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新しい風

 静かに、静かに。城内を汚染し拡大していった被害は――その日になってようやく表出し、そして一気に爆発した。



 旧区画から緊急警報が発せられるのをきっかけとするかのように、城内のあちこちで異常を知らせる、あるいは助けを求める信号が発せられた。

 今までヒトの目の見えない場所でひっそりと狩りをおこなっていた化け物たちが、一斉に姿を現したのだ。


 暗がりから一つの場所に数匹ずつ、次々としなやかに音もなく出現したそれは、ひどくヒトに似た姿を取っていたが、すぐに瞳を虹色に発光させその本性を晒す。薄く不気味な笑みをたたえた裸体のそれらは、一瞬にして獲物に飛びかかり、その首筋に牙を突き立て――あるいはより鮮明に彼らが人ならざることを物語る器官を露出させ、捕食行動を開始した。


 狙いを定めた犠牲者にあっという間にのしかかると、その四肢を自らのもので封じた彼らの背中が――背中と言うよりも腰のあたりがボコリと音を立てて変形する。擬似的な皮膚をゆがめて飛び出してきたそれは、位置や形状からしてまるで獣の尾のように最初は見える。突き出した尾が伸びていく様はどこか急成長を遂げる植物の動きにも似ていて、やがて目的を持って動いていたその先端が、獲物の顔のあたりでがばりと音を立てて花開いた。

 閉じている状態が蕾なら、咲き誇るその様は人食い花。開いた花びらの内部にはずらりと小さな牙のような突起が並んで光り、本来ならば柱頭をはじめとした実るためのものがあるその部分はぽっかりと孔が開いていて、開かれた口の喉奥を連想させる。ただ普通の生物の喉と違うのは、覗き込んだ奥の奥が鼓動に合わせるかのようにちらちらと七色に輝いていることだろう。虹の色が消えたかと思うと、穴の奥からまるで舌のようにうごめく赤黒い何かが得体のしれない分泌液をたらたらと垂らしながら出現し、右に左にゆっくり揺れる。その先端はやわらかくもぞもぞと蠢いていたかと思うと、次の瞬間針のように鋭く研ぎ澄まされ、何が起きているのか理解が追い付かずに目を見開くばかりだった餌の眉間に突き立てられた。


 絶叫は短い。すぐに空を裂くような悲鳴は、ちょうどヒトの顔を覆う程度にまで開いた花にすっぽりと包まれて、すべて一緒くたに飲み込まれた。

 ナイトメアたちの「顔」であるように見える部分は不気味な表情を続けている。目元は何の感慨も湧かないとでも言うような真顔、しかしその口元だけは笑っているかのように吊り上がっている。尻尾のような、あるい花のような捕食器官が、ごくりごくりと嚥下の音のたびに歓喜に震える。

 最初の犠牲者たちを前に、何が起きているのかもわからず立ち尽くしていたギャラリーが、顔を包まれてじたばたともがいていた獲物の身体がある瞬間震えたかと思うと、どさりと落ちる――その瞬間、ようやく事態を把握した。別の犠牲者は、開かれた胸部に舌のようなその鋭い突起を突き立てられていた。じゅるじゅると吸い上げる音とともに、その肌の色は目に見えて白く、やがて土気色に変わっていく。

 恐慌に陥ってヒトビトが散ると、すばやく最初の吸引を完了させたナイトメアたちは、その逃げ惑う肥えた家畜たちに、順にまた飛びかかった――。



 だが、期を見て牙を剥いたのは化け物たちたけではない。今まで散々辛酸を味わってきたヒトの方こそ、怒りの声を上げ襲い掛かった。

 具体的な原因がわからないまま広がっていく被害は人の心を蝕む。それは未知に対する根源的な恐怖だ。

 しかし、害悪の正体が既知のものである――それも対処可能なものであると知れてしまえば――それは圧倒的にヒトを蹂躙する脅威から、駆逐されるべき害へと姿を変える。



 警報に素早く駆けつけた近衛の一人が吠えるような声を上げながら、今しがたまさにメイドに牙を突き立てようとしていた化け物を薙ぐと、飛び散る体液の色は青。偽りの姿を保っていられなくなった彼らはぐずぐずと崩れ、最終的にスライム状の肉塊になって床を転げ回る。来たるべき時に備えて訓練を積んだ戦闘員が飛びかかれば、形勢は一気に逆転した。

 ナイトメアは互いに情報を共有し、幻術を使い、人を惑わせて集団で襲いかかるが――逆に言えば、そうでもしなければ安全に捕食が行えない――一個体の戦闘能力がそれほど高くはないからこその固有能力なのである。彼らが戦う場合はさながら暗殺者のごとく、闇からいきなり現れ、速やかに終えるとまた闇に逃げ帰る。

 だからこんな風に白昼堂々正面から挑めば――幻覚や変化で多少は手こずらされるとは言え、いずれはヒトが勝利を収める。手品のように、ネタがわかってしまえばなんてことはない子供だましのようなやり方なのだから。



 時折虹色に発光しながら、崩れたやわらかな肉塊たちが弱弱しく逃げ惑う。一度損傷を受けると、お得意の幻術と変化を駆使することすらできないようだった。半透明のスライムの中央で一際強く美しい虹色を放つ塊――それがナイトメアの核であり、その部分を貫かれ、砕かれ、あるいは潰され――再起不能なまでに壊されると、断末魔を上げながらごぼごぼと溶けて広がっていく。


 ヒトでない生き物の所業であると悟ると、彼らに容赦する理由は全くなくなる。嫌悪に顔をゆがめ、憎悪に肩を怒らせていた近衛たちは――しかしやがて、ただただ粛々とした作業に動きを切り替える。

 警報の音に重なる悲鳴の合唱は、もはやヒトのものではなくなっていた。城内に姿を見せた狩人たちはあっという間に駆られる側に回り、驚くほどあっけなく次々に処分されていった。




「団長、第三エリアも完了したとの報告です」


 管制室の女性が告げると、シルバーグレーの髪の男が頷いた。動きやすいためにか軽装の方の鎧を纏っているが、明らかに風貌が年老いているにもかかわらず、その眼光は鋭く、肉体はどこか眠れる獅子を彷彿とさせるような静かな威圧感を放っている。その背のマントの色は真紅であり、左胸には団長の印である5つの花弁の花の模様。彼の近くにある者はその威厳ある姿に自然と姿勢を正し、緊張感を覚える。


 ――魔王城内の全近衛の頂点に君臨する赤薔薇騎士団の団長ウェスリーは、次々に飛んでくる城内各所からの報告を聞きながら、時折静かにその深みのある声を上げた。彼の声はいつもさほど大きくはないが、不思議と染み透るように空気を渡り、聞き届けるものの胸の奥にまで深くすとんと落ちてそこを静かに揺らす、そういった性質のものだった。


「油断するな。相手は害獣だ。生かしておく価値はない。王に、国に、民にとっての害だ。一匹残らず殲滅し、確認を怠るな」

「は」


 部下たちから短い返答が返ってきた直後、赤いマントを翻して男が部屋に入ってくる。室内のひときわ目立つ真紅を見つけると、すぐにやってきて一礼した。団長は低い声で部下に声をかける。


「あちらのご様子は」

「殿下はお変わりありません。非常に落ち着いてらっしゃる――いっそ不気味なほどに」


 どこか含みを持つ男の言葉に、赤薔薇の団長は目を細めた。


「口を慎め。……心強いことではないか」


 男は一瞬驚いたように目を見開くも、すぐにその表情をさっと隠すと一礼して自分の持ち場へと帰っていく。


 ウェスリーは保守派の多い赤薔薇の頂点にあり、頭の固い部下たちを取りまとめている身ではあるが、本人の思考は意識して中立を保っている。代々赤薔薇は肩書も容姿も優れた、そんな良く言えば誇り高い、悪く言えば高慢な男たちから構成されているが、不思議と団長だけはその中で特に目立たず淡々と職務をこなしてきたような男に回ってくる。――ちょうど彼のように。

 正直、何度か引退を考えたし、王に進言したこともあるほどの年だ。鍛えているとは言え、全盛期に比べればやはり肉体の衰えは感じている。だが、自分の後任者をどうするかと聞かれると、そのたびに確かに開きかけた口を閉ざすことになった。ウェスリーは長く赤薔薇にいすぎた。――彼がいない、と言う状態が今の赤薔薇に、引いてはそれ以外の近衛たちに受け入れられるのか。そして、彼の後任をしっかり引っ張っていけるほどの適任者を咄嗟に思いつけないのもまた事実なのだった。


 ――けれど、もうすぐそれも変わるかもしれない。城内には確かに、新しい風が吹こうとしている。その流れに身をゆだねるのも悪くない。もとより、今の王に捧げ続けてきた剣だ。共に去るとて構うまい。新しい王は新しいやり方で、この国を築いていくことだろう。――赤薔薇も、新しい形でやっていくことになるのかもしれない。

 ただ、ウェスリー自身がそのように考えているからと言って、赤薔薇の多数派がそうであるわけではない。むしろ、彼は彼らをまとめる立場にある以上、表立って変わりゆく現状を歓迎したことはない。進んで皇太子が何かするたびに、釘を刺すように苦言を呈してきたくらいだ。殿下は自分のことを疎ましく思っているだろうし、仕方のない事だ。――それが自分の立場のするべきことだと思っているので、そうしているまで。ウェスリーはそんな男だった。


 ――長い長い年月静かに保たれてきた平和が乱れる予感。

 今回起きた事件も、何かが動き始めているその予兆の一環なのだろうか。だが、これはどう考えても悪い兆候だ。当代魔王の不調に続き、害獣どもの反抗――将来に不安を残してしまうかもしれないこの懸念事項を今徹底的に潰しておくべきだろうと、ウェスリーは目を光らせ耳を澄ませている。新しい風が吹くと言うのなら受け入れるつもりだが、この流れのまま進んでいくと言うのなら自分はそれを止めねばならない。王に、民に、新しい時代に、今回の事件は間違いなく悪だ。

 それにこれがおそらく、自分の最後の大仕事になるのだから――。


「それにしても団長、蓋を開けてみればあっけなかったですね」


 そんな風に考えていると、脇に控えていた部下の一人が静かになってきた空気に気を緩めてかそんな言葉をかけてきた。


「確かにナイトメアの能力――幻術も変化も、特殊な情報伝達と共有――それらは厄介と言えば厄介。しかし、非戦闘員ならばともかく、仕掛けがわかってしまえば我らの相手ではありません――」

「私は油断するなと言ったはずだが。……被害者の救護は終わっていないし、いまだ交戦中の部隊もある」


 団長の言葉に部下は口を閉ざすが、どこか困惑した空気を感じ取っていた。

 ウェスリーにも部下の言いたいことはわかる。どうやって警備システムを潜り抜けてきていたのかはわからないが――いや、実は心当たりがないわけではないのだが――こうやって正体を現したことは、ナイトメアと言う種族たちにとっては最悪に近いほどの悪手、失態だ。()()()()()、彼は未だ顔をしかめ、最大限の警戒を続けている。もしもナイトメアたちの侵攻が本気なら、被害がこの程度で収まるはずがないのだ。彼は一度――彼らの頂点に君臨する、真祖と呼ばれる存在の本気を見たことがある。それがどれほど、おぞましいものであるのかを、身を以て知っている――。


 そのあたりのちぐはぐさが、不気味なのである。

 これが本気での策なのだとしたら、あまりにもお粗末すぎる。今まで数十名の犠牲者を出してきた輩のすることだろうか。敵は当初、我々の目を掻い潜りじわじわと追い詰める、向こうにとっては有効な策を進めていた。それを、ここに来て一気に崩した。ならばその真の狙いはいったい何だ?

 考えられうる一番の事は陽動。これだけ派手に各所で騒げば、事前の殺人事件の事もあって、どうしてもそちらに気を取られる。

 では陽動が正解だったとして――本当の目的は何だ。何がしたくて、何から目を背けさせたいのか? ――それが未だにわからない。

 一番警戒している王と皇太子の元には何も訪れる気配がない。浮力装置等の城の重大な心臓部にも。……ならば、どこに出るのか。あるいはもう、出たのか。それとも、出ているのか――。


 ウェスリーは静かに表情を凍らせたまま、考え続けている――。


 その直後、武官たちと通信のやりとりをしていた文官の一人が声を上げた。


「ウェスリー団長、よろしいですか」

「何事か」

「最初に警報が鳴った旧区画に向かわせた部隊が――」

「わかった、つないでくれ」


 女性が手元の装置を弄ると、すぐに室内に男の声が響いた。


「団長」

「ギビンズか」


 団長が近くの集音器に向かって話しかけると、問題なく届いたのか男ははきはきと答える。


「現在第十三旧区の入り口をダービーと封鎖中です。残りが旧区画内部に入りましたが、その後応答がありません」

「……なるほど。内部で交戦したにしても、何も見つけられなかったにしても、時間がかかりすぎているな。連絡もないのか」

「はい。途中から通信不能区域に侵入したこともあり……」

「場所が場所なだけに厄介だな。ただ、お前たちが見張っていると言うことは、少なくともその後何もそこから出てきてはいないし入れてもいないんだな」

「はい」


 男が答えると、無言で石版を操作したり術を作動させていた別の文官がそれを補うように発言する。


「お二人の近くの警備システムの履歴を検索しましたが、間違いないようです。内部の様子はわかりませんが、旧区画への出入りは見られません」


 赤薔薇の団長が黙ると、管制室内部の文官たちがちらほらとその間に言葉を交わしている。


「……むしろ、旧区画で最初に警報が作動した事がおかしかったのでは」

旧区画あそこは安定が悪いだけで、魔力場がゼロなわけではない。たまたまチャンネルが合った時に、誰かが内部で警報を作動させたのでは」

「でも、その確率って結構低くないですか? たまたま警報装置を作動させたときに外部と波長が合っていたなんて、そんなに都合よくタイミングが合うものでしょうか?」

「だから、そのあたりの調査を含めて送ったのに、この時間まで何も連絡がないのがおかしいんだって。しかも赤薔薇の部隊なのに」


 彼らの声を鬱陶しそうにしながら、最初に団長に声をかけた女性がやや控えめに提案する。


「他部隊に応援を要請しますか?」


 団長が思案顔に黙り込んでいると、突如通信が入った音が鳴り響き、受け答えをしていた女性が慌てて回線をつないだ。


「割り込み失礼、赤薔薇殿。今の件だが、こちらから提案がある」


 聞き覚えのある声に、なんとなくやはりか、と思いながらウェスリーは答える。


「黄薔薇か。今のを聞いていたのか」


 団長がちらりと部屋の隅を振り返ると、そこに座り込んでいた狼獣人の男がへらりと手を降って応答する。いつの間にかふらりと部屋に入ってきて邪魔にならない場所に陣取ると、ヘラヘラと管制室の各やりとりに耳を澄ませたり術式画面モニターの映像に目を細めていたりしていたのを最初は片隅に捕らえていたが、そのうちすっかり慣れて意識の外に追い出していた。

 赤薔薇の団員たちが睨み付けても特に動じる様子はなく、静かに微笑んでいる様はまちがいなく黄薔薇のそれだろう。マントの色はレモン色、手には先ほどまで使用していたらしい通信機が握られていた。


 赤薔薇のどこか含みのある声に、黄薔薇の団長は――かつてウェスリーの弟子であった男は苦笑しているらしい。


「失礼、そのためにそいつをそこに置いていたんで。お叱りは後で受けますよ」

「簡潔にわかりやすくお前の魂胆を語ってもらおうか。……何を企んでいる」


 何を企んでいる――もういったい何度この言葉をこの男に投げかけただろうか。初めてそう言ったのは、残飯をかけられて呆然と立ち尽くしているかのように見えた男が会心の笑みを浮かべていた――あの光景に出くわしたときの事だったか。何も、と笑って答える弟子が、ぽつりぽつりと他のことを言うようになったのはいつのことだったか。

 最初は痩せた長身の、翼と耳を覆う羽毛以外は特に見る所もないように思えた、そんな目立たない青年だった。今ではそれなりに横幅も増えたが、可愛げのない態度はあのころからほとんど変わりない。妙ななつかしさを覚えていると、昔と変わらぬはきはきした声が返ってきた。


「赤薔薇殿、あなたもご存じの通り、ナイトメアは独自のネットワークで伝達を行なっている。こんな風に群れで現れる時には、必ずそれを統率する頭がどこかにいる。第十三旧区に向かった部隊が相手にしているのはおそらくそれです」

「なるほど。お前はそれが現れるのを期待していたと」


 どこか意味深な沈黙が流れる。……だが、時間が惜しいのかすぐに通信相手は静かに会話を続ける。


「――もう、あなたも気が付いているはずだ。普通のナイトメアならこんなことはしない。城内で殺人事件のみならず、同時多発テロなんて酔狂な真似、絶対に起こさない」


 ウェスリーは少しだけ口を閉ざそうとしたが、どこか諦めたように声を吐き出す。


「……邪眼か?」

「おそらく。話が早くて助かる」


 それまでどこか顔をしかめつつも黙って団長のやりとりを見守っていた赤薔薇の部下が、聞いていて思わずと言った風に声を荒げた。


「馬鹿な! そんなのありえない! 確かに邪眼になら一連の事件は容易に起こせる――だが、いくら奴でも――」

「仮に奴でなかったとしても、現にこれだけの多さの害獣が城内に湧いていて、しかも一部隊と連絡が途絶えている。最悪のケースは想定しておくべきだろう」


 赤薔薇団長が静かに言い放つと、浮き足立ちかけた管制室が一瞬にしてまた静まり返る。


「それで、仮に邪眼相手だったとしたら――援軍はむしろ危険な可能性すらある。黄薔薇よ、よもや我が子可愛さに目を曇らせてはおるまいな。お前の師父おや馬鹿ぶり、多少は私の耳にも届いているぞ」

「おや、そこまで見抜かれていましたか」

「……管制室にいれば、すぐにわかることだ。私が何のために全部隊の動きを見ていると思っている。お前が不自然にその男だけ待機を命じた時から、何やら碌でもないことを考えているような予感はしていたよ。今までは何かあればすぐ真っ先に前線に送り込んでいたからな」


 ウェスリーの声はあくまで淡々と抑揚がないが、さすがに内容に黄薔薇の団長が苦笑した気配が声だけでも伝わってくる。


「私情で邪眼に、経験の浅い我が弟子を当てたりするもんか――ジークは竜です、赤薔薇殿。耐性がある」

「なるほど、少しは盾になると。だが黒龍が奴の手に落ちたらどうする。その事態も十分想定はできる。それこそ最悪だ」

「あいつには万一のために強力なカントラシアの枷をはめてある。何かあったらすぐ昏倒させればいい。本人も覚悟の上だ」


 空気がわずかにかたくなり、緊張を帯びる。


「鍵はお前が持っているのか」

「――いや」


 一度だけ切った間に、黄薔薇のへらりとした笑みが剥がれ、挑戦するような真顔になった――そんな幻覚を見たような気がした。


「殿下がお持ちだ」


 低く小さなヘイスティングズの答えに、周囲がざわめきかけるほどたっぷり赤薔薇団長は沈黙した。――最終的に絞り出した声が妙に老けていると、言った本人が一番驚く。


「よかろう、乗ってやる。黄薔薇に第十三旧区への援軍を要請する。異常がなければそれでよし。万一交戦するような事態になった場合、威嚇牽制行動は取らなくていい。速やかに危険を排除せよ」


「ありがたい、赤薔薇殿」


「……風が吹いているな、ヘイスティングズ」


 名前を呼ばれた相手は少々の間をおいてから、いつも通りの調子で返してきた。


「悪い風ではありませんよ。あなたにも、私にも」


「……そうであればいいがな」


 答えのような独り言のような老人の呟きは、常には感じさせなかった徒労感を滲ませていた。




「ジーク、問題ない。許可が出た。ただちに第十三旧区に向かえ」


「はい」


 師父からの通信にティアは短く答える。既に目的地に向かって移動を開始していた。

 身にまとっているのは軽鎧。重い方は実践にはやはり動きを阻害して邪魔だ。ふっと首に手をやる。そこには冷たい、術式が編み込まれた金属の輪が静かな自己主張をしていた。


 ――カントラシアの枷。それは本来なら猛獣を制御するために使用されるもの。ティアが首に嵌めているものはその中でも特別製――大昔、無理矢理竜を使役して竜騎士の乗り物として使っていた時のものだった。


「本当は、こんなものしたくないのだけど……」


 そう言って顔をしかめながら、枷に鍵をした彼女のことを思い出す。――身体が熱くなる。まさか任務の前にあんな形とは言え会う事が出来るとは思っていなかったから、嬉しい誤算だった。


 師父は邪眼の事を彼に話した後、一つの提案をした。

 邪眼が現れたら、ティアが正面から対処をすること。囮のような役と認識してくれていい、お前はとにかく邪眼の注意を引きつけて時間を稼いでくれ、とヘイスティングズは言った。

 ――しかし、もちろん真正面からぶつかると言う事はそれだけ危険を伴う。最悪のケースは、邪眼の術に敗れてティアが洗脳されること。そうなれば、普段は本人にその気がないから抑え込まれている黒龍の力が、城内で解き放たれることになる。それだけは、許されることではない――。


 だから、カントラシアの枷を使う。それは本来、動物に使うものだ。奴隷たちの肌に彫っていた隷属印を道具化した、そんな風にも説明できる。人間には使用が許されていない。――首輪によって隷属状態に置かれた者は、鍵を持つ所有者の機嫌一つで昏倒させられる。単純な呪文一つで、たとえどこに隷属者が逃げようがどんな状況にあろうが、首輪から強力な毒を持つ針が出現し、速やかに反逆者を無抵抗状態にする。最悪の場合、針の当たり所によっては一生ものの後遺症が残ると言うケースも過去の事例で報告されている――。


 本来なら、竜と言う生き物は非常に束縛を嫌う。カントラシアの枷は彼らにとって、かつて自由な翼を奪われた同朋があったと言う屈辱の記憶であり、本能的に忌避する。まして竜たちの間で特別な意味を持つ黒龍に当代でカントラシアの枷を嵌めたと言ったら、さすがに彼の実家は黙っていないだろう。


 ――しかし、本人が進んで受け入れたとしたら。進んで隷属を望んだとしたら。


 そしてこの特殊事例ティアの場合、関係者各位に十分にそれを納得させるほどの理由が、根拠がある。

 事実として、現在進行形の奇行として――それは示されている。



 ただ一人、たった一人にのみ。

 ティア=テュフォンは従属させられることを肯定するし、むしろ希望する。それについて周囲がとやかく突っ込みを入れようものなら牙を剥く。



 実際、作戦の直前、リリアナが何も考えない、何も見えてないと自分に暗示をかけつつ枷を嵌めて鍵をしている間、ずっとこの黒龍は甘え声を上げ続けていた。

 形容しがたい微妙な顔で終わらせてから、動物扱いされてるんだぞ、ヒトとしての尊厳を奪われてるんだぞ、もっと怒れ! と主に鼻づらをひっぱたかれてもなお嬉しそうな顔をしていた。リリアナに縛られるなら本望! と口にしかけてもう一つビンタをもらっても、さらに嬉しそうな顔であった。あまりに幸せそうなので、リリアナがその後お小言を諦め、頭を抱えてうずくまったくらいだった。


 つまりまとめると、周囲は屈辱を飲んで公共のために、害悪の消滅のためにやむなく受け入れた措置なのだろうと思っているが、本人としては愛しいヒトに首輪をつけてもらえて、むしろ得をしているくらいの状態であったのである。現場に立ち会った悲しい関係者たちが彼に対する変態の認識を超弩級の変態にランクアップさせたが、当然のことだったろう。


「俺は、君だけのものだ」


 走りながらうっとりと、ティア(どへんたい)は首輪を撫ぜて余韻を味わっている。……リリアナが自分の様子にドン引きしていたと言う事実は彼の中では修正されているので、態度が改められることもなかった。

 ともあれ、そんなこんなで最高潮のコンディションであるティアは、順調に封鎖区域の入り口までやってきた。そこでどこか冷たい視線である赤薔薇二人の間を通ると、一気に浮かれた気持ちを引き締める。


 封鎖された部分からでもわかる、きな臭いにおい。一度だけ深呼吸し、師父に短く任務開始を告げてから――彼は邪眼てきの待っているであろう、第十三旧区に足を踏み入れた。

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