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死6

 肘を打ち砕かれ、肩に矢が刺さり、二の腕は数箇所刺されている。

 もう、左腕は完全に動かない。

 ジャックは右腕一本で剣をまず肩に担ぎ、それから全身を使ってその剣を振り下ろす、という動作をさっきから繰り返している。


 三人斬ったところで、とうとうジャックは剣を取り落とす。もう、右手の指に力が入らない。


「ちっ」


 舌打ちして、目の前の敵を殴りつける。

 全力のそれは、しかし相手を少しよろめかせるだけで、逆に反動でジャックの方が後ろに大きくよろめき、背中が瓦礫にぶつかる。


「はっ、終わりか」


 そんな言葉と息を吐きながら、ずるずるとそのままジャックは座り込む。

 もう、立っている体力すらない。落ちていた剣を、ほとんどない右手の握力を駆使してジャックは拾って引き寄せる。


「けど、結構、やったな」


 半死半生のジャックを囲むのは、十数人の無法者達。

 引きつった顔でジャックを見下ろし、武器を両手に構えている彼らを見回し、ジャックは血を少し吐き出しながら笑ってみせる。


 意外に、敵側の被害は大きいらしい。

 もちろん、この場にいるのはトリョラを舞台に暴れまわっている連中のごく一部の勢力に過ぎないのだろうが、少なくともこの場にいる、あの避難所に攻め込もうとしている連中の大部分は削ってしまっていたわけだ。


「その戦力じゃ、もう、あそこに攻め込んで敵陣突破は無理だな」


 もう、遥か彼方にあるようにも見える本来の守備ラインに目をやる。

 少なくとも、ジャックがやったことは時間稼ぎくらいの意味はあったらしい。

 陣形を完全に整えつつある部下達の姿が見える。ばたばたと伝令が走り回っているのも見える。混乱を脱して状況を把握し、今度は、ジャックが囲まれている状況に対してどのように行動するべきかということで今更ながら小さく混乱しているらしい。

 だが、心配することはない。ドラッヘが指揮官として機能している以上、陣形を崩して今の自分を助けに来ることはしない。

 そしてそうである以上、少なくとも今の戦力であのラインは突破できない。


「構わんさ」


 囲む敵の一団の中から、一人、比較的落ち着いている男が答える。


「元々の仕事は、お前を引きずり出して殺すことだ。そのついでに略奪しようってだけの話だ」


 熊のような男だ。

 といっても獣人というわけではなく、単に髭だらけでがっしりとした体格だというだけだ。他の敵の態度からして、この男が敵のリーダー格らしい、とジャックは判断する。


「くく」


 ジャックは笑う。


「何がおかしい?」


「いや、『ペテン師』のが感染ったのか、それとも色々諦めて力が抜けているのがいいのか、色々と見えてきてな」


 かすれた声でジャックは言う。


「あんた、そんなことを俺に言う必要はない。それなのに、わざわざ俺にそんな言葉を返すってのは、あれだ、自分に言い聞かせてるんじゃあないか? 不安が、透けて見える。本来の指揮官と連絡でもつかないのか?」


「ふん」


 苛立たしげに男は鼻を鳴らす。


「何とでも言え。いくら勝ち誇ったところで、俺達の勝ちなんだよ。標的のお前を殺せるし、ここにボーナスの標的もある」


 熊めいた男が足蹴にするのは、地面に転がっているアルベルトだ。

 斬られ、矢が何本も突き刺さったアルベルトの体は、男に足でごろりと転がされ、腹を踏まれる。


「何をほざこうが、お前の負け。俺達の勝ちだ」


「じゃあ、殺せよ」


 ジャックは言う。

 これで、少なくとも部下達が狙われることはなくなるし、標的が全員死んだとなったらトリョラの混乱も治まるかもしれない。無法者共も減らしに減らしてやった。

 まあ、かなり理想的な落としどころじゃあ、ないか?

 そんな気がして、ジャックは全身の力を抜いて、最後に備える。


 囲む男達が、輪を縮める。


 男達に踏まれていくアルベルトの体を見ながら、ジャックは長く息を吐く。

 あいつを、助けてやりたかったが。それだけが、心残りだ。


「悪いな」


 呟く。

 地獄で、世話を焼いてやるから許せ。


 疲れた。

 死への恐怖や苦痛よりも何よりも、疲労だけがぱんぱんにジャックの内部を満たしている。フィオナの顔を思い浮かべる。

 あの姉は、自分の死を知って泣くだろうかと考える。そうだとしても、さっさと死にたいくらいに疲れている。

 これは、今までの蓄積した疲労なのかもしれない。

 ジャックは全身の力を抜いて息を吐き出しながら、思う。

 兄貴分なんて器じゃあないことをずっと無理して続けてきた。そうやって溜ってきた一滴、また一滴という疲労が、とうとうあふれ出した。それだけの話かもしれない。


 最期くらい、兄貴分なんてのをやめよう。

 本来の自分は、人に頼ってばかりの、泣き虫の、弟分の側の人間だった。

 不敵な男の仮面を最期に捨ててみようとする。あるいは、身にまとった強いジャックという鎧を脱いでみようとする。だが、やり方が分からない。

 いつものジャックのように、敵を前に未だにジャックは笑い、ぼろぼろになりながらも剣を手放せないままだ。

 まったく。

 内心毒づき、ジャックは自らに呆れる。

 あまりにも長い間、強い皆の兄貴分を演じすぎたせいで、やめるにもやめ方が分からなくなっているらしい。

 もう無理だと悲鳴を上げているというのに、どうしていいのか分からない。


 もう死が目前だ。

 兄貴分をやめてしまえ。怯えて泣き出せ。命乞いをしろ。

 なのに、できない。


「畜生、やめたいのにな」


 誰にも理解できない呟きをして、迫りくる敵を無視して、ジャックは兄貴分をやめられないかと自分の中で四苦八苦する。


 輪が更に縮まる。


 半死半生で、腕一本動かす力も残っていない。そもそも、何もせずほっといてもどうせそのうち死ぬ。そんな状態の自分相手に、何を怯えているのやら。

 苦笑しながら、四苦八苦をやめて最期に備えてジャックは目を閉じる。いや、閉じようとする。


「うぁっ」


 敵の一人が、あらぬ方向を見て声を上げる。

 全員が、そちらを向く。向こうの守備ラインを。


 十数名、無法者達とほぼ同じくらいの人数の兵士達が、一斉にこちらに向かって駆け出してきている。


 あまりにも自分にとって都合のいいその光景を、ジャックは死に際に見た夢なんじゃあないかと疑いながらぼんやりと眺める。


 一体、何が起こっている?


「ぎいいぃっ」


 絶叫。

 そちらに視線を向ければ、駆けてくる兵士達に気を取られていた一瞬のうちに、信じられないことが起きている。

 死んでいると思っていたアルベルトが跳ね起き、しがみつくようにしてあの熊のような男の下腹部に深々とナイフを突き刺している。


 死人のような真っ白い顔に目を充血させ、歯を食いしばって必死の形相でアルベルトはナイフを捻じりこんで行く。


 慌てて周囲の男達が剣や棍棒を叩き込んでアルベルトを引き離すが、すでに熊のような男は倒れて白目を剥き、痙攣したまま泡を吹いて絶叫し続けている。


「くそっ、お、ああっ」


 リーダーが殺され、どんどん迫ってくる兵士達に気圧され、男達の混乱は加速する。


「逃げろっ」


 男達の一人が叫ぶと、それが合図になる。

 全員が、振り返りもせずに逃げ出す。わらわらと。

 まるきり、烏合の衆だ。絶叫が終わりぴくぴくとしか動かなくなった熊のような男を置いて、逃げていく。


 まるで嵐のように、一瞬のうちに男達はいなくなる。


「おい」


 男達が走り去った後に、四つん這いになってジャックは歩み寄る。その熊のような男の横、ずたずたにされたアルベルトに。両腕は辛うじて胴についているような状態で、目は閉じられ、血に染まっていない部分の肌は蝋のように白い。


「おい」


 もう一度声をかけると、瞼を震わせながらアルベルトはゆっくりと細く目を開ける。


「ああ」


 かすかな声。

 同じく死にかけのジャックも声は弱々しくかすれているが、それと比べても酷く弱い声だ。ジャックは聞くために耳を口元に近づける。


「死んだふり、しているうちに本当に死ぬところでした。元々、死にかけですし」


 そこで笑おうとしたらしいが、アルベルトの口からは血だけが零れる。


 しっかりしろ、と言おうとしてジャックはやめる。

 アルベルトがもう死ぬことは彼自身もジャックも分かっている。今更そんな言葉には意味がないし、そもそもジャックの方だって半死半生で、今にも倒れて死んでもおかしくない状況だ。


「ジャックさん、いますか」


「ああ、いる」


 もう、見えていないらしい。

 だから、ジャックは精一杯の大きな声で返す。


「ようやく、分かったんですよ。マサヨシのこと。どうして俺はあんなに、嫌いだったのか。俺みたいだからです。同じような状況に追い込まれたら、俺もマサヨシになってた。それが分かってたから、嫌いだった」


 命をそのまま吐き出すような長い息を吐いて、アルベルトは見えない目を空に向けて喋る。


「俺だけじゃあない。きっと、誰もがマサヨシのことを気にしてたのは、自分に似てる部分があったからだ」


「そうか。そうだな」


呟いて、ジャックは納得する。


「確かに、そうだ。あの人は、結局、取るに足らない普通の人間の持ってる、弱さとか嫌な部分を集めたみたいな人なのかもしれない」


 だから助けてやりたかった。

 ジャックは今更、自分がどうしてマサヨシと相棒のように付き合っていたのかを理解する。期待していたような男ではないと、その本質を理解した後でも。

 助けるべき弟分。その弱いところや悪いところを集めたような男が、マサヨシだった。


「あの人は、凡人、ただの一般人だ。俺と同じく。だから、ハイジや、シャロン、フリンジワークの裏をかけた。あいつらは、普通の凡人の気持ちなんて、分からないから」


「かもな」


 喋りながら、若くして死ぬ少年の最期の会話がこんな内容でいいのだろうかと思う。

 この少年は、年相応の何かを失ってここまで生きてきたのだろうか。自分と同じように、命乞いや死ぬのが恐ろしいと口に出すことさえできないままに。


「……ジャックさん、聞いてる?」


「聞いてるよ」


 だが返事をしても、しばらくの間アルベルトは何の反応も返さず、びくりびくりと震えた後、


「聞いてる? ジャック、さん。寒いよ」


 どうやら、もう聴覚も駄目になったらしい。

 ジャックの返事を待っているのか、少しだけ黙った後、ゆっくりとアルベルトは息を吐いて、


「終わりだ」


そして、感情のこもっていない声で、かすかに呟く。


「最期に、マサヨシと話したかったけど、まあ、仕方ない。死ぬ時には、皆未練を残すもんなんだろう」


 それきり、黙る。


「おい」


 右手で肩を揺すろうかとして、ジャックは思いとどまる。

 薄く開いた目には既に光はないし、そもそもこれだけ近づいているから、呼吸をしていないことも分かる。

 つまり、自分より先にこの少年の方が死んでしまったということだ。


 兄貴分気取りが、弟分の方を先に目の前で死なせる。

 何のことはない。兄貴分を最期にやめようと努力するまでもなく、自分にその資格はなかったわけだ。自分はそんなたいそうなものではなかった。

 そう思うと、出血もあってジャックの気がふっと遠くなっていく。

 体が軽い。ようやく強い兄貴分という鎧を脱げた気持ちだ。このまま死ぬのならそれは願ってもない死に方。

 意識が遠のいていく。


「ジャックさんっ」


 今にも意識を失おうとそのままの姿勢でいるジャックに、兵士達が走り寄ってくる。


 その声に、ふっとジャックは意識を引き戻される。

 別に有難くはない。不快なだけだ。


「ご無事ですか?」


 訊いて返事をもらう前に、ジャックがどんな状況なのか間近で確認して、兵士達は体を硬直させる。


「一応、生きてる。今はな」


 この上なく簡潔に、ジャックは自らの状態を言い表す。


「すぐ、救護班をっ、俺が背負いますから乗ってください」


 部下の一人が叫んで背中を貸そうとする。


「なあ」


 だが、死んでしまう前にどうしても聞いておきたいことがあるので、その背中に乗る前にジャックは部下達に質問をする。


「どうして、ここに来たんだ?」


「え」


 その質問に、部下達は顔を見合せる。


「ドラッヘが命令したのか?」


 血が足りないためか、急速に冷たくなってぼやけている頭を必死で制御して、なおも質問を続ける。

 あのまま死ぬはずだったのが、伸びた。一体、何が起こって自分の命が少しだけでも引き延ばされたのか、どうしても気になる。


「いえ」


「じゃあ、どうして。命令違反は、重罪だ」


「いや、だって、なあ」


「ああ」


 部下達は頷きあい、


「いくらなんでも、目の前でジャックさんが殺されかけてるのに気付いたら、助けに行きますよ。兄貴みたいなものなんだから」


 一人が、こんなことを言う。


 それを聞いて、ジャックは目眩と共にどっかとその場に倒れる。


「ああ、畜生」


 慌てて取り囲み、何かを喚く部下達の声を薄れていく意識の中で遠くに聞きながら、


「死ぬまで、兄貴分はやめられなかったか」


 呟いてから、意識を手放す。

 お前がやめられるわけないだろうと、にやりと笑っているマサヨシとアルベルトの顔が最後に並んで二つ浮かぶ。

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