集う者達
寝る暇などない。
時々背の低い建物から顔を覗かせる朝焼けを眺めながら、アルベルトは路地裏を歩き続ける。
ずっと、アジトからアジトへと転げまわっている。町はまだ落ち着かない。叫び声が時折聞こえる。争うような声と物音。散発的に、犯罪組織同士の抗争が行われている。
うらぶれた路地裏の食堂、その地下への階段を下りる。
狭い地下室に鮨詰めになっている、得物を握り締めた男達は入ってきた人影に身構えるが、それがアルベルトだと分かるとほっと緊張を解く。
「どうなってる?」
息苦しい地下の食料庫に下りつつアルベルトが訊く。
「どうもこうも」
包帯だらけの男の一人が、舌打ちと共に答える。
「抗争っつっても、うち以外の大小の組織がほとんど同時にうちを狙っているようなもんですからね。太刀打ちできないですよ。いきなり襲撃を受けて、うちの半数がやられて、残った更に半数が裏切るか逃げ出しましたよ」
「そうか」
それも仕方がないか、とアルベルトは冷静に判断する。
なにせ、元から犯罪組織の風紀取締り係を気取っていたのがアルベルトの自警団だ。他の組織から白眼視されているのは分かっていた。フリンジワークは、いつ火がついてもおかしくない火薬庫にマッチを放り投げただけだ。
それは、よく燃えるし爆発もするだろう。
「あの、団長」
別の薄汚れた男が、おずおずと声をかけてくる。
「何だ?」
「その本当なんですか。今回の件、フリンジワークが糸を引いてるって。それにその、団長を目の敵にしてるってのは」
その質問に、狭い食料庫中の視線が全て自分に集中するのをアルベルトは感じる。
「おそらく、そうだ」
だが、特に何の躊躇もなくアルベルトは即答する。
それで、空気がざわつこうとも、心が乱れることもない。
「じゃあ、その」
「ああ、俺がいる限り攻撃は止まらないし、俺の周りにいると巻き込まれて殺されるかもしれない。逆に、俺を差し出せば助かるかもしれないな。どうする?」
平然というアルベルトに、男達は気おされたように黙りこくる。
「いいか、所詮は俺達は犯罪者だ」
顔の傷を撫でつつ、アルベルトは言い放つ。
全員の顔を見回しながら。
「俺はお前達が俺の巻き添えになったり、俺の犠牲になっても何も感じない。逆もそうだ。俺は所詮、最低の犯罪者なんだ。お前達が俺を裏切ったって、それは悪事でも何でもない。そもそも、悪事ならこれまで腐るほどやってきているだろうが」
やれよ、とアルベルトは笑う。
「実際、俺が、いや、俺達が全員死ねばこの抗争は終わる。巻き添えを食って死んでいく人達もいなくなる。ただ、そうなればすぐに戦争が起きるだろうがな。この抗争よりももっと多くの人が死ぬ」
それでもいいならやってみろ。
そう、アルベルトが言い終える前に、
「なら、そうするとしようぜ」
背後から声。そして、衝撃。
気付いた時にはアルベルトは固い床に倒れ、その背中を誰かに踏みつけられている。
気分が悪い。視界が歪んでいるせいで、床が波打って見える。その中で、必死に首を捻って、アルベルトは自分を踏みつけている、自分を殴り倒した相手を確認する。
狼の獣人。
「ツゾ」
呻くようにして名を呼ぶ。
「よう、久しぶりだな。俺がシュガーの取引で下手打ったからって自警団追い出してからだから、一年は経つな」
口の端から、涎をたらすくらいの勢いでツゾは喋りかける。
「いつからだ」
「追い出される前から、ずっとだよ。フリンジワークの筋とは前も後も繋がっていたし、お前のところの連中とも、追い出された後も連絡をとってた。なあ?」
ツゾの呼びかけに、アルベルトを助けようとしない男達は黙ってアルベルトを見下ろすだけだ。その目は冷たく、声を出さず嘲笑している者もいる。
「女子どもは食い物にせず、堅気は殺さず、金を稼ぐ。格好付けすぎだぜ。お前が言ったように、所詮は俺達は犯罪者なんだ。それがよ、そんなのを守ってたら稼ぎもたかがしれてるわ。正直、お前の目を盗んで、皆やってたよ。俺は目立ちすぎただけだ」
「だろうな。分かっていたよ。必要悪という奴だ」
アルベルトの冷静な返答が気に入らないのか、ツゾが踏みつけている足に体重をかけ、にじる。
呻きながらも、アルベルトの声は平静さを保つ。
「何だ? さっきの演説といい、お前、死にたいのか?」
訝しげなツゾに、
「さあな。あの日から、俺は自分でも何がしたいのか、生きたいのか死にたいのかすら分かっていない。どうせ、もう戦争は防げない。だったら、俺達がさっさと死んでこのくだらない抗争が終わった方がマシな気もする」
やれよ、と首を捻じり、睨みつけてアルベルトは言う。
「殺せ、俺を」
「恐怖でおかしくなったのか? 自棄になってるのか、ああ?」
「くそ、ようやく分かった。お前と話していてな」
唾を吐き、アルベルトは圧倒的に有利な状況のツゾをたじろがせるような殺気と憎悪に満ち満ちた目をする。
「必要悪だと? くそ、俺は結局、やられたことと同じことをしていた。大のために小を犠牲にして。胸糞悪い。殺せ、殺してみろ。殺せ!」
目を血走り、下から噛み付くようにアルベルトは吼える。
「こいつ、頭おかしくなったみたいだな」
気を取り直したようにツゾは強張らせた顔で笑い、
「おい、俺の派閥に入りたいならよ、忠誠心ってものを見せてみろよ。こいつ、殺せ」
ツゾの言葉に、成り行きを見守っていた形の男達は、ぞろぞろと得物を握り締めて倒れているアルベルトに近寄ってくる。
「悪く思わないでくれよ、団長」
包帯だらけの男がにやけながら言う。
「思うわけないだろうが。いいから、やれ」
アルベルトが下から睨みつけて言うと、男達は一斉に得物を振りかぶる。
その瞬間、乱暴にドアが開け放たれる音と共に、複数の階段を駆け下りてくる足音がする。男達の動きが止まり、全員がそちらを見る。ツゾもだ。
薄闇を何かがはしる。男の一人が呻いて頭を押さえる。続いて二人、三人。
矢か何かが発射されているのだと気付いた時には、ツゾも含めた男達はパニックになる。アルベルトどころではない。
そして、その混乱の中に、薄闇に溶け込むような布を体に巻きつけた数人の男が、剣を構えて食料庫に突入してくる。
数の上ではおそらく乱入者の方が半分以下だ。だが不意打ちを喰らった格好の男達は、一方的になぎ倒され、そして混乱は更に酷くなっていく。狭苦しい食料庫ということもあって、同士討ちすら発生している。
一瞬のようにも、永劫のようにも感じられた混乱の後、気付けばアルベルトは体を起こし、ぼんやりと辺りを見回している。
周囲には、かつての仲間の死体が転がっている。
「全員やったか?」
「いや、すばしこい奴がいた。逃げ出したぞ。あの、獣人の奴だ」
アルベルトをまるでいないもののように無視をして、男達は小声で話し合っている。
傭兵だ。
アルベルトにはすぐに分かる。金で動く、プロ。匂いで分かる。何度か、彼らのようなプロの手を借りたこともある。
「じゃあ、ボーナスは無しか」
「まあ、いいじゃねえか。それどころか、ただ働きになる可能性だってあったんだ」
男の一人が、ようやくアルベルトに目を合わせる。
「目標は無事だ。こいつと依頼人が会えば任務完了。終わってみりゃ、割のいい仕事だったな」
「そうだ、いい仕事だった」
声。そして、また、足音。誰かが階段を下りてくる。
「多少、色を付けといた。礼を言うよ。あんたらみたいなプロフェッショナルの傭兵は、頼りになる」
依頼人の登場だ。
金にしか興味のないはずの傭兵達が、背筋を僅かに伸ばす。緊張している。いや、敬意の表れだろうか。
その仕草と、自分を助けたという話の流れから、直感的にそれが誰かがアルベルトには分かる。
「あんたか」
呟く。
「ああ、無事に合流できてよかった。こっちも色々あってな。間一髪だったようだ」
闇に浮かぶようにして、白眼の部分が真っ赤に染まった左目が現れる。
「ドラッヘ」
「彼らを雇うのに、ヒーチの蓄えの大部分を使ってしまった。お前、金持ってるか?」
鎧を着込まず、簡素な剣を腰に差しているだけだというのに、その偉容は完全武装の戦士を思わせる。
歴戦の傭兵、ドラッヘがそこにいる。
「各地のアジトにあるけど、部下どもに奪われているだろうな、今頃。ここにも、金と薬と武器はある」
「そりゃよかった」
ドラッヘは手を差し出す。大きく、厚く、硬い手だ。アルベルトがそれを握ると、そのままぐいと引き上げてアルベルトを立たせる。
「じゃあ、その金で彼らを雇いなおすか」
その言葉に、数人の傭兵達はまんざらでもない顔をして顔を見合わせている。
「で、お前の組織でも他の犯罪組織でもいい。この混乱の間に、金のありそうなところを巡れるだけ巡って、金や薬、武器を分捕っていくとしよう」
「まだ、やる気なのか?」
ぽろりと零れたアルベルトの心からの疑問に、
「当然だろう。『赤目』は、負け戦でもしぶとく食い下がるのが持ち味だからな」
にやりと笑うドラッヘにつられるように苦笑しつつ、アルベルトは自分が、やるだけやってみてもいいというように思えるようになっていると気付く。どうせこのまま黙っていても、殺されて、戦争は始まるのだ。
「そういや、あの噂は本当なのか?」
唐突に、ドラッヘが訊いてくる。
「え?」
食料庫を見回し、金や薬を回収しようとしていたアルベルトは、不意をつかれて眉をしかめる。
噂? 何のことだ?
「噂って?」
「ああ、まだ届いていないのか。ほら、あれだ。傭兵達の間でも伝わってくるくらいだぞ」
ドラッヘが言うと、傭兵達も頷く。
「一体、何の噂だ?」
「ああ、あくまでただの噂だ。それ以上のものじゃない。期待も憤慨もするなよ」
そう前置きしてから、ドラッヘは言う。
「あの『ペテン師』がこの町に帰ってきている」
戦争だ。
戦争戦争戦争戦争だ。
それしかない。それをして、勝ち続けるしかない。
頭蓋骨の裏側に張り付いているように、その言葉が頭から離れない。べったりと纏わり付いている。
勝ち戦の姫だ。勝ち戦を続けろ。絶対に勝てる戦いのみに赴き、そして当然のように勝て。勝ち続けろ。
教育係であるガンツの声。今も聞こえる。彼の亡霊は常に叫び続けている。
物心付いた時から、既にアインラードは分裂の危機にあり、自分はそれを繋ぎとめるための、強いアインラードの象徴にならなけらばならないと皆に言われた。父に、母に、そしてガンツに。
勝ち戦の姫か。
まどろみから目を覚まし、ゆっくりと目を開ける。アインラード王城。そのテラス。
ロッキングチェアに座って考え事をしていたら、いつの間にか眠っていたらしい。温かいが、同時に爽やかな午前の日差し。それを全身に浴び、椅子を揺らしながら資料を読んでいるうちに、心地良いままに夢と現の間をふらふらと彷徨っていた。
真っ赤な唇を濡らしている涎を長く白い指で拭うと、シャロンは大きく伸びをする。
真っ赤なドレスを着た美女。赤い髪は寝癖で乱れ、赤い唇は濡れ、赤いドレスは寝ていたせいで崩れている。
見様によっては、まるで絵画のように美しく、艶やかなその姿。だが、その目だけがそぐわない。虚空を睨み殺すような、その目つき。
「戦争に、勝たなければ」
呟く声も、美しくも鋭い。
「お休み中、失礼いたします」
横にずっと控え、膝を突いて待っていた兵士が、ようやく声をかける。
いつからいたのか、寝ているなら起こせばいいというのに。
そう文句を言おうとして、シャロンは馬鹿馬鹿しくてやめる。
いつからか、部下達は過剰なまでにシャロンを恐れ、緊急事態でもなければ寝ているシャロンを起こす部下などもはやハヤブサくらいしかいない。
今も、片膝を突いた部下の声は硬く、伏せた顔からは緊張と恐怖が手に取るように分かる。
「ああ、それで?」
「報告です」
恭しく兵士が渡してくるのは、今シャロンが手にしている資料、つまり報告書の続きだ。持っていた古い報告書をサイドテーブルに投げ捨てるようにして置いて、新しいそれを受け取る。
「それで、犯人は見つかったのかしら?」
報告書をめくりながら、口頭でも確認する。
「はっ、そこに書かれていますように、計十数名程度の犯罪者を捕捉しました。生け捕りに出来たのは、十名足らずです。襲撃の規模から考えても、実行犯の人数は百名近いのではないかと」
「九割は逃がしたわけか。ん?」
報告書のある部分に目が止まる。
「この、襲撃場所の屋敷の中で襲撃者の死体が発見されるっていうのは?」
「それですか。襲撃場所の一つですが、入ると屋敷の主人と、身元不明の男達、計十名の死体が転がっていました。どうも、その主人以外の死体は、襲撃者の死体ではないかと。何が起こったのかは現在調査中です」
「生け捕りにした連中は、どうしてる?」
「将軍が尋問中です」
「拷問の間違い。ハヤブサは、殺しかけても魔術で回復させればいいと思っているから、加減を知らない。それで、今の時点では何か吐いた?」
「半数は、金で雇われたごろつき。もう半数は、どうやら盗賊団の一員のようです」
「盗賊団? ああ、これか」
めくった資料の、該当部分を指でなぞり、シャロンは赤い舌でちろりと唇を舐める。
「グスタフ盗賊団。これ、元々はノライの方の組織だったはず」
「はい。つまり、現ロンボウです」
「やはり」
「は?」
「いい、こっちの話」
ロッキングチェアから立ち上がると、新しい報告書もサイドテーブルに投げ置いて、
「ハヤブサを呼ぶように」
「承知いたしました」
深く頭を下げてから、立ち上がり駆けて行く兵士は、命令を忠実にこなすというよりも、どちらかと言うと解放されてこの場から去れることを喜んでいるようにすら見える。
太陽を睨みつけるように、手で日差しを遮りながら目を細めるシャロン。
考えることは、ただ一つ。
戦争だ。戦争戦争戦争。
「呼んだか」
やがてのっそりとした動きで、エルフの特徴を持った青年が入ってくる。ハヤブサ。歪んだ左目よりも、今は彼の両手が真っ赤に染まっていることの方が目を惹く。おそらく、ついさっきまで『尋問』していたのだろう。
「フリンジワークの差し金、おそらく」
その言葉だけで、何のことか察したハヤブサは頷く。
「ああ。襲われたのが反戦派ばかりだから、そうじゃないかとは思っていたが、どうもそうらしい」
「私にとっては好都合。戦争を起こせる。穏健派が死に、戦争に反対する者はいなくなった。ロンボウの犯罪組織が我がアインラードの領地に踏み込み暴虐を為したことを理由にすれば、ロンボウへの制裁も国民の賛成を受ける」
「そしてロンボウはその制裁をよしとせず、戦争に突入か。あの男の、フリンジワークの思惑通りだ。腹立たしくはないか?」
ごりごりと首を回しながら、ハヤブサは吐き捨てる。沈んだ目には、殺気が宿っている。
「あなたは、理由をつけて誰かと争いたいだけ。自分を壊したあの殺し屋、タイロンだった? あの男と満足のいく決着を付けられなかったから、その代償行為を探しているだけ」
「確かにな。だが、それはお前も同じだ。シャロン、俺とお前は、似たもの同士だよ」
いくら将軍とはいえ、王族でもないものがシャロンにこんな言葉をかけているのを第三者が見れば、おそらく唖然とするだろう。
アインラード急進派の先鋒であり、次期実質的指導者との呼び声も高く、今や国王ですらその意向には逆らえないとすら言われている、一国の象徴。シャロン。
だがそのシャロンに、似たもの同士だとハヤブサは言い放つ。
「お前は『ペテン師』に負けて壊れた。分裂を防ごうと、それからいくら戦争に勝とうと、もう完璧には程遠い。もう、戻らない。それでも、戦争をしてそれに勝ち続けないと生きていけない」
「同意する。私も代償行為に精を出しているだけだ」
赤い唇を歪ませて小さく笑い、シャロンはハヤブサの肩に手を置く。細く白い指が、めしめしと音を立ててハヤブサの肩に食い込んでいく。
「それでも、やはり『勝ち戦の姫』でいる以上、勝ち戦が必要。つまり、戦争がなくては生きていけない。魚に水が必要なように。その意味で、フリンジワークと私の思惑は一致している。戦争は相手がいなければできない。私にはあの男が必要で、あの男にも私が必要」
「まるで恋人だ」
血が滲みつつある自分の肩を無感動に見つめるハヤブサの顔には、痛みを感じている様子はない。
おそらく、もうその機能はないのだろうとシャロンは推測している。文字通り、物理的な意味でもあの戦争でハヤブサは『壊され』たのだ。
「ロンボウとの戦争。きっと、大戦争になる。互いの国の存亡をかけての。その戦争に勝ったら、その時こそ私は――」
私は、何なのだろう。
ふと、突然重力を失って宙に浮いてしまったような気分になって、シャロンは掴んでいた手を離して、じっと自分のその掌を見る。
一体、自分は何がしたい?
「シャロン」
暗い目のハヤブサが、歪んだ左目でシャロンを見ている。
「お互い、因果なものだな」
にい、と珍しく気味の悪い笑みを浮かべるハヤブサ。
その笑顔を見て、何故だか無性にぞっとして、シャロンはゆっくりと目を逸らして、テラスの下に広がる、アインラードの町を見る。
この町が火の海になり、人が死ぬ。戦争とはそういうものだ。
それが待ち遠しい。
戦争を起こして、それに勝つ。そのためになら、何千人が死のうが何万人が泣こうが知ってたことではない。
それは本心だというのに、ハヤブサの笑顔を見た時からの理由の分からない恐怖が胸にこびり付いていて、シャロンは顔を強張らせたまま、ハヤブサに顔を向けることなく、ひたすらに町の光景を見下ろし続ける。