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死5

 よろよろと、ずたずたになって折り重なった敵の死体の山を椅子代わりに、腰を下ろす。

 長い、長い息を吐く。魂まで吐き出してしまいそうな息。

 体の内側に泥のようにへばりついた疲れは、今や限界に達している。もう、手を挙げることすらできない。


「疲れた……」


 かすれた、小さな声で呟いて、それきりあまりの疲労に動けない。


 そうして、死体の山の上で座り込んだまま、ジャックは動きを止める。彫像のように動かない。右手にはあまりにも固く握りしめ、そのまま固まってしまって自分の意思では指を柄から外すことすらできない、ぼろぼろに欠けて血塗れの剣。

 毛には半分乾いた泥と、敵と自分のものが混じり合った血がびっしりとこびりついている。元の毛の色が分からないくらいにびっしりと。

 矢が数本と、剣の破片がいくつか、体に刺さっている。引き抜く気力体力はないし、引き抜けば出血でそのまま終わりかもしれない。

 疲れた。喉が張り付いたようで、呼吸ができない。

 ジャックはうつむいていた顔を、よろよろと上げて空に向ける。


 普通なら降っていると意識すらしないような、僅かばかりの小雨が降っている。

 大きく、空に向けて口を開ける。

 小雨がジャックの口に少しずつ、少しずつ流れ込む。ある程度たまったところで、ごくりと喉に落とす。

 おそらく量にすれば一滴程度の水。だがそれでも、張り付いていた喉を開かせ、乾いた砂のようだった全身にいきわたる。


 しばらくそうやって無防備に座って空に向かって口を開けていたが、やがてジャックは上げた時と同じくよろよろと顔を前に向ける。


 瓦礫。そして死体。この周辺に散らばっている死体は六割が敵、二割が味方、そして残り二割はおそらく逃げ遅れたのであろう民のものだ。

 そして少しだけ距離を置いてから、ぐるりと遠巻きに敵がジャックを囲んでいる。


 混戦の最中、前に前にと出続けていたジャックはいつの間にか味方から孤立していた。いや、本当は自ら望んで、味方から離れて遥か前方、敵しかいない場所まで突き進んだのだ。

 そちらの方がやりやすかった。味方が周囲にいなくなった分、ジャックは捨て身で目に入るもの全て、周囲の者全てに対して暴れた。

 結果、たった一人かつ疲労困憊のジャックに対して、敵は腰が引けて、全員で距離を置いている始末だ。


 この隙に、背後の味方がジャックを助けに来そうなものだが、どうやら背後ではちょうど大きな混乱が起きているらしい、というのはジャックも背中で感じている。

 ドラッヘが倒れた、襲われた、毒、という叫び声や報告の声が断片的に聞こえる。

 ただ、どうやら混乱は最小限で治まりそうだった。一瞬だけ混乱していた指揮系統も、急速に回復しつつあるのを感じる。


「ほら」


 かすれた、しかし通る声でジャックは敵に呼びかける。


「よく分からんが、お前らの策は失敗したらしいぞ。今のうちに俺を殺しておかないと、また味方が来る。殺せなくなるぞ」


 今のうちに俺を殺しておけよ。

 そう、ジャックは本心で思っている。今更、自分が殺されたからこの大規模な殺し合いがストップするとは思っていない。思っていないが、自分が死なない以上終わらないのも確かだ。

 マサヨシに、できるだけ足掻いて、多くの人を巻き込んで、苦しめて、死なせて、それから死んでくれと頼まれた。そして、その頼みを受けた。

 だが、そろそろもういいだろう。死んで終わりにしても。


 ジャックの言葉に反応したのか、囲む敵たちに動きがある。

 だが、近づいて来ようとするものではない。

 あるものは弓を構え、あるものは礫を準備している。


 意気地のない。

 苦笑するジャックに向かって、矢と礫が放たれる。


 かわすつもりもなく、防ぐつもりもなかったが、ほとんど条件反射のように飛来してくるそれに向かって剣を振るう。

 もはや両手で持つことすらできず、無造作に右手一本で振るっただけの剣だが、それでも幸運にも矢を一つ、それから礫をいくつか防ぐことができる。

 だが残る矢と礫に体を撃たれ、その衝撃でジャックは敵の死体の山から転げ落ちる。


「ああ」


 息を漏らして地面に落ちる。

 だが、まだ息絶えてはいない。ただ、ずっと、ひらすらに喉が渇いている。痛みなどもうどうでもいい。この乾きだけが。

 地面の泥を舐める。それだけでも、全身が水分に歓ぶのを感じる。

 悲惨な様だな。自嘲しながら、ジャックは立ち上がろうとして、もうその力もなく、ただ泥の上でもがいて少しだけ転がる。


「……あ?」


 そして、転がった拍子に意外な人間と目が合う。

 最初、死体かと思った。実際に、たくさんの死体の中の一体に過ぎないように見える。だが、違う。わずかだが、動いている。そして、目にも弱くはあるが命がある。


「妙なところで、会うな」


 ジャックがそう言うと、その相手は弱弱しく笑って見せる。


 アルベルトだ。半死半生だったアルベルトが、泥と死体だらけの地面を、匍匐前進のように這っている。這って近づいてきている。


「俺より、酷い様ですね」


 そう言うアルベルトの声は、ジャックのものに比べれば張りがある。

 包帯だらけで、その包帯も泥にまみれている。そして顔には明らかに血の気がない。そんな状況でも、確かに、今のジャックに比べればまだマシかもしれない。


「ほっとけ。何の用だ?」


 言った途端、ジャックとアルベルトの僅かな間に、ちょうど降ってきた矢が突き刺さる。だが、ジャックもアルベルトも気にしない。


「これ」


 アルベルトが渡してきたのは水筒だ。

 受け取ると、半分くらいは中身がある。

 何か言う前に、ジャックは貪るようにしてその水筒に口をつけると水を一気に飲み干す。

 喉を水が通る度、今まで生きてきて感じたことのないような快感が全身を貫く。こんな美味いものを食べたり飲んだりしたことなどないように感じる。

 一気に水を飲んでしまったために、眩暈すら感じる。


「悪い」


 そして、空にしてからようやくジャックはまともに物を考えられるようになる。


「空にしちまった」


「いいですよ」


 アルベルトはゆっくりと体を起こし、座る形になる。


「おい、矢が当たるぞ」


「構いはしませんよ。それに、ほら、敵の死体の山とか瓦礫で俺達死角になっているから、どうもさっきのでジャックさん死んだと思われているらしいですよ」


 言われてみれば、もう矢も礫も飛んできていない。

 それにそもそも、今更それを恐れてどうすると言うのか。さっきまで死ぬつもりだったのだ。

 ジャックも、アルベルトにならって体を起こし、向かい合って地面に座るような形になる。


「まだ、後方は混乱してるみたいですね。もうすぐ立て直すでしょうけど」


「けど、ここまで助けが来るかどうかは微妙なところだ。守備ラインから離れすぎている。前に出過ぎだ。戻れ、アルベルト。死ぬ気か?」


「ジャックさんは、死ぬ気ですか?」


 沈黙。

 ジャックが死んだものと思った敵が、じょじょに近づいてきている気配だけをわずかに感じる。


「だったら何だ?」


 沈黙を破り、静かにジャックが訊く。


「俺も死ぬ、というのは、駄目なんですか? どうせ、俺も絶対に殺す標的に入ってる」


 ため息と笑いを同時に行ったような声をもらして、アルベルトは肩を揺らす。


「お前は若いだろうに」


「若い人間はまだまだ未来があるんだから死ぬなって考えなんですか? オヤジですねえ」


 死にかけのくせに、妙に爽やかに、下手をしたら今までよりも生き生きとした表情で、アルベルトは笑い出す。


 年相応の少年と喋っている感覚に陥って、ジャックは軽く混乱する。

 ひょっとしたら、これが素のアルベルトなのかもしれない。

 死が迫って、装うことを止めたのか。あるいは、単に、どうせ死ぬからと自分を許せているのかもしれない。


「と、言うよりもな、俺は兄貴ぶりたいんだよ、年下に対しては」


 返すジャックの言葉は、ほとんど無意識に自然に出たものだ。

 敵の足音が少しつずつ近づいてくる中、剣を支えにいつでも立ち上がれるように準備をしながら、敵に気づかれることを恐れるのも馬鹿馬鹿しく普通の声で話す。


「皆の兄貴分でいたいんだ、俺は。器じゃないけどな。多少無理して、そうやって振舞ってる」


「そうなんですか? てっきり、素がそれなんだと思ってた」


「いやいや、違う。実際、ガキの頃は情けないガキでな、うちの姉、フィオナはまあ気が強くて、姉にはいつも泣かされてたし、逆に姉貴に守ってもらったりもしてた。姉貴の後ろにずっと隠れてたな。それがまあ、体がでかくなってきて、力も強くなってくるとな、調子に乗りたくなる。今までの情けないのを埋め合わせるみたいに、人から頼られる兄貴分になりたくてそう振舞ってな」


 喋っている内容に思わず笑みがこぼれる。

 この話を他人にしたのは、これが初めてかもしれない。


「いつの間にか周りの連中から頼られて、持ち上げられるのが気分よくてな、どんどんエスカレートしていった。器以上のことを色々やったよ。ま、その中にはマサヨシさんに押し付けられたのも多いけど」


 だが、悪くなかった。楽しかった。

 多分。


「だから、特に若い奴には兄貴ぶる癖が出ちまうんだよな。だから死ぬなよ、アルベルト」


「もう遅いみたいだ」


「ん? ああ……」


 瓦礫の陰からこっそりと見れば、無法者たちはかなり近づいてきている。ジャックとアルベルトの話し声に気づいたのか、武器を構え、慎重な足取りでこちらにゆっくりと歩いてくる。


「まだ、俺達を助けに来るほど味方の余裕はないみたいだ。前に出過ぎたな。いや、最初から死ぬつもりではあったが」


「ドラッヘさんも、守備ライン崩してジャックさんを助けに来るような命令出さないでしょうしね。ただでさえぎりぎりなのに」


「そういや、ドラッヘさんどうなったんだ?」


「ああ、どうも、暗殺されかけたらしいですね。毒で。はっきりとは分かりませんけど、今は死にかけの状態で指揮を執ってるみたいです。解毒剤飲んだんで大丈夫なんじゃないかって話ですけど」


「あの人も大変だよな」


 完全に世間話のていで話を続けているうちに、完全にこちらの位置を把握したらしい敵が陣形を組みつつあるのを気配で感じる。


「さあて。立てるか、アルベルト」


「いや、立つのはきついですね。まあ、何かにすがってなら立つだけはできるかもしれませんけど」


「じゃあ、いいや。とりあえず俺がやる。俺が兄貴分ってのは無理をしてなんだ。最後ぐらい無理せずに、素のジャックとして大暴れしてやる」


 剣を杖代わりに、ジャックはゆっくりと立ち上がる。途端に、無法者共が目に入る。


 とうとう直に目でジャックを発見した敵たちがざわつく。


 一方、満身創痍のジャックは慌てるそぶりを見せず、ゆっくりと敵を睥睨して、


「ああ、そうか」


 と、はっと気が付いた顔をして、アルベルトを見下ろす。


「マサヨシさんの無茶なお願い、聞いた理由、今更分かったよ。結局のところ、俺にとってあの人は、ちょっと変わった形ではあるけど、弟分なんだな。それも、最悪レベルに手のかかる弟分だ」


「なるほど。それで」


「ああ。ダメな弟分ほど、可愛いもんだろ?」


 笑って肩をすくめるジャックに向かって、敵が殺到する。





「ありがとう」


 最後まで傷を隠したままで、ヒーチは馬車を降りる。

 体力の消耗と、傷の痛み、そして急に立ち上がる形になったため、地面に降りた拍子によろめく。


 気分が悪い。

 ゆっくり休みたいところだが、そんなことを言っている場合でもない。

 王城の近くで降ろしてもらったヒーチは、傷口が開かないよう、しっかりと手で押さえ、数歩歩くごとに壁に寄りかかって一呼吸休憩するというペースでゆっくりと歩く。


 道行く大勢の人は、そのヒーチの様子にちらちらと視線を送りながらも、声をかけたりはしない。


 またヒーチもその方がありがたい。

 よろよろと、少しずつ、王城へと近づいていく。

 こんな状況下で王城まで行ってどうするのか。

 血が足りないのか、考えがまとまらない。だが、もう他に行くべき場所はない。ここで一時休んで、という選択肢はない。それをしているうちに、戦争は始まる。

 シャロンを、殺さなければ。時間稼ぎになるはずだ。

 足を動かす。痛みで顔が歪むのを必死に耐える。

 内戦の頃を思い出す。

 父にいつ殺されるかと怯え、内戦の中で殺されることに怯え、怯えて怯えて怯え続けて、ある日決意した。父が恐ろしいなら父よりも強くなろうと。内戦が恐ろしいなら内戦よりも強くなろうと。

 肉体を鍛え、技を鍛え、精神を鍛え、頭脳を鍛えた。父からの虐待や戦場を自分を磨き上げる場所として、命の危険と引き換えにひたすら自分を鍛えた。怯えて、隅に追いやられ、やられる一方で死んでいく。そんなことにはならないように。

 怯える側ではなく怯えさせる側に。やられる側ではなくやる側に。負ける側ではなく勝つ側に。そう、そう決めた時から絶対に勝負には勝ち続けた。一時的に退くことはあっても、最終的な勝負では常に勝ち続けた。最終目的は常に達成した。暴力で勝てないのなら頭を使って、策では勝てないのなら暴力を使って、使えるものは全て使って、絶対に勝ち続けた。

 父は去り、内戦はいつの間にか自分がコントロールしていた。負けて死にたくないから勝ち続けていたのに、勝つこと以外の興味は消えていた。


 足を動かす。

 苦痛では、足を絶対に止めない。

 城門が見えてくる。門番の兵達にどう対応するか。自分の顔は知っているだろう。普通ならばそれは不利に働くが、それを利用して城内に入る方法もある。

 苦痛と疲労でまとまらない頭を必死で回転させて、ヒーチは考える。考え続ける。


 あらゆる能力が万人に勝っている。

 息子が、自分のことをそう評価していることは知っている。だがそれは正しくない。ヒーチには、自分のことがよく分かっている。

 自分が万人に勝っているのは、唯一つ。意志だ。鉄の意志。いや、強迫観念と言ってもいい。

 もう負けない、勝ち続けるのだ、と決めたあの日から、全てを勝つことだけに費やし、負けを認めることもなければ諦めが頭を過ることすらない。


 だから、戦争を止めるのが勝ちだと決めて、その勝負に乗った以上、ヒーチが止まることはない。殺されようともだ。


 足は動き続ける。何かに憑かれたように。


 あと数歩で、門番がこちらに気付く。

 最後の瞬間まで、必死でヒーチは考えをめぐらす。

 敢えて捕まる。話術でシャロンを呼び出せるか。いける。厄介なハヤブサもここにはいない。暗殺、可能か。いける、はずだ。俺の判断力は大丈夫か。

 もうすぐ、アクションを起こさなければいけない距離になる。


 その時、


「なあ、あんた」


 背後から声をかけられる。

 大通りを歩く大勢の中の一人ではない。大通りから王城の門へと向かうルート、その外れにある大きな木の陰に、一人の男が潜んでいる。潜んでいるというより、単に木に寄りかかって休んでいるだけかもしれない。

 考えに集中していたからか、それとも万全ではないからか、普段ならば確実に把握していたであろうその男の存在にヒーチは声をかけられるまで全く気付かなかった。


「誰だ?」


 足を止めたヒーチに、男は無造作に近づいてくる。

 だが、その足運びが明らかに何らかの訓練をつんだことのあるものだと見て、ヒーチは密かに臨戦体勢をとる。

 そこまで大した遣い手ではないように思うが、今の自分で勝てるか?


「あんた、ヒーチさん?」


 だが、男があまりにも無防備に至近距離まで近づいてくるのにヒーチは戸惑う。

 殺気が全くない。

 完全に殺気を消すことのできるレベルの遣い手には見えない、が。


「その反応、どうやらヒーチさんで間違いないみたいだな。ええと、ここじゃあ、あれだ。城の兵に見つかるかもしれないし、ちょっとそこの木陰に行こう」


 と男は自分がさっきまでもたれていた木を顎で示す。


 毒を喰らわば、だ。

 ヒーチは開き直る気になり、頷くと男の後をついて木陰に行く。


「ああ、大丈夫かい? 結構疲れているみたいだが」


 付いて来るヒーチの足取りを見て、男は眉をひそめる。


「大丈夫だ。それより、早く話をしよう」


「あ、ああ」


 木陰に入ってから、改めてヒーチは男を観察する。

 行商人のような格好をしているが、体格はよく、筋肉のつき方からして何らかの手段で鍛えているのが分かる。だが、一流の遣い手ではない。おそらく。

 そして、そもそも、敵なのか、味方なのか。


「ええと、ほら、これだ」


 男は懐から折りたたんだ紙を取り出すと、ヒーチに差し出す。


 受け取り開いて、すぐにヒーチは眉を寄せる。

 その紙の内容は、あまりにも予想外のものだった。そもそも、ヒーチにあてたものではない。

 それは、商取引のための書類だった。


「これ、は」


 だが、その書類の中に見覚えのある名前がある。

 ミサリナ。

 息子とつるんでいるダークエルフの商人だ。ミサリナ商会の商取引の書類。


「どういう意味だ?」


「これを見せれば、信用してくれるって言われたんだけどな」


「誰にだ?」


「マサヨシだ」


 痛みを忘れて、少しの間ヒーチは考え込む。

 マサヨシからの使者、ということか。これが罠だという可能性はどのくらいだろうか。

 だが騙すつもりなら、マサヨシの署名入りの手紙でも偽造しそうなものだ。ミサリナ商会の商取引の書類を証明書代わりにするなど、妙にずれている気がする。

 だからこそ、この男は本当にマサヨシからの使者のような気もするし、あの息子ならこうヒーチが考えることも予想してこんな手を打ちそうな気もする。


「これを持って国境を越えるように言われてな。俺以外の連中のほとんどは捕まったんじゃねえかな。まあ、俺は運よくあんたに会えたわけだ」


「どうして、ここに?」


「これも依頼人、マサヨシの指定だよ。黒髪黒眼の男を王城の近くで探してみてくれってよ」


 シャロンを殺すためにヒーチが動くことを予想してのことか。

 このやりとりでヒーチは男がマサヨシの使者だと考えることにする。いかにも、息子の打ちそうな手だ。


「で、本題は何なんだ? まさか、その書類を俺に見せるのが目的じゃあないだろう?」


「ああ、そりゃあ、もちろん。いや、信用してもらったら、直接口頭で伝えて欲しいメッセージがあるって言われてる」


「なるほど。それで、捕まっても本題を偽装するわけか。それで?」


「ああ」


 男は少しだけ声を潜めて、その内容をヒーチに話す。

 内容を聞いたヒーチは、空を仰ぐ。敵でもいるかのように、空に向かって睨みつけて、


「そうか」


 とだけ、呟く。


「どうした? この依頼って、難しいのか?」


「いやそこまで難しくはない、が」


 視線を男に戻す頃には、ヒーチの瞳はどんよりと光を失っている。


「したくない。単純に。とはいえ」


 紙をぐちゃぐちゃと握りつぶしながら頭を抱えて、


「俺は、やめないんだ。勝負には、勝ち続ける」


 まるで呪詛のようにそう呟く。


 あまりにも異様なその様子に、男は黙って戸惑う。


 戸惑う様子の男を無視して、頭を抱えたまま、何かに耐え続けるようにヒーチはその場に立ち尽す。

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