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穏やかな不穏 中編

 黙々と咀嚼する音、食器が時折当たる音だけが響き渡る。

 ティアは黄薔薇の先輩たちと共に、気まずい空気の中スープをすすっていた。いつもは口の中にフワッと広がって幸せを届ける肉汁の味が、どうにも素っ気ない。ただ、塊を噛んでいるだけの感触。味のないガムを噛んでいるような何とも言えない虚しさが消えない。鼻孔をくすぐる香料の刺激もいまいちだ。

 なるほど、美味しい物はあらゆる不幸を解決すると言うが、重苦しい雰囲気の方が味や香りに勝ってしまう事もあるらしい。かきこむように、噛むのもそこそこにほぼ飲み込んではおかわりを繰り返し、先輩や周囲に笑われたしなめられていた――そんな日々はどこへ行ってしまったのか? 状況があまりに異なってしまっている。


 彼らの居座る食堂は、閑散としていた。騎士たち以外のヒトの姿は見られない。給仕係もさっさと配膳を済ませたらいなくなってしまった。いつもなら――襲撃前なら、ついでに一つ二つの談笑もしていっただろうに。以前なら時間いっぱいまで食事と談笑を満喫していた先輩たちも、一人また一人と食事を終えると挨拶もそこそこに片づけに行ってしまう。

 それでもこの状況は最近の彼らにとっては穏やかな方だった。むしろ狙ってヒトのいない時間帯に固まって食事を取りに来るようにすらしている。その方がもめごとを起こさずに済むからだ。でないと、例えば満員の食堂に騎士たちがやってきて――このところ別の職種や部署の人間はまず、武官に対して快い顔をしない。下手をすると食事時の平穏を破って喧嘩を吹っかけてくる輩すらいる。


 ――どうして、あなたたちがいながら。

 ――役立たず、何のための近衛だ。


 もう何度その言葉をかけられたかわからない。

 エデル討伐成功で盛り上がっていた黄薔薇たちが勝利に酔いしれていられたのはほんの一瞬、すぐ直後には現実に冷や水を浴びせられた。危機が去り脅威が失せてみれば、それまで澱んでいた不の感情が真っ先に向くのは――わかりやすく、危機を第一に防ぐべき役割を果たせなかった近衛たちに対してだったのだ。



 旧区画から未だ興奮冷めやらぬ状態で戻ってきたティアは、あの時黄薔薇の歓迎と赤薔薇の嫉妬まじりの嫌味とそれでもわずかの感謝の言葉に、自分の成功を確信した。


 ところがその後待っていたのは思いもよらぬ展開。


 彼は今までの経緯から、武官同士の衝突には慣れている。貴族からの当てつけのような待遇にも、はいはいいつものことですねと流すことができる。

 しかしそれ以外の、特に使用人階級からの繰り返される武官たちに対するあらゆる文句。正直最初は何が起きているのか理解できず、驚きと困惑で固まってしまった――。




 ――だん、と横で木机を叩く音に、ティアははっと顔を上げる。


「やっぱりこんなの、納得できねえ」


 狼顔の先輩――ディックが握りしめた拳のまま、日頃聞かないような低い声で、憤慨を、不快を隠そうともせずに続ける。彼の前の器はとっくに空になっていたが、片づけようともせずにそのまま黙り込んでいたと思ったら、ついにこらえきれず心中を吐き出すに至ったらしい。


「確かに被害を出した、死者を出してしまったのは、まぎれもない俺たちの落ち度だ。謝ったって許されねえ。……だから次は絶対に起こらせない、こんなことはこれで最後だとも。そのために、今だってパトロールも調査も続けてる。文官たちは巻き込んで忙しくしちまって本当に申し訳ないが……俺たちだって、遊んでるわけじゃねえ、遊んでたわけじゃねえ。そうだろう」


 ティアと同様最初は獣人騎士の突然の挙動にびっくりしたような反応を示していた周囲だが、話したいらしい内容を悟ると皆真面目な顔で動くを止め、黙って聞いている。ティアは抱えている湯気の立たなくなってしまった器に残る汁分といくつかの野菜の塊を見下ろし、迷い、結局食べずに置いたまま隣の先輩へと視線だけよこす。


「なんなんだよ。最終的に城の平和を守ったのは俺たちじゃないか? そりゃ――守れなかった癖にって、そう言われるのはわかる、それは甘んじて受ける。けどよぉ、なんでだ? なんで、まるで俺たち自身が悪いことしたみたいな――犯罪をした奴みたいな顔で見られなきゃならないんだ? あの殺人鬼と一緒だとでも言いたげな顔をするんだ!?」


 進まない昼食のせいで残っていた四、五人は、ディックが訴えるように、叫びを漏らすように語りかけるとゆっくりと各々が頷く。――が。


「まあお前さんたちはまだ若い方だし、そうなる気持ちもわからないではないがな」


 場にそぐわぬほど朗らかに投げかけられた言葉に、黄薔薇騎士たちは一斉に振り返る。先ほど食事を終えてそのまま出て行ったように思えたが、トレーを置いた後戻ってきていたらしい銀の毛並みの狼が苦笑のように顔を歪めていた。


「副団長」

「有事が起こった。これだけで近衛にとっては十分な大失態だ」

「それはわかります、しかし――」


 同じ獣人、それも狼面のよしみなのだろうか。黄薔薇の副団長はぐるりと騎士たちを見回してから、再び言いだしのディックまで視線を戻し、諭すように言葉をかける。


「ノーランド。時に、赤薔薇はどんな部隊だ」

「はあ?」

「仰々しく着飾り、偉そうに振る舞う」

「嫌味な奴らです」

「あと、顔がいい」

「まあ黄薔薇より平均して見た目がいいことは認める」


 突飛な質問に目を丸くしたディックだが、すると彼をフォローするように聞き手役に徹していた方から声が上がる。赤薔薇に対しての刺々しいと言ったよりは茶化すような悪口軽口に、少しだけ空気がいつもの黄薔薇に戻った感じがある。ふっと、誰からともなく口が緩んだ気配がした。


「では、どうしてあれがこの城の第一近衛部隊なんだと思う?」

「えっ……?」

「それはあの、なんというか、偉いヒトの伝統で」

「今の世が魔人社会であることは認めよう。だがまあ、それを差し引いてもな」

「見た目」


 先輩たちは困ったように互いを見て、もごもごと口ごもってしまう。副団長が答え合わせをしようと口を開くと、一際通る声が響いた。


「――お、おう? ジークお前がそれを言うとは」

「つまり、牽制行為ということですか」

「そうだ。さすが見習い昇級試験で主席をもぎ取っただけの事はあるな、ジーク」

「ああそういう。見た目の威圧で秩序維持してると。はあー……」

「ちぇっ、普段はおとぼけキャラなのに、要所要所でいきなりひらめくんだからなあ、こいつぅ!」

「…………」


 周囲の先輩たちは一斉に手を伸ばしてティアの頭をぐしゃぐしゃと擦る。ティアは器を庇いつつ、渋い顔をしている。その正面の空いている席に副団長は腰かけ、テーブルの上で手を組んだ。


「正しく魔法や魔術を、生まれながらにして使う事ができることは、それだけで強力な力を持つ。特に武官はその力をどうすれば暴力に特化できるか知っているし、身についている。我々にとってはつい忘れがちだが、この感覚は大事だ。我々はけして、普通ではない」

「……今回犠牲が多かった短命種のことですか?」

「それも含まれるが、城の下には、魔界には、我々ほど器用に魔法を使いこなせない同じ長命種が山ほどいるだろう。当然この城にも、だ。彼らからすれば我々だってそう、化け物と大差ない」

「そんな――」

「だからこそ、我々には本来わずかの失態も許されない。斬らないために刃を研ぎ澄ませる。それが理想であり、他者が我々に求める当たり前だ。どんなに言い訳を重ねようと、斬った時点で負け。それこそが近衛のあるべき姿なんだよ」


 近衛たちは、副団長の言う事を皆理解はしている。理解はしているが、感情の整理がつかないのだろう。彼らは彼らなりの業務を取り行った。団長の判断のおかげか黄薔薇には確かに業務に支障を来たすほどの負傷者は出ていないが、エデルと直接戦闘を繰り広げた赤薔薇団員には未だ医務室から出てこられていない者もいる。しかしその身体を張って第一線で戦った者とて、よくやったの前になぜ負けた、なぜもっと早く仕留められなかったと責める声がある。


「……生死を操る魔は禁忌の術。ゆえに、いかな奇跡の国、魔と混沌の世であろうとも、死人は戻ってこない。生き残っても、今回の事で後々にまで残るような深い傷を負ったものがいる。十分すぎるだろう。団長たちの謹慎だけで済んで、むしろ軽すぎるくらいなんだよ」


 副団長の声はあくまで優しげだが、瞳にはどこか冷たい、有無を言わせぬような色が宿っている。彼が椅子を引く音すら、部下たちの心にずしんと重苦しく響く。立ち去りがてら、老騎士はこう結んだ。


「武官には数あれど、我々は近衛――陛下をお守りする盾と剣だ。そのことをよく考えなさい。戦いたいだけなら、いくらでも他にも武の道はある」


 去っていく上官を呼び止める者はいない。皆一様に、考え事にふけり、どこかぼんやりとした視線を空にさまよわせている。


「誇りなのか、驕りなのか。……わからなくなるな、色々と」


 意気消沈したかのようにしょんぼりしているディックが独り言をつぶやいている横で、ティアは視線を下ろす。器には相変わらずあと少しだけ汁と浮かぶ根菜が残っていた。少し迷ってから、やはり残すのはよくないだろうと、おもむろにがしっと掴んであおる――。


「シーグフリードさーん!」


 しんと静まり返った食堂に、明るく快活な青年の声が響き渡ったのはその時だった。

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