蠢動
「傭兵を雇いたいんだ」
手早く、うまく指が動かない左手も駆使して、マサヨシはミサリナの左腕の傷を縫っていく。麻酔無しのその手術にはそれなりの痛みを伴うはずだが、ミサリナは軽く顔をしかめるだけで呻き声すら漏らさない。
マサヨシとミサリナは、執務室ではなく、かつては食卓のあったダイニングで腕の傷の治療をしている。ダイニングも荒れ果てているが、ともかく使えそうな小さなテーブルを手術台代わりにしている。
「傭兵?」
悲鳴を上げないミサリナは、そればかりか、話を続けようとする。
手術台の横の椅子に座ったまま、見上げている。
「そう、傭兵。プロフェッショナルのね。金ならあるんだ。だけど、ツテがなくてさ。スカイと一緒にミサリナを探してたんだよ」
「傭兵ね。雇おうと思ったら、先に敵に雇われてて寝首をかかれたりしないわけ?」
「ないよ、それは。傭兵崩れならともかく、ちゃんとした傭兵業の人間を使わない。そこから足が付くのを嫌がっているからね。基本的に犯罪組織を使って俺達を狩ろうとしているのも、それが理由でしょ、多分」
「なるほどね、そういうわけ」
「そうそう。ってかさ」
マサヨシは縫った跡にアルコールを塗ると、包帯を巻いていく。
「どうせ、ミサリナのことだから、自分も傭兵を雇おうと思ってたんじゃない?」
「まあね。ジャックやアルベルトと違って、力ないわけよ」
「ああ。ただ、今思うと、一番心配なのはアルベルトかもね」
包帯を結んで仕上げを終える。
「よし、これでいいよ」
「ありがとう。それで、一番心配なのがアルベルトってどういうわけ?」
「ん、ああ。あいつは、完全に犯罪組織側だからね。正々堂々と、正規軍を使って殺せるじゃん」
「マサヨシ、人の心配するわけ?」
不意に、冷たいミサリナの目が抉るようにマサヨシを見据える。
「ん?」
「善人にでもなったわけ?」
「はは」
力なく笑うマサヨシは、真っ暗い目で見返す。
「ミサリナこそ、善人か?」
「え?」
「ほら、偽善に付き合わされた聖女が戻ってくるぞ」
その言葉と同時に、ドアが開いて執務室からスカイが出てくる。
「終わった。略式だけど」
ふう、とスカイは息を吐いて頭を振る。
「けれど、いいの? 彼女、別にレッドソフィーの信徒というわけではないでしょう?」
「構わないわけ。どんな形でも、弔われたらそれでいいわけよ。死体、そのままにしておくしかないわけだから、弔いくらいわね」
「ひょっとしたら、彼女、別の神様信じてたかもしれないじゃん。ハローとかさ。本当にいいの?」
にやついたマサヨシの言葉に、ミサリナは肩をすくめる。
「神様なんて信じてなかったわけ、きっとね。分かるのよ、彼女のことは。きっと、あたしと同じだから」
「同類相憐れむってね」
マサヨシは手術道具を片付けながら、からかい半分にそう言う。
「さて、で、案内してくれる?」
「ああ、傭兵? そうね、行きましょうか」
立ち上がったミサリナは、ドアの方に行き、執務室の中を、恐らくは中の秘書だった少女の死体を眺めてから、
「最後、この屋敷を燃やすから、手伝って」
「え」
マサヨシは止まる。
「あの娘の死体ごと燃やすつもり?」
「ええ、火葬代わりなわけ」
「いや、そんな、ちょっと、おい、スカイ、止めろよ、そんな」
流石に想定外の話の流れに、マサヨシは慌ててしまいスカイに助けを求めるが、
「弔いは終わった。別に構わない。異教徒だし」
「うわあ、ドライ」
思わず正直な感想が零れる。
「彼女は、焼かれようが埋められようが気にしないわよ。分かるわけ」
何故か寂しそうに目を細めて、ミサリナはドアから離れる。
そうして、屋敷を焼くために戸棚からそのための道具を次々と出していく。その顔は、腕を縫われている時よりも、よほど苦しそうに歪んでいる。
自分を焼こうとしているかのようだ、とマサヨシは思う。
「暴力というのは、原始的かつ究極的な力だ」
呟いて、ヒーチは手首を叩きつけるようにして、座り込んでいる男の顔を殴る。
「金、権力、名声、地位、全ては暴力を変換したものと言っても過言ではない。どうして暴力にそこまでの力があるのか。それは、暴力は人を従わせるからだ。苦痛や自他の死を恐れる人間をな」
もう一度、今度は更に力を込めて男の顔を殴りつける。男の後頭部が壁にうちつけられる。
二人の周囲には、素手でヒーチに殺されて絶命した男達の死体が散らばっている。
「そういうのを恐れない人間相手には大して意味はないがな。で、お前はどっちだ?」
中腰になって顔を近づけてヒーチが問うと、
「勘弁して、勘弁してくれ」
口から血と涎をこぼしながら、男は呻く。
「じゃあ、質問に答えろ。お前達無法者共の取りまとめは、グスタフがやってる。間違いないか?」
質問に男はぶんぶんと頷く。
ヒーチと男がいるのは、アインラードの王城も近い中心部の大通り、そこから一本だけ奥に入った路地だ。薄暗い路地には他に人気はないが、すぐ近くを大勢の人々が通っている気配がある。
だがその大通りを通る人々の誰も、一つ奥にある路地でこんな暴力が吹き荒れているとは誰も想像だにしていないだろう。
「お前達下っ端はどこまで知っている? グスタフの他に誰がこの件に関わっているかは知っているか? フリンジワークやシャロンの名を聞いたことは?」
「はえ?」
腫れあがった顔で、ぽかんと男は口を開ける。
「知るわけがない、か。まあ、いい。で、お前達はただただ、グスタフの指示通りに襲っているだけか?」
「あ、ああ。リストを渡されて、そのリストの奴らを皆殺しにしろって話だった」
「アインラードの連中か?」
「あ? どういう、意味だ? 他が、いるのか?」
「いや、いい。なるほど、完全分業しているわけだ。アインラード組と、トリョラ組か」
首を捻り、呟きながらヒーチは無造作に手を伸ばす。伸びた手は男の首にかかり、そのまま片手で男の頚椎を握り折る。男は、悲鳴すらあげずに瞬時に絶命する。
「酷いな、殺す必要があるのか?」
後ろから、ヒーチに声がかけられる。
「どうせ下っ端だ。大したことは知らない。それよりは、お前達のうち一人を生け捕りにした方が良さそうだ」
ゆっくりと、ヒーチは振り返る。
いつの間にかヒーチの背後にいるのは、目立たない灰色の布とフードで体と顔を隠した三人だ。
身のこなしから、それなり以上の実力を持つプロの殺し屋だ、と瞬時にヒーチは判断する。
「大した自信だ。どうする?」
「ニコを殺したのもおそらくこいつだ。油断するな。三人がかりでいくぞ」
ぼそぼそと喋っていた三人は、次の瞬間凄まじい速度で同時にヒーチに飛び掛る。
窓の外をそっと片目だけを出すようにして確認して、すぐに全身を隠して、ため息。
「囲まれてるな」
アルベルトのぼやきに、傭兵達とドラッヘも同時に肩を落とす。
「どうする? 地下に戻るか?」
「袋の鼠だろ」
「くそ、さっきまで割のいい仕事だと思ってたのによ」
傭兵達は口々に愚痴を言い合う。
「このアジトから出さないつもりか」
傭兵とドラッヘに窮地を救われたアルベルトだが、外に出ようとしてすぐに異変に気付き、アジトへと舞い戻るはめになっている。
「どう思う、ドラッヘ」
「篭城戦は得意だ。が、問題は物量で圧されるってことだな。なにせ、こっちは十名にも満たない」
「おまけに、その内、正規軍がやってくるぞ。俺は犯罪組織側だからな。正当な殺す理由はいくらでもある」
しばらく、顎をなでながらアルベルトは考えを巡らし、
「まあ、いいか。ドラッヘ」
「うん?」
「正規軍が出るまで我慢としよう。正規軍が来たら」
「来たら?」
「俺が囮になる。あんたらはその隙に逃げてくれ。バラバラに逃げ出せば、何とかなるだろ。どうせ標的は俺なんだ」
「え、いいのかよ?」
傭兵の一人が驚いたように言って、周囲の他の傭兵達と顔を見合わせる。
「ラッキー、あ、いや、喜んじゃ駄目なのか」
「いや、いいよな、別に、ドラッヘさん」
「ああ、いいんじゃないか?」
外を警戒しながらドラッヘと傭兵達は語り合う。
「その代わりと言っては何だが、頼みがある。誰が一人でもいい。新しく、傭兵を雇う奴に注意しといてくれ。耳に入ってくるだろう?」
アルベルトは汗を拭い、窓の外をまた窺いながら声を出す。
「そりゃ、同じ業界だし、できるけどよ。注意って、どういう風に?」
「この状況下で傭兵を雇う連中の中に、今から言う奴の名前があったら力を貸してやってくれないか? 囮の貸しを返すと思ってな」
くすくすと、状況に似つかわしくなくアルベルトは笑い出す。
「ジャック、はないか。スカイ、ミサリナ、それから、ああ」
一度言葉を切ってから、
「ペテン師がいた。そうだ、マサヨシ。この誰かだ。兵隊を必要としてるのは、ここらへんだな。力を貸してやってくれ」
「若き暗黒街の頭領も、こういう時には仲間を大事に思うもんなんだな」
「くく、まさか」
多少、揶揄の含まれたドラッヘの言葉に、窓の外を油断なく窺いながら、笑い続けるアルベルトは応える。
「ついつい生き延びようとしてしまうものなんだ。それなら生き延びさせてやるさ。俺も含めて、全員、さっさと楽になる資格のない連中だ。見苦しく足掻いて、少しでも長引かせないと。地獄をな」
爽やかさすら感じる笑い声とその内容のギャップに、ドラッヘは黙り、百戦錬磨の傭兵達も言葉を失い気味悪そうにアルベルトと窓の外を交互に見る。
沈黙の中、アルベルトはずっと笑い続ける。