理由
マサヨシ達とドラッヘ達との情報交換はおおよそ一時間ほどかかって、ようやく終わりが見えてくる。
その中で、興味のないようなふりをしつつも、店内で酒を飲んでいたり喋っている傭兵達は誰も店を出ようとしない。マサヨシは彼らが聞き耳を立てているのを意識しながら、話を続ける。
「それで、アルベルトはどうなったんです?」
「さあな。俺達が何とか襲ってくる無法者共を退けたところで、トリョラの正規軍が登場してな、そのタイミングで全員でばらばらに逃げた。この貧民街の入口を集合場所にして、だ。アルベルトは約束通り囮役を買って出たからな、わざと目立つようにしながら逃げて行った。もう、死んでいるかもな」
「あいつは頭も切れるし腕もたつ。そうそう死なないですよ」
反射的にマサヨシが言うと、ジャックも頷く。
「ですな」
「あの男は生き汚い。あっさりとは死なない」
スカイも貶しながらも同意する。横のミサリナは目を閉じ、うんうんと頷いている。
ふっと、ドラッヘが顔を緩める。
「何?」
不思議に思ってマサヨシが問うと、
「いや、お優しいことだと思ってな。仲間が死んだとは思いたくないか」
「仲間なんかじゃあない」
奇跡的に、マサヨシ、ジャック、スカイ、ミサリナの四人の声が重なる。
「まあ、いいや。ともかく、状況は分かりました。どうも」
改めて、マサヨシはカードのように複数の封筒を右手に広げて持つ。
「ともかく、これ。配達人を探してるんですよね。今、この状況下のトリョラから外に手紙を届けるなんて危険極まりないけどさ、そこを我こそはって強者がいないかなあと思って」
「あのガキ、アルベルトだっけ、あいつと約束しちまったからなあ」
ドラッヘの後ろにいる傭兵の一人が、がしがしと頭をかく。
「金払ってくれるなら、まあ、俺は受けるぜ」
「ああ、そう、ありがとう。詳しい話は後でするとして、とりあえず前金ね」
そう言うと、マサヨシはあえてゆっくりとした動作で革袋を取り出すと、そこから大小様々な金貨を掴みだし、その傭兵へと渡す。
受け取った傭兵は、目を白黒させる。
「おい、これ」
「不満?」
「いやいや、何だよこれ、お前、分かってんのか? 相場の十倍だぜ、こりゃ」
「それは前金。成功して、それで俺もその時に生きてたら、要求してくれれば成功報酬でその二倍払うよ」
ざわつき。
もう、他の傭兵達は興味のないふりを止めている。数人は、立ち上がって思いきり体を向けてそのやりとりを見てさえいる。
「どうせ持っていてもしかたないからね。俺の全財産、今回の作戦で処分するつもりなんだ。ほら、遠慮せずにもってってよ」
それから、店内を見回して、ふうと息を吐く。
「とはいえ、一人じゃあ、どうにもならないね。この手紙を全部、一刻も早く色々な場所に届けて欲しいからさ。他に、誰が受けてくれる傭兵はいないのかな」
ゆっくりと、余裕を持って見回す。
既に店内の空気は決している。
これでいい。別に、値切るつもりもどうするつもりもない。人手はあればあるほどいい。
そうして、店内のほとんどの傭兵と契約を交わす。前金も気前よくばら撒く。あっという間に、全財産は半分ほどになった。
割のいい仕事が見つかってテンションが上がったのだろう、店内では早速宴会もどきが開かれる。次から次へと酒をあけていく。
その陽気な騒ぎの輪に入らない者達もいる。
マサヨシ、ミサリナ、スカイ、ジャック。それから。
「よお」
ドラッヘが、カウンターに座って騒いでいる傭兵達を眺めているマサヨシに近づいてくる。
「ああ、どうも」
「気前がいいな」
「墓まで金持っていってもしかたないですもんね」
「ふん」
ドラッヘは首を鳴らして、
「俺も、今じゃあ雇い主が行方不明でな、フリーの傭兵なんだ。俺は雇ってくれないのか?」
「もちろん」
マサヨシが、残りの全てが入った革袋を投げてわたすと、受け取ったドラッヘは似合わず目を見開いて動揺する。
「お前、これ」
「それで雇わせてもらうよ。雇い主だから敬語はなしね」
にやりと笑って、マサヨシは席を立つ。
「で、ドラッヘさんにやって欲しいことも、後で詳しく話すよ。とりあえず、大雑把に言うとジャックの手伝いをして欲しいんだ」
「俺の?」
眉をひそめるジャックに、
「そ」
と頷いておいて、
「じゃあ、ドラッヘさん、それは必要経費込みだからね、頼むよ」
言い終わると、ぽんとジャックの肩を叩く。
「皆は、もうちょっとここでゆっくりしててよ。ジャック、ちょっといい?」
「なんですかい?」
「二人で話したいことがあるんだ。ここは騒がしいしさ、少し、外で話をしない?」
一瞬だけ逡巡してから、ジャックは頷く。
不審げなスカイとミサリナ、そして手に持った革袋とマサヨシの顔を何度も交互に見比べているドラッヘを背中に、ジャックとマサヨシは傭兵達の間を縫うようにして店の外に出る。
あまり遠くに行くと、見つかる可能性もある。
マサヨシは店を出てすぐの、崩れかけた塀に腰かける。
「ここでいいや」
店の外は騒がしくはない。
いつの間にかの夕暮れ時。このスラムの中では常に街中がざわめいているようで、それは今も違いないが、話をするのに支障はないし、そんなに人通りもない。怪しい風体の男や死んだ目をした女が、一人、二人と時折横切るくらいだ。
「俺達がここにいることは、多分あと半日は分からないだろうね。このエリアの奥深くにいるってことが分かるのは、他のエリアを総ざらいして、どうやらどこにもいないって分かった後だ」
呟く。
「それに半日、ですかい?」
「包囲網はよほど厳重だろうし、フリンジワークは見逃しようがないように、輪をゆっくりと縮めていくみたいに俺達を追い詰めるつもりだ。だから逃げようがないけど、逆に時間も稼げる。その半日の間に、色々と仕込みをしないとね」
「戦争を止めるために?」
「そうそう」
ジャックは息を吐くと、ゆっくりとマサヨシの隣に同じように崩れた塀に腰を下ろす。
「止められると思ってるんですかい?」
「確率の話するなら、驚くほど低いよ。分の悪い賭けだ」
「なら」
不意に、ジャックの目が細まると、何の飾り気もないただそれだけの殺気が噴出する。
「ここで皆死んだ方が、いいんじゃないですかねえ」
「皆、とは?」
「俺達ですよ。俺が今すぐマサヨシさんの首引きちぎって、スカイとミサリナ殺して、部下共にはできるだけ民を連れてこの国から逃げ出す準備するように伝えて、で、あんたらの首を抱えてフリンジワークの前まで行って、腹でも切る。これが、一番被害少なくて済むんじゃないですかね。俺は、正直、今この瞬間も迷ってますよ」
「そっか」
夕日で赤く照らされているジャックの顔を眺めてから、マサヨシは顔を前に戻す。
「どう思う?」
「こっちのセリフですぜ。たとえ可能性は低くとも、戦争を止めるために犠牲を出しながらも抗ってみるか、もう諦めて被害を最小限にするか。どっちが正しいと思ってるんで?」
「俺は、正しいとか正しくないとかで動いているわけじゃないよ。正義の味方でもないし、英雄でもない。知ってるでしょ、『ペテン師』なんだから」
「じゃあ、何のために今、動いてるんです?」
殺気を消さないままのジャックの質問。
答えによっては、本当にこの場で殺されるんだろう。
そう理解しながらも、マサヨシは不思議と緊張も焦りもしない。ただ、できるだけ正直に、そして正確に今の自分の考えを伝えるために、少しだけ考えて、
「俺の顔」
うまく動かない左手の、人差し指を使って自分の顔の傷をなぞる。縫い傷を。
「似てきてさ」
右手でひさしを作って、夕日を眺める。
「何にです?」
「父親に。こんな風に、縫い傷だらけの父親だったんだよ。マジで。どんな生き方すりゃそうなるんだと思ってたけど、気が付けば俺の顔も縫い傷だらけになってた」
「父親? 記憶喪失だったんじゃ?」
「未だに信じてるの、それ。俺が『ペテン師』だって知ってるのにさ」
「ふっ」
笑い。
目を向けずとも、ほんの少しだけジャックの殺気が緩むのを感じる。
「それ以外にも、目のこう、暗くて険がある感じとか、全体の雰囲気とかさ、とにかく鏡とかで自分見るたびにげんなりするんだよね。驚くよ、ほんと。虫と獅子くらい似てないと思っていたのに、似るもんだね、親に」
「で、それが?」
「今、戦争を止めようとしてさ、せっかく逃げ出したトリョラに戻って、分の悪い賭けに命も金も人も全財産つぎ込んでるのは、それと同じだよ、多分ね。したいからでもないし、しなくちゃいけないからでもない」
「自然の流れだってことですかい?」
「河がいずれ海に辿り着くのは、別に河の水が海に行きたいからでも、行かなくちゃいけないからでもないでしょ。そっちに流れていくのが自然だからだよ」
「答えになっていない、気もしますがな」
「だろうね」
ほう、とため息をついたジャックの気配を肩に感じながら、マサヨシは苦笑する。
「とにかく、こうするのが自然に思えたからそれをやってるだけだよ。思えば、最初から、流れに流されて自然にやっているうちにここまで来た気もするしさ」
「それで」
再び、ジャックの殺気が鋭くなる。
「俺にさせたいことってのは、何ですかな」
「ん、ああ、ドラッヘと協力してやって欲しいことがあってさ。いや、別に大したことじゃあない。普通に仕事をしてくれればいいんだ」
「仕事?」
「そう。治安維持だよ。トリョラの治安維持をね」
耳に痛いくらいの沈黙が数秒続く。
「マサヨシさん」
やがて聞こえてきたジャックの声は、静かだ。
「俺を殺すために、どんどん戦力がこのトリョラに注ぎ込まれてきます。それが分からんわけじゃあないでしょう」
「ああ」
「俺を殺すためにどれだけトリョラの民が犠牲になろうとも、です。いや、見せしめとして敢えて罪のない民を虐殺するなんて手に出てもおかしくない」
「ああ」
「あの『赤目』と協力してってことは、それでも、最後まで、俺は死なずにずっと治安維持のために指揮を続けろってことですな」
「ああ」
「俺が生きている限り、治安は悪くなり続けると分かっていながら、治安維持のための命令を何も知らぬ部下に出し、民と部下を死なせ続け、いや、殺し続けろと?」
「ああ」
「ふうむ。しかも、『赤目』と組んで、ということは、ともかく泥臭く食い下がって、出来る限りその期間を引き延ばしてほしいということでしょうな」
「ああ」
ゆっくりと、マサヨシはジャックに顔を向ける。
毛並みが西日で赤く染められたジャックの表情には、予想に反して怒りや殺意というものは浮かんでいない。
「ううむ」
ひたすらに、悩んでいるようだ。腕を組み目を瞑り、ジャックは唸っている。
「何を悩んでるわけ?」
「もちろん、それを受けるかどうか、ですよ。受けるか……」
「受けるか?」
「マサヨシさんをこの場で殺すかですな」
どうやら、本気で悩んでいるようで、ジャックの眉間には皺が寄っている。
「何のために、とは訊かないの?」
「ああ、そりゃあ、別に。どうせ、そうやって囮になってくれってことでしょう? その間に、マサヨシさん達が裏で動く」
「まあ、そうだね。だから、結局、俺のお願いを身も蓋もない言い方をするとさ、こんな感じだよ」
マサヨシが体ごとジャックに向けて居住まいを正すと、ジャックも目を開ける。
この場に及んで言葉を飾ったり誤魔化したりする気にはならなかった。
覚悟を決めて、マサヨシは言う。
「駄目元で戦争を止めるために色々するからさ、そのために囮になって、ジャック、部下と民を死なせた挙句に、死んでくれ。頼む」
「くく」
殺されても仕方がないというほどのセリフを吐いた直後に、突然ジャックが笑い出すのでマサヨシは目を丸くする。
「え、何かおかしかった?」
そんな頼みをするなんて馬鹿が、ここで死ね。
そういう意味合いの笑いかと一瞬思ったが、
「無茶なお願いされるのが、嬉しくてね」
「え?」
「いいぜ、任せておけよ、マサヨシ」
突然口調まで変わったジャックはあっさりと言って、呆然としているマサヨシの額に拳をこつんと当てた後、
「先に戻る」
そう言うと、ジャックは店内に戻る。
何がなにやら分からず、マサヨシはきょとんとしてそれを見送る。
黒く焼けた館の前に立ち、メイカブは退屈そうに長く息を吐く。
焼け跡は、その黒さで夕闇に溶け込みつつある。
「見事に焼けてるな。何も残っていない」
「仕方ないでしょう」
副官の兵士もあくびを噛み殺している。
せっかくロンボウの王城から派遣されて、ただ待つだけ。敵の捜索や戦闘はもちろん、トリョラの包囲すらトリョラ軍がやっていて、何もすることのない状態。
歴戦の兵士である副官があくびをするのも無理はないとメイカブは思っている。
「ミサリナやスカイ、そしてマサヨシに繋がる手がかりもなし、か」
手がかりもなにも、何も残っていないのだ。
どうも死体が見つかったらしいという話は出たが、その死体も別に三人のうちの誰かというわけでもない。
「ようやく面白くなるかと気張っていたのになあ」
焼け跡を見上げながら腰を伸ばすメイカブに、
「司令!」
連絡役の兵士が一人、近づいてくる。
「どうした?」
「トリョラ城主殿より伝達です。標的の一人を追い詰めた、とのこと。今夜中に処分、もしくは生け捕りできるとのことです」
トリョラの正規軍が直接動ける標的。ペテン師のことはまだトリョラ城には伝わっていないだろう。だとすると。
「アルベルトか?」
「はっ、そうです。自警団とは名ばかりの犯罪組織の長、アルベルトです」
「そうか。本当に、大丈夫か?」
「は?」
「まだガキだって聞く。逆に言うと、その若さで犯罪組織の頭になったほどのタマだぞ。グスタフ率いる裏の連中が追い詰めるならともかく、正規軍か。しかも、向こうの庭の町のど真ん中で。勝手は違うし、何か仕掛けてきてもおかしくないと思うが、俺ならどうするかな」
既に、最後の方はただの独り言になっている。
困惑した兵を尻目に、メイカブは思考に耽る。
もしも、もしもアルベルトが何か予想も付かないことをしてこの場をかき乱してくれればいい。ただでさえ混乱しつつあるこのトリョラが更に混乱すれば、独自判断としてメイカブが好きにしても構わないだろう。
踊れ踊れ。俺を給料泥棒にしてくれるな。
焼け残った黒く煤けた柱を睨みつけ、メイカブはそう祈る。