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「彼」

 ぴしゃんと言い放たれた高い声はひどく高慢だった。


「どうした。その口は飾りか。それとも耳がやられているのか。用があるならさっさと言えばいい」


 今にも出て行けと言わんばかりに口調はきついが、どこかそのしぐさには優雅さがある。


 彼は一応答えを考えたが、別に用事があるわけではない。

 そもそもなぜここにいるのかこっちが聞きたいくらいだった。


 少年はしばらく黙りこくっている彼を見つめていたが、やがてふんと鼻を鳴らした。


「なるほど。誰かわかった。その白い見た目と、ぼんやりした顔。例の、テュフォンに引き取られた子竜だな」


「……僕を、知っているの?」


 思わず彼がつぶやくと、少年はぞんざいに手を振って見せた。


「こっちだとそこそこ有名人だからな、お前は。

にしても、その様子では何も言われず放り込まれたのだろう。ほら、あほな顔して突っ立ってないでこっちへ来い。そこに座れ。話はそれからだ」


 少年は自分の座っている側の地面を示す。


 発育が若干遅めの彼よりも小柄で角も生えていないのだから、どう考えても年下だ。

 それなのに恐ろしいほど子どもらしさと言うものがなく、いかにも指示に慣れている調子は、かなりいいところのお坊ちゃま然としている。


 彼はおとなしくその指示に従うと、至近距離から再び少年の顔をまじまじと見た。


 美醜に他人より疎くても、この少年は整った顔立ちをしていると思った。


 じろじろ見られてか少年は、不愉快そうに眉をくいっとはねあげた。


「人の顔を見るのはそんなに楽しいか?」


「すごく、きらきらしてるね」


 彼の答えに、少年は沈黙した。直後思い切り嘆息して、脱力する。


「なんだ、それは」


「それって?」


「きらきらって、他に言うことが――。まあ、いい」


 再び少年は嘆息する。


 ため息のつきかたも他の大人とは違って見える。

 勿論子どもたちの、大人をまねたような大袈裟な物とも違う。


 少年の溜息は、まさに思いが漏れた、といった感じに見えた。


「お前、どうせわけもわからないまま、無理やり連れてこられたんじゃないのか」


 彼はちょっと間を開けてから、首をかしげつつ答える。


「たぶんそう……」


「そんなことだろうと思った。ははん、またお父様だな、これは」


「君のお父さんがどうかしたの?」


 少年は一瞬ふっとものすごく悪いことを考えていそうな顔をしたが、すぐにもとの憮然とした表情に戻った。


「そうだよ。気難しいわが子にあてがう相手がなかなかいなくて、苦労している。いっそのことほっといてくれても、こちらとしては全然かまわないのだけど。

ま、引きこもりは体裁も悪いし、いずれは外に出なくちゃいけないんだから、懸命にこうやって何人もつれてくるのは当然のことっちゃそうだけどさ。今まで連れて来た相手が確かに魔人の貴族とかばっかりだったから、ちょっと変えてきたのは面白いかな」


「えーと。……とりあえず、ひきこもりって、何?」


「私のこと。部屋の中にこもっていて、外に出てこないんだ。親のすねかじりとも言える」


 彼が聞くと、少年は特に気を悪くした風もなく答える。


 こんな風に彼のペースに合わせてくれる相手は父親以外では初めてだった。


 弟はもちろん話し相手になってはくれるが、会話に熱が入ってくると結構彼の言うことを遮ったり、考えの途中で読み取って自分のおしゃべりに組み込んでしまう。


 その他の大人たちは、彼がボーっとした顔をしている間に、話を打ち切ったり勝手に結論付けたりする。


 彼の出力を黙って待っているだけの相手は、本当に珍しかった。

 そもそも、彼の会話経験相手が極端に少ないと言うだけの話かもしれないが。


 彼は少年の答えに益々首をひねる。


「外に出てるじゃない。ここ、部屋じゃないよ」


「ここは私のテリトリーの一つだもの。つまり、私にとっては部屋の中同然ってこと」


「ふうん……じゃあ、どうして外に出ないの?」


 彼の素朴な言葉に、少年は眉根を寄せた。

 明らかに不機嫌そうになった相手の様子に、彼は狼狽える。


「……ごめんなさい」


 彼が謝ると、少年は目を見張り、頭を左右に振ってから苦笑する。


「別に。お前、正直なんだな。ただ、その質問には――いろいろな意味で答えにくいんだ」


「じゃ、いい。答えなくて」


「――そう。その方がいい。私にも、お前にも。

深入りしたっていいことなんて何もないんだから」


 少年は言うと、再び池の中に手を突っ込んで、半透明の水をかき回した。

 彼は気だるげなその動作を目で追いながら、ふと思いついた疑問を口にする。


「ねえ。どうして君は一人なの? お城にはヒトがたくさんいるのに、ここには君しかいないのはどうして?」


 少年は答えない。くるくると水の中で手を動かしている。


 彼はまた、少年の機嫌を損ねてしまったのかと慌てたが、やがて少年は水の中から手を引っ張り出してこちらに向き直った。


 真っ直ぐな瞳は、感情を読み取りにくい色をしていた。


「それが我々の利害の一致だから、ね」


「……なに、それ」


 わかんない、と言うと、相手は肩をすくめて見せる。


「都合がいいんだよ。私もみんなも、私がここにいることが」


「なんで?」


「私はね、千里眼を持っているんだ」


 急に少年は彼から目をそらし、遠くを見やると自嘲気味な笑顔を浮かべる。


「望めばいかなる場所をも見ることができる魔法の目を持っているんだよ。しかも厄介なことに、この目は時間の千里も超えることができるらしい。それでいて見えるはずのない、ヒトの心なんてものも時々見てしまうから始末が悪い。

ああ、安心しろ。物心つかない時分はしょっちゅう暴走させていたけど、今はちゃんと制御してるから、そう簡単に変なものは見ないよ。

そうだな、人々にとって私は疫病神なんだ。白子と同じさ。いるだけで疎ましい存在。だからこうやって、奥にこもって互いに干渉しないようにして、心の平穏を保っているんだ」


 彼は言われたことにきょとんと眼をみはり、やがて困った顔になる。


「センリガン? が本当だとして、君は白子なんかじゃないよ。だって、こんなにきれいな色をしているのに」


 すると、ややあってからくすくすと笑い声が降ってきた。

 少年は笑い続ける。


 今までつんと取り澄ました顔しかしていなかったが、そうやって笑うと年相応に幼かった。


「面白いやつだな、お前は」


 少年はひとしきり笑ってから、彼に向けて柔らかに微笑む。


 彼はその笑顔に胸が高鳴るのを感じた。

 エッカが笑うのを見ても、なんとも思ったりしないのに。


 少年の笑顔はずっとそれを見ていたい、という衝動を彼に喚起させた。


 ――が、彼が呆けた顔をしていると少年はすぐ咳払いしてすまし顔に戻ってしまった。


「それで、どうするつもりなんだ、お前」


「……何が?」


「だから、これからどうするんだ。帰るのか?」


「あの、そもそも僕、なんでここに来たのかも知らないんだけど……?」


「なんだ、そのことか。それなら、私と遊ぶためだよ。言っただろう、お父様はわたしの相手を探している。お前はその候補として連れてこられたんだ。ただ、別に強要はしないから、帰りたくなったらいつでもそこのゲートから出て行けばいい。別に誰も責めはしないよ。悪いとしたら私の方だろうし、お前のお父様だってわかってくれるさ」


 少年はそこで言葉を区切ったが、彼の表情を見ると、どこか困ったように付け加えた。


「……その、なんだ。出て行けとも言わないから……。どうしても、そう、どうしても――ここにいたければ、そうするといい。……お前の好きにするといいさ」


「じゃあ、ここにいてもいいってこと? そうなんだよね?」


 彼はほっとした顔で少年に尋ねる。少年は無邪気な答えに目を細め、値踏みするように彼を眺めた。


 ぞわり、と彼の全身を、不快ではないが妙な感覚が駆け巡る。


 少年の目はどこを向いても綺麗だった。頭からつま先までを追っているらしいそれを、彼は飽きることなくうっとりと見つめていた。やがて、どこか怒ったような口調で少年が言った。


「私もお前なら構わない。お前は何て言うか……嫌いじゃない」


「じゃあ、ここにいる。僕、君と居たい」


 少年はそれを聞くと、ぷいと横を向いてしまった。


 彼は少年の言っていることは一部難しくて理解していなかったりしていたのだが、なぜか彼と話していて嫌な気分ではなかった。


 けして相手は穏やかな調子ではなかったが、彼にペースを合わせ、きちんと彼を待ってから答えてくれることが嬉しかった。


 自然と顔がゆるむと、少年はきっと眉を吊り上げて頬を上気させた。


「笑うな! どこがおかしい!」


「別におかしいなんて思ってないもん」


「でも笑った!」


「そんなに笑ってるかなあ。……んー。そうなのかも」


「……お前の顔を見てると調子が狂う。あっちを向け、ほら」


「ええ。それって話しにくくない? 嫌だよ」


「いいから、こっち見るなって!」


 彼は仕方なく、言われたとおりに少年と反対の方を向いた。

 すぐさま不満の声をあげる。


「やっぱり、話しにくいよ、これ」


「うるさいな。私がいいというまでそっちを向いていろ」


 ぶっきらぼうな返事が返ってきて、沈黙が訪れた。彼は何か言おうかと思ったが、話題が思いつかない。


 少年の観察もできなくなってしまったので、仕方なく再び天井を見上げて、流れ星の数を数えていた。


 そのうちに、再び少年が声をかけてきた。


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