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帰還

 悲鳴。熱気。夜の闇をちろちろと炎が焦がす。


 転がるように流れる人々の勢いに押されながらも、ジャックは何とか白銀一号店、もしものための集合場所と決めていたその場所へと辿り着く。

 そう、立場がバラバラな、しかしある男によって呪いをかけられた同類達の集合場所だ。


 さすがにこの状況下で酒場で呑んでいる人間はおらず、従業員も逃げ出しているのか店内はがらんとしている。暴徒による略奪があったのか、既に酒瓶の半数は消え、半数は破壊されている。


 廃墟と見紛うばかりの薄暗い店内を、酒瓶の破片を踏み潰しながらジャックは進む。


 先客がいる。

 薄闇に溶け込むような肌の色をした、ジャックの記憶の中よりも痩せた女。


「お前だけか。ミサリナ」


 名を呼ぶと、テーブルにもたれてぼんやりと壁を見ていたダークエルフの商人は、目だけをジャックに向ける。

 店外から聞こえてくるとてつもない騒動にも関わらず、ミサリナの表情にはただただ気だるさだけがある。


「何が起こっているか、分かってるわけ?」


 ミサリナの質問に、ジャックは近づきながら肩をすくめる。


「フリンジワークに先手を打たれたんだろ。別に、予想していなかったわけじゃあない。こっちの動きが筒抜けかもしれないってことは。予想していても、打つ手がなかっただけだ」


「今、そっちの会社は?」


「治安維持だ。本領発揮だよ。とりあえず、区民の保護を最優先だ。今起こっているのは、結局のところトリョラ内での犯罪組織同士の抗争だ。それに一般人が巻き込まれている」


「抗争というか、アルベルトのトコが袋叩きに合ってるだけなわけ。半数近く裏切っているらしいし」


 さすがに耳が早い。

 ジャックは頷く。


「ああ。あまりの混乱状態に、アルベルトの生死も不明だ。正規の兵は動いているのか?」


「どうも、この騒ぎ、トリョラの、上にとっていわゆる『頭の痛い地域』だけの騒ぎみたい」


「くくっ」


 笑っている場合ではないが、ジャックは思わず笑い出す。


「ハイジの後釜の、事なかれ主義の区長らしい。まともな区民の少ない薄汚い地域だから、静観か。元再開発地区が嫌いなのは知っていたが、分かりやすすぎるな」


「兵士は今、地域を包囲している状態なわけ。だから、地域外に逃がそうとするとトラブるわよ」


「気をつけるように部下に伝えよう」


「ま、そうじゃなくてもトラブルは起こるだろうけど。どうせ、あの区長にもフリンジワークの息はかかってるわけよ」


「だろうな」


 店の入り口から外、逃げ惑う人々の流れに目をやってから、またジャックは顔を戻す。


「スカイは? 仲がいいんだから、知ってるだろ?」


「さっき寄ってきたわけ。地域内の教会が避難場所のひとつになってて、そこで避難民の世話をしてたわね。うちの商会の持っていた物資もとりあえずレッドソフィー教会に渡してきた。慈善活動では、あそこ以上に信用できるとこはないから」


「確かにな。フリンジワークも教会は敵に回したくないだろう」


「ふふ、聖騎士団を今すぐありったけ派遣してさっさとこの混乱を収めろって教会の上層部に無理な要請をして、受け入れられないって怒り狂っていたわけ」


 その様子を思い出したのか、くすくすとミサリナは笑い出す。


 見ていないジャックにもその様子は何故だか簡単に想像できて、あの凶暴な聖女らしいとひとしきり笑う。


 そして、二人の笑いが終わり。

 ようやく、本題に入れる。


 ジャックの目から、表情が消える。それを受けて、ミサリナの目からも。


「これから、どうするつもりだ?」


「そっちこそ。あたしは商人よ。ま、この混乱を収めるために金や物をばらまくけど、それ以上にこの混乱で稼がせてもらうつもりよ。寝かせていた武器を捌く時がきたわけ」


「そうか。俺も仕事をするだけだ。治安を維持して、人を守る」


 沈黙。

 外は相変わらず騒がしくて、木材の燃えるぱちぱちという音と悲鳴、怒声、人々の走る音でごった返しているというのに、白銀の店内だけが何もいない夜の森のように静かだ。


「お互いに、結局それくらいしかできないわけね」


 呟くミサリナの表情に、少しだけ寂しさが宿る。


「そうだ。フリンジワークはこの騒ぎで戦争の邪魔になる勢力を完全に潰すつもりだ。分かるだろう? 俺達は多分」


 はあ、とジャックは息を吐く。


「この騒ぎに乗じて殺される。スカイも、アルベルトも。きっと、何をどうしようともだ。そして、戦争が起こる。なのに、死ぬ寸前まで、俺達はただ仕事をすることしかできないし、しない。妙な人生だな」


 そして、また沈黙。

 だが時間は残されていない。特に、ジャックはこの情報交換で手に入れた、避難のために有益な情報をすぐに部下に伝えて共有しなければいけない。

 生きている間に。


「他の連中は、どうもこれそうもないな。じゃあ」


 軽く手を挙げて、ジャックは背を向ける。


「そうね。ま、無事な顔を見れてよかったわけよ。あたしも、ここでちょっとだけ休んだら仕事に戻らないと」


 ひらひらとミサリナは手を振る。


「儲かるといいな」


 言いながら店を出ようとしたところで、一人の男が酒瓶の破片を蹴り飛ばしながら猛烈な勢いで店に入ってくる。


 びくりとミサリナは体を震わせ、至近距離まで近づかれたジャックは刺客か暴漢かと身構えて剣を引き抜くが、


「ギンか?」


 薄闇でよく見えなかったが、目を凝らしてようやく分かる。

 煤と血で汚れてはいるが、それはジャックの信用できる部下の一人だ。

 片腕と言ってもいいギンには、この店を秘密の落ち合い場所をして使用としていることを明かしていた。

 だから、ここに自分がいるだろうと見当をつけたのだろう、とジャックは納得する。


「どうした?」


「ああ、ええ」


 全速力で、人の波をかき分けながらここまで走ってきたらしく、ギンの呼吸は荒く、まともに喋れそうもない。

 それでも、しばらく肩で息をしているうちに、ようやくギンの呼吸は落ちついてくる。


「ジャックさん、ああ、やっぱり、ここ、でしたか」


「そうだ。何か緊急事態か?」


「いえ、そういうわけじゃあ、ないんですが」


 ちらり、とギンが当惑した表情でテーブルにもたれているミサリナを見ている。


「ああ、いい。彼女のことは気にするな。言ってくれ」


「ええ、はい」


 ごくり、と一度唾を飲み込んで、


「避難は順調です。とりあえず、いくつかの場所が暫定的に避難所になってるんで、まずはそこに女子ども老人、怪我人なんかを運び込むことを最優先に動いてます」


「ああ、それでいい」


「それで、その避難所ですが、医者がいません」


「ああ」


 ジャックは顔をしかめる。


「だろうな。そもそも医者なんてマトモな職業の人間は、こんな治安の悪い地域に住まない」


「怪我人や病人は山ほどいるのに、医者がいないんです。で、今、医者じゃなくても医術の真似事ができる人を捜してるんですけど」


「いわゆる、闇医者か。だが、闇医者が奉仕活動なんぞするか? 金がないと動かないだろう」


「いえ、それでも、数人の闇医者が協力してくれまして、複数の避難所を移動しながら治療にあたってくれているようです。全然数は足りませんがね」


「そうか、それは、何よりだ」


「それで」


 そこで、ギンの言葉が鈍る。


「何だ、どうした?」


「いえ、全然確実な話ではないし、この混乱の中で出てきた突拍子もない噂って感じなんですが」


「いいから、話せ。ただの噂でも、俺に伝える価値があると思ったからお前は来たんだろう」


「ええ」


 もう一度、ギンは唾を飲んで、


「その、どうも、避難所を回って片端から治療をしている闇医者の一人に、いたって話が」


「いた?」


「ええ」


「誰が?」


「ああ、つまり、その」


 言葉を吐き出そうと苦しむようにギンは身もだえしてから、


「あの『ペテン師』が、です」


 それを聞いた瞬間、ジャックは驚愕で飛び上がりかけたが、それよりも背後からの音に驚いて振り返る。


 ミサリナが、目を一杯に見開いてもたれていたテーブルから背を離して立ち尽くしている。その拍子に、足元の酒瓶の破片を数個派手に踏み潰した音らしかった。

 しかし、今の彼女にそんなことを気にしている余裕はないだろう。その見開かれた目で、震える瞳で、ただギンを凝視している。


 ジャックも、ゆっくりとまた顔をギンに戻すと、なるべく落ち着けようと努めたが、それでも多少震える声で問いかける。


「何だと? もう一度、言ってくれ」




 教会には行くあてのない人々が次々と避難してくる。

 彼らの多くはただ呆然としていたり、あるいはこの騒動が起こる前からそうなのか、死人のような目をして大人しくしている。

 教会内でパニックが起きそうもないことは、スカイにとってはありがたいことだ。


 ただ、彼らが大人しくしている理由の何割かは、おそらくは騒ぐ元気がないからだ。多くは怪我をしていて、素人なりに応急処置をするくらいで、あとは寝かせておくことしか出来ない。

 彼らを目の前に何も出来ずに何が聖女だと歯噛みしながらも、スカイは医薬品や食料を手に教会の中を動き回る。

 別にスカイではなく教会のシスターや他の動ける避難民がそれをしてもいいのだが、やはりレッドソフィーの『聖女』というのはありがたがられ、身も蓋もない言い方をすれば、人々の精神を安定させる役割としてひたすらに顔見せをしていくということだ。

 だから、慣れない慈愛の笑みを浮かべ続ける。


「聖女様」


 教会の二階、スカイが袋にパンを詰め込んでいると、避難民の誘導を手伝ってくれている少年が、おずおずと近づいてくる。


「どうか、しましたか?」


 にっこりと、自分には似合わないと思いながらもスカイは柔らかく笑ってみせる。


 この少年とは初めて会ったが、両親が熱心なレッドソフィーの信徒で、普段から教会の手伝いをしてくれているそうだ。

 この状況下でも、教会に避難してきた人々の世話役の手伝いを買って出ている。


「お医者様が来られました。近くの避難所で手当てをして回っていたけど、ようやく一段落したからここに来られたそうです」


「そうですか、よかった」


 ほっと息を吐いて笑顔が柔らかくなることに嘘はない。スカイは、心から安堵する。これで、多少はこの教会の状態もマシになる。

 自分が生きているうちに、せめてこの教会の中にいる人々だけは救わなければ。そうして、危険な匂いがすれば人を巻き込まないように一人逃げて、そして追手の一人でも多くと刺し違えてやる。

 そうやって死んでいけたら、憎悪と狂乱の中で死ねるなら、それは願ったり叶ったりだ。

 スカイは相応しくないと思いながらも、その結末になることを内心で慈愛の神レッドソフィーに祈りさえしている。


「それで、消毒用のお酒やお湯、糸とか針が欲しいそうです」


「ああ、そうですね。さっきまで私達が手当てに使っていたものがあります。それをお渡ししましょう」


「えっと」


 何故だか戸惑った様子の少年。


「ああ、いいです。私が直接お医者様に教えます。あなたは、他の人の世話に戻ってください」


 そうスカイが言うと、あからさまにほっとした様子を見せて少年はぺこりと頭を下げてから、スカイの持っていたパンの詰まった袋を受け取るとそれを持って小走りに去っていく。

 どうやら、あの少年は新しく来た医者のことを苦手としているらしい。

 だが、それは別に意外なことではない。この状況下でやってくるのは、おそらくは闇医者の類。純粋な少年と打ち解けるような人間の方が少ないだろう。だが、闇医者だろうと何であろうと、この状況下では救世主には違いない。

 スカイはそう結論付けると、怪我人が集められ寝かせているスペースへと走っていく。


 素人の手当てでとりあえず消毒して包帯を巻いただけの怪我人が大量に寝ているスペース。呻き声がそこかしこから聞こえてくるその教会一階の隅のスペースで、どこからか運んできたらしいダイニング用と思われる大きなテーブルの上に、シートを伸ばしている人間がいる。

 どうやら、あれが例の医者らしい。あのテーブルを手術台代わりにしようというのだろうか。

 スカイは走り寄っていく。


 そのテーブルの端に、私物らしい大小さまざまな刃物、鋏、金属製のフックのようなものまでをその医者は並べていく。いくつかは手作りらしく、形が歪だ。

 そうやって並べている医者の背中に、スカイは声をかける。


「すいません、お医者様、ありがとうございます」


「くく」


 笑い。暗い、暗い笑い。

 背中を向けたまま、医者は笑っている。

 闇医者としても奇妙な、黒いジャケットを着ている。ジャケットは洗いざらしと消毒を繰り返したらしく、清潔だが色落ちし、擦り切れ、おそらくはそのジャケットに染みついているのだろう、薬品とアルコールの匂いがする。

 長い髪。ただ無造作に伸ばしているような長い髪を紐で括っている。髪は黒く、だが大量の白髪が混じっている。黒いジャケットと同じように、髪もおそらくは洗いすぎるほど洗っている一方でケアをしていないらしく、油気はなくぱさついているのが見て分かる。


「そんな他人行儀にしなくてもいいでしょ」


 かすれている、しかしどこかで聞き覚えのある声。

 スカイの背中に、鳥肌が立つ。

 これは、まさか。


「ああ、で、酒とかお湯って用意できる? 糸と針も。あればあるだけいいな」


 医者は顔をこちらに向ける。

 顔や首にある縫い傷。痩せこけた頬。目の下の病的な隈。白眼の部分はおそらくは慢性的にだろう、充血している。

 あの少年が二の足を踏むのも無理はない外見だ。だが、そういうことではない。

 スカイは、彼を知っている。


 黒い瞳と、黒い髪。

 その闇医者は、黒いジャケットと黒いスラックス、白いシャツという、どこかで見たような格好をしている。


「マサヨシ」


「スカイ、自分で言うのもなんだけど、多分俺は結構腕がいい方だよ」


 マサヨシはウインクをして見せる。


「さあ、さっさと人助けといこう。道具をちょうだいよ」


 そう促されても、スカイは中々動くことが出来ない。

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