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幼き献身 後編

 身体の中から虹色に輝く塊を抜き取られると、淡く光を放っていた半透明が急速にしなびる花のように力を失う。絡みついていた無数の触手がくたりと力を失い、突き立てられていた幾多の牙のような鋭い突起がずるりと抜けて落ちていく。さすがに首に突き刺さっていた一際太いものが抜け出ていくときは、ティアも咄嗟に患部を押さえた。身体は物理攻撃と精神攻撃の被せ技ですっかり消耗してしまったかと思われたが、まだまだ余裕があったらしい。意思に素早く反応し、鱗が瞬く間に傷穴を塞ぐ。呼吸はいつもより乱れているが、それも時間の問題。落ち着いて深呼吸を繰り返していればすぐに治るように思われた。


 ところどころの痛みに顔をしかめつつも突っ立ったままの黄薔薇騎士と異なり、相手の両手にかろうじて縋り付くような格好で、少女型のナイトメアは力を失いどろりと垂れ下がりそうになる。既に彼女の末端は粘度の高いスライムから力なき液体へと変わり、異臭を放ちながら床に広がっていこうとしている。ナイトメアは何度か口を開くが、飛び出すのは青い液体。美しい少女の顔は、みるみるまに血色をなくし、隈としわが広がっていく。言葉は聞こえないが、未だしがみつかれたままで相手の顔がよく見えるティアには何を言っているのかわかった。


(パパ、パパ)


 ぐっ、と自分の眉根が寄ったのが感覚でわかる。


 耳が異音を捉えた。最初は正体がしれない低い物だったが、徐々に大きくなり、最後には甲高い哄笑が響き渡る。


 ティアが顔を上げると、強化に強化を重ねられた魔術陣の中で、いっそ滑稽なほどエデルは笑い転げている。とても自らが追い詰められ、さらに味方が敗北したばかりの者の態度には見えない。


 ティアはぞわぞわと身体の奥がざわめく一方で、心が冷え切っていくのを感じた。


 エデルは今や光の壁の中で、無数の文字の帯のようなものに全身を拘束され、芋虫のような無様な格好になっている。ご自慢の虹色の瞳も、魔術で作られたらしい目隠し布で覆われていた。だがそれ以外の顔の部分は、最初から全く変わらない――自分の勝利にほんのわずかの疑問も抱かず、高見から周囲を見下ろしている者の蔑みに満ちた笑顔のままなのだ。いっそ清々しいほどエデルは何も変わらない。ひとしきり笑ってごろごろと狭い魔法陣の中を行き来してから、ぱたりと止まり、半身だけをむくりと起こす。


 魔術陣の外から油断なく様子を見守っているリリエンタールが一歩後ずさり、どうやらかなり品の悪い罵声を小さく吐き捨てた。ティアは先輩騎士もまた、この不気味な生き物に強く不快を感じていることを悟る。


 エデルは目が見えていないであろうにも関わらず、ぐりんとこちらに首を回して顔を向け――おそらくティアの前の、瀕死のナイトメアに向かって冷たく言い放った。


「やっぱりお前も、使えない奴だったな」


 ぶるり。ティアは自分の両手にへばりついたままの塊が大きく震えたのを感じる。すっかり力のないそれは、今腕を振り払えば簡単に剥がれ落ちるだろう。

 だが、なんとなくそのままにさせてしまうのは、あの幻覚を見せられたからなのだろうか。


(パパ、ななを、おいて――いかないで。パパ、ななを、みすてないで。パパ、なな、もっとがんばる。パパ、ななは、ななは――はなれたくない――おねがい、パパ――)


 声にならない言葉を振り絞ろうとしてわななく唇の横を、瞳からとめどなくあふれ出す青い液体が零れ落ちていく。

 彼女には、彼女がひたむきに尽くす父親の、彼女に対してあまりに無情な言葉が聞こえなかったのだろうか。

 ……いや。おそらく、確かに聞こえているのだろう。


(ナイトメアの子は、親に絶対服従)


 彼女自身がそう語った。まるでそれこそ隷属印のようだ。魂を縛り捻じ曲げる呪法。


(違う。昔使われていた隷属印ですら、あくまで肉体に負荷をかけるものが主流だったと聞く。心を操る術だけは、いつの時代も禁術とされてきた)


 しかしナイトメアは、生まれた瞬間から親に心を縛られているとでも言うのだろうか。あの見知った知人――ヒューズとその息子たちすらも。


(彼らは全く異なる生き物なのだ。ヒトとは違う。……竜以上に)


 ティアは肉塊を見つめながら、思考を巡らせる――。


 刹那、空を裂く音がした。

 少し遅れて、ドシュ、と何かが突き刺さる音がする――魔法陣の中のエデルに、どこかで見覚えのある槍が突き刺さっていた。最初の一撃の後、連続していくつもの武器が拘束された邪眼に放たれる。肉が貫かれる音がするたびに、邪眼の身体は跳ねた。弾かれるようにティアが振り向くと、ばらばらと見覚えのある騎士たちが駆けてくるところだ。


「ご苦労、テュフォン。それからエド――ではなくリリエンタール殿。持ちこたえただけではなく押さえていてくれたから、後が楽だった。さすが期待のルーキーは二人とも優秀だな。ただ、少し早く気を抜きすぎだぞ」

「……どうも、ヘイスティングズ団長」


 一際大柄の、翼を持つ男が朗らかに、レモン色のマントをはためかせながら歩いてくると、視界の端でリリエンタールが露骨に顔をしかめた。


「よくやったぞ、ジーク」


 ポン、と頭を叩いてから、黄薔薇騎士団長はちらりとティアの正面に目を向ける。


「核を破壊済みです。直に死ぬでしょう」


 一瞬無表情になった師父にティアが控えめに声をかけると、「そうか」と短く呟いて頭を振り、他の団員達とともにエデルを包囲している陣に向かう。

 ティアは援軍の到着と終結の気配にほっと息を吐き出すが、腕の中から上がった悲鳴に身体を硬くする。


「パパ! い、いや、いやだ! パパ、なな――はなれたく、ない!」


 ずるずるずる、ともはや人型を完全に失った半透明のスライムはティアから滴り落ちるようにして剥がれ、地面を這って行く。かろうじて発声器官のみが残っているらしく、悲痛な叫び声はぱくぱくと開け閉めされる穴から発せられているようだ。

 周囲の黄薔薇騎士たちがぎょっとした顔になって動きだそうとするが、ヘイスティングズ団長が手で制止すると各々構えたまま油断なく見守るにとどまる。


 スライムはもはやティア達には目もくれず、青い液体を噴き出し徐々に確実にその体積を減らしながら光の壁までたどりつく。彼女が本当に行きたいのはその先、壁の中で無数の武器を突き立てられ物言わぬ塊と化しているそれの元になのだろうが、結界の表面を這いあがる力も残っていないらしく、二つほどの小さな触手が本体から出てきてぴとっと壁に押し当てられる。


「パパ、わらって。パパ、ななに、えがおをみせて。なな、それだけでいいの。なな、それだけのために、うまれてきた――ななをつかって、パパ! ――パパ?」


 文字通り最後の力を振り絞ることになったのだろう。半透明の中の虹色はきらめくごとに光度を失い、合成音声のような不協和音の声が徐々に小さくなっていく。


「なな、は――パパの、こ――パパのため、に――し、ぬ――」


 一度だけ、名無しの幼いナイトメアは全身を震わせ、ひときわ大きな虹色を放つ。死に際の報復か、と騎士たちが殺気立つが――彼女はどうやら、ただ輝きを放っただけらしかった。


(なな――しあわせ)


 ティアは同時に消えゆく幻聴を聞いた気がしたが、定かではない。


 やがて最後に触手がふらりと揺れ、液状化して煙のようなものを上げながら溶けていく。それからは完全に沈黙し、もう動くことはなかった。


「こっちは大丈夫だ。……中を改めよう。気を抜くな」


 完全に絶命したらしい、光を失ったスライムが広がっていくその様を声もなく見つめていた団員たちだが、団長が声をかけると皆気を取り直したように顔を上げる。ティアも一緒になって近づこうとすると、狼顔の先輩にポンと肩を叩かれた。


「お前と赤薔薇ルーキーは消耗している。万が一に備えて、下がっておけ」


 見回してみると、どうやら黄薔薇だけでなく、ばらばらと他の団のマントの色も見える。救護担当者らしき別団の男にも促され、ティアはゆっくりと下がる。


 誰かの鼓動の音が聞こえてきそうなほど張りつめた緊張感の中、魔術陣の中に数名が侵入し、ゆっくりと目標に近づく。


「リリエンタール、術を」


 全員の準備が整ったことを最終確認したヘイスティングズが声をかけると、赤薔薇騎士は大きく息を吸ってから、解呪の言葉を唱えた。光の壁と身体の呪縛はそのまま、目隠しがずれる。一斉に皆が戦闘姿勢に入った後――息を呑んだ。


 拘束されたまま身体のあちこちに凶器を突き立てられた男は、不気味な微笑みのまま――しかしその瞳から虹の光を失い、ぐったりと動かなくなっていた。


 数拍分の痛い沈黙の後、誰からともなくため息が、そしてすぐに爆発のような歓声が上がる。さすがに真顔になっていたヘイスティングズの顔も、汗を拭うといつもの笑みが戻ってきていた。


 ティアとリリエンタールは先輩たちにもみくちゃにされ、そのまま胴上げにされんばかりの勢いだが、救護担当が「こらっ、まだ治療は終わっていません!」と怒鳴ると少しだけ鎮静化する。それでも彼らの興奮は冷めやらず、後方待機の場にいた何人もが旧区画の外へと飛び出していく。おそらく本部に連絡をしに行ったのだろう。


 ようやく呼吸がまともにできるようになったような心持で、ティアはされるがままに揺すられている。


 ――だが。


(これで本当に、終わったんだろうか)


 あまりにあっけない――あっけなさすぎる終末に大して覚えたのは、安堵と言うよりもむしろ拭いきれない不安のような感情だった。

















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