近づく邂逅
木陰から、教会に物々しい雰囲気の兵士達が突入していくのを覗く。
数十人の兵士達は、隊列を乱すことなく、整然と教会の中へと入っていく。中からは驚きの声は聞こえてくるが、その後に悲鳴や怒声があがることはない。
「正規軍だね、やっぱり」
マサヨシが呟くと、スカイが身を隠しながらも怪訝な瞳を向けてくる。
「予想していたの?」
「そりゃあね。ここで無法者を教会に回して、そこで虐殺でも起こったら、レッドソフィー教会は当然徹底的な調査をする。万が一、その調査でフリンジワークとその無法者共との接点でも浮かび上がってきでもすれば、さ。さすがに、フリンジワークも教会と積極的に敵対したいとは思っていないでしょ。ていうか、スカイもそれくらいは予想してたんじゃないの?」
「何らかの方法で、なるべく教会を敵に回すことなく私を消そうとするだろう、とだけ、考えていたわ。確かに言う通り、そうなると正規軍を動かすしかないわね」
「それにしても間一髪だったね」
「そうね、あそこを出るのがあと一歩遅かったら、連行されていたわね」
投げやりなスカイの口調に、マサヨシは肩をすくめてみせる。
「そうなったって構わない、みたいな言い方だね」
教会を見下ろせる丘、その木陰に身を潜めながらこんな話をしていることが我ながら妙に思えてきて、マサヨシはついへらへらとしてしまう。
「実際、そうよ。私達の終わりは決まってる。自棄になって、敵の本陣に突入するくらいしか選択肢がないのだから」
「確かにそう提案したのは俺だけどさ、自殺行為がしたいわけじゃない。このまま、二人でハイジのところに向かって真っ直ぐ突っ込むつもりじゃないよ」
そうマサヨシが言うと、腰を低く教会を窺いながらもスカイは意外な顔をする。
「違うの?」
「俺を何だと思ってるのよ。で、まず、先立つものがないしね。いや、正確にはある理由から金はある程度あるんだ。だからこの金を使って物資をそろえたりとかしないとなあ」
「ということは、彼女に会いに?」
「ああ、そうね。あと、一番心配ってのもあるね」
そろそろと、身を屈めたまま、草をゆっくり踏み潰すようにして、教会から距離をとり始める。
「心配?」
それについてきながら、スカイは小首を傾げる。
「お前みたいに後ろ盾があるわけでもない。アルベルトやジャックみたいに身を守る暴力を有しているわけでもない。ある意味では、一番消しやすいのがあいつかもしれない」
ただ、と背の高い草をかきわけるようにして進みながら、
「あいつはそれを自覚しているから、手を打っているはずだ。だからしばらくは大丈夫だと思う反面、だからこそ見つけにくいな。多分、姿隠してるでしょ」
「一応、『白銀』が何かあった時の落ち合い場所よ」
「騒動が始まってすぐならともかく、今更この状況で町にある酒場にのこのこ顔を出すかな?」
そうマサヨシが返すと、スカイも黙って何かを考える顔つきをする。
それからは、二人とも黙って足を動かし、木々の深い方向へと進んでいく。人目のない、山を越え、森を越えて、ひとまずトリョラの中心部からは離れなければいけない。どこに向かうにしても、もしもまたトリョラ中心部のどこかへ向かわなければならないにしても、まず一旦離れる必要がある。
その点に関しては、スカイとマサヨシの見解は一致していた。今や、トリョラの中心部から中心部へと混乱に巻き込まれずに移動することは不可能だ。
「ともかく」
木々が深くなってしばらくしてから、ほうと息を漏らしながらぽつりとスカイが呟く。
「ミサリナと会って、物を都合してもらって、ロンボウの王城まで突っ走って行って、見事ハイジを救出して、彼女の口から戦争反対を叫んでもらう」
言っている途中からくすくすとスカイは笑い出す。あまりにも成功確率の低い、宝くじを何連続も当てるような計画とも言えない計画に、口にしながら呆れだしたのだろう。
「それしか、戦争を止める手立てはないのよね」
「正確には、別の方向から止める方法はある」
マサヨシが返すと、スカイは目を丸くする。
「へえ、それは、どんな?」
「簡単だよ。戦争は一人ではできない。いくらロンボウがアインラードに戦争を吹っかけたって、アインラードが徹底して戦争を回避して、いくら無茶難題を言われようと侵略されかけようと抵抗しなかったら、戦争にはならない」
「ありえない」
「だね。普通は、戦争を回避するにしても限度はあるだろうし、しかも今のアインラードの実権を握ってるのは『勝ち戦の姫』だ。戦争がしたくてしたくて仕方がない女だからね。逆に言うと、シャロンを反戦主義者に変えてしまえば、戦争が起こらない可能性はあるよ」
「そんな方法があるというの?」
思い切り眉をひそめて、草と草の間からスカイが問う。
「全く思いつかない。けど」
にやりと笑った顔をスカイに向ける。
「ひょっとしたら、ヒーチなら何とかできるかもね」
姉が、避難所で生き生きと腕を振るっている姿に、ジャックは目を細める。
「あら、ジャック、きてたの」
そのまま去ろうとしていたところを、向こうに見つかってしまう。
「よかったら、ほら、これ。好評なのよん」
そう言ってフィオナが差し出してくる木椀には、赤い汁が入っている。
「またかよ」
ぼやき、覚悟して全身に力を入れながらそれを口にしたジャックは目を見開く。
「ん、これ、何だ」
辛くない。
いや、辛いことは辛いが、かなり控えめになっている。
「そりゃそうでしょ」
うふふ、とフィオナは笑ってから、まだぽかんとしているジャックの顔を見て改めて大笑いする。
「さすがにアレンジしてあるわよぉ。これだけ沢山の人がいて、辛いのが駄目な人だっているだろうしねん」
「俺がいくら辛いって言っても全然味変えてくれなかったくせに」
「だってあたしは激辛が好きなんだもの」
そう言ってまた笑い出すフィオナにつられるようにして、ジャックもついつい笑う。
「さて、ここも大丈夫そうだ」
「あら、もう行くのん?」
「うん。異常がないか視察に来ただけだからな」
「なら、ここは大丈夫よん。ジャックのところの社員さんが、しっかり警備してくれてるし」
今、ジャックの部下のほとんどは各避難所の警備にまわっている。避難誘導はあらかた終わり、後は避難所の運営、警備、そしてこれからの方針の決定が主な業務になるだろう。
事実、ジャックは部下の幹部にもそのように伝えてきた。
「ああ、みたいだな。それじゃあ」
「うん、またねん」
気軽に手を振る姉に向かって、ジャックは少しだけぎこちなく手を振り替えし、笑ってみせる。
また、か。
おそらく、また、はない。
そろそろ、潮時だ。
今、首を差し出せば、これ以上の犠牲は避けられる。
「あ、そうそう」
それじゃあ別れるか、と背を向ける寸前で、フィオナが唐突に言う。
「ねえ、あの子、マサヨシ君が生きてるって本当なの?」
「え」
後は死ぬだけだ。
そう思って、全てを遮断しようとしていた、ジャックの魂がその刹那揺れる。
「あ、ああ。なんか、そんな噂が広がってるみたいだな」
「あ、やっぱ噂なのね。あいつ、あたしの料理をおいしそうに食べたから善人だと思っていたのに本当は大悪人だったなんて、もし生きてこの町にいるなら思いっきりぶん殴ってやろうと思ってたのに」
フィオナは頬を膨らませながら片方の掌にもう片方の拳を打ちつける。
乾いた笑いを浮かべながら、ジャックは今度こそ背を向ける。
落ち着け。ただの噂。こういう混乱状態では飛び交いがちな、根拠のない噂だ。そう、自分で納得したじゃあないか。闇医者の一人が『ペテン師』だと? 馬鹿馬鹿しい。念のために調べた。今、ジャックが各避難所を回っているのも、ひょっとしたらという思いがあったからだ。だが、結局、マサヨシは見つかっていない。それが答えだ。
バラックが集まってできたような避難所を後にして、周囲で見張りをしている部下に軽く会釈をしてから、ジャックはこれからどうやって終わりするかに考えをめぐらす。
このままだと、自分を始末するために避難所全てを火の海にするかもしれない。あの男ならそれくらいはやりかねない。ただ、自らそこいらの無法者、フリンジワークに雇われた者達の手にかかるというのも何かやりきれない。
周囲に犠牲を出さず、けれど終わるのならばどうせならもっと派手な――
「ジャックさん」
考えているうちに部下の一人が寄ってくる。
ジャックの関わっていない、別系統の避難所の状況の情報収集を頼んでいた部下だ。
「ああ、どうだった」
「はい」
王城による公式なもの、レッドソフィー教会によるもの、その他自治会によるもの、そういった避難所の状況が語られる。
特に大問題は起こっていないらしい。手伝えることがあるなら、こちらとしても人員を割いてもいいと思っている。向こうの代表者の意向を聞くように。
そんなやり取りをしながら部下の報告を聞いていたジャックの顔が、ぴたりと石膏で固められたように止まる。
部下の報告はレッドソフィー教会による避難所の一つ、ある教会に関してのものだった。
何故か、混乱の周囲を包囲しているだけのトリョラ正規軍がその教会に接触したこと、その時には、その教会にいたはずの聖女と、一人の闇医者の姿が消えていたこと、その聖女の名がスカイということ。
無意識のうちに、ジャックは口を手で覆っている。その覆った手の下で、呟いている。
「本当に、生きていたのか。『ペテン師』が」
まだ、すぐには死ねなくなった。
極力周囲を巻き添えにしないようにして、もう少しだけ命を永らえさせる方法を考えなければ。
そんなことを思い、覆った掌を口から外すと、
「ジャックさん、どうして笑ってるんですか?」
「え?」
部下に指摘されて初めて気付く。
ジャックは笑っている。
懐かしい気分だ。マサヨシと最初の頃、何もかもなかったし足りなかった中で、どうにかして目的を達成しようともがいていた、あの頃のような。
許しているのか、あの男を。
自分でも分からず、ジャックはただくつくつと笑い続ける。
そんなジャックを、部下は気味悪そうに眺めている。