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手合わせ

 この避難所における医務室となったその部屋、元々は何かの店舗だったであろうその部屋に運び込まれたその姿を見て、ジャックは絶句する。


「こいつを、頼む」


 軽傷を負った正規兵が、痛みに顔をしかめながらも部屋に運び込んだのは、アルベルトだった。

 アルベルトは全身に複数の深い傷を負っている。斬られ、殴られ、そして太ももと脇腹に貫通するほどに深く矢を受けている。


「こいつ、俺達を撒こうとしたのか、既に満身創痍だったのにあんたらと暴徒との争いの中に突っ込んでいったんだ。命令は生け捕りだ。何とか治療してやってくれ」


「ああ、そりゃあ、手は尽くしますがね」


 呻くように言いながら、ジャックは考える。

 一応の医療品は、それなりにある。かき集めたものが。問題は、医者だ。このレベルの重傷患者を治療できるような医者がいない。闇医者やちょっと医者のまねごとができる連中しかいないのだ。

 それに。


「悪いですが、治療は後回しになりますぜ」


「それは、そうだろうな」


 不平を言わずに、正規兵は頷く。


 確かに、アルベルトは一刻も早く治療しなければ危ない状態だ。

 だからと言って。

 ジャックが周囲を見回せば、傷を負ってうめき声をあげている部下や、ぐったりとした子どもを抱きかかえて泣き叫んでいる母親で溢れている。

 この状況下で、アルベルトを優先して治療することは許されるはずもない。そう、フリンジワークによるプロパガンダのおかげだろう、今や正規軍だけでなく一般市民の間にも、アルベルト達の犯罪組織がこの抗争を引き起こした原因の一つだという噂は広がっている。

 だが。


 弱弱しい呼吸を繰り返す、アルベルトを見下ろす。

 まだ若い、下手をすれば少年と形容した方がいいくらいの青年を。


「おい、道具と薬だけくれ」


 近くにいる部下に、ジャックは声をかける。


「少しだけ現場を離れる。休憩させてくれ。ついでに、俺がこいつを手当てしてみる。見様見真似だがな」


 あまりその治療の姿も周囲には見せない方がいいだろう。

 ジャックは溜息をつき、アルベルトを担ぐと、怪訝な顔をしている部下から医療品を受け取る。

 外の、前線と避難所の間、その隅の辺りをつかって治療をしてみるとしよう。





 生きているのか。

 ぼんやりと苦痛の中を意識が蘇っていく中、アルベルトの最初の感想はそれだった。

 血が足りないのか、考えがまとまらない。

 周囲の喧騒も、どこか遠い場所からの残響に聞こえる。

 体を動かそうとして、全く力が入らないことに気づく。倒れている。屋外に、こんな状況で。死ぬのかな、と曖昧に思う。

 透明な膜に全身を包まれているように、感覚が鈍い。


「あ」


 声は、出る。かろうじてだが。

 喉が張り付いているような気分だ。


「み、ず」


 水を求める声を出すと、


「気づいたか」


 応える声があって、水筒が口に当てられ、ゆっくりと傾けられる。水が喉を湿らせる。乾いた砂に染み込んでいくような感覚の中、アルベルトは夢中で水を飲み続ける。


「はぁっ」


 あまりにも夢中になりすぎたのか、呼吸ができなくなって慌てて水筒から口を離し、深呼吸する。それで、ようやく少しだけ頭の中がクリアになって、まともに物を考えられるようになる。

 自分を覗き込んでいる、水筒を差し出してくれた男の顔をはっきりと判断できる。全身が小雨に降られていることにも、今更ながら気づく。


「ジャック、さん」


「酷いザマだな」


 そういうジャックも、毛は血で汚れ、顔や体に数か所薄汚れた包帯を巻きつけている。頬はこけ、目に力はない。


「どう、なりました」


「乱戦の真っただ中だ。最初は、正規軍が乱入してくれて助かったと思っていたんだがな。結局、それがどこかに火をつけたみたいで、争いは逆に激しくなってきてる。ままならないもんだな」


「そうか」


 体を起こそうとして、やはり全身に力がはいらず、すぐにアルベルトは諦めて地面に横たわる。


「こんな場所で悪いな。大悪人を人の目のあるところで懸命に治療するわけにもいかなくてな」


「いいですよ。ジャックさん、あんたが治療、してくれたんですね。ありがとう」


「妙に素直だな」


 驚いた顔をするジャックに、


「人間、死期が近づくと素直になるものなのかも」


 弱弱しく微笑むアルベルト。


「ふん、ガキが。軽々しく死ぬとか言うな」


 どっかと、ジャックはアルベルトの横に腰を下ろす。


「ああ、あれ」


「ん?」


「マサヨシ、戻ってきたって噂、あれ、どうなってます?」


「会ったよ。会わなかったら、こんなことをしていない。さっさと自分の首を落としてる」


「なるほど」


 そうしてアルベルトは長い息を吐く。自分の生気が全部抜けていくような息。

 死期が近づくと素直になるというさっきのセリフは、冗談で言ったわけではなかった。もうすぐ自分が終わってしまうような気分は、さっきからずっとしている。

 そして、その気分が、自分自身今まで気づかなかった思いに気づかせてくれる。


「走馬灯ってやつですか、今までの事が自然と頭の中に浮かんできて、思うんですよ」


「よく喋る奴だな。死ぬぞ」


 心配するジャックを無視して、アルベルトは喋り続ける。


「随分手を汚してきた。どうして、こんなことになったのか。手段を、選ばなかったからですよ」


 目を閉じて、思い起こすのはあの日のことだ。

 アルベルトが、仲間達と一緒にレッドソフィーの信徒のふりをしてアインラードに入ろうとした時のこと。止められ、兵士達に突き刺される仲間達。自分の胸を貫く槍。

 奇跡的に急所をずれていて、激痛で目覚めた後、仲間達の死体の下をくぐるようにして身を隠しながら逃げ出したあの日。

 そして、自分達が戦争に勝つための捨て駒にされたのだと気付いた時の驚愕と怒り。それをしたのが『ペテン師』だと知った時の、かならず殺された仲間や自分が受けたのよりも長く大きくそして強烈な苦痛を味わわせてやるという、決意。

 今では、とても昔のことのようだ。


「戦争で負ければ、あれよりももっと多くの人が苦しむ。だからって、だからって何も知らない、俺や仲間達のような奴らを犠牲にしていいのか。そんな手段が許せなかった。けど」


 出てくるのは自嘲の笑み。


「今思うと、全く同じことを、俺もしてた。いや、『ペテン師』には大義がある分、俺の方が酷い。復讐のために、手を汚して犯罪組織の長にまでなって、今では俺のせいで街中で何の関係もない人達が死んでる」


 喉が渇き、咳き込む。

 目を開き、空を見上げ、アルベルトはゆっくり口を開ける。

 口の中に小雨が飛び込んできて、それで喉の渇きをいやして、また話を再開する。


「別に、俺が何かしたって、今更戦争が止められるわけじゃあ、ない。だったら、さっさと首でも括ればよかったのに、死ねませんでしたよ」


「俺だってそうだ。結局な、正義のためとか、世界のために死ねるような、そんな凄い人間じゃあなかったってことだ。俺も、お前もな」


 小雨で毛がぐっしょりと濡れているジャックを見上げて、アルベルトは気を抜けば途切れそうになる意識を集中する。


「そうかも、しれません。けど、だったら俺は一体、何のために、何をしているのか、全く分からない。答えを、マサヨシなら答えを教えてくれるんじゃあないかと思って、『ペテン師』に会うまでは死ねないと」


 咳き込む。


「それで、今度も、何も知らない、トリョラの兵士を巻き込んで、乱戦に巻き込んで、生き延びてやろうと。それが、更に状況を悪く、している。まったく、笑えない。誰よりも、俺が、手段を選ばず、何も知らない人々を犠牲にしている」


「もう喋るな。顔色が紙みたいだ」


「だったら、屋根のあるところに、連れて行ってくださいよ。雨で体が冷たくなっている」


「悪いが、屋根の下は善良な市民や俺の部下で一杯でな、俺やお前のような悪人のためのスペースはないんだ」


「でしょうね」


 くつくつと喉の奥で力なくアルベルトは笑う。


「じゃあ、いずれ余裕が出来たら屋根の下に連れて行ってもらうとして、ジャックさん、もう俺はいいですから、仕事に戻ってください」


「大丈夫ですよ」


 急に、目を開けていることすらつらくなってアルベルトは全身の力を抜いて目を閉じる。


「手当してもらいましたし、雨も小雨もいいとこだ。このまま、動かずにここでじっとしている分には、一時間や二時間で死ぬなんてことはないでしょ。多分」


「多分、か」


 ジャックの声からは、あからさまに逡巡しているのが分かる。


「いいから、善良な人々を助けるために力を尽くしてください。俺みたいな悪人はほっといてね」


「じゃあ、行くが、アルベルト」


 ジャックの声が離れる。立ち上がったのだろう。


「一つ言っておくが、俺が人を助けようとしたら、その一番の方法は、さっきも言ったがさっさと死んでみせることだ。それをしない時点で、俺もお前と同じ、いや善人ぶってる分、お前よりも性質の悪い大悪人だ。お前は若い、能力もある。やり直せるさ。死ぬなよ」


 言いながら声は遠くなっていく。ジャックが遠ざかっていく。


 一人になって、誰も傍にいないのだと感じると、急にアルベルトは孤独になっていく。このまま、誰も傍にいないままひっそりと死ぬのではないかと、そんな気がしてくる。

 まだだ。

 アルベルトは小雨で全身を濡らしながら思う。

 せめて、最後に、『ペテン師』と会ってからだ。会って、死ぬのはそれからだ。





 馬車が引き返す気配はない。

 ゆっくりとスピードが緩まる。そして、人の話し声。

 どうやら、検問所に近づきつつあるらしい。


「可愛い子どもの言うことを信じないか」


 笑いながら言ってやると、その笑いが傷に響いて少しヒーチは身をよじる。


「もう、黙れ」


 興味をなくしたことがありありと分かるオオガミの声。


「やはり、分かり合えないな。俺だったら、少しは我が子の言うことには耳を傾けるぞ」


「血が、繋がって、いない、子でも、か」


 この話には少しは興味があるのか、オオガミが訊いてくる。


「あまり、関係はないな」


 思い浮かべるのは、この世の不幸を全て背負ったような顔をして、いつも景気の悪い声を出していたマサヨシのことだ。


「裏の仕事をしていた俺は、それ以上『上』に行くのにどうしても表のツテが必要だった。それで、金と権力と名声は持っているけど、どうしようもない爆弾を抱えている家に近づいた」


「爆弾?」


「娘だ。そこの娘は、まあ、性格と素行は最悪で、貞操観念なんてものも欠片も持ってなくてな、誰との子かも分からない子どもで腹を膨らませて、それでも派手な遊びを止めない厄介者だ。で、俺はそこの娘を夫として引き取って、子どもの父親になってやったわけだ。もちろん、交換条件として最大限の援助を約束してもらった」


「その時の、が、お前の、子、か?」


「そういうことだ」


 喋りながら、聴覚を研ぎ澄ます。視覚が封じられているからこそ、全てを聴覚に集中する。

 馬車は、おそらく検問所に入ろうとしている。内容までははっきりとは聞こえないが、御者らしい男と係員との会話が耳に入る。


「生まれてもあの女は子の世話なんぞせずに、パーティーからパーティーを渡って、遊び呆けて、やがて家に帰らないようになった。で、俺が一人で子育てをする破目になった」


「『瓦礫の王』が、子育て、か」


「悪くなかった。こう、何も知らない、こっちが不安になるくらい無力な奴にな、色々と教えてやるんだ。生きていけるようにな。ところが、俺が噛んで含めるように教えてやっても、中々理解しなかったり、まるで別の考え方をしたりしてな。俺がこういう風になればいいなと思って育てているのに、まるで別の方向へ育っていく。俺が育てているのに、俺とはまるで違う人格と能力の人間が出来上がっていく。人を操るのはあの内戦の中でいくらでもやったが、正直、育てるのは初めてだったんでな、こんな難しいとは思っていなかったよ」


 だが、それが楽しかった。


「けど、あいつがちゃんとした人格を持つと、一人の人間として確立してくると、妙なもんで、どう接していいか分からなかった。人を利用するのは得意でも、人と普通に付き合うにはどうすればいいのか、未だに分からない。だから友達も少ない。これはきっと、親の責任だ。あんたの教育が悪いからだよ」


「躾は、したが、教育は、していない」


 オオガミの答えを聞きながら、ヒーチは起こしていた体を横たえる。


「オオガミ、感じるか?」


「何?」


 不意に変わった話題と雰囲気に、明らかにオオガミは戸惑っている。


「戸惑っているな、御者が」


「何?」


「ゆっくりと馬車が移動している。ただ通過するはずが、妙だ。そう思わないか?」


 オオガミの沈黙。

 その沈黙の意味が、ヒーチには手に取るように分かる。

 まず、自分の言葉の意味を理解するのに一瞬。そしてそれが罠かどうか躊躇するのに一瞬。そして、実際に自らの感覚で外の気配を確かめるまで、一瞬。


 その動き出すまでの僅かな時間。最後の仕上げに、ヒーチが欲しかったのはその僅かな時間だ。

 意識が逸れたその隙を突いて、ごきり、と音をさせて、喋りながらゆっくりと移動させていた左腕が通常曲がらない方向へと折りたたまれていく。きつく縛っていたロープに左手の人差し指が触れる。

 皮膚を突き破り、小さな刃が人差し指の腹から、現れる。それが、ロープを切断していく。


「きさ」


 気付いたオオガミが殺気を放ち、ヒーチを縊り殺してやろうと迫ってくるのを感じる。

 これで、仕上げは終わり。


 そして、次の瞬間、馬車を猛烈な衝撃が襲う。





 荷台の部分が破壊された。

 そう、オオガミが認識した時には、既にオオガミは衝撃で宙を舞っている。砕けた荷台の破片と共に。

 地上にいて怯える馬、表情を凍らせて見上げている御者。

 何が起きた?

 体勢を立て直しながら、オオガミの脳内にはその疑問だけが駆け巡る。


 足から着地。

 斜め後ろにヒーチが落下するのを感じる。だが、振り向けない。殺害を再開できない。

 今、意識を別のことに割いたら、殺される。

 直感的にそれだけが分かる。


 逃げていく馬と悲鳴を上げて横にどく御者。話が通っているはずの検問所の係員達は、戸惑うように数人が顔を見合わせている。

 何が、起こっている?

 場所。検問所を通ったのではなく、検問所の横にある広場のような場所に連れてこられている。こんな辺境の検問所では他に利用する人間の姿は見えない。つまり、何が起こっても部外者の目撃者はいない。何でもできる。

 そんなことを頭の片隅で分析しながら、オオガミの視線は、目の前に立っている、一人の男から外すことができない。おそらくは、馬車の荷台を破壊したのであろう男から。

 誰なんだ?


 突如として現れた無法者ではない。だとしたら周囲の係員達と敵対しているはずだ。だが、男と係員達は連携しているわけでもなさそうだが少なくとも敵対はしていない。

 男は確かにアインラード軍の制服を着ている。

 シャロン側ではない、反戦派の軍人? 全ての企みをしって、フリンジワークとシャロンの計画を、戦争を止めようとしている?

 いつもの考えが、オオガミの脳裏を駆け巡るが、結局のところ、目の前に立つ男の拳を見たところで、全ての答えは出る。

 かすかに血が滲む拳。さっき、馬車の荷台を破壊し尽くしたのはその拳の一撃だと見て間違いない。素手の一撃であんな破壊をするのは、オオガミにもできない。技術ではなく、単純な膂力の不足からだ。

 それを可能にするほどの膂力の持ち主であり、アインラードの軍人。

 オオガミは、一人しか思い当たらない。


「オオガミだな」


 男は、歪んだ瞳の左目をオオガミに向ける。


「ハヤブサ。この場での手合わせが望みだ」


 そして狂気に満ちた笑みも向けられる。


 一体、どうして?

 余計なことを考えるべきじゃあない。そんなことに意識を割いていれば殺される。そう思いながらも、頭に湧いてくる疑問を制御できない。

 ヒーチの罠か、これは? 一体、どうやって?

 背後で、ヒーチが完全にロープから解放され、目隠しをとり、立ち上がろうとするのを感じる。だが、それを制止できない。

 今や、ハヤブサがオオガミに向ける敵意は既にいつ戦いが始まってもおかしくないほどに張り詰めたものになっている。そして、周囲の係員達もそのハヤブサに目を奪われ、ゆっくりと立ち上がるヒーチに気付いていない。


 背後から襲われるか。いや、それはない。

 すぐにオオガミは自分で否定する。

 あの男は、今、激しく動けば死に直結する。ヒーチは逃げるつもりだ。自分とハヤブサが争っている間に、この場から退散する。

 ならば、やることは一つ。何をトチ狂っているのか知らないが、目の前のハヤブサを殺してすぐにヒーチを追う。それだけだ。

 そうオオガミの中で結論が出た瞬間、ハヤブサは既に拳が届く範囲にまで踏み込んできている。

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