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動10

今回ちょっと長いです。GW仕様です。

 落ち着いた表情とは裏腹に、目が血走り、動作はどこか不安定だ。笑みを浮かべているが、痙攣的に口の端が動いている。

 だがとにもかくにも、マサヨシはそこにいる。

 それが、他の出席者からは信じられないものらしく、誰もが息を呑み、ただ座って資料をめくり眺めているだけのマサヨシを凝視している。


 誰よりも、ジャックが呆気にとられている。

 普通にマサヨシが会話していることに。

 ジャックの中では、マサヨシは既に廃人であり、意志疎通はできない状態にまで悪化しているだろうと、何となく思っていた。

 それが、まさか。この場に来るとは。


「マサヨシ」


 咳払い。

 気を取り直したように、再び微笑を浮かべたフリンジワークは言う。


「一体、どういう意味かな? トリョラにシュガーをばら撒いたのはアインラードだ。その証拠も存在すると、このフリンジワークが断言する。それでもなお、アインラードと断定するなというのか?」


「ああ」


 首をぐるぐると回しながら、マサヨシは即答する。

 落ち着いた声と、落ち着きのない動作。

 どこか危うさを感じさせる。


 フリンジワークが目線で合図すると、さっきまで置物のようだったメイカブが一歩だけ前に出て、少し、ほんの少しだけ身構える。

 それだけで部屋は圧倒的な重圧に満ちる。


「悪いけどさ、あんたを信用できないんだよね」


 その重圧を全く気にする様子もなく、視線をぶれさせながらマサヨシは言い放つ。


「失敬な男だな、君は」


「はっはっは、今に始まったことじゃない。でしょ、ハイジ?」


 ぐりん、と人形か何かのように首をねじってハイジの方を向いて、笑いかけるマサヨシ。ハイジは面食らって反応できない。


「このフリンジワークを信用できないと、この会食の場で言い放つ。その意味が分かっているのか?」


 静かに、フリンジワークの声に重みが増し、笑顔は消えて目が鋭くなっていく。


「君はどうやら、副区長としても、この会食の出席者としても不適当らしい。何の根拠もなく、そんな暴言を」


「ちょっとちょっと、根拠ならあるよ。嫌だな、根拠もなしにこんなこと言うわけないじゃない」


 けたけたと笑いながらマサヨシはのけぞり、すぐに笑うのを止めて顔をフリンジワークに戻す。

 表情には、一種何かに挑むような鋭さ。それと死人のような顔との相乗効果で、異様な迫力がある。


「根拠はある。証拠はあるんだよ」


 それから、ゆっくりとマサヨシは他の出席者を見回す。ハイジを、アルベルトを、ミサリナを、スカイを、そしてジャックを。

 顔をこわばらせたままのジャックに向かって、一瞬、マサヨシはウインクをしてみせる。

 意味が分からず、ジャックはただただ、呆然としたままだ。


「というよりフリンジワーク、人が悪い。その証拠があることを、知っているくせにさ」


「訳の分からないことを言って煙に巻こうというのなら――」


「もったいぶるのもアレだしね、いいよ、さくっといこう。アインラードがシュガーの組織の核じゃない。その証拠は、俺だよ」


 やめろ。

 そう、言おうとしたかもしれない。ジャックは自分では分からない。

 ただ、無意味に口が動き、声は出なかった。


「俺が、シュガーをばら撒いた本人だからさ、アインラードはあんまり関係ないよ。まあ、無関係ってことはないだろうけど」


 しん、と。

 恐ろしいほどに、一瞬、その会場は静かに、冷たくなる。


 びくん、と一度だけハイジが体を震わせるのがジャックには見える。だが、他の誰もが、凍りついたかのように動かない。


「副区長って立場を利用してさ、ほら、例の酒造所、ハイジ肝入りの、あれをシュガーの精製工場にしてるんだ。調査したらばっちり分かると思うよ」


 がらがらと全てが崩れていく感覚。

 だが、同時にジャックは奇妙な安堵感も覚えている。

 これで、終わる。

 全てをぶちまけ、戦争が回避され、そして罪人は誰も彼も罰される。それは、ひょっとしたら一番終わり方なんじゃあないのか。

 もう、これで終われる。

 浮ついた思考の中で、そんな風にも思う。


「取り消そう、全く、見上げた男だ」


 誰もが口を開かない静寂を破って、フリンジワークが言う。


「アインラードとの戦争を回避する為に、自ら罪を被るとは」


 一応笑顔を作ってはいるが、フリンジワークの瞼はぴくぴくと震えている。


「んなわけないでしょ、本当に俺だって。俺はさ、立場を利用して、まず、トラッキって村の馬鹿共を騙してチャモドキを作らせたんだ。ろくな教育を受けてない馬鹿は騙しやすいね。ただの工芸作物だって言ったら喜んでチャモドキを作り出したよ」


 その言葉に、今度こそジャックは雷に打たれたようなショックを受ける。

 まさか。まさか、マサヨシは。


「書類を改ざんして、その栽培はハイジには隠してさ。で、さっき言った精製工場でシュガーにして、ばら撒いたわけ。ああ、物の輸送とかには、ミサリナ商会を利用したよ。何せ、古い付き合いだからね、商人としては甘すぎると思うけど、俺の言うことを信じて、真っ当な商売だと思って協力してくれたよ。まさか、自分が物を売り買いしたせいで多くの人が不幸になるだなんて思ってもみなかっただろう」


 ミサリナに向けて嘲笑ってみせるマサヨシだが、対するミサリナは、ただただ、目を見開くだけだ。


「ひょっとして、ちょっとは俺に惚れてたりとかもあったかな。残念だけど、ダークエルフみたいな劣等種とそういう仲になるなんて考えただけで吐き気がするな。劣った人間は、騙して利用して、捨てるだけだよ」


 次にマサヨシの目はアルベルトを向く。

 アルベルトは、睨み殺すように真正面からマサヨシを見ている。その鋭い目は吊り上り、激情が噴き出すかのようだ。涙すら、滲んでいる。


 何となく、ジャックにはその激情の意味が理解できる。

 庇われた、というよりも。

 裏切られた気持ちの方が強い、妙なことに。


「アルベルト。あの戦争で利用してやった、生き残りか。知ってたんだよ、あの戦争の復讐のために俺に近づいてきたってことは。だから、俺は逆手にとってやったんだ。お前みたいな分かり易い奴はさ、俺に近づくためならなんでもする。だから、町のならず者共を集めて、力で従わせて、自警団を結成するなんてきつい仕事を振ってやった。見事に役を果たしてくれた。けどさ、まさかそうやって自警団を作った理由が、俺のもの以外の犯罪組織や裏切り者を潰すためだっていうのは気付かなかったでしょ。気に入らない奴や敵になりそうな奴がいたら、そいつの罪をお前に間接的に伝えれば、それでカタがついた。はは、知らず知らずのうちに、俺の為の暴力装置になってたってわけ」


 目を細めて、憤怒の表情のアルベルトを眺めてから、マサヨシはスカイに目を移す。


 スカイは、普段の彼女からは考えられないほどに、冷静な、冷徹なほどの表情でマサヨシを見返している。


「さっき、戦争の話をしただろう、スカイ? そう、あの戦争、レッドソフィー教会の人間が多数虐殺されたあの事件のことだよ。あれはさ、俺が仕組んだんだ。レッドソフィー教会の人間を装って国境を通過させながら、お前を誘導して本物のレッドソフィー教会の人間も同様に行動させた。その上で、アインラード側に敢えて情報を流してやったんだよ。あれで、俺達は戦争に勝った。はは、レッドソフィー教会の罪もない人間が何人も死んだけど、あれがなかったらそれ以上の人間が死んでたんだ。別にいいでしょ?」


「マサヨシ、お前は」


「まあ、聞いてよ、スカイ。俺はお前がそれを疑ってて、真相を調べるためにトリョラに来たことくらい知ってたよ。ふふ、敢えてその情報をお前に小出しに与えてたんだよ。だから、そっちに気を取られていたお前は、俺のシュガー組織のことに気が付かなかった。お前が元々の目的に執着しているうちに、レッドソフィーの信者にもシュガーをばら撒いてやった。ちょっと、お前の組織を利用する形になったかもね」


「違う、私は――」


「そして」


 立ち上がり、何か言おうとしたスカイを無視して、マサヨシの顔がとうとうジャックを向く。


 無言。

 一瞬、無言で互いに見つめ合う。


「ジャック」


「ああ」


 返事をしながら、まるで自分の声じゃあないみたいだ、なんてジャックは思う。


「お前とは古い付き合いだ」


「ああ」


「知ってるか、元々、今の警備会社の前身になる義勇軍は、俺が自分の身を守るために作っていたんだ。当時、トリョラの顔役と揉めていてさ」


「知って、いましたよ」


 不意に、ジャックは胸に空洞が開いたように、どうでもよくなってくる。

 切り捨てられた。ようやく思ったのは、それだ。


「色々あった。戦争でも、二人で泥まみれになって」


「そうですな」


「そうやって、俺と絆を深めたつもりだったか? 獣人程度が。俺はずっと、お前を利用していただけだった。アルベルトと同じように、敵対勢力潰しに使ってやっただけだ。それに、お前は人望がある。お前と組んでるってだけで、トリョラの民、あの馬鹿共が俺を信用する。はっ、その信用を利用してシュガーを売りまくって、その金で女も、金の流れも、暴力も支配してやったよ」


 さっきまでぶれていたマサヨシの瞳は、動くことなく、まっすぐにジャックを射抜いている。


「マサヨシさん」


 自然にジャックの口が動いていた。


「俺も、全部知って」


「ジャック、強がりはよせ。知恵の足りない狐如きが」


 打ち切るように、強い口調でマサヨシは言う。


「これで、終わりだ。終わりなんだよ、ジャック」


 もう一度だけ、マサヨシは、最後に、ジャックにだけしか分からないように、ウインクをする。


「ハイジ」


 そうして、青白い顔をして、小刻みに震えているハイジに、体ごとマサヨシは向く。


「そういうわけだ。無能な、箱入り娘のお前を騙すのは簡単だった。今、トリョラがこんな状態なのは、お前の無能が理由だよ」


 大袈裟な身振り手振り。誰もが、メイカブすらが呑まれたようにマサヨシを注視している。


「マサ、ヨシ」


 力のないハイジの呟き。表情は死んでいる。


「ガダラ商会を知っているか? 元々後ろ暗いことをしていた商会だが、そこをクーンって頭を殺して俺は乗っ取った。トリョラのチンピラ共を組織した。それから、グスタフ盗賊団とも手を組んだ。今の俺の組織は、そうやって出来上がった。ハイジ、お前はそのことに少しも気づいていなかったわけだ。お前が副区長として俺を信頼してくれるからさ、その信頼と権力をフルに利用して、俺は組織を拡大して、トリョラ全域を、というよりエリピア大陸の大部分に手を伸ばした。その結果が、これ。シュガーが、今や世界を汚染してるわけ。いいよ、シュガーは。弱者から金を絞れる。その金が暴力になって女になって権力になって、それがまた金を呼ぶ」


 にやりと笑ってみせる。


「全部お前のおかげだ。お前が俺を信じていたから、ここまでできた。いや、それを言うなら、この出席者全員だ。皆、俺に騙されていた。だからこうなったんだ。けど、しょうがないさ、騙されるのは。俺は『ペテン師』だからね」


 最後に、大きく息を吸って、マサヨシは死人じみた顔を歪める。


「とにかく、これが全てだよ。俺が、シュガーをばらまいたし、組織のトップでもある」


「マサヨシ」


 いつの間にか、フリンジワークは立ち上がっている。笑みは消え、無表情ながらも眼光は鋭くなりつつある。


「どういうつもりかは分からない。あるいは、お前は確かに組織の一員なのかもしれない」


 搾り出すように、フリンジワークは言葉を吐く。


「本当の黒幕はどこかにいて、お前はトカゲの尻尾きりとして全ての罪を背負うつもりなのかもしれない」


 フリンジワークが片手を上げると、とうとうメイカブが剣を抜く。

 場の空気が一変して、まるで戦場もののように変わっていく。


 それに応じて、マサヨシもまた腰の剣を抜く。構えはするが、ジャックが二人の構えを見比べただけで、その戦力差は明らかだ。

 絶対に、マサヨシはメイカブに勝つことはできない。指一本も触れることなく負けるだろう。

 横から助太刀するか。

 一瞬だけジャックは思うが、そもそもどちらに助太刀すべきなのか、自分の気持ちすら分からなくなってくる。


 マサヨシ、メイカブ、フリンジワーク。

 その三名以外、全員が金縛りのように動けない。息すら出来ない。


「どちらでもいい。お前は、とにかくアインラードに雇われてか頭がおかしいのかどちらかの理由で、我々を惑わそうとしている。危険分子だ」


「まだ、そう言い張るんだ。頑張るねえ」


「ここで処分する。真偽は、後でじっくりと調査すればいい」


「――フリンジワーク、待ってください!」


 体の硬直に打ち勝ったハイジが、マサヨシとメイカブの間に飛び込もうとする。


 だがそれよりも先にフリンジワークが手を振り下ろし、それを合図にメイカブがマサヨシとの距離を詰め、そして。


「はは」


 死人の瞳で笑ったマサヨシが、メイカブに剣を合わせようとした、次の瞬間。


「やめだ! 戻れ」


 フリンジワークの叫びに反応して、メイカブは凄まじい速度で後ずさる。


 マサヨシの剣は、宙を切る。


「おおっと」


 よろけるマサヨシを見る、フリンジワークの目は、鋭い。


「貴様」


 声色が変わっている。明らかに、さっきまでの余裕はなくなっている。


「死ぬつもりだったな、何の策もなく」


 答えず、じっとフリンジワークを見ながら、ゆっくり、ゆっくりとマサヨシは剣を鞘に収めていく。


「そんなわけはない。お前は『ペテン師』だ。つまり」


 きりきりと、歯軋りをしながらフリンジワークの口の片端が吊り上がっていく。そこには、元の英雄然とした風格も、余裕も、優雅さもない。


「死ねば完成するような策か?」


「そんな、大層なものじゃないけどさ。もう、今更俺を殺したからって、真相は闇の中ってのは、無理だと思うよ」


「何をした?」


「大したことはしてないよ。ただ、さっき言った内容を証拠になる書類の写しと一緒に手紙にしたためて、各所にばら撒いただけだよ」


「意味があると思うか? そんなことをして」


 そう言って睨み付けるフリンジワークに怯みもせず、


「思うね。自分で分かっているだろうけど、実際にはあんたの立場は磐石ってわけじゃあない。権力者の中にも敵は多い。元ファブリック派と旧ノライ派がその中でも二大巨頭ってとこかな。当然、彼らはあんたの強引なやり口に文句を付けたくて仕方がない。そんなところに俺のリークは絶好の武器だ。大体、ロンボウは一時的な民衆の扇動で戦争へ突っ走ろうとしている。ここで少しでも民衆が疑問を抱くようなものが出てくれば、それだけで下手すりゃおじゃんだよ」


「なるほど。死人に口無し、では面倒なことになりそうだ」


 フリンジワークはテーブルに両手をつくと、前のめりに身を乗り出す。


「では、お前を捕らえて、お前の口からアインラードが黒幕だと言わせるとしよう」


「拷問で虚偽の証言をさせるの?」


「多少痛い目を見てもらって、真実を聞き出すだけだ」


「できるかな」


「造作もない。メイカブ、殺すな、捕らえろ」


「お安い御用だ」


 今度は徒手空拳で、メイカブが構える。


「何も感じないものかな」


 不思議そうに、マサヨシは首を傾げる。


「メイカブ、聞くな、『ペテン師』に惑わされるな。すぐに捕らえろ」

 

 無視して、そんな指示を出すフリンジワークだが、不意にその顔が曇る。


 ゆっくりと、メイカブがその場で膝を突きつつあるのを目にしたからだ。


「迂闊な」


 小さく震える声でそう自嘲しながら、メイカブはその場に転がる。


「何をした?」


 フリンジワークの目は血走っている。


「だから言ったじゃんか。不思議に思わないのかって。俺がこの場にいること自体がインパクトがありすぎて、気付かないのかな。いくら招待客だってさ、こんな状態の俺がすんなりとこの会場に入れると思う? 普通、警備の兵に止められて、先にハイジあたりに報告が行くんじゃないの?」


「何をした?」


 繰り返すフリンジワークの声を聞きながら、ようやくそこでジャックも気付く。

 部屋の温度が、急激に下がりつつあることに。


「警備の兵は始末した。タイロンがいたらそっちでもよかったけど、死んじゃったからね」


「お前は、一体」


 ようやくフリンジワークも部屋の冷気に気付いたのか、周囲を見回す。


「一体、何をした?」


「俺は何もしてないよ。そんな力なんてないことくらい、知ってるでしょ」


「協力者だと、馬鹿な。お前は、ずっと、誰とも連絡を取らずに、引き篭もって」


「けど大したもんだ。さすがに、エルフが一人いると戦局が変わるって言われるだけある。まさに、人間兵器だ」


 震えながら、マサヨシの向こう側、部屋の入り口を見て、フリンジワークの顔が強張る。

 同じ方向を向いたジャックの目にもそれが映る。部屋の入り口、目立たないように半身を隠しながら、いつからかそこにいた青髪のエルフ。


「……ザイード」


 寒さで、上手く回らない舌で、ジャックは無意識に呟く。

 冷気は思考や感情も麻痺させるのか、ジャックは何かを感じることも、考えることも億劫になりつつある自分を自覚する。


「勝ち誇って自分の作戦ばらすのも馬鹿みたいだけど、勝者の特権だし、ちょっとくらいいいでしょ。要するに、さっきまでの演説は俺に注意を寄せて、ザイードが気付かれずにあの場所から魔術の準備をするためのものだったんだよ。他の連中はともかく、メイカブは不意打ちで強力な魔術をぶつける以外に勝つ方法がなさそうなんでね。あとは一網打尽だ。部屋を極寒の世界に変えてしまえばいい。ああ、彼は結構器用でね、俺の周囲だけ冷気を弱めるなんて芸当もできるみたいだから、俺の心配はいらないよ」


 改めて、マサヨシは剣を抜く。


「さて、戦争が起こってほしくないのはその通りだよ。せっかく支配した市場を荒らされたらたまったもんじゃない。けど、別に戦争を止めるために犠牲になろうなんて気はさらさらなくてね。さっきまでのはあくまで注意をひくためと、それから、冥土の土産って奴だよ。俺は地下に潜る。じっくりと地下から、支配してやるさ。ただ、そのためには、あんたらは邪魔だ。俺との繋がりのあった連中は出来る限り全員消して、謎の存在になりたいんだよね、俺は。ここで消えてもらうよ」


 震えながら、フリンジワークは前のめりにテーブルに倒れこむ。


 ジャックも、全身が凍えてうまく動けない。椅子から立ち上がれる気がしない。


「まずは、一番厄介な――」


 フリンジワークに歩み寄り、剣を振り上げたマサヨシは、


「マサヨシ」


 震える声に名を呼ばれ、あまりにも予想外だったのか無防備に振り向く。


 不自然にバランスを崩しながらも、それでも猛烈な勢いでハイジがマサヨシに突撃していた。既にかわせる距離ではなく、マサヨシの胸板とハイジの頭が激突するようにして、二人はもつれあって吹き飛び、転がる。


「ぐうっ」


 呻くマサヨシの手から剣が離れる。


「マサヨシィ――」


 マサヨシに覆いかぶさるようにして、なおも名を呼ぶハイジの声の震えは、多少マシになっている。


 そうか、マサヨシに密着すれば冷気が弱まるのか。

 ジャックは、寒さで痺れている頭でぼんやりとそんなことを思う。





「うご、けるのか、ハイジ。さすがは」


 言いかけたマサヨシの顔面に、彫刻のように繊細で美しい指を握り締めて作り出された拳が叩き下ろされる。その勢いは拳の方が壊れてしまうほどのものだ。


「マサヨシ!」


 激昂した表情のハイジは、もう片方の拳を振り下ろす。さすがにそれはマサヨシは両手で顔を覆って防ぐ。だが、そんなものはおかまいなしに、全身を打ち付けるようしたその一撃は、両手を吹き飛ばしてマサヨシの顔面にまたも命中する。


 ハイジは、自分の中にある激情が分析できない。


「あなたは、あなたは――」


 叫ぶハイジの両手は、一発ずつ殴っただけで、既に皮が擦り剥け血が滲み、指が何本が不自然に曲がっている。

 だが、痛みなど感じない。


「かかかっ」


 血だらけ、少し変形した顔で、マサヨシは笑うと上に乗っているハイジの美しい金色の、長い髪を掴むと思い切り引く。


 がくん、と頭が下がったハイジの首をもう片方の腕で抱えてから、締め上げる。


「う、ぐ」


 揉み合い、絡み合う。

 横に倒れて、そしてとうとう立場は逆転してハイジの上にマサヨシが乗ろうとする、が。


「ぐあっ」


 下から、全力でハイジに蹴り飛ばされたマサヨシはよろよろと後退する。


 その隙にハイジは、マサヨシが持っていた剣を拾い上げる。


「マサヨシ!」


 殺してやる。

 ただ、それだけ思う。


「なるほど、こりゃあ怖い。これは、敵が恐れるわけだ」


 真っ直ぐに剣を振り突撃してくるハイジの姿にそう呟きながら、マサヨシは偶然に自分の近くにあったメイカブの剣を拾い上げ、間一髪でその剣を構える。


 重い音がして、剣と剣がぶつかる。体格の大きなマサヨシの方が、更に後退する。


 鍔迫り合い。ハイジとマサヨシは至近距離で睨み合う。


「予想外だけど、これもいい」


 血を口から垂らしながら、マサヨシは呟く。


「ハイジ、お前になら、殺されても」


「マサヨシ、私は、あなたに」


 ハイジの美しい目が、血走る。そして、自分でも何を言っているか分からなくなり、


「あなたに憧れていたのに!」


 考えてもみなかった言葉が、ハイジの口から発せられる。


 その叫びに、目を見開いたマサヨシの力が一瞬弱まる。瞬間、ハイジの剣がマサヨシの剣を押しのけ、マサヨシの肩に食い込み、骨で止まる。血が噴き出す。何とかそれ以上剣が進むのを、マサヨシは必死で剣で食い止める。


「時間切れだ、マサヨシ」


 その時、ザイードが初めて声を出す。


「化け物だな。もう、復帰しつつあるぞ」


 痛みに顔をしかめるマサヨシは、自分達のすぐ近くに倒れていたメイカブがよろよろと立ち上がろうとしているのを見る。


「マジかよ」


 ぼやいてから、目線をハイジに移し、奇妙に静かな声で、


「悪いな、もうおしまいだよ」


 そう言ってから、叫ぶ。


「いいぞ、ザイード。俺ごとやれ」


 次の瞬間、マサヨシ、ハイジのどちらもを強烈な冷気が襲う。

 ぱきぱきと音がして、目の前のマサヨシの顔に霜がふるのをハイジは見る。そのハイジの視界も、霜に覆われて急激に悪化していく。


「ちく、しょう」


 生まれてから今まで、一度も使ったことのなかった言葉を呟いてから、ハイジの意識は薄れていく。

次でpart1終わりですよー。

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