信用できるかというと難しいですね。何もかもが金次第、な人ですから」
「そう言うと思って、もう一人立会人を。ハイジさんは初めてですな。彼女は……」
「名前は知らないけれど、見たら分かります。レッドソフィーの聖女ですね。確かに、立会人としてはこれ以上なく信用できます」
ハイジが言うと、ミサリナの横に立っていた赤いローブの女が頭を下げる。
その拍子に顔が見えて、その幼さにハイジは驚く。
ただの、少女だ。だがその眼光の鋭さは意志の強さを感じさせる。おそらく、他の聖女と同じように何があっても自らの意志を曲げることはないのだろう。
少女は、さっきからその幼さとは不釣り合いなナイフを指先でくるくると弄んでいる。どうやら癖らしい。
「そこの聖女様は、トリョラ出身らしいですが、身内びいきみたいなことはしませんから安心を。レッドソフィーの聖女は、そういう存在ですからな」
「分かっています」
それで、とハイジは改めてジャックに向き直る。
「話を進めましょう」
「その前に、一ついいですかな」
「え?」
「ほっと」
突然、無造作にジャックは右手でナイフをハイジに向けて投擲する。
それなりの速度で飛んできたそれは、横から伸びてきた手に掴み取られる。
さっきまでそこにいなかったはずなのに、いつの間にか出現しているのはハイジの護衛。ハイジの陰から溶け出すように現れた。
「おい、話し合いをするんじゃあなかったか?」
そう言ってナイフを床に捨てるのはメイカブだ。城に忍び込み、自分の護衛をするようにハイジが前もって頼んでいたのだ。
「ああ。今のは確認ですぜ。まさか、本当に護衛や切り札を持たずにのこのこここまでやってくるのがトップだったらこの国の未来も暗いし、ここで話し合う意味もないですからな」
「合格ということですか?」
「まあ、ね」
そして、ジャックは深いため息を吐く。
彼が座りなおすと、途端に謁見の間がひりつく。周囲の部下達も身じろぎをする。
凄まじい威圧感。明らかに、かつてのジャックとは違う。
「ハイジさん、端的に言うと、もう限界です。分かっているでしょう、ロンボウの連中の旧ノライの人間への差別や排斥。トリョラなんて特にだ。旧ノライの人間の不満は限界ですな。もともと、ある程度コントロールするために組織化したって面もありましたが、もうこれ以上は抑えきれない」
それに、とジャックは目尻を吊り上げる。
「俺としても、組織の長である以上、奴らを守る義務がある。これ以上は、我慢できませんな。そもそも、アインラードと戦争になれば、どうせ旧ノライが犠牲にされるとうちの連中は思っている。だから、戦争の足音が聞こえてきて、自棄になっているという面もあります」
「私は、そんなことはしません。あなた達を犠牲にするようなことは」
「でしょうな」
ふっとジャックは鋭かった目を和らげる。
「俺は信じますよ。あなたのことを。ただ、問題は、うちの連中のほとんどはそれを信じられないことにあります」
「あなた達が反乱を起こせば、それを機に大戦争が始まるだけです」
「だとすれば、その混乱の中でノライが独立を回復するチャンスもあるかもしれない。どちらにしろ、今の状態ではノライ人はゆっくりと死んでいってるだけです。あなたがよくやっていることは分かっているが、もう限界です」
互いに退く気はない。
部屋に緊張感が高まる。
「私が、旧ノライの国民から信用されていないということですね」
「信用していないのが半分、あと半分は動けないだろうと思っているんですよ。それについては、俺も同感です。あなたはノライ出身だ。そのあなたがノライびいきの行動をすれば、旧ノライ人以外の国民からつきあげを喰らう。あなたは国民からの圧倒的な支持を背景に国の舵取りをして、それでどうにか戦争を回避してますからな。もしそうなれば、それはそれで結局戦争に突入してしまう、というのは邪推ですかな」
言い返す言葉はない。
ジャックの言葉は正論だ。
それは、ハイジが常々考えていることだ。もし、ハイジがノライ寄りの判断をしてしまえば、国民の信頼と支持を失う。そうすれば、好戦派とアインラードを止めることはできないだろう。
「だからハイジさん、あなたはこの問題に今、手を出すわけにはいかない。だったら、俺達が自分でやるしかない」
「戦争を、あなた方は望んでいるのですか?」
「当然、違いますな。ただ、戦争を防ぐという大義名分の元で、我慢するのは限界がきているというだけの話ですよ。戦争の気配が近づいて、誰も彼もが不安になっている。そうなると、叩き易いところを叩くというのは当たり前だ。吸収された国の国民や、その中でもトリョラとかいう掃き溜めみたいな犯罪者の町の連中を叩くのもある程度は理解できます。できますが、もうそろそろ、爆発する」
そこまで言ってから、にやっと人好きのする笑いを浮かべてジャックはフォローに入る。
「ああ、あなたが間違ってるという話じゃあないです。あなたはよくやってます。戦争を防ぐためには旧ノライとロンボウの確執の問題に全力で取り組むことはできないでしょう。戦争を回避するという点では、あなた以上によくできる人なんていないんじゃないかと思いますよ。あなたのやっていることは間違いなく正しい。ただ、その正しさでは救われない連中の集団を、今は俺が率いているって話です」
「戦争の完全回避のために、協力してくれませんか? その後でなら、私は文字通り、命を懸けてその問題に取り組みます」
「俺はそうしたいですよ。本当にね。けどね、ハイジさん、爆発寸前のうちの連中はもう、そんな言葉じゃあ動かないし、俺にも動かせない」
そういうジャックの表情と声から誠意を感じ、だからこそハイジは無力感に襲われる。
ジャックは嘘をついていない。本当に、そうなのだ。
だとしたら、これ以上自分は何が出来るのか。
このままでは、反乱が起きる。それが成功するか失敗するか結果が出る前に、連鎖的に無数の戦争が起こってしまう。
だがこれはもはや、誠心誠意訴えたり、あるいは誰か特定の確固たる『敵』を倒せばとめられるものではない。もっと漠然として、そして巨大なもの、流れとしか表現のしようがないものだ。
分かっているのに、避けられない破滅。
だが、ならば。
「どうして?」
「ん?」
「もう、どうしようもないというなら、どうしてこの会談の場を設けたのですか?」
それが分かっていながら、ジャックはどうしてハイジと話そうと思ったのか。こんな場所を用意してまで。この会談は実現のためのハードルは高く、しかし実現しても意味はない。全くの、無駄だ。
「んー、そりゃあ」
そこでジャックはちらりとミサリナを見る。
ミサリナは少し気まずそうに頭をかいて、
「あたしの提案なわけ。これをすれば、何かが起きるんじゃないかってさ」
「何か、とは?」
「何かは、何かなわけよ」
「いい加減、その変な意地を張るのは何とかならないもんかねえ」
ジャックは苦笑してため息を吐く。
「まあ、そういうことです。正直、俺も期待していますしね。ハイジさん、あなたはどうです? 夢みたいな話だけど、少し期待しませんかな?」
「だから、何をです?」
そう訊きながらも、その答えは自分でも分かっているような気がする。
「夢物語ですよ。こういう時は、何とかしてくれるんじゃないかって夢みたいな話を信じてるんですな。まあ、それこそ、ペテンにかけられてるってことかもしれませんが。夢みたいな話をカモに信じさせたら、ペテン師としては一流らしいですからな」
そこまでジャックが言ったところで、ナイフをくるくると指先で回していた聖女が、突如としてはっと顔を扉に向ける。
「誰か、来た」
聖女は、その幼さからは思いもよらない鋭さの声を出す。
その一瞬の後に、ゆっくりと謁見の間の扉が開く。
ハイジは信じられない思いでその開いていく扉を見つめ、そしてその向こうから現れる人影を凝視する。
「また来た。これで二連続で賭けは負け。大分、ジャックにもってかれるわけよ」
損した話をするミサリナの声が少しだけ嬉しそうに聞こえる。ミサリナを知っている人間なら、それがどれほど珍しいことか分かるだろう。
「結構、厳重に警備されてたはずなんですがね、一体、どうやってここまで来たんです?」
心底から不思議がっている調子のジャックの質問に、人影は揺れ歩きながら、答える。
「オオガミっていう、元殺し屋がいてね。体をやっちゃって、今は殺し屋廃業してるんだけど、そいつを使って、ああ、まあ、いいや。とにかく、別に誰も殺してないし怪我もしてない。気絶してるだけだ」
声は、ハイジの記憶の中のそれとほとんど変わっていない。多少しわがれているだろうか。
右手で杖をついている。片足、かつてフリンジワークに膝を壊された左足を引きずっている。
何かがこすれる音。胡桃だ。三個の胡桃を左手に握り、指の運動をするように、それをごりごりと転がしている。
黒髪は白髪が目立つようになっている。肌の色は相変わらず不健康に白い。
洗いざらしの黒のスラックスとジャケットはかなり色あせている。白いシャツだけは、新しいものを買ったのだろうか、やけに白く清潔そうだ。
顔をはしる無数の傷。目の下の染み付いているかのような隈。
そして、見ているだけで引き込まれそうになる、真っ黒い瞳。
かつん、と杖を突きながら、近づいてくる。
そのギクシャクとした動きを見ていると、何だか、見る度にぼろぼろになっているような気がして、ハイジは場違いにも笑い出しそうになって、真面目な表情をしてそれを堪える。
マサヨシがそこにいる。
「おい、また俺を失業させる気じゃないだろうな」
近づいてくるマサヨシにメイカブが文句を言う。
「いやいや、俺がハイジをどうにかするはずがないでしょ」
陰鬱な薄ら笑いと共にマサヨシは答え、そしてジャック、ミサリナ、そしてハイジの前に立つ。
「どうも」
「何をしに来たのよ、『ペテン師』」
挨拶もそこそこに、ミサリナが突っ込む。
「いやあ、今日はね、皆様にいい話を持ってきたんですよ」
へらへら笑うマサヨシの口上は、怪しいことこの上ない。まるきり、詐欺師、ペテン師の口上だ。
「どうせまた、俺達を騙す気でしょうが」
苦笑いして、片目を閉じてみせるジャックは、明らかにマサヨシが自分を騙そうとしているのを期待している。
そして奇妙なことに、ハイジもいつの間にかそんな気分になっている。
「マサヨシ」
「ん?」
どうして生きているのか、とか。これまでどうしていたのか、とか。いくらでも質問はある。
だが、ハイジはそれを質問するのを止めた。
それよりも、早く聞きたいことがある。
「本当に、いい話なんですか?」
「もちろん」
よくぞ聞いてくれた、とばかりにマサヨシは顔を綻ばせる。
「ジャック達は幸せになって、ハイジは戦争を回避できて、ミサリナは儲かる。そんな提案だ」
まるで詐欺だ。
そう思いながらも、ハイジは微笑んでしまう。
今は、彼のペテンが早く聞きたい。
それは、ジャックもミサリナも同じようだ。
「あなたは?」
「え?」
「それで、あなたはどうなるんです?」
「俺? 俺はもちろん、これがうまくいけば静かに暮らせるんだよ」
「嘘ばっかり」
ハイジの指摘に、ぎょっとマサヨシは目を見開く。
「え、どうして?」
「あなたは、静かに暮らせるなんてもう期待してないでしょう?」
「そんなことはないよ。まだ、挑戦中だ。今度こそいける気がするんだ」
急にムキになるマサヨシに、とうとうジャックとミサリナは噴き出す。
さっきまでの緊張感はどこへやら、意味不明な展開に、ジャックの部下や聖女は呆然と見守っている。
微笑みながら、ハイジはゆっくりと居住まいを正す。
「あなたがまた、私を騙して悪を為すつもりなら」
そして、笑みを消す。
「今度こそ、あなたを殺します」
それは、心の底からの本気の一言。
だというのに、その言葉とハイジの視線を受けて、にやりとマサヨシは口の端を吊り上げる。
「心配無用だ。絶対に、ハイジにとってもいい話だから」
そうでなくては、と喜んでいる自分にハイジは気付く。
だから、厳しい表情を維持するためにそっと頬の肉を噛む。
「これ、何か分かる?」
そう言ってマサヨシは胡桃を持ったままの左手でジャケットから木の板を取り出すと、それを全員がよく見えるように掲げる。
古びた木の板に何やら紋様が描かれているようにも見える。
謁見の間の全ての人間の視線が、その板に集中する。
ハイジは、自分が高揚していることを認めざるを得ない。
あの板が何なのかは分からない。けれど、これから何が起こるのかは分かる。
つまり、ペテンが始まるのだ。
おわりです。
活動報告に正式な後書き書いとくんでよかったら読んでください。