死1
狭い闇。息苦しい。
一瞬、何が起こったのか分からず戸惑うが、すぐにマサヨシは自分の置かれた状況に気づく。
要するに、突然、帰されたのだ。あの真っ白い空間から。
相変わらず勝手な神様だと苦笑しようとして、失敗する。
やけに息苦しい。喉が詰まる。
肌をかきむしりたくなって、自分が身動きできない状況にあることを思い出し、もどかしさにマサヨシは叫びだしたくなる。
狭い、目の前にある闇。それを突き破りたい。
「死ね」
「死んでしまえ」
「お前だけが何故生きている」
「死ね」
「死ね」
幻聴。そして寒気で体が震え、マサヨシは自分に何が起きているのか把握する。
禁断症状。アルコールとシュガー漬けになっていた後遺症だ。
喉がからからに乾く。
あるいは、イズルが突然あの空間からマサヨシの意識を帰したのではなく、禁断症状が起こってしまったために強制的に意識の方が身体に戻ってしまったのかもしれない。
分かっている。
歯噛みして、ひたすらに全身の皮膚という皮膚から虫が這い出る感覚に耐える。耐え続ける。
誰もが死ねと思っていることは、分かっている。
だからといって、まだ死ねない。死ぬことができない。
俺が生きていることで、どれだけ他の人々が苦しみ死のうとも。
汗が目じりのあたりを流れる。目に入って痛みで瞳を閉じる。涙が流れる。あるいは、涙の原因はそれではないかもしれないが。
まだ死ねない。
きりきりと歯軋りの音がする。
まだ、死んでやれない。ジャックが、ミサリナが、スカイが、ドラッヘが、アルベルトが、そして、ヒーチが。誰もが今、死に向かって突進している。だから、まだまだ。彼らの決着を見届けるまでは、自分がしでかしたことで彼らがどんな末路となるのかを確認するまでは、死んでやれない。
深呼吸。狭い空間で、いくら深く息を吸おうとも、息苦しさは解消されない。それでも、深呼吸を繰り返す。
無意味に涙が流れ出て、全身に冷たい汗をかいて。そして深呼吸をひたすらに行う。
やがて全身の震えは治まり、幻聴も遠くなっていく。
そのタイミングで、一度、大きく揺れて、マサヨシは思いきり頭をぶつける。
思わずうめき声を出しそうになり、慌ててそれを噛み殺す。
危ない。ここで、俺がいるというのがバレたら全て水の泡だ。
それにしても、あとどのくらいこのまま耐えなければいけないのだろうか。頭の中で計算をしようとして、すぐに嫌になってやめる。長い時間、ということだけは確かだ。
こんな楽しいことは久しぶりだ。
メイカブは、笑みを隠しきれない。ようやく、まともに仕事をしている気がする。
「てめぇっ」
路上で避難所へ向かう民の一団を襲う暴徒達。その暴徒達は突然現れた兵士達に驚愕し、そして襲い掛かってくる。
まだ後続の兵士達はここまで来ていない。今この場にいる兵士はメイカブを含めて五人程度。十数人の暴徒達からすれば、圧倒できるだろうし、そうしてこの場を逃げおおせると考えたのだろう。
考えの浅い小悪党共め。そうでなくては。
小雨に濡れる顔に笑みを崩さぬまま、メイカブは襲い掛かってくる暴徒の群れに真っ向から突進する。意表を突かれ躊躇する先頭の一人の首を叩き落とし、残る暴徒達の攻撃をかわし、あるいは逸らすようにして鎧で受ける。
そして、攻撃をかわされ、防がれた後に体を泳がせたその暴徒達に向かって、思いきり剣による一撃を叩きこんでやる。
暴徒達は、物も言わず丸太が転がるようにして雨で湿った地面に倒れていく。
あまりにも一方的な暴力に、守られている立場の民達までもが戦き、メイカブの部下達も唖然として加勢しようとしない。
雨ではなく、血で顔を濡らす。笑顔のままだ。
メイカブは笑い声すらあげつつ、斬ると言うよりも剣で叩き殴るようにして暴徒達を殺し尽くす。
後続の兵士達が到着した時には、既に決着はついている。
「彼らを、近くの避難所まで護衛してやれ」
返り血を全身に浴びたメイカブは、まだ笑顔のまま、血を雨で洗い流すように天を仰いで部下に言う。
自分達を襲った暴徒よりも、むしろメイカブに怯えて震えている民を、部下達の一隊が囲んで護衛していく。
その去っていく姿を見送りつつ、メイカブは少しだけ激しくなった雨で返り血を洗い落としていく。
「生き生きとしていますね」
副官が言葉をかけてくると、メイカブは苦笑しつつ、
「ようやくマトモな仕事ができるからな。悪人を殺して民を守る。この上なくマトモな仕事だ。どうせ、フリンジワークからすぐに追加で命令が来るだろうが、それまでは現場判断でいい仕事をしたいじゃあないか」
濡れた短髪を手で払う。
「これもあいつの予定通りだとすると、手の内で転がされているようでむかつくが」
「あいつの予定? まさか、『ペテン師』ですか?」
部下が笑い出す。
「隊長がこうやって暴走することまで想定内なはずがないでしょう。そもそも、これはトリョラ正規軍と暴徒が乱戦になったから起こっている状況ですよ」
「別に全部を正確に予想してたり、企んでたりしてたとまでは思ってない。ただ、アルベルトとジャックは兵隊を持っている。スカイは、ある種の、まあ、権力がある。で、ミサリナには当然、金だ。こういう、それなりに力を持っている連中が諦めずに必死で抵抗すれば、泥仕合にもなる。泥仕合になれば、俺が先頭をきってとは限らなくとも兵士と無法者共が乱戦になる可能性は高いんじゃないか? そもそも、兵士からすれば民を守るために戦うのが本来の仕事だからな。いくら命令で手を出すなと言われていたって、綻びはでる。その綻びを」
喋りながら、だんだんとメイカブの言葉はゆっくりになっていき、遂には止まる。
片手で自らの顎を掴むようにして、黙ってじっと曇天を睨みつけている。
「隊長?」
「……スカイ、あいつは、確かレッドソフィー教団としての真っ当な仕事をしているんだったな、今」
「え、ええ」
怪訝そうな顔をして、副官は雨に濡れた顔を手で拭う。
「医療品や生活必需品の輸送、それから死者が多いですから、棺桶を持ってきたり運んだり、弔いなんかもしてるみたいですがね」
「そうか、なるほど」
メイカブの目が細まる。
そうか、そういうことか。マサヨシの狙いが読める。だが、問題は、読めたところで間に合うかどうかだ。
「やられたな」
「え?」
「だが、くそっ、まあ、仕方がない。後手後手だが」
頭をかきむしると、さっきまでの上機嫌が嘘のように険しい顔をしたメイカブは残っている部下に叫ぶ。
「トリョラの軍が乱戦に巻き込まれて、包囲が荒くなっているはずだ。俺達は連携をとって包囲網を再構築する。フリンジワークには事後報告だ。それから、いいか、とにかくフリンジワークからの勅命だと言って、検問を強化させろ。特にレッドソフィー教会絡みだからと言って、手を抜かないように言え」
メイカブは人に噛み付く寸前の獣のように歯を剥く。
悪いがこちらも仕事だ。絶対に、阻止してやる。
拳の一撃。ただ踏み込んできて殴るだけの一撃だが、受けるのはもちろんガードしてもいけないことを直感的に理解したオオガミは、ただかわす。
予想以上の速度のその拳が頬の近くをかすり、それだけで軽い目眩と共に視界がぐにゃりと歪む。
歪んだ景色の中に、思い切りこぶしを振り回したためにかわされた後は隙だらけのハヤブサの姿がある。
ここだ。
粘土を踏んでいるかのように不確かな感触の両足をそれでも動かし、みぞおちへの蹴り。それと同時に両手で喉仏、左耳を攻撃する。全て急所。一撃で昏倒してもおかしくないそれを三撃。
「ぐぅ」
喉仏への攻撃で喉が潰されかけたハヤブサの口から空気漏れのような声が出る。
だがそれだけ。
ハヤブサの歪んだ、そして血走った左目がぎろりとオオガミを睨む。
一瞬の間もなく、まるで怯まないハヤブサの蹴りがオオガミの胴体中央に命中する。
さすがにかわせないと一瞬で判断したオオガミはそれでも、後ろに跳んで衝撃を殺そうとしている。
それでも衝撃を殺しきれず、口から血と胃液を零しながらも、何とか足から着地をする。だが、オオガミが足を地面につけた瞬間に、既にハヤブサは距離を詰めてきている。
相変わらず視界はどろどろと歪んだまま。音や感覚も鈍い。薄皮一枚包まれているような感じがする。
ダメージがないのか?
軋んだ肋骨の痛みに耐えながら、オオガミはカウンターでハヤブサの顎に掌底、そのまま目を爪で削ごうとする。虎噛。
だがハヤブサは、首の力だけで無理矢理顔をずらして目潰しを回避する。ずれて、オオガミの鋭く長い爪はハヤブサの額を傷つける。
そのまま、ハヤブサは無理矢理に拳を振り下ろしてくる。
頭に命中すれば頭蓋骨を叩き割られる。
かわそうと横に飛ぼうとした瞬間、オオガミの背筋を冷たいものが通り抜ける。拳は空中で停止している。
フェイント。
とっさにオオガミが地面に伏せるのと、その頭上を凄まじい勢いで刃が通るのが同時だ。
「ちっ」
舌打ちするハヤブサから、オオガミは獣のように体を伏せたまま両手両足を使って距離をとる。その最中にも、地面が波打つような感覚がある。まだ平衡感覚が回復していない。どころか、意識が気を抜けばぼんやりとする。
それでも考えをまとめる。冷静に分析する。
冷静さを失えば死ぬ。そんなことくらいオオガミは知っている。
両手用の剣を、片手で握ったハヤブサはそれをナイフか何かのように軽々と振り回したのだ。拳は囮。剣の一撃を喰らってしまえばおそらく、バターのように簡単に両断されていたことだろう。
だが。
オオガミは体を起こしながら分析する。
大体、分かった。ダメージはある。奴には、既にそれなりのダメージが蓄積されている。おそらく、頭のどこかの配線が切れていて、ダメージを感じないようになっているだけだ。もう何発か入れてやれば、絶命させることができる。
そう思った矢先、ハヤブサの攻撃を打ち込んだ箇所が淡く緑に輝くのを見てオオガミは舌打ちしたいのを堪える。
そうか、回復の魔術を使えたか。混ざりモノめ。
背中では、ゆっくりと、後ずさるようにしてハヤブサとオオガミから距離をとろうとしているヒーチの気配を感じる。
既に、それなりに離れてしまっている。
さっさとハヤブサを殺して奴を追わなければ。
そう思いながら、オオガミは無意識にまだ痛む肋骨の周囲を撫でる。
とはいえ、こちらもダメージを受けてしまっている。これ以上ダメージを受けるのは、危険だ。ハヤブサに勝ったとしても、その後でヒーチに追いつき戦闘になるとすると、これ以上のダメージはギャンブルになる。
とはいえ、どうするというのだ。目の前のハヤブサという怪物は、どう考えても話が通じる相手ではない。会話を試みようとしている間に殺されてしまう。
一体、どうしてこんなことになった?
思うべきではないと思いながらも、疑問が勝手に湧き上がり脳の何割かをその疑問が支配する。
一体、ヒーチは何をした?
「あんたの息子だからな」
声がする。気がする。
気のせいのはずだ。ヒーチの声が聞こえる気がするが、これは気のせい。幻聴。ヒーチは遠く離れている。気配で分かる。声が、しかもこんな呟くような声が届くはずもない。
目の前のハヤブサに集中しろ。言い聞かす。
だというのに、その声を聞いてしまう。そして、その内容を考えてしまう。
「言っただろう。分かったんだ。手合わせをして。あんたには正面からの殺し合いじゃあ勝てないことも。それから、あんたに俺を殺す気がないことも」
似たような内容は、馬車の中でヒーチが語っていた。
やめろ、理解しようとするな。幻聴だ。
「だから、罠を仕掛けられた。覚えていないか、あんたとやり合っている中で、俺は確かに手を打ったんだ」
これは幻聴。
数十年ぶりくらいに極限に追い詰められているこの状況と、直前までのヒーチとの会話、そして痛みと朦朧とする意識。全てが作用して幻聴が生まれている。
そう、幻聴。つまりこれは、自分の内なる声だ。
つまり、自分自身が、何かひっかかっているということだ。ヒーチの行動に、あの戦いの中で、何か引っかかっていることがあって、それが罠だったのではないかと無意識に疑っている。それが幻聴という形になっている。
そうだ、あれだ。
また襲い掛かってくるハヤブサに向かって身構えながら、オオガミはひらめく。
ブラックジャック。
ほくほく顔で歩く。戦争が近いとも言われ、重苦しい雰囲気の漂う町の中を、場違いに明るい表情でザックは歩いている。
やがていつも通っている薄汚れた小さな酒場に入る。
カウンターが数席しかないその酒場に入ると、まだ客は誰もおらず、退屈そうな顔をしてマスターがグラスを磨いている。
その顔なじみのマスターに金貨を放り投げてまずはこれまでの溜まりに溜まったツケを払う。
常に金欠のザックからの金貨にマスターは目を丸くして、
「おい、どうした? しかも紙幣じゃなくて金貨なんてよ。ひょっとして、危ない金じゃあないだろうな?」
「違う違う。あれだったら普通の金もあるぜ」
懐から紙幣をちらりと見せてザックは笑う。
「酒、頼むわ」
「一体どうしたんだ、お前。金塊でも拾ったのか?」
冗談のつもりであろうそのマスターの言葉に、ザックはにやりと笑ってゆっくりと頷く。
「金塊じゃあなくて金貨だがな」
「おい、マジかよ」
酒を置きながらマスターは身を乗り出す。
「一体、いくらぐらいだ?」
そうしてザックがにやつきながら言い放った金額を聞いて、マスターは身をのけぞらせ、
「嘘だろ」
と呻く。
それはまさしく、ザックが金貨を見つけた瞬間の心の声と同じだ。
懐寂しくとぼとぼと道を歩いていたザックが最初、小さな路地との分かれ道の傍らに落ちていたそれを見つけた時、拾い上げたのは何かを思ってのことではない。落ちているものは何でも拾いたいのだ。
それはザックに限った話ではない。この周辺にはいわゆるザックを含めて貧民が多く、彼らが落ちているものを見逃すはずもない。ザックが一番に見つけられたのはただ単に運がよかったからだった。
薄汚れた革の袋。
拾い上げたらずっしりと重い。中を見て、目を疑った。
そこには金貨があった。ぎっしりと、眩い金貨が詰まっていた。腰を抜かしそうになりながら、ザックは慌てて周囲を見回し、誰にも見られていないのを確認してから、さっと路地に入って改めて確認した。
アインラードでは紙幣の方が一般的なためにザックはそこまで金貨に馴染みはない。そのザックにも、その金貨の量からしてザックの数年分の年収並みだということは一目で分かった。
自分の幸運に身震いするザックは、更に別の物を見つけた。革袋の裏側。そこに、はしりがきで何か文字が書いてあった。最初は持ち主の名前かと思ったが、書いてあることはザックには意味の分からない単語の羅列だった。
『タイロンの弟子』『殺し屋』『トリョラとの検問所』『すぐに向かえば間に合う』『死んだはずのオオガミ』『タイロン以上の腕』『ヒーチより』
意味不明な単語の羅列の下、ザックに、というよりも拾った者にあてての文章も書いてあった。
『金貨はやる。この革袋を、一刻も早く王城のハヤブサという将軍に届けて欲しい。届けてくれればこの金貨と同額の報酬を払う』
胡散臭かったが、それでもこのあぶく銭が二倍になるという誘惑には逆らえず、ザックは急いでそれを王城まで届けてやった。
最初は門前払いされそうだったが、ヒーチからのメッセージがある、と伝えると驚くほど早く恐ろしい見た目のハヤブサという将軍が出てきて、革袋の内側のメッセージを見て目の色を変えた。その獣のような表情にこのまま殺されるのではとザックは慄いたが、結局ハヤブサは文言どおりに入っていた金貨とほぼ同額のアインラードの紙幣を払った。
そんなわけで、ザックは借金をあらかた返し、今はいつもよりも少しだけ高い酒を飲み、気分よく酔っている。
自分が果たした役割が何を生んだのかも、そもそも拾った革袋が元々は凶器、ブラックジャックとして殺し合いに使われていたことも知るよしもない。
道具になりたかった。
その思いは変わることはない。剣の一撃を掌で逸らすオオガミの技量に感嘆しながらも、ハヤブサの内心には常にその思いがある。
本来ならば全神経を殺し合いに集中しなければならないのだろうが、タイロンに脳を傷つけられて以来、どこかハヤブサの思考は常に分裂している。それを自覚もしているし、それでもいいと思っている。
だから、常に、ハヤブサは分裂した思考の一片で、同じことを考え続けている。繰り返し、繰り返し。
混ざり者として幼い頃から将来を嘱望されて育てられた。だから自然と、自分は将来は国のために役に立つ存在になるのだろうと思うようになっていた。
自分が最終的に、国にとって最も有益な存在になるのだろうと。
シャロンを見るまでは、だ。
彼女を見て、自分よりも完璧な国のための道具を見て、ハヤブサは嫉妬した。そうして、より完璧な道具に、より国にとって有益な存在になることが全てになった。いつの間にか、それが人生の全てになっていた。それなのに。
剣の方を囮にしての、ハヤブサの拳の一撃。
体勢を崩しながらもそれをかわしたオオガミが、鋭い前蹴りで正確にハヤブサの急所を突く。一瞬のうちに六箇所。
痛みはない。あの日から、痛みはハヤブサの元から去った。
だが、いくら魔術で回復させ続けても体に力が入りづらくなってきているのは分かる。動きもぎこちない。自分の肉体が限界を迎えつつあることは分かっている。
だが、そんなことは関係ない。血を吐きながら、ハヤブサはそれでも前に出る。
負けた。
完璧な道具になるはずが、任務を果たせなかった。
そして、ハヤブサにとって目標だったシャロンも同じく負けた。二人とも、自分の役目を果たせなかったのだ。初めて。
自分もシャロンもそれで壊れてしまった。そう思っている。
だから、ハヤブサは自分を修理する術を探していた。過ちを取り消せれば、それに越したことはない。だからハヤブサにとってはタイロンに勝つことが、シャロンにとってはマサヨシに勝つことが唯一の方法だったはずだ。
ハヤブサの蹴りがオオガミに命中する。防御した腕ごと砕くはずのその蹴りを、オオガミはよろけながらも受けきる。
かなり膂力が落ちているな。自分の身体の状況はかなり悪いらしいと、ハヤブサは冷静に分析する。
タイロンを殺して、ハヤブサは取り戻すはずだった。壊れるまでの自分を。完璧な道具としての自分を。
だが、タイロンは老いていた。もともと老いていたタイロンは、わずかな間に驚くほど衰えていた。自分を倒したはずのタイロンは、今はもういなかった。
だから、シャロンと一緒にハヤブサは戦争を望んだ。
自分を倒したタイロンを殺せなかったから、代替を求めた。戦争で勝てば、それで少しでも元の自分に、完璧な道具に近づけるのではないかと思って。
だが、それをしないでも済む方法が見つかった。タイロンの代わりになる存在が今、目の前にいる。タイロン以上の存在が。こいつに勝てれば、負けた自分を殺せる。完璧な道具になれる。
ハヤブサの追撃の拳が空を切る。
オオガミの掌底がこめかみに当たり、視界が揺れて回転する。頭蓋骨が音をたてる。
「ちぃっ」
それでもハヤブサはオオガミに掴みかかろうとして、次の瞬間視界がふさがる。
目潰しをされた。
そう気付いた時には、凄まじい衝撃と共に首の骨がずれるのが分かる。
俺はオオガミに勝って、それで道具に。
思考がくるくると回る。
必死で腕を動かす。全力で振り回す。
体の奥で何かがぷつりと切れる。