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13/202

パイン

 ミサリナのパインへのコネクションが強力なためか、それとも隠居をしているから暇だったのか、三十分後にはマサヨシはパイングッズの奥にある応接間に座っている。


 カフェでパイングッズについてミサリナから聞いた時、マサヨシは正直なところ半信半疑だった。何故ならパイングッズは決して大きな店ではないからだ。品揃えはそれなりではあるが、どちらかと言えば粗末な木造の店で、マサヨシの白銀の方がむしろ店構えとしては立派なくらいだ。

 そしてその思いは、応接間に案内されて座っていると強くなる。

 応接間と言っても、ランプが一つだけの薄暗い狭い部屋に椅子が二つと、机を挟んでもう二つ。椅子も机も、二束三文で買えそうな木造のものだ。しかも古い。


 ミサリナにかつがれたか、と一瞬疑うが、当のミサリナ自身がマサヨシの横に座っている。ここまで一緒にいて嘘をつく必要がないし、そもそも彼女に得はない。


「いやあ、お待たせして」


 声と共に現れたのは、長身痩躯の老人だ。綿らしいシャツと麻のズボンといった出で立ちで、服装は町を歩いている普通の老人と何も変わらない。

 髪は真っ白で撫で付けられており、にこにこと笑っていると皺の奥に眼が隠れてしまっている。


 ミサリナが立ち上がり、慌ててマサヨシもそれに続く。


「パインさん、この度は」


 挨拶をしようとするマサヨシを、


「いいからいいから、座って。二人とも座ってくれ」


 止めて、パインは座る。


 それを見て、マサヨシとミサリナもゆっくりと腰を下ろす。


「ミサリナ、久しぶりだな」


「ええ、お世話になっています」


「で、そっちがマサヨシ。噂は聞いているよ、マサヨシ=ハイザキ。ペテン師だろ?」


「いや、違います」


 まさかこっちの世界でもペテン師呼ばわりされるとは。


「違うのか? 裏で、皆が君の噂をしている。ペテン師だと。噂の出所はランゴウらしいが」


 そこで、ようやくマサヨシは納得する。

 目の前の老人は、少なくともただの老人じゃあない。情報網を持っている。


「ランゴウ。そう、そのランゴウと、俺は今、ちょっと困ったことになってまして」


「そうらしい。だが、その内容まではわしは知らんぞ」


 言うパインの目をじっと見てみるが、マサヨシにはその皺に埋まった目からはそれが本当なのかどうかは読み取れない。


 どちらにしろ、おそらくは情報量が違いすぎる。ここで嘘をついたりして上手に出ようとするのは得策ではない。


「ワーウルフの盗賊団、ご存知ですか?」


「もちろん。困ったことだ。トリョラの経済活動を阻害している。ミサリナ、君にとってはビジネスチャンスかもしれないが。現に、馬車を手に入れた」


「いえいえ、安心して輸送できれば、それに越したことはありません」


 慎重にミサリナが答える。


「それで? その盗賊団がどうした?」


「俺は、あの盗賊団に殺されかけました。何とか逃げ出したんですが、その時に聞いたんです。盗賊団の協力者の名前を。ランゴウです」


「ふむ」


 パインは顎を撫でて、しばらく黙る。


「あまりにも、突拍子もないことに聞こえるな。奴は確かに後ろ暗いこともやってきているが、今ではトリョラの名士だ。代々の城主ともうまくやっている。君の言うことを信用する証拠は?」


「俺は酒場をやっています。その経営資金はランゴウから融資してもらいました。融資額はご存知ですか?」


 当然知らないだろうと思ってマサヨシが投げかけたが、


「ああ、知っている。確かに、尋常ではない額だ」


 知っているのか、とマサヨシは驚愕する。

 どこまでこの老人の眼と耳は広がっているのか。


「何か裏があるとしか思えない。そうだな。君があの男を脅した形になったわけだ。それで悔し紛れにペテン師と呼んでいる。なるほど。筋は通る」


 そうして、初めてパインの顔から笑みが消える。

 無表情になったパインの顔は、まるで木彫りの老人の面のようだ。


「それで、私にどうしろと? 確かにその話が本当ならランゴウはトリョラにとって害悪だ。しかし、奴も力は強い。奴と敵対すれば、私もそれなりの犠牲を払わなくてはならない。そうまでして君に協力しろというのか? 何のために?」


 黙る。

 マサヨシには、パインに提供できるような明確なメリットはない。自身が知る限りは。

 しかし、マサヨシには分かっている。

 本当にマサヨシがパインにできることがないのなら、パインはそもそも会わない。こうやって会うということは、つまり、彼が自分に何かして欲しいことがあるということだ。


 パインは黙ってしまったマサヨシをしばらく無表情で眺めた後、再び笑顔になる。


「察しは悪くない。使えそうな男じゃあないか、ミサリナ。言う通りだ」


「そうでしょう? あたしの見る目は確かってわけです」


 ミサリナは何故か自慢げに頷く。


「ああ、これから、ビジネスの話をしたい。ただし、この話を聞いたら、もう戻れないと思ってくれ。マサヨシも、ミサリナもだ」


 その話に、マサヨシは即座に頷く。

 ここで手を打たなければ死ぬ。迷っている暇はない。


 一方のミサリナも一瞬だけ躊躇するが、すぐに頷く。彼女の場合は眼を野心に光らせている。


「結構。普通、常套句としては、私を裏切れば家族を殺す、というようなものがある。しかし、君達には家族がいない。だから、こう言おう、裏切ったら君達を殺す。どこに逃げようが、捕まえて、できるだけ苦しめて、だ。これでいいかな?」


 笑ったまま言うのが恐ろしい。

 マサヨシはそれでも黙って次の言葉を待つ。それしかない。今更、「ならいいです」とは言うはずがない。


「トリョラは発展した。私がここに店を開いた時は、ただの岩が転がる荒野だった。今や不法移民、難民が流れ込み、その子孫が蔓延っている。彼らの多くは籍を持たず、不法な日雇いの仕事に就き、その日その日を過ごしている。金がなく、仕事がなく、夢もなければ未来もない」


 言い過ぎだろう、とマサヨシは思う。当然、口には出さない。


「そんな彼らの数が、そうだな、国の発表では五千人。実際には一万を超える。そのほとんどが、金を使うものが何か、分かるか?」


「食料です」


 即答したマサヨシに、パインは苦笑する。


「それはそうだ。生物だからな。しかし、食料はさすがに独占できん。嗜好品だ。彼らのほとんどが好む嗜好品。君も関わっている」


「酒ですか?」


「そうだ」


 また、パインの顔から表情が消えて木の面じみたものになる。


「彼らは必ず毎日酒を飲む。それだけではない。酒は彼らにとって、生活の手段となっている」


「違法の酒場と酒造ですね」


 ミサリナが口を出す。


「そう。酒場の方は規制が最近強くなっている。上と下には話を通しているが、肝心の城主が信じられない潔癖症で堅物だ。だが、もう一つ、仕事のない者達の生命線は生き残っている。そして、その流通こそが」


 パインは自らの頬を撫でる。


「私の仕事だ」


「つまり」


 慎重に言葉を選びながら、マサヨシは言う。

 既に、自分が底なし沼に踏み込んでいるのだという確信を抱いている。


「あなたは、トリョラでの酒の密造。そのルートを取り仕切っている」


「味はどうでもいいから、とにかく酔いたい連中でこの町は溢れている。一方、仕事がなく、法を犯すリスクをとってもその日を暮らせる金を得たい連中でも溢れている。粗末な工場を与えて酒を作らせ、それを買い取って飲みたがっている連中に売りつける。とても合理的だ。酒と金はトリョラの血液だよ。その血液の流れは、何十年も前から、私が取り仕切っている。そういうことだ」


 話がどういう方向に流れるのか未だに見極めがつかず、マサヨシは黙って待つ。


「あの城主によって、血液が澱みつつある。応急処置が必要だ。売る場所がなく、質の悪い酒がだぶついている。風穴が必要だ」


「俺の酒場で、売れってことですか?」


「察しがいい」


 パインが頷くのを見てマサヨシは驚く。まさか、それが正解だとは思ってもみなかったからだ。


「どうやって売るんです?」


「いつも売っている酒に加えて、もっと安い酒をメニューに入れればいい。もちろん、密造酒とメニューに書くわけにはいかない。適当な安酒の名前で出すんだ。帳簿を改ざんする必要がある。実際にその安酒を仕入れたていにしなければならないから、ミサリナの協力も不可欠だな」


「それで、密造酒が飛ぶように売れて捌けるとでも?」


「酔えればいい連中は、より安い酒を求める」


「そういうことじゃあありません」


 妙な話の成り行きに、マサヨシは困惑を隠せない。


「一つの酒場で密造酒をこっそりと売るようにしたからといって、たかがしれているはずです。この町であなたが仕切っている密造酒のうちの、ほんの僅かを捌けるだけでしょう。一体、それで何をしようって言うんですか?」


「その通りだ。一つの酒場ではな」


 そう答えたパインとマサヨシはしばらく見つめ合う。


 まさか。

 マサヨシは目を見開く。ようやく、この話がどこに向かうのかが予想できたからだ。





 パインの提案は、密造酒の販売だけではない。

 更なる出店も含まれていた。つまり、白銀の二号店、三号店の出店だ。当然、再開発地区にはあれ以上店をもてないから、それ以外の地区に出店することになる。

 当然、出店には再開発地区の店を買ったのとは比べ物にならない金がかかるが、それはパインが融資するという話らしい。

 マサヨシに求められているのは、城主を説得し、彼女に怪しまれないように次々と酒場を出すことであり、そこで密造酒を販売するシステムを構築することだった。

 きちんと許可を取った、落ち着ける場所である酒場、そこで密造酒を販売する。このシステムを確立すれば、密造酒を販売するリスクもコストも減る。いずれは、そのような酒場による販売網をトリョラに張り巡らせる。これがパインの計画だった。


「密造酒の販売ルートが潰されているのは城主がハイジであるためだが、この計画を進めるためには彼女が城主であることが必要だ。融資に次ぐ融資を行い店舗数を急激に増やすなど、通常は怪しまれる」


「彼女だって怪しむと思いますが」


 さすがにハイジを舐めすぎだろうとマサヨシは思う。


「それを説得しろ。君がだ。いいか、今の君の価値は何だと思う?」


「ええと、目と髪が黒い」


「剥製にするなら希少価値はあるだろうが、君の人材としての価値は今のところ二つだけだ。酒場のオーナーであり、城主とそれなりに親しい。それを最大限利用して私に利益をもたらさないのであれば、私にとって君と付き合う価値はない」


 その言葉は厳しいが、その一方で当然ではあった。

 確かに、彼にとって自分の利点はそこにしかない。命がけでハイジを口説き落として、トリョラに酒場を、密造酒を販売する酒場を作り続けるしか道はない。

 マサヨシは妙に納得してしまう。言葉の裏をかかずに済むのは楽といえば楽だ。


「マサヨシとミサリナ、酒場のオーナーと商人、二人がこの商売に協力してくれれば、全てはスムーズに進む。リスクはあるが、リターンも大きい。どうだ?」


「どうだ、と言われても」


 マサヨシは笑ってみせる。


「俺は、従うだけですよ」


 実際、他の道はないのだ。


「ミサリナは?」


 マサヨシが顔をミサリナに向けると、彼女は静かに答える。


「あたしも、異存はなし。やりましょう」


「よろしい。では、ランゴウへは私が話をつけよう」


 パインが言って、立ち上がる。


「悪いが、もうすぐ孫が遊びに来る。出て行ってもらおう」


 こちらとしても長居する理由はないので、マサヨシとミサリナは立ち上がり、パイングッズを後にする。


「悪いな、巻き込んで」


 帰り道、マサヨシは呟く。


「気にしないで。正直、間に入るって時点で、ある程度予想してたってわけよ。パインの商売に食い込めるなら、それはあたしにとってもいいきっかけだから」


「リスクも大きい」


「その代わり、リターンも大きい。命がけでマサヨシの言うことに賭けたから、あたしは馬車を手に入れた。今度の件で、あたしは何を手に入れると思う?」


「さあ、それは分からない。けど、ミサリナ」


 世話になっているから、本心からマサヨシは忠告をすることにする。


「あの老人は最終的に俺達を食い物にするよ。間違いない。あの老人は利用するだけして、俺達を捨てる」


「分かってる。その前に、力をつけて、捨てるに捨てられないようにならないとね」


「自信があるのか?」


「なきゃ、ここにいない」


 目を吊り上げてミサリナは笑い、


「マサヨシは?」


「俺は、自信なんてない。けど、とにかくこの話に乗らなきゃ、安眠すらできない」


 神経は擦り切れる寸前だ。これ以上もつとは思えない。


「あなたを利用させてもらうわよ。あたしは、あなたとパインを食って大きくなる」


 ミサリナの目が獣のようになって、


「それがいい」


 マサヨシはそれを見て穏やかな気持ちになって、頷く。

 人は動物を好む。彼らは喋らず、嘘をつかず、素直で、見ているだけでこちらの心を癒してくれる。欲望に素直だから、彼らの望むものを差し出せば友達になれる。

 問題は、彼らの欲望がこちらに向いていて、なおかつ彼らの牙が届く範囲にいれば、こちらはただの餌にしからないということだ。飢えた狼と狭い部屋に閉じ込められては、何をしようともその狼と友達になることは難しい。餌になるのは簡単だ。


 これから犯罪行為にどっぷりと浸かることになる。

 そう分かっていながらも、マサヨシの精神状態は非常によかった。ずっと続く命の危険から解放されたのだ。何であろうとともかく喜ばしい。一種の躁状態になっている。


 だからだろう。

 マサヨシはこれまででは絶対にしない行為をする。

 ミサリナと別れて一人になった後、店への近道として狭い路地を通る。


 途端、視界が真っ暗になる。

 目がおかしくなったのかとマサヨシはパニックになる。音も変わっている。顔の周囲に何か妙なものを感じる。

 袋だ。袋を被せられた。

 そうマサヨシが気付いた時には、衝撃と共に意識が遠のく。

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