死2
手で自分の体を抱くようにして、傷を隠しながら乗合馬車に転がり込む。
痛みに思わず呻き声をあげそうになるが、それをヒーチは必死に堪えて表情を殺す。
「王城の近くに」
「はい」
無関心なたちなのか、御者は明らかに怪しいヒーチにもほとんど目をやることなく、馬車を走らせる。
馬車の震動に体を揺られながら、ヒーチはようやく一息つく。
ようやく、馬車の走っている場所まで来られた。乗ってしまえば、こっちのものだ。オオガミでも、易々とハヤブサを倒せるとは思えない。
これで、逃げ切ることができる。
しかし。
ちらり、と、わき腹の傷を見る。
きつく巻かれた包帯の下から、じわりと血が滲んできている。それなりの距離を走って逃げ続けたせいで、出血が再開したらしい。
こっちも満身創痍だ。馬車から降りるだけでも、もう一苦労だろう。これじゃあ、大活躍というわけにもいかない。
戦争を止めるために、この状況の自分が何をできるか。
「はあ」
ため息が思わずでる。
これから何とかロンボウの王城に侵入して諸悪の根源フリンジワークを殺したり、悪人をばったばったと倒したりはできそうもない。
だとすると、もう挑戦することは一つくらいしかない。
諸悪の根源の片割れ、シャロンを殺す。今なら、ハヤブサもいない。可能性はゼロじゃあない。
隊列を組め。二人一組であたれ。絶対に中に入れるな。ここで食い止めろ。
前線指揮官として、当たり前すぎる指示しか出せずに、しかしそれでもその指示を喉がかれるほど叫びながら、ジャックは剣を振り回す。
明らかに数が増えた暴徒、無法者が避難所に押し入ろうと、群れを成して突撃してくる。
ジャック達はそれを必死で押し返すが、こちらも満身創痍だ。怪我人も多い。ドラッヘの的確な指示で何とか持ちこたえているが、終わりは近い。
「ちっ」
誰よりも前に出て、誰よりも剣を振るう。
ジャックの剣が、下卑た顔をした無法者の顔を叩き割る。
「ジャックさん、前に出すぎですよ」
部下の一人が叫ぶ。
だが、それに答えずジャックは返り血と雨で毛皮を濡らしながら、更に前に出て四方から攻撃を受ける。
一つは剣で受け、一つはかわし、残りの二つは受ける。棍棒の一撃を受けて体が軋み、ナイフが腕の肉に食い込む。
だからどうした。
ジャックは無茶苦茶に剣を振り回し、喉笛に噛み付き、爪で目を抉る。
捨て身の暴力に暴徒達がたじろぎ、一歩引いたところに、二歩踏み込んで剣を振るう。
そこに部下達の追撃が来て、完全に敵を押し戻すことに成功する。
「いったん、後ろに、ジャックさん。死にますよ」
前方の敵と対峙しながら、部下の一人が後ろを向いてジャックに叫ぶ。
分かっている。結局のところ、死にたいだけだ。罪悪感で。
ジャックはそう思ったが、言えるはずもなく、黙って頷いてよろよろと後退する。ぜえぜえと息が荒くなっていることに今さらに気付く。真っ直ぐ歩くことが出来ないくらいに消耗している。
背後で前線の負傷した兵士をその場で治療している衛生兵のような役割をしている部下にナイフによる傷を簡単に治療してもらいながら、ようやくまともに喋れるようになった口で、
「トリョラの、兵達はどうした?」
「ごちゃごちゃですよ。結局、指示系統は滅茶苦茶なりに、今は一緒に戦ってくれてます。乱戦ですが、どうですかね、こりゃ。下手をすれば向こう方がしっかり組織化してますよ」
自嘲と共に吐き出した部下の言葉に、ジャックは頷く。
それは、さっきからジャックが感じていたことだ。数が増えただけじゃあない。明らかに、敵が一枚岩になってきている。ただの暴徒ではないのかもしれない。
指揮官がいるのか。
「正直、善し悪しだ。こうなった原因は、それこそ乱戦になるのかもしれない」
「え?」
「独り言だ」
ジャックは軽く手を振る。
今まで関係のなかったトリョラ正規軍が巻き込まれる形で暴徒鎮圧に乗り出した。それによって混乱が収束する方向に向かったため、何らかの勢力がてこ入れという形で参戦したのではないか。
それがジャックの今、疑っていることだ。だからこそ、一気に敵の攻撃が激しくなったのでは、と。
まあ、それで部下が死に、善良な民が死のうが、関係ない。そう、そんなことは関係ない。それを覚悟の上で、マサヨシに協力したのだから。
だから、誰よりも前に出て、誰よりもずたずたに引き裂かれて、誰よりも悲惨な死に方をして、そうして地獄に落ちたい。そうでなければ、死んでも死にきれない。
「もう、行く」
部下が自分の傷に包帯を巻き終わったのを見計らって、ジャックは立ち上がる。
「ジャックさん、もうですか? もうちょっと回復してからじゃあないと」
「いや」
前方で、必死で戦っている部下達の声を聞いていると、もう我慢が出来ない。
自分が休んでいることに耐え切れない。
「全員、後退しろ。守備ラインを下げる。しんがりは、俺がやる」
「え、ジャックさん、ちょっと、それは」
部下の制止を無視して、剣を片手に、再びジャックは最前線へと突っ込む。
ただ、死にたいだけだ。
明らかに何者かの指揮下にある動き。
一気に手強くなった暴徒共の報告に、ドラッヘは顔をしかめる。
「そろそろ限界だな」
報告に来た部下にそう吐き捨てると、にやっと笑う。
「アインラードの内戦を思い出す。同じような状況になってな、その時はどう凌いだと思う?」
「さあ?」
何故そんなことを自分に訊くのか、という疑問を顔に出して部下は首を捻る。
「女子ども老人にまで、武器を配って、全員で武装して全員で敵と殺し会ったんだよ。それをするしかないかもな」
部下の顔が強張る。
冗談めかして言っているが、ドラッヘは半分本気だ。
今は、誰もが強固に反対するだろう。
だが、冗談半分のようにしてもこうして部下に先に喋っていくことで、噂となってある程度全員に広まる。そのうえで今よりももっと状況が悪化すれば、この提案が受け入れられる余地が出てくる。
顔を強張らせたまま出て行く部下を眺めながら、ドラッヘは赤い目をじろりと背後にやる。
「しかし、どうだろうな。指揮官がいる割には、という感じだが」
顎に手をやり、無精髭を撫でる。
「計算のうちか、それとも」
「当然、計算だ」
少数の部下と共にバリケードを乗り越えたグスタフは呟く。
少人数ならば、目立たずに『裏』から突破することができる。特に、警備の兵をほとんどが激しい攻撃を防ぐために前線に出ている今ならば。
「分かっているね」
「へい」
部下は頷く。
頭の空っぽで暴力を振るうしか能のない部下だが、こういう時には便利だ。何も深く説明する必要がない。
捨て駒にされるとは、思ってもいないのだろう。
「じゃあ、行け」
合図と共に、部下がそろそろと先に進む。
「なんだ、あんたら?」
さっそく部下を見つけたらしい避難民の一人が声を上げる。
その声を聞きながらグスタフは茂みにするりと身を隠す。
これから悲鳴が起こる。そしてパニック。あの僅かな部下には、とにかく避難民を襲うように命令している。
当然、悲鳴を聞いて駆けつけた兵に容易く部下達は殺されるだろう。それでいい。
重要なのはパニックを起こすこと、そして前線の連中に後ろからも攻撃がくると意識させること。これだ。
これだけで、もうあの死守すべき前線は持たなくなる。この避難所は狩場になる。皆殺しにして、好きに奪いつくしてやる。
グスタフの上品な顔に浮かぶ獰猛な笑み。
それにしても、本当に部下が馬鹿でよかった。捨て駒になると気付いて土壇場で渋るようだったら脅してやろうかと思っていたが、これなら自分が来るまでもなかった。
悲鳴があがる。
だが、どうも様子がおかしい。
この悲鳴は、部下のものではないか。確かに騒ぎは起こっているが、これは違う。奇妙だ。
顔を覗かせたグスタフの目に飛び込んできたのは、なますのようにされた部下達の死体が地面に転がっている姿だ。避難民達は悲鳴を上げてその場から逃げていく。
「こういうのは不向きなんだがな」
肩で息をしながらぼやくのは、おおぶりの剣を手に持ったドラッヘ。
なるほど、『赤目』め。さすがに読んでいたか。しかも、部下に余計な情報を与えないため、敢えて自分が出てきて処理するとは。
だが、かえって好都合だ。奴さえいなくなれば、守備隊は崩壊する。
グスタフは視線を落とし、自らの袖に仕込んでる針を確認する。
この針。毒の塗ってあるこの針を打ち込めば、それだけで一切合切が決着する。簡単な話だ。
視線を上げた、グスタフは。
「お」
至近距離になったドラッヘの赤い目に見つめられているのに気付く。
「よお、そこにいたか」
茂みごと両断するような剣の一撃を、転がってグスタフはかわす。
「ドラッヘ、目ざといじゃあないか」
「嫌がらせが好きな奴だ、相変わらず」
ドラッヘはぼやきながら剣を構え直す。
「お前の手は分かってる。古い付き合いだからな。それにしても、やりたいようにやるだけだったお前が、今では王の手先か」
「今だって、やりたいようにやる。ドラッヘ、もう、死ね。未練など、ないだろう。嫁さんが死んだ、あの時にさ」
「ちっ」
舌打ちしたドラッヘに、グスタフは含み針を飛ばす。
それをドラッヘがのけぞってかわした隙に、グスタフは次の針を用意しながら距離をとる。
ここで、奴を殺す。終わらせてやる。
相変わらず、育ちのよさげな顔をしているな。実際には親もいなければまともな教育も受けなかったというのに。
剣を振りながら、そんなことをドラッヘは思う。
アインラードの内戦。あの延々と続く内戦の中でドラッヘが傭兵として身を立て始めた時、戦争孤児だったグスタフは同じ戦争孤児を集めて小規模な犯罪組織を作り上げていた。
死体漁りから戦争難民への略奪、そんなことを繰り返してどんどんと組織、盗賊団は大きくなっていった。内戦で無数に出現する死体、その死体を食って大きくなっていく毒虫のように。
何度かドラッヘとグスタフはやりあった。盗賊団を潰す依頼を受けたこともあれば、膨れ上がった盗賊団側がドラッヘの傭兵団を相手に略奪を試みたこともあった。結局、決着はつかなかった。
ドラッヘが傭兵稼業を始めたばかりの時、グスタフはまだガキだった。
あの頃に多少無理をしてでも殺しておけばな。
そんなことを時々ドラッヘは思うし、今も思っている。
内戦が終わっても、グスタフの盗賊団はなくならかった。国から国へと荒らしながら移動し、比較的締め付けの緩かったノライに根付いて、そこで悪行の限りを尽くした。
そして今は、戦争を望む狂人の召使か。
本当に、あの時に殺しておけばよかった。あの内戦から生み出されたものでマシなものなんて存在しない。自分も含めて。誰も彼も、あの内戦で死んでおけばよかったのに。
ちかり、とグスタフの右手のあたりで何かが光る。
咄嗟にドラッヘが剣で自分の首筋をガードすると、かちんと固い音を立てて何かが跳ね返る。
「相変わらず、馬鹿の一つ覚えみたいに毒針か」
指で毒を塗った針を弾き飛ばしたのだろう。
昔からの、グスタフの得意技だ。
「うるさいな。そんなことよりいいのか? 逃げていった避難民が、兵士達に報告する。もうじき、パニックが起きるぞ。さっさと俺を殺して、何も問題ないと彼らに報告して安心させないと」
「言われなくともそのつもりだ」
言いながら踏み込むと同時に剣を振り下ろす。
グスタフはそれをかわしながら手をくねらせて針を突き出す。
なんとかドラッヘはかわすが、思わず舌打ちが出る。
これでは埒があかない。実際、グスタフの言うように、さっさとこいつを殺して戻らなければどちらにしろ前線は崩壊する。
問題は、こうやって自分で剣を握って振るうタイプじゃあないということだ。それに、正直な話、歳だ。あまりうまく体が動くとは言い難い。
汗が滴り落ちて、地面を濡らす。
一体どうしてここで自分はこんなことをしているのか。
自問をするが、傭兵だからという以外に理由は見つからない。依頼を受けたから、それだけだ。それ以外に生きる手段を知らない。あの頃から、ずっと。きっと、グスタフも同じだ。そうやってあの内戦を生き延びたから、他に生き方を知らない。
ぼんやりと思考を続けながらも、一進一退の攻防が続く。
ドラッヘの息は上がる。汗は滝のようだ。
くそ、こっちはさっさと殺さなければいけない。向こうは長く生き延びるだけで目的は達する。圧倒的にこちらが不利だ。精神的にも、体力的にも。加えて、持久力で勝負すれば年齢の問題でこちらが負ける。
十数度目の剣の一撃。
のらりくらりとかわすグスタフのかわし際の針の一撃をかろうじてかわしながら、ドラッヘは大きく息を吐く。
やるしかないか。
ぜえぜえと喉を鳴らしながらもドラッヘの冷静な目はグスタフを観察している。
ドラッヘほどではないが、グスタフも消耗している。汗はひっきりなしに流れ、息も荒い。判断能力は、落ちているはずだ。
迷っている暇はない。
「おい」
荒い息を何とか静めて、ドラッヘは語りかける。
「お前は、俺とフリンジワークの」
話の最中でドラッヘはグスタフに向かって真っ直ぐ跳躍する。
無論、この程度で虚をつけるとは思っていない。気休め程度だ。
全力で振り下ろす剣の一撃。
それをまたしてもグスタフはかわし、そして右拳に挟んだ針をドラッヘに向けて突き出す。
これをかわしたら、またこれまでの繰り返しだ。
その針を二の腕に受けるようにして、ドラッヘは肩からグスタフに突進する。
ちくりとした痛みと共に、グスタフの目が見開かれるのを見る。
「ぐっ」
体格ではドラッヘが勝っている。
突進で跳ね飛ばされたグスタフが地面に転がる。
そのまま、グスタフに馬乗りになる。
毒針に刺されたからといって、即死ではないはず。
そして、グスタフは解毒剤をどこかに持っているはず。
その予想に、全てを賭けた。
「貴様」
上品さをかなぐり捨てた必死の表情のグスタフに向かって、馬乗りのまま剣を突き刺す。
いや、突き刺そうとする。
だが、剣先は僅かに狙っていた場所をそれ、グスタフの右肩に突き刺さる。
「ぐぁっ」
痛みで叫び声を上げるグスタフ。だが致命傷ではない。
目眩。周囲の光景がぐらぐらと揺れ始める。指に力が入らず、何とか握っていた剣も取り落とす。
間に合わなかったか。
気分が悪い。熱病にでもかかったように顔が熱く、脳も茹ったようだ。集中できない。
視界はどろどろと溶け出す。
何をすればいい。何をすれば。
ドラッヘは焦る。焦るが、答えが出ない。ただ、焦燥だけが強くなっていく。
グスタフの首を締める。だが、力が入らない。
「気分が悪そうだな」
余裕を取り戻したグスタフのセリフが、やけに遠くから聞こえる。
剣だ。剣を拾い上げなければ。全力で握って、全力で突き刺せば何とか殺せる。そのはずだ。
この体勢、まだグスタフの動きは封じられている。今のうちに、剣を。
「のけ」
その前に、グスタフが小袋に入った何かを袖から取り出すと、ドラッヘに向かってぶちまける。
白い粉状のそれを口と鼻から思い切り吸い込んだドラッヘは咳き込む。それと同時に、視界は完全に融解して、自分の姿さえもどろどろとした渦に巻き込まれていく。重力の感覚もなくなる。
今のは、シュガーか。
そう判断できたのが、最後で。
ドラッヘの意識は闇に吸い込まれていく。