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旧区での戦い 後編

 きらりきらりと輝く双眸に気を取られていたのはわずかの時間。次の瞬間、ティアは振り下ろそうとした自らの右手を受け止めるものを認めて目を大きく見開いた。

 エデルの左腕はいまや骨格と筋肉から成る生物の形を大きく逸脱し、無数の紐状形態に分離してティアの拳に絡みついている。触腕とでも言おうか、肩口から生え出してうごめくそれらは意志を持つ蔦のようであり、海洋で暴れる軟体生物の腕のようでもある。とかく通常の陸上生物のものと大いに異なる、半透明のスライム化したそれはナイトメア本来の姿であり、不気味な弾力でもって武官の腕を包み込む。

 勿体をつけるような間を入れてから、鈍い痛みとじゅうじゅうと溶けるような音が鳴り出した。驚いたティアは腕を引っ張りエデルから離れようとするが、微笑んだままの殺人鬼は獲物を逃がそうとしない。ティアに絡みつく触腕は粘性を帯び、ねっとりと絡みついていて離れない。


「僕たちは知性のある魔法生物を惑わし、騙し、搾取する。つまりはね、どれだけ君たちが僕たちを傷つけようとも、あまり意味はないんだ。弱い同族なら、簡単に殺せるかもしれないね? でも僕は違う。さあ、糧になっておくれ。黒龍を食べるなんて、早々できる経験じゃない。じっくり溶かしてあげようじゃないか――」


 顔面が半分崩れている美しい顔立ちの男は歌うように囁きかけた。ティアは顔をしかめ、腕から這い上がって身体にまでまとわりついて来ようとまでしているスライム化したエデルの腕から逃れようともがく。他の部分は相変わらずヒトの形――ティアによって肩口から斜めにばっさりと切り裂かれた瀕死の男の姿をしているだけに、より一層エデルの左腕は異質さを放っている。ゆらゆらと空中で太い糸のように別れたそれらは煙のように不安定に揺れているかと思えば肌に吸い付いて離さず、いつの間にか腕を覆う騎士の服を溶かしてしっかりと肌に吸着している。感触からして、牙か針のようなものを突き立てられているのかもしれない。じゅるり、と吸い上げる音とともにひときわ大きな眩暈を感じたティアは、吠えながら大きく身体を捻った。

 肉がぶちぶちと千切れる音とともに、反動をつけて思いっきり引き抜いたティアの右手は解放される。飛び退り、何度か腕を力任せに振るとこびりついていた肉片たちがべしゃりべしゃりと音を立てて床に散る。ティアに襲い掛かり、血液や精気をむしばもうとしていた触腕は引っ張られた時に耐久の対抗に負けたらしく、破壊された痛々しい姿のまま、青い液体を噴き出してうねうねとのたった。


「馬鹿力、乱暴な奴……」


 エデルはそんな風に呟いてから、突っ込まれていた壁からゆるりと身を起こす。ティアは出血している上に騎士の装備をすっかり溶かされ腫れ上がっている右手を庇うようにしながら睨みつけた。二つの邪眼は戦闘対象から奪った魔力によってか先ほどよりも力強く輝き、身体にあった傷は癒えて跡形もなくなくなっている。攻撃を受けてもエデルが悠々としていたのはすぐに治る当てがあったからなのだろう。


 ゆっくりと深呼吸し、ティアは目を閉じる。するとぶすぶすと音を立てながら、傷ついた腕に逞しい筋肉が隆起し、直後みるみるうちに黒い鱗に覆われる。数秒の間には元の硬い装甲に覆われた腕を取り戻した黒龍に、へらへらとしていたエデルはまた顔を歪めることになった。


「マジかよ、気合いで治すのかよ……」


 その通り。たねも仕掛けもない。今、シーグフリード=ティア=テュフォンが行った事は魔術呪文の詠唱ですらなく、愚直に「この腕じゃ痛いし攻撃うまくできないし早く治さないと」と思い、身体に向かってそうあるべしと念じたこと、ただそれのみである。つまりまさに気合いだ。竜族ならではの力技回復である。


 ともあれ、エデルの左腕は変形したままだが、おおよそお互いに傷つけあう前の状態、状況は振り出しに戻ったと言っていい。ティアは多少自分の思い通りに行かずにイライラしたり不機嫌になったりしているエデルをしっかり睨みながらもぐっと奥歯を噛みしめた。


 とても良いとは言えない展開になってきている。

 攻撃が通ったし、相手も一度は傷ついた。だが先ほどのように即座にカウンター回復のような事をされてしまうのなら、あまり有効とは言えない手だ。

 接近するから組みつき返されるというのなら、遠距離攻撃にシフトさせるべきか? だが遠距離では幻術と魔力場の狂っているこの空間という要素が邪魔をして命中率が下がる。それにたとえもし当たったとしても、同じように回復されてしまうのではないか? やはり身体のどこかにある核――急所。その部分をどうにかして撃たなければ、決定的な傷は与えられないのではなかろうか。


 時折刃、というか拳を交えつつ、おおむね互いににらみ合い状態を維持しつつ観察を続けていると、エデルは不快で表情を崩すようなこと、イライラしている素振りを見せるような事はあるが、どちらかというとそれは、自分の思い通りに進まない事に駄々をこねる子どもの所作に似ている。少しでも不利になった雰囲気と言うか、焦りと言うか、そういったものがエデルには一切感じられないのだ。もちろん直情型のティアと違って相手はプロの嘘つき、ポーカーフェイスの向こうでこちらの思いもよらぬことを考えているのかもしれないが、やはりこの余裕の態度は気になる。エデルはやはり何かが違う。何かが決定的に――。


「どうした、黒龍! もう突っ込んでこないのか!」


 触腕を鞭のように振って打撃を繰り出してきながら、エデルが挑発してきた。当たっても痛くないが、また絡みつかれて拘束されると厄介である。避けつつティアは返した。


「お前こそ、のらりくらりしているだけでいいのか? ここは袋小路だ。もう連絡は行っていて、お前がここにいることは皆わかっている。どのみち逃げられないぞ」


 牙を剥き出して威嚇する若い雄竜に向かって、美貌の男は朗らかな、明るい笑みを浮かべた。


「僕の心配でもしてくれているのかい? お前は馬鹿だなあ。まあお前を嬲り殺しにできない事は大いに不満なんだが、別にだからと言って僕が不利になっているわけではない。お前たちは物知らずの雛鳥だ。僕が一体どれほど昔から生きていると思っている? あっはっは――」


 聞き苦しい笑い声を上げながら、腕の鞭が振られる。エデルの意思によって動くそれは、通常の鞭と違う軌道を描くことがあるので避けようとすると油断できない。三度かわしてからティアは一度思いっきり息を吸い、次の瞬間喉の奥から炎の塊を発射する。腕が焼け焦げたエデルが悲鳴なのか歓声なのか判然としない声を上げたが、やはりその目は笑ったままだ。この隙に追撃する手もあったが、思わずティアは距離を取って様子を見るにとどめてしまう。


「どうしたどうした? 最初の威勢はどこに行った? 怖気づいたのか? つまらないじゃないか、もっと来てくれよ。言ったじゃないか、暇つぶしなんだって――ほら、ほら、ほら!」


 エデルが腕を振ると、びゅんと音を立てて分離した肉片が弾のように飛んでくる。再び火を吹いてそれらを焼き消しながら、ティアは悟った。


 そうか。こいつには根本的に、危機感がないんだ。

 今まで戦ったことのある相手には大抵、戦う事への本能的な恐怖――命のやり取りをすれば当然自分がやられるリスクは出る、そのことに対する本能的な反応を見ることができた。

 この男には、それがない。エデルはこの戦いで自分が死んだり傷ついたりする、そういうことを全く恐れていない――いや、恐れる必要がないとすら言いたげな口ぶりだ。

 相手に効果的な一撃を食らわせられず、状況がやや泥沼化しつつあるのは向こうも同じ。そしてティアには増援が約束されており、エデルには退路すら断たれているはず。それなのに、常に自分が優位であるという姿勢を崩さないし、疑いもしない。どこからこの自信はやってくるのだろう? 明らかに尋常ならざる無邪気な微笑みに、薄ら寒いものを感じる気がした。


 もしかして自分は何か、とんでもないものを見逃してしまっているのではないか? 情報を整理するべきでは? エデルは何と言っていた?


(暇つぶしをしようじゃないか――)


「ぼけっとしてると殺すよ!」


 ティアのわずかな心の動揺を読んだのだろうか。気が付いた瞬間、刃の形になった触腕がすぐそばまで迫ってきていた。素早く頭を下げようとするが――避けきれない! 体勢が悪かったせいか火を吹くのも間に合わない。絡みつかれてもできるだけ最短で振りほどこう、可能そうなら噛みつかれる前に逃げようと戦略を編み直しているティアの耳に、その音は飛び込んで来た。


「黄薔薇!」


 ――そういえば、いたな。


 第一に思い浮かんだのがその感想だったせいで、数秒間ティアは完全に硬直した。


 赤薔薇エースの叫びの直後、まばゆい閃光が走り、ティアは思わず叫んで目を閉じる。巻き込まれたのはエデルも同様らしく、自分以外の悲鳴もすぐ近くから聞こえた。


 暗闇の中で夢中でじたばた暴れると、接触してこようとしていた肉の塊達が特に抵抗なく吹っ飛んでいく気配がする。さらに聞き慣れた声が早口に滑らかに何かの呪文を詠唱し、


(こっちへ!)


 頭の中に直接、声が響いた気がした。ほぼ反射的に、唐突な光のせいで痛む目をわずかに開き、拷問部屋の壁から外へと逃れる。直後にティアの背後で耳の奥に響く高い音が鳴った。振り返ると、拷問部屋は無数の魔法陣によって完全に囲われ、封鎖された形になっている。

 ティアは呆然と邪眼とその肉片たちがしっかり光の壁の中に閉じ込められている様子を確認してから、ポンと肩を叩かれた方に顔を向ける。


「よくやってくれた。囮ご苦労」


 赤薔薇騎士、リリエンタールは消化不良のティアと対照的に、実に晴れやかな顔をしていた。美味しい所だけ持って行かれた感のあるティアは口をがばっと開くが、赤薔薇騎士が指さした方向に手当されている騎士たちが転がっている様子を見るとぱっくりと閉じる。裏方は裏方で、色々頑張っていたのだろう。それこそティアが邪眼の相手をしている間に、仲間のケアを行いつつも、邪眼の隙を伺いフォローのために勤しんでいたのだ。それにタイミングとしてもかなり良いものだった。


「もう逃がさないぞ、邪眼」


 ――と、冷静に思考を巡らせれば理解できないことはないのだが、リリエンタールが勝ち誇った顔で閉じ込めた先のエデルに呼びかけている横顔を見ていると、今すぐ殴って「おい、そいつの相手をしていたのは俺だ、手柄だけ持って行きやがって」と言ってやりたくなるのが人情と言うものである。


 しかし両騎士とも、ほっとした空気は長く続かなかった。魔法陣の中に閉じ込められたエデルが未だ朗らかな微笑みを浮かべているのを見つけた瞬間、ティアは素早く振り返り、叫んだ。


「赤薔薇、まだだ! 陣を強化しろ!」


 腕を交差させながら、ティアは感じる方向に向かって駆けだす。リリエンタールは一瞬だけ虚を突かれたようだが、すぐに状況を把握して立ち直ったらしい。新たな詠唱を後ろに効きつつも、ティアは飛び込んで来た影を迎え撃った。ガキン、と硬い物がぶつかる音が鳴る。


「遅いぞ、愚図」


 囚われのエデルの悠々とした声が、妙に良く響いて聞こえる。

 どこからともなく、それこそ瞬間移動でもしたかのように唐突にティアの上方から現れて飛びかかってきた新たな人物は、虹色の瞳を瞬かせたかと思うと、薄い唇を開く。


「はい、パパ。ごめんなさい」


 少女の姿をした新たなナイトメアは、無機質で無感動な声をしていた。

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