エピローグ
心地よい揺れ、そして全身を覆う痺れを、最初に感じる。
それから一気に激痛が襲ってきて、マサヨシの意識は覚醒する。
夕日が、目に痛い。
「うぐっ」
呻く。
その呻きでザイードもマサヨシの目覚めに気付いたらしく、
「大丈夫か?」
「ああ、ありがとう」
森の中、マサヨシはザイードに肩を借りる格好になって、引きずられていたらしい。後ろを見れば、森の土に自分の両足の引きずられた跡がついている。
ここからは、自分の足で歩かなければ、そう思って、まずは両足を地に着けてしっかりと立ち上がる。その拍子に、右肩が酷く痛む。
見れば、右肩は例のハイジによる剣の傷がしっかりと残っている。ただ、ザイードがしてくれたのだろう、傷口が凍結しているために、出血は止まっている。
「ああ、くそ、まだ全身が痺れてる」
「無理するな。二、三日はうまく動けないはずだ」
ザイードの説明に苦笑する。
「今回の件は無理の連続みたいなもんだったよ。何を今更だ」
よろよろと、歩きながらマサヨシはふっと後ろを振り返る。
「ここ、城からどれだけ離れてる?」
「距離だけ考えると、そう遠くない。だが、城では重要人物が大勢半死半生なんだからそれどころじゃあないし、何よりも森に入ったらこちらのものだ。僕達は『森の民』だぞ」
「さすがエルフだ」
マサヨシは前に向き直り、また震える足を動かす。
「警備の兵とか、誰も殺してないよね?」
「ああ。君やハイジと同じように低温で気を失わせただけだ」
「よかった」
しばらく、森を肩を組んだまま、黙って二人で歩く。
マサヨシの荒い呼吸と、二人が土を踏む音だけが響く。
「色々と、ありがとうね」
ぽつりと、マサヨシが呟くと、
「確かに言ったはずだけど。僕の調査に協力してくれるなら、生き延びる手助けをするってさ」
「そうだったね。けど、その調査であんたを欺いた」
「確かに。けど、その後、僕が元ノライ王とその取り巻きを全員殺して逃げ出した時匿ってくれた。借りは返すさ。エルフの誇りがある」
「律儀な種族だ」
今更になってぶり返してきた痛みに冷や汗を流しながら、マサヨシはにやりと笑う。
「匿うにしても、死体と一緒にあの黴臭い地下室に引き篭もりというのは勘弁して欲しかったが」
「仕方ないでしょ。頭のおかしい男と、その男の喋り相手の死体しかない部屋。誰も入らない。一番安全な隠れ場所だ。食料届けたりそこで会話してたりとかしたら、俺の精神状態がどんどん悪化したと周囲に誤解されちゃったけどね。いや、実際はそう誤解でもないんだけどさ」
へらへらと笑いながら、マサヨシは足を進める。
「ところで、そろそろ地図の場所のはずだが?」
「ええ、本当に? ああ、くそ、かなり前だから、よく分からないな。あ、ちょっと待って、あれだ」
マサヨシは指を差す。
「あの木、あの曲がった木の根元だ」
「分かった」
二人で肩を組んだままその木に近づくと、ザイードはゆっくりとマサヨシをその場に下ろし、自らは懐から携帯用のスコップを取り出して根元を掘り出す。
「俺が掘るよ」
「怪我人は大人しくしていろ」
ザイードは振り向きもせずに言い放ち、根元を掘り続ける。
「それにしても、失敗だったな」
土にスコップを突き立てながら、ザイードは呟く。
「うん?」
だるそうに、汗を流しながら木にもたれるようにして地面に座り込んでいたマサヨシは、のろのろと顔を向ける。
「何が?」
「フリンジワークは、この場で殺しておくつもりだったんだろう?」
「うまく行けばね。まあ、そもそも綱渡りみたいな計画だった。一世一代の賭けだよ。予想外だけど、これはこれでいい」
「どうして、これでいい?」
「フリンジワークが戦争を始めようとしても、ハイジが認めない。ハイジが戦争を止めるし、全力でジャック達を庇う。やむをえなく逃げ出した形になったから、俺の言ったことも信憑性が出た」
「確かに、あの有様では、最初からフリンジワーク以外誰も殺す気がなかった、とは思いにくいかもしれない。全員殺すつもりが致し方なく尻尾を巻いたように見える、か」
「ああ。フリンジワークは当然真相に気付くだろうけど、重要なのはハイジだ。彼女が、反戦派の中核になるさ。国民の人気も高い。今の無理矢理な戦争突入は、必ず挫折する」
「どうかな、今は挫折しても、あの男の狂気と執念がそれで納まるとは思えない。単に、戦争が先延ばしになっただけだという気もする」
その言葉に、マサヨシは空を見上げ、長く息を吐いてから、
「かもね。それならそれでいいさ。とにかく、ケジメはつけた。これで、俺の平穏は守られる」
「一時的なものだと思うが。いずれ、君は向き合わざるを得なくなるさ」
奇妙に確信に満ちた口調で言うザイードに、
「まるで預言者みたいだ」
皮肉を込めて返すと、
「そうとも。僕達エルフは、神と真理に近い民だ。と、あったぞ」
ザイードのスコップが、土の中の木箱に突き当たる。
それから、ザイードは一心不乱にスコップを動かし、人の半分くらいの大きさのある木箱の上面を掘り出すと、スコップをてこのようにして、蓋を開ける。
中から出てきたのは、二つのシンプルな造りの革製のリュックだ。
「片方が俺のだ。さすがに、それは背負うよ」
よろよろとマサヨシは痛みに顔をしかめながらも立ち上がる。
「もう片方、そっちの小さい方が、お前用だ」
「これか」
そちらのリュックを開けて中を覗き込み、ザイードは眉をひそめてマサヨシを向く。
「多すぎる。最初の約束の、十倍以上だ」
「俺個人として使える全財産をかき集めたからね。どうせ、もう持っていても仕方ないものだしさ」
「こんなに必要じゃあない」
「とっといてよ。アフターケアとかでも世話になるわけだしさ」
「それにしても、多すぎる」
言いながらも、そのリュックを重そうにザイードは担ぐ。
マサヨシも大きいリュックを肩の傷を庇いながら背負おうとして、何度か失敗して呻く。それでも、最終的には痛みに顔をしかめながらも何とか背負う。
「悪いな。今は、逃走が優先だ。医療の心得があるんだから、安全な場所についてから自分で治療してくれ」
「ああ、分かってるよ。今も、傷口を凍らせて痛みをできるだけ麻痺させてくれてるんでしょ、ありがとう。で、さ」
マサヨシはリュックの重さにふらつきながら、
「そろそろ、教えてよ。どうやって安全な場所まで行くわけ? 安全な場所ってどこ? ひょっとして、フォレス大陸に連れてってくれるの?」
「さすがにそれは無理だ。こっちだ。歩きながら話そう。ちゃんと、近い場所に逃走手段を準備してある」
さっきよりも遅い速度ながらも、連れ立ってザイードとマサヨシは歩き出す。
「詳しい話をぎりぎりまでしなかったのは、万が一にも漏れてはまずいからだ。これは、エルフ最大の秘密と言ってもいい。これを君に明かしたことで、後々僕はフォレス大陸で裁かれるかもしれない。それくらいのことだ。おそらく、『青白い者達』を滅した功績で大問題にはならないと思うが」
歩みを止めず、更に森の奥深くまでゆっくりと進みながらザイードは語る。
「エルフは強大な力を持っている。フォレス大陸にいる間はいいが、他の大陸に出れば、一人のエルフで情勢が変わることもありうる。だからこそ崇め奉られれ、厚遇される。だが、逆に言えばその力を利用しるために騙されたり陥れられ易い」
「なる、ほど。エルフの魔術でも、人間の悪意はどうにもならないってことね」
汗をだらだらと流しながら、必死でマサヨシはザイードについていく。
「だから、エルフは秘密を持っている。他の大陸で追い詰められた時に逃げ出すための秘密を。ほら、あれだ」
指差す方、木々の隙間に、何か蠢く物を見て、マサヨシは目を細める。
何だ、あれは?
一見、大きなトカゲに見える。だが、そこから更に近づくにつれて、そのトカゲがあまりにも大きいことが分かるし、第一、それには翼がある。
巨大な牙と爪。金属のような鱗。そして翼。
「まさか」
どさり、とあまりの衝撃にマサヨシはよろけながら背負っていたリュックを取り落とす。
「竜、か」
「そう、ドラゴンだ」
警戒することもなく、ザイードはするするとそのドラゴンまで近づくと鱗に覆われた首筋を撫でる。ドラゴンは抵抗することもなく、喉をごろごろと鳴らす。
「幼体だが、れっきとしたドラゴンだ」
「これで、幼体?」
唖然としてそのドラゴンにふらふらとマサヨシは近づいていく。
どう見ても、育ちきった熊の二倍から三倍はありそうな体を、ただ見ることしかできない。
「これがエルフの秘密だ。僕達エルフは、ドラゴン、それも幼体に限られるが、ある程度操る術を持っているんだ。戦わせたりは無理だ。おおざっぱに、どこに飛んでもらうかを操るだけだけど、輸送手段としては最高だ。幼体なら、日が落ちてから飛べば目立たない」
「まさか」
「だからエルフは他の大陸に、いくつかこういう緊急用のドラゴンを定期的に準備していたりする。僕はこれでフォレス大陸まで戻る」
見れば、ドラゴンの背には太い革紐数本でゆわいつけられている籠のようなものがある。
ザイードは、その籠に自分の荷物を放り込む。
「さあ、君の荷物も貸せ」
「まさか、それに入って、ドラゴンに乗って、この大陸を逃げ出すのか?」
突拍子のない話に、マサヨシは荷物を地面に置いたまま、ただそう質問する。
「もちろんだ」
「ちょっと、待ってよ。ザイードはフォレス大陸に戻るんでいいとして、俺は結局どこに行くの?」
「決まっているだろう。いったん、そこに寄ってからフォレス大陸に向かう。僕が案内するから問題ない」
「それって」
ドラゴン。安全な隠れ場所。
つまり、まさか。
「住めば都だ。『忘却地帯』も悪くないよ、マサヨシ」
「さて、もういいか」
隣から聞こえてきたその声に、ドラッヘは言葉を返す。
「何がだ?」
「こうやって投獄されているのが、だ。俺がここにいたってこれ以上は戦争は引き伸ばせない。俺がいようがいまいが、起こるなら起こるし、起こらないなら起こらない」
ヒーチの声は何故か楽しげだ。
「逃亡者生活といこう、ドラッヘ」
「別にいいけど、どうやってここから出る?」
「普通に出ればいい」
ぎい、と音がして、次の瞬間、鉄格子の向こう側にヒーチの姿が現れる。
「おい、お前どうやって、それよりも見張りが」
慌てるドラッヘに、
「見張りの彼は買収しているし、鉄格子はこうやれば簡単に切断できる」
ヒーチが持っている食事用に与えられている薄汚い椀に、緑色の薬品が入っている。それをヒーチがドラッヘの牢獄の鉄格子の上下に垂らしつけてから、今度は懐から取り出した小袋から、黒い粉をそこにふりかけていく。
次の瞬間、目が開けていられないほどの火花が無音で散る。
「うおっ」
「ほら」
そうして、視力が回復した時にドラッヘが見たのは、ヒーチが無造作に手で鉄格子を一本一本捻じり切っていく姿だ。
「何だそりゃ。それに、その緑色のとか黒い粉とか、どこから……」
「俺は『瓦礫の王』だ。一時間あれば見張りの一人や二人買収できるし、二時間あれば何でも調達できる。ほら、それより、これで出れるだろう?」
「あ。ああ。けど、これからどうする?」
鉄格子が捻り切られてできた穴から牢を出ながら、ドラッヘは尋ねる。
「城の外までの逃走ルートは確保してある。それ以降は、臨機応変に、だな」
そうして目を鋭くしつつ口だけでヒーチは笑ってみせる。
「楽しいな、ドラッヘ。たまらないな。少し、あの内戦を思い出す」
この状況下で何を言っている。
そう呆れながらも、ドラッヘも確かにどこかで高揚している自分を認めざるを得ない。戦争の前の胸の高鳴りのようだ。
そんなことを考えいるうちに、ヒーチは既に歩き出している。
足早に歩いていくヒーチを、自分も思わず笑みを作りそうになるのを必死で抑えながら、ドラッヘは慌てて追いかける。
次はpart2のプロローグです。
それで、本当に終わりです。season4 part2 で終わりですんで、最後までよろしくお願いいたします。