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親子

 器用に、消毒された様々な器具を駆使して、怪我人の傷を縫い合わせていく。

 見れば、左手は親指と人差し指だけを使って器具を持っている。よく見れば、小指や薬指がまるで動いておらず、奇妙な形で伸びたままだ。

 マサヨシの左の掌、手首に近い部分にはまだ新しいものらしい縫い傷がいくつかある。おそらく、あのせいで左手は親指と人差し指以外、使い物にならなくなったのだろう。


 口と鼻を覆うように顔の下半分に白い布を巻いたマサヨシは、それでもリズミカルに手当てを、手術を、投薬を行っていき、まるで目の前にいるのが人間ではなく製品かのように、作業的に人を治療していく。終わればすぐにどけて、次。それが終われば、また次へ。


「シュガーはないのかな?」


 呟くマサヨシの目はひたすらに患者の傷だけを見ている。


「シュガー?」


「麻酔代わりになる。誰か持ってないかな。避難民の誰かが持ってそうじゃない?」


 そう言っている間に、また一人の処置が終わる。


「とはいえ、皆、我慢してくれてる。ありがたい。麻酔はいらないかな」


 マサヨシの言葉通り、避難民達は呻くことはあるものの、手術の際に大きな悲鳴を際限なくあげたりはしない。あるいは、その元気がないのかもしれないし、彼らは元から耐えることに慣れていたのかもしれない。


 そんなことをスカイがぼんやりと考えている間に、次々に処置が終わっていく。


「ああ、ここら辺のものは全部燃やしてもらえる? 感染症とか怖いし」


 血をふき取った布や、新しいものを巻きなおした際に外した古い包帯の山を顎で示してから、天を仰いでマサヨシは大きく息を吐く。


「ふう。さて、と。これで終わりだ、とりあえず。全部、所詮は応急処置だけどね」


「それでも助かったわ、ありがとう」


 目を丸くしながら、顔の下半分を覆っている布を取り去る。


「はっはっは、スカイに礼を言われると、妙な感じだね」


 首を鳴らして、肩をぐるぐると回す。


「疲れた。少し、休憩しよう。コーヒーくらいある?」


「用意するわ。何か」


「ははっ、スカイにコーヒーをいれてもらえるなんて、妙な気分だね」


 それには答えず、スカイはコーヒーをいれに二階に戻る。

 妙な気分なのは、スカイの方だ。

 あの日、消えたマサヨシのことは、誰も申し合わせたように大して話題に出さなかった。だが口にはせずとも、全員の考えは共通していたはずだ。

 あんなことをしでかし、国から追われる身になった男が、煙のように消えた。それが意味することは一つ。死んだ。

 全ての罪を、スカイが引き受けるべき汚れすらを全て被って死んでいった。

 そのことを考えて、毎夜毎夜、スカイは歯軋りをしたものだ。許せない。スカイを救ったつもりでマサヨシが死んでいったのだと思うと、どんな悪人、クズよりも許しがたい。

 そのマサヨシが、今、ここにいる。

 意味がよく分からず、現実感がない。足元はふわふわとしている。


 片脚を少し引きずりながら、マサヨシが二階に上がっていく。

 二人で、教会の二階、その奥に置いてあるテーブルと椅子に熱く濃い、どろどろのコーヒーを前にして座る。


 スカイはひたすらに砂糖をコーヒーに放り込みながら、


「生きていたのね」


 ようやく、ぽつりとスカイの口から、言うべきだった言葉が零れる。


「ああ」


 砂糖を入れず、そのままのコーヒーをすすり、苦さに顔をしかめてから、マサヨシは続ける。


「逃げ出して、心穏やかに死んでいこうかと思ったんだけど、どうもね。思ったよりも俺は業が深いらしくてさ。悟った気分になってもそれは一時的なもので、色々なことが気になって、はは、結局戻ってきたよ」


「殺されるとは、思わなかったの?」


「誰に? スカイに? それともフリンジワークに?」


 その質問に答えず、半固体と化したコーヒーを口にして、スカイは目を閉じる。


「私は、殺せない」


 言葉とは裏腹に殺気のこもった声がスカイから出たのは、しばらくしてからだ。


「殺す資格を失ってしまった。お前が消えた後、貝のように黙ったままでいた時から」


「難しく考えすぎじゃない? ま、いいや。で、いつまでここにいるつもり?」


 その言葉にスカイは閉じていた目を見開き、しばらくマサヨシを凝視した後、ふう、と全身の力を抜いて持っていたカップを置く。


「気付いていたのね」


「そりゃあね。この機会にフリンジワークは殺すつもりだ。ここにいたら、避難民ごと殺されて終わりでしょ」


「そうよね。もう、この教会は大分落ち着いた。私が消えても問題ない」


「どっかに逃げる?」


「逃げる? どこに? それに、逃げ切れると思っている?」


「はっはっは。まあ、そりゃあね。逃げられないね、分かってるよ。じゃあ、なるべく誰も巻き込まないような静かな場所に一人で行って、殺されるのを待つとか?」


「そうね」


 スカイは、一瞬迷った後、


「そうする」


「さすが、聖女だ。死ぬのは怖くないって? そして人を巻き込まないという自己犠牲。レッドソフィーもこんな信徒を持てて幸せだね」


「ただ、一番殺してやりたいようなクズ野郎と同じようなことはしたくないだけ。それだけよ。自己犠牲でも、慈愛でもない。私は、善人を生かした上で、悪人を殺してやりたいだけ」


 目が、一瞬、自分の掌を向く。


「私自身も」


 零れた言葉はおそらくは本心なのだろう、と自分のことながらどこか客観的にスカイは考えている。


「悪くないけどさ」


 傷だらけの顔に薄笑いを浮かべて、マサヨシはその支離滅裂にも思えるスカイの言葉に動揺を見せることなく、


「どうせ死ぬなら前のめり精神って、ない?」


「どういう意味?」


「分かってるんだ、計画してたのが、先手を打たれて潰されたんでしょ? 自棄になっての自爆攻撃といかない? 計画をさ、無理矢理再開するんだよ」


 ぞっとする。

 スカイの背中には、冷たい液体を流し込まれたような寒気が張り付く。

 どうして、知っているのか。どこまで知っているのか。これまでどこにいたのか。

 まったく分からない。こちらは分からないのに、マサヨシの側は多く、深く知っている。あるいは推測なのか。

 この男は『ペテン師』と呼ばれていた。

 ふと、そんなことを今更思い出す。


 そんなスカイの思いをよそに、マサヨシはにやけた顔のままで続ける。目には病的な熱気が宿っている。


「助けるんでしょ、ハイジを。いいじゃない、どうせ死ぬんだからさ、無茶は承知で、やってみようよ。突撃だ。ハイジを助けて、戦争を止めちゃうってのはどう?」


 この男の口車に乗って、多くの人間が破滅し、人生を狂わされ、死んでいった。

 だというのに、スカイの中にはマサヨシの提案に乗りたいという耐え難い欲求が生まれている。

 死ぬのなら、正しいことをして、悪人を殺しながら死にたい。

 それは、スカイの祈りでもある。





 巨大な狼。

 見覚えのあるその姿に、恐怖ではなく懐かしさを感じる。


 どこまでも広がる白い空間。

 だというのに、圧迫感を抱かざるを得ない狼の偉容。


「やあ」


 ヒーチはその狼に向かって、気安く声をかける。


「貴様が」


 狼が口を開くと、地響きのような声がヒーチの体を揺らす。


「また邪魔をするか」


「邪魔?」


「戦争が起きる。分かっているだろう」


 血の臭いのする狼の息に、ヒーチは吹き飛ばされそうになる。


「ああ、フリンジワークのやつが起こそうとしているな」


 半分、どうでもいいような気分になっているヒーチは、意味もなく斜め上を見る。


「我が大陸の内戦を止め、ここで起きようとする戦すら止めるか。ふざけるな。やはり貴様は、戻ってくるべきではなかった」


「ああ、そりゃあ、悪いとは思っている」


 苦笑しながらヒーチは頭をかく。目はサネスドに合わせないまま。


「サネスド、お前からすると、せっかく異世界に吹き飛ばした俺が舞い戻ってきたわけだからな」


「そうだ。アルバコーネの内戦を収めた貴様は邪魔だった。だから別の世界に飛ばしてやった。互いの納得の上でだ。貴様は別の世界で力を発揮することに興味があり、我は戦争の邪魔になる貴様を排除できた。それなのに」


「はっはっは、そう怒らないでくれたまえ」


 いつの間にか、狼の横には白と黒を基調とした服を身にまとう、銀髪の少女がいる。


「こんな逸材、異世界にいたって、目をつけるなという方が無理と言うものだ。現に、彼のおかげで私は存在感が増しているのだよ、ぐんぐんとね」


「イズル、廃れ神が」


 唸るサネスドは、ぎろりと横目でイズルを威圧してから、またヒーチに目を向ける。睨み殺すように。


「いいか、戦争を止めるな。それは人の本能であり、営みだ。多くが敗北し、死に、同じだけ勝利し、栄える。争うことで力は増し、知恵は研ぎ澄まされ、技術は進化していく。長く続く平和など、ゆっくりと腐っていくことと同意だ。大いに争い、殺し合い、屍の山と血の河が世界を覆い尽くせばいい。それを止めるな」


「ふっふっふ」


 笑い出すイズル。


「ヒーチ、そう、別に君が止めなくてもいいよ」


「何?」


 ずっと、興味が薄く別の方向を見ていたヒーチは、さすがにその言葉が気になり、視線をイズルに向ける。


「戦争反対派だと思っていた」


「どちらかといえば、そうだ。君が戦争をとめて大英雄になってくれれば私の株もあがるし、実際の戦争ではなくて騙し合いで世が荒れてくれた方が私の活躍する場も増える。沢山の信者ができるかもしれない」


「だったら」


「いや、ヒーチ。君が無理をする必要はないということさ。何故なら」


「おい、やめろ」


 サネスドが、何を言おうとしているのか察知したらしく、凄まじい勢いで前足を振るいイズルを跳ね飛ばそうとするが、


「はっはっは」


 イズルはそれをするりとかわしながら、


「『ペテン師』が帰ってきた」


 次の瞬間、巨大な狼も銀髪の少女も消え失せて、白い空間ではなく見慣れた屋敷の廊下にヒーチは立っている。


 立ち眩みに似た感覚に、ヒーチはたたらを踏み、頭を振るいながも、


「くく」


 笑みが抑えきれない。


「戻ってきたか、正義」


 呟く自分の声が、マサヨシが消えてからこれまでの日々の中でなかったくらいに生気に満ちていることを自覚する。

 現金なものだ。だが、これで楽しくなってきた。


「ひぃ」


 悲鳴がする。

 その悲鳴の方に顔を向けようとして、ヒーチの目に屋敷の廊下、その床の光景が映る。


 無数の、暴漢の死体。

 どれも、首や手足が妙な方向に折れ曲がっていたり、胸や腹がへこんでいたりしている。多くは袋を被っているが、いくつかの袋が脱げた死体は、露になった死に顔に驚愕と恐怖を貼り付けている。


 足元を見る。


 ニコがいる。

 両手両足が滅茶苦茶に折れて、身に着けていた鉄爪も根元から折れて、その折れた爪先が全身を貫いている。

 喉に爪が刺さっているのが致命傷で、苦悶の表情で目を見開いて『八つ裂き』の異名も持った殺し屋は絶命していた。


 そして、ようやくヒーチの目は悲鳴の主へと移る。


 腰を抜かして床に座り込んでいる暴漢。袋を被っていても、中でどんな表情をしているのかは予想が付く。全身が、がたがたと震え続けている。

 その男のすぐ横には、へし折れた棍棒が転がっている。


 それが、男が未だに生きている理由だ。


 ヒーチの腕を棍棒で殴りつけて、棍棒の方がへし折れた。

 それを見て戦意を喪失したことが、男が生き残った唯一の理由だった。


「こんなものか。もっといるのかと思ったが。この分なら、そこまで急いで逃げなくてもよかったかもな」


 呟いて、ヒーチは怯える男の前まで歩いて目線を合わせるようにしゃがみこむ。

 男の震えが酷くなる。


「おい」


 ヒーチは無造作に男が被っていた袋をむしりとる。

 汗と涙に塗れた、中年の男の顔が露になる。


「お前、何者だ?」


「あ、お……」


 震えすぎているためか、うまく男は喋れない。


「雇われたのか? 誰にだ? まさか、直接フリンジワークに雇われたわけじゃあないだろう。早く言え。下っ端。俺が何も知らないと判断したら、お前を生かす必要はなくなる」


「お、おれは」


 その言葉にせかされるようにして、男は震えながらも喋りだす。


「俺は、グスタフ盗賊団だ」


「何? ははん、なるほど、なるほど」


 少しだけ驚いたが、ヒーチはすぐに納得して頷く。


「そういうことか。フリンジワークめ、金でそこを切り取ったか。考えてみれば当然の手だ。で、反戦派を手当たり次第に襲うように命令されているわけか?」


 ヒーチの質問に、ぶんぶんと男は大きく頷く。


「ふん、まさか、俺とドラッヘをこんな雑兵数名と多少腕の立つ殺し屋如きで殺せると思っているわけじゃないだろう。燻り出すつもりか。いいさ、思惑に乗ってやろう」


 呟いてから、ヒーチは立ち上がる。


「た、助けてくれ」


 男が足元でぜいぜいと喘ぎながら命乞いをする。


「ああ、分かったよ」


 もう興味はない。

 喘ぐ男に背を向けて、ヒーチは廊下を歩いていく。

 背中に、どたんと男が倒れたらしい音を聞く。


 さて、これからどうするか。

 道は二つだ。アインラードに残るか、ロンボウでドラッヘ、そして白銀の連中と合流するか。普通に考えれば後者だが、しかし。


「シャロンを放っておくのはまずい予感がする」


 呟きながら階段に向かい、そこから降りようとしたところで足を止める。

 それが目に入る。

 階段の下、一階にある屋敷の主人だった貴族の死体だ。

 それを見て、少しだけ考えると、ヒーチは引き返す。


 安堵のためか、体を投げ出すようにして床に仰向けに寝て笑いながら大きく呼吸していた男は、ヒーチが戻ってきたことに気付いて慌てて上半身を起こす。


「なっ、何だっ、何っ、何だよっ」


 答えず、ヒーチはつかつかと距離を詰める。


「ど、あ、後は、何も知らないぞっ、本当だ、俺は下っ端で」


 座ったまま、上半身だけを使って男は後ずさっていく。


「ああ、それはいい」


 やがて近づいたヒーチは、男を見下ろしてから、


「ところで、お前達が殺した男だが」


「え?」


「この屋敷の主人だよ。まったく、居候させてもらってこんなことは言いたくないが、無能でプライドだけ高くて、意地汚くて他人を見下し、人に感謝をするということを知らない」


 話の意味が分からず、ぽかんと男はヒーチを見上げる。


「だが、恩はある。不本意ながら、確かに恩がある。で、更に言うとだ。少なくとも、俺の基準で言えば、殺されるほど悪い人間じゃなかった」


 ヒーチの目が冷たく細まり、


「ちょ、待っ」


 ようやくどういう話なのか理解した男が両手で顔を庇おうとするが、それよりも早くヒーチの腕が太い蛇のように蠢動する。


 がきり、と。

 軽く叩きつけたように見えるその手刀は、あっさりと男の首の骨を折る。


「悪いが、友達が少ない分、人との縁は大切にする方だ。弔いや復讐というのは、嫌いじゃあないんだ。俺がそういうと、らしくないとよく驚かれるが」


 ゆっくりと上半身が崩れ落ちる男の死体に呟いてから、今度こそヒーチは背を向けて去っていく。

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