死7
道一杯に広がる兵士に驚き、暴走しそうになる馬を御者は必死で宥める。
じぐざぐと馬車は進み、ようやく道を少し外れたところで止まる。止まった馬車から御者は降りると、慌てて道を通行止めにしている兵士達の元へと駆ける。
「あ、あの、どうかしたんすか?」
「ああ、悪いな」
兵士達の中にいる一際目立つ男が笑いながら前に出て、御者の肩に手を置く。
「俺はメイカブだ。ロンボウの正式な兵だから安心してくれ。にしても、夜明け前からえらい急いでるな」
眠たいのか、メイカブはあくびを一つしてから、
「お前が運んでいるの、レッドソフィー教会の依頼のもので、間違いないか?」
「え、ええ。けど」
「ん?」
「ご存知でしょうけど、ほら、今トリョラでとんでもないことになってますから、それで俺だけじゃなくて無数にレッドソフィー教会の支援で物の行き来がありますよ」
「ああ、知ってる知ってる。けど、こっちには時間も余裕もなくてな、全部を調べることができないから、ヤマを張ったんだよ」
「は?」
「奴としてはロンボウの王城へ向かいたい。けど、普通にトリョラを抜けてロンボウの中心部に向かうルートは通らないだろうってな。分かり易すぎるし、そこはフリンジワークによってもともとかなり厳重に封鎖されてる。むしろ、いったんトリョラから別の国に出て、そこを経由してまたロンボウに入ってくるんじゃあないか。そう予想した。あれだ、奴がアインラードに偽物の信徒を入れた時に使った手だ」
「は、え?」
意味が分からずぽかんとする御者の顔をしばらく見て、
「ああ、悪い」
メイカブは目頭を指で揉みながら頭を振る。
「寝不足で、頭が回らないんだ。お前に言っても仕方ないことをべらべら喋ってた。とにかく、そういうわけでこのルートを通るのに絞って検問することにした。ぎりぎりだったが何とか間に合った。これまで、このルートを通った馬車には目的のものはなかった。これで六台目。記録ではこれが最後だ。多分これが当たりだ」
メイカブが顎で部下を動かす。
部下達はぞろぞろとおもむろに馬車に近寄っていく。
「ああ、ちょっと」
慌てて制止しようとする御者の肩に、メイカブの手が置かれる。
「心配しないでも、この件でお前が責任取ることにはならない。フリンジワークからも迷惑金を払うつもりだ。問題ないだろ?」
なあ、と言いながら手に力をこめてくるメイカブに、御者は生唾を飲みながら何度も頷く。
「あったか?」
荷台に向かってメイカブは叫ぶ。
「はい、棺がいくつか」
「あけろ。釘打ちされてるか?」
「はい……いえ、釘打ちされていないものもあります」
「なるほど」
ふっと、メイカブは笑う。
「つまり、中から開けられる棺ってことだ。開けてみろ」
「はい」
そして、物音と部下達の驚きの声が短く聞こえ、やがて入った兵士達のうち、二人の兵士が荷台から降りて戻ってくる。そして、その二人に両側から抱えられ、人が一人、連れられてくる。
余りのことに身動きできず、言葉も出せない御者の肩から手を離し、メイカブはそのつれてこられた女、ダークエルフの女に無造作に大股で近づいていき、
「よお」
「どうも」
そのダークエルフは両腕を拘束された状態で、へらへらと笑っている。
「ぎりぎりで間に合った。ミサリナ。会えて嬉しい」
「あたしは、まあ、嬉しくも悲しくもないわけ」
力なく笑うミサリナの目には隈がある。
ずっと、棺の中に入って、眠るにも眠られずにいたのだろう。
メイカブは少し腰を落として、目線をミサリナに合わせる。
疲れこそあるものの、ミサリナの目には怯えや怒りといったものはない。
「計画はこれでおしまいか?」
「多分。ま、絵を描いたのはマサヨシだから。ねえ?」
「ん?」
「あたしを殺すわけ?」
「さあ。それは、フリンジワークの決めることだ。とりあえず、王城まで来てもらうぜ」
「へえへえ、分かりましたよ」
へらへらとした笑みを消さず、ミサリナは両腕を掴まれたまま肩をすくめるという器用な真似をする。
「もちろん、お前だけじゃあない。連れて行くのはな」
そしてメイカブは背を伸ばして、荷台にまた目をやる。
「何も聞いていないのか、お前は? 『ペテン師』から、実際に王城に近づいて何をしようとしていた? 何をして、戦争を止めるつもりだった?」
「本人から直接聞いてよ。何も知らないわけよ。拷問とか止めてよ、本当に」
「フリンジワークなら暇つぶしにやるかもな。嫌なら、今のうちに舌でも噛め」
言い捨てながら、メイカブは眉をひそめる。
荷台の方から、残りの部下達は出てこない。がたがたと物音は聞こえるが、何かを発見したような様子がない。
やがて、困惑した表情で部下達がぞろぞろと馬車の荷台からでてくる。
「どうした?」
「いません」
部下達は揃って首を振る。
「いない?」
じわじわと広がっていく驚愕を顔に出さないように抑えようとするが、抑え切れない。
「ええ。棺には、そいつの他には死体だけです。念のために、釘打ちされているのを全部調べましたけど、もう、生きているものは何もありません」
馬鹿な。
メイカブは自分の世界が崩れていくのを感じる。
そんなはずはない。これが最後だ。この馬車の荷台、その棺桶に入ってでなければ、一体どうやってトリョラを脱出するというのか。
反射的にミサリナの方を向いたメイカブは、荷台の方を見てさっきまでのメイカブと同じように目を見開き、驚愕の表情をしているのを見る。
嘘はない。
ミサリナも、驚愕している。
「おい」
だが、メイカブが声をかけると同時に、ミサリナは体をくの字に折ると、びくびくと肩を震わせながら笑い出す。
「あははっ、はっはっはっ」
あまりにも激しい、狂気的とも言えるその笑い方に、ほとんど関係ないはずの御者はもちろん、部下達すらおびえた視線を向ける。
「何がおかしい?」
「ふふっ、ふ、いやあ、てっきりあたしも、同じ荷台に乗ってるとばっかり思ってたわけよ。それが、まさか、あたしも騙していたなんて、あの『ペテン師』が」
「だが、何故だ。もう、この後に送られた記録はない。これしか、トリョラから脱出して王城へ近づくルートはないはずだ」
「そうね。けど、脱出するだけならこのルートじゃなくてもいいわけよ。別の国に脱出するだけなら、別の馬車の荷台の棺桶に入ってもいい」
「馬鹿な」
吐き捨てる。
「一度他の国に脱出して落ち着いてから何かしようとしても、戦争はとめられない。間に合わないだろう。脱出だと? 逃げたいだけなら、そもそも戻ってこなければよかっただけの話だ。奴は、何のつもりで」
メイカブの言葉に、応えるものはいない。
いや、しばらくしてから、笑いの収まったミサリナが、ふっと寂しそうな顔をして、
「逃げたのかも。やっぱり、命が惜しくなって。考えられないことじゃない。普通の人間なら、よくあることなわけ」
「『ペテン師』が普通の人間か?」
「あたしが見る限りは」
細い目をして、ミサリナは視線を遠くに合わせる。
「根っこの部分は、どうしようもなく小市民だったわけよ、あいつは。変っていうなら、本当はあたしやジャックの方がよほど変だったかもしれない」
「分かっているのか、ミサリナ。お前はマサヨシに見捨てられた。お前もマサヨシの居場所を知らないと言っても通らない。さっきのは冗談じゃあなくなってきたな。ミサリナ、今のうちに死ぬことを勧めてやる。このまま王城に連行となれば、拷問を受けることになるぞ」
本心からのメイカブの忠告に、ミサリナはまた両腕をつかれまたまま肩をすくめてみせ、そして空を見上げる。
「まあ、いいんじゃない。あいつがあたしを犠牲にして命惜しさに逃げ出してさ、それでどこかで怯えたり罪悪感に苦しみながら生きて、小さな幸せを見つけたりとか、そうやって生きていくっていうの、結構救いのある話なわけよ」
空に向かってミサリナは微笑み、
「さ、これ以上、ここにずっといても仕方ないわけよ。連れて行ってくれる?」
と、落ち着いた口調でメイカブと部下達に語りかける。
めりめりと音がする。
世界が破壊される音だ。
そして、暗闇の世界が破壊されていく。無数の光が差し込み、暗闇をばらばらにしていく。やがて、一際大きな音と共に暗闇が完全に消失して。
マサヨシは光に目を眩ませ手で目を覆いながら、体を起こす。
久しぶりの広い空間。久しぶりの新鮮な空気。
マサヨシは全身を伸ばし、深呼吸する。
好きに体を伸ばし、呼吸できることがこれほど素晴らしいことだとは思わなかった。
「マサヨシ、大丈夫か?」
「ああ、うん、ありがとうね、スヴァンさん」
ようやく光に目が慣れて、傍に立っている、くぎ抜きを持った老人にマサヨシは顔を向ける。
「伝言、受け取ってくれたんだ」
「ああ。傭兵が村に来た時は何事かと思ったがのお」
スヴァンは一人ではない。
数人の村人らしき若者がその周囲を囲んでいる。緊張のためか、スヴァン以外の彼らはひたすらに体を硬直させている。
「悪いね、また厄介ごとに巻き込んで」
「今更だ」
「確かに」
それでも、選んだ村の人間と一緒に馬車の荷台から棺桶を降ろし、人気のない山の中まで運んでから開けるというのは中々の重労働だったはずだ。
「とにかく、礼を言うよ」
だから、マサヨシは二度目の礼を言う。そして、棺から出るとその場をうろうろと歩き出す。
「それにしても、トリョラは大変だったようじゃな」
スヴァンの言葉に、久しぶりに自分の足で地面を踏みしめる感覚を楽しんでいたマサヨシは我に返る。
「ん、ああ。けど、ほら、俺は生きたまま脱出してやったよ。ざまあみろだ」
まだぎこちない動きの自分の足を見ながら、マサヨシは言う。
「なあ、マサヨシ」
「うん?」
「結局、お前は何がしたかったんだ?」
その言葉に、ゆっくりとマサヨシは顔を上げて、スヴァンに視線を合わせる。
「どうせ逃げ出すなら、ずっと隠れていればよかったじゃあないか。トリョラに戻らずに」
「自分でも、分からないんだ。実際」
ただ、とマサヨシは自分の顔を撫でて苦笑する。
「単に、友達に会いたかっただけかもしれないね。で、命が惜しくなってすぐに脱出だよ」
スヴァンは、じっとマサヨシの顔を見つめている。
それが本心なのかどうか、見通そうとするように。
マサヨシは、苦笑いを消さないまま、じっと妙に冷たくなっていく目で、スヴァンのその目を真っ直ぐに見返す。見返し続ける。